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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一一章 帝国の解答ー帝国陸海軍、西へ
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六一 東洋艦隊のジレンマ



 「あれは陽動なのだ! なぜそれが分からん!?」

 一九四二年七月一二日。

 セイロン島のトリンコマリー軍港に錨をおろしている、英国海軍東洋艦隊旗艦『ウォースパイト』の作戦室で、司令長官のジェイムズ・サマーヴィル海軍大将は喚くように叫んだ。

 彼の手には一枚の電文が握られており、目の前にはインド洋の地図が置かれている。

 地図の上には在インドのイギリス陸海空軍が、どこにどれほどいるのかを示す駒がいたる所に置かれているが、陸軍や空軍の部隊の駒は、そのほとんどが東経八五度の線上より東側の重要拠点、すなわちカルカッタ、ダッカ、チッタゴン、インパール、マンダレー、ラングーン等に配置、及びそれらに向けて移動中であることを示している。


 事の発端は三日前、突如として帝国陸軍の地上部隊がタイと英領ビルマの国境線を突破し、それまで偵察機や少数の爆撃機が散発的に飛来するだけだったビルマの空に、一〇〇機以上の爆撃機の大編隊が現れたことによる。

 ここ最近ビルマの独立を叫ぶ秘密組織の活動が活発化していたこともあり、イギリスはそれなりに、いや盛大に慌てた。

 さらに昨日、空母を含む帝国海軍の大艦隊がアンダマン海を北上している、という情報が飛び込んだ時点で、在インドのイギリス軍首脳部はこれらの日本軍の目的をビルマの占領にあると見て、陸空軍部隊の移動及び、在ビルマの空軍部隊による反撃を開始したのである。

 とは言え、破竹の勢いで北アフリカを進撃中のドイツ軍を何としてでも食い止めなければならないイギリスは、在インドの兵力をアフリカに回しつつあり、特に機甲部隊は半数以上がアフリカに転進していた。

 これらの部隊は、二ヶ月前に一度日本艦隊がインド洋に進出した際に、いったんアフリカ行きが中止されたのだが、その直後に日本でクーデターが起き日本艦隊が引き上げたのを見て、結局六月の始めに海を渡ってしまったのだ。

 ところがクーデターは未遂に終わり、その後トラック周辺における南太平洋海戦でアメリカが敗北したため、在インドのイギリス軍首脳部は遅ればせながらある恐ろしいことに気付いてしまった。

 もはやインド洋に来る帝国海軍を邪魔立てする者は、自分達以外誰もいなくなってしまった、ということにである。


 「敵の主力は間違い無くセイロンに、極論すれば我が東洋艦隊目指してやって来る。それ以外どこに来るというのだね!?」

 「陸軍はラングーンではないか、と言っていますが」

 参謀の一人がおずおずとそう言うと、サマーヴィルは吐き捨てるように応じた。

 「ラングーンだと? いったいどこにあんな河口の都市を、しかも雨季に占領しようとする物好きがいると言うのだ? 増水した川がいくつも行く手を阻んでいる中を進まねばならんのだぞ」

 「空軍司令部からの通達では、セイロンに新たに三〇機程度の機体を増援するとのことです。これでセイロンの飛行場に展開する航空兵力は、戦闘機七五機、爆撃機五〇機、その他の機種が二〇機程度になります」

 航空参謀が慰めるように言うと、サマーヴィルは自嘲的な笑みを浮かべて切り返した。

 「それに我が海軍の艦載機を合わせれば二五〇機か。潜水艦の報告によれば敵は艦載機だけでこの数倍、そして戦艦は二倍だ。いったいどうしろというのだね?」

 「長官……」

 「失礼します!」

 参謀がまた何か言おうとしたところに、電文の綴りを手にした通信士官が飛び込んできてその発言を遮る。

 「潜水艦『シーホース』より報告電、『我、敵艦隊発見。位置、トリンコマリーより方位九〇度距離七〇〇海里。針路、二七〇度。戦艦六、空母九、巡洋艦一一を確認』以上です」

 「それ見たまえ、主力部隊はこっちに来るぞ。しかも二日後の朝には、このセイロンが敵の艦載機の攻撃範囲に入るだろうな」

 サマーヴィルはまるで他人事のように話すと、手を組んで目を閉じた。

 「いっそのことむやみに反撃せずに、全艦チャゴス諸島に向かうのはどうでしょう? あそこは我が軍の一種の秘密基地ですし、艦隊保全主義に徹っしてさらに西に向かうにも、もう邪魔者はいません」

 「君は本気で言っておるのか? まず第一に敵はチャゴス諸島の存在を知っておる。何しろ二年前に当時同盟軍であった日本海軍の艦隊が、何度か寄港しているのだからな」

 サマーヴィルは呆れたという感情を剥き出しにして言うと、今度はゆっくりと喋り始めた。

 「それに艦隊保全主義とは、敵が来たからすぐ逃げよう、というような考え方ではない。いまさらだがそのことをしっかりと心に刻みこんでおいてもらいたい」

 外に目を向ければ、オレンジ色の夕陽が『ウァースパイト』を鮮やかに照らし出していたが、作戦室の中は自分の世界に入ってしまったサマーヴィルを中心に、不気味な空気が漂っていた。



 「敵はどうきますかね? 正面から向かってくるということは無いと思いますが」

 その頃、セイロン島がある方角に沈もうとしている夕陽に向かってテンデグリー海峡を進撃している、第一機動艦隊旗艦『矢矧』の羅針艦橋で、参謀長の上野敬三海軍少将が疑問を提起した。

 「セイロンの基地航空隊と東洋艦隊の艦載機を合わせても、我が一機艦にはとてもかないません。戦艦でさえ数は一艦隊よりも少ないですし、性能も劣ります。しかしこういうときこそ、思いがけない策をとってくるものです」

 航空参謀の柴田武雄海軍中佐がそう言うと、司令長官の塚原二四三海軍中将が続けて口を開く。

 「恐らく敵は、陸軍や南雲の動きが陽動だと気付いているだろうし、そうであるという前提でこちらも動かねばならん。戦力差から見て負けるとは思わんが、何しろ先は長いからな。慎重に事を運ばねばなるまい」


 塚原の言う通り、この時点において帝国海軍の本隊、つまり第一艦隊及び第一機動艦隊と英国海軍東洋艦隊との間には、残酷なまでの戦力差があった。

 例えば戦艦を見てみても、第一艦隊に所属する第一、第二、第三各戦隊の大和型及び信濃型合わせて六隻の戦艦の攻撃力は単純に考えると五〇口径四一センチ砲が七二門。

 さらに南雲忠一海軍中将率いる第二艦隊隷下の第五戦隊に所属する、天城型戦艦の二隻の四五口径三六センチ砲一六門というのもある。

 対する東洋艦隊に所属する五隻の戦艦の攻撃力を単純に考えると、四二口径三八,一センチ砲が四〇門。

 航空兵力にしても、第一、第二、第六各航空戦隊に所属する九隻の空母が今回載せてきた艦載機数は、全部で五五一機。

 東洋艦隊に所属する三隻の空母が載せている艦載機数は合わせて一〇五機。

 英国空軍の目がビルマに向いてしまっている状況下で、唯一頼りになるセイロンの空軍部隊を加えても数は半分である。

 しかも、帝国海軍には陽動部隊としてアンダマン海を北上している第二機動艦隊隷下の第三、第五、第八各航空戦隊に所属する六隻の空母に載っている四七六機の艦載機があり、さらに艦載機の消耗に備えて八〇機程度の予備機及びその分の搭乗員がペナン島に待機しているのだ。

 つまり、帝国海軍の艦載機兵力は一〇〇〇機を超える膨大なものであり、これに第三航空艦隊や帝国陸軍の第三航空軍が加わるのだから、英国空軍が兵力をビルマ方面に集結し、それに対してサマーヴィルがとやかく言おうとも、もはやあまり意味がないと言わざるを得ないだろう。


 「先の南太平洋海戦で、七〇七空の泰山が雷撃で行動中の敵戦艦を沈めるという快挙をなしとげましたが、東洋艦隊首脳部が未だに大艦巨砲主義から抜け出せていない場合、ことによると艦隊決戦を挑んでくるかもしれません」

 作戦参謀の大前敏一海軍中佐が発言すると、上野が穏やかに口を開く。

 「もしそうなったとしても、事の始末は高須長官にお任せして問題無いだろう。今この地球上に第一艦隊と真っ向からやり合って、しかも勝てる水上部隊などあるまい。そしてその間に我々一機艦はゆっくりと敵の空母とセイロンの航空隊を料理すれば良い」

 上野の発言を受けて、続けて柴田が口を開く。

 「敵がどのような反応を示すかは、敵が我々の目的をどのように見ているかによります。と言っても、我々が輸送船団を伴っていないことは知られているはずですから、無理をしてまで反撃してくることはないはずです」

 「航空参謀の言う通りだ。だが、まだ東洋艦隊が出撃したという情報は入っておらん。より正確な情報をより早く入手することが望ましいことは、周知の事実でありまた常識だが今回はこれをより徹底せねばならん」

 塚原は幕僚達の前でそう言うと、静かに腕を組んで艦橋の外に視線を向けた。

 どこまでも広がるインド洋の雄大な景色と、今まさに沈もうとしている太陽の光が、塚原の目に突き刺さっていた。



 「潜望鏡上げ」

 帝国海軍の大艦隊がインド洋を邁進している頃、すっかり日も暮れた南太平洋に浮かぶニューギニア島のアイタペ沖合に、突然一本の潜望鏡がせりあがってきた。

 「艦長、周囲の海面及び陸地に明かりは一切見えません」

 水上艦艇のそれと比べるとえらく狭くて窮屈な潜水艦の司令室のほぼ中心に設置された、潜望鏡の一番下の接眼レンズに両目を押し付け、体ごと潜望鏡をぐるりと一周させた下士官が報告すると、艦長と呼ばれた士官が陸戦隊被服に身を包んだ士官に向かってうなづいた。

 「今だ、大谷大尉」

 「了解です」

 潜水艦の名は『伊号第三六一潜水艦』といい、昭和一四年度計画で建造されたものだ。

 ただし搭載する魚雷はわずか二本であり、輸送がその主任務とされているが、実際の所は陸戦隊を乗艦させ上陸用舟艇を搭載した潜水揚陸艦である。

 「宮野艦長、短い間でしたがお世話になりました」

 横須賀鎮守府第一〇一特別陸戦隊隊長の、大谷光彦海軍大尉は礼儀正しくそう言うと、敬礼をして司令室を去り部下達のもとへ去って行った。

 「……潜望鏡下げ。メインタンクブロー、浮上しろ!」

 同じように右手を上げて大谷を見送った艦長、宮野正巳海軍少佐は大谷の姿が見えなくなるのと同時に命令を下した。

 潜望鏡が下げられると共に艦内に蓄えられた大量の海水が高圧空気によって押し出され、水中で静止していた『伊三六一潜』の艦体がゆっくりと浮き上がり、やがて海面を割って水上にその姿を現した。

 「電測より艦長、電探に感無し。逆探にも反応ありません」

 すかさず電測室から報告が届くと、砲雷長の柳瀬孝敏海軍中尉が口を開く。

 「やはりアイタペに米軍は展開していないようですね」

 「あぁ、偵察機の報告通りだな。だが、油断は禁物だ。いつ何時米軍の哨戒にかかるか分からんからな」

 換気装置が働き、生暖かいが新鮮な空気が艦内を巡るなか宮野が答えると、副長の波木政吉海軍大尉が宮野のもとに歩み寄り、搭載してきた特二式内火艇の切り離し作業に入ったことを告げた。

 今回、彼等が運んできた五二名の陸戦隊員は、英語や現地語を巧みに操り、格闘術や狙撃等に優れジャングルの中での生活や戦闘を自在にこなせるように訓練された、文字通りの特殊部隊だ。

 作戦本部は大兵力を投入してこれらの地域を占領するより、この特別陸戦隊による情報収集及び後方撹乱の方が有効と判断したのである。

 また『伊三六一潜』はこの陸戦隊に対する補給物資の輸送に専念するため連合艦隊直属になっており、ミッドウェー沖で東京空襲に向かうアメリカの艦隊を発見したり、インド洋で帝国陸軍がドイツに極秘派遣した貨物船を拿捕する等の実績を持つ艦長の宮野以下、乗組員もベテラン揃いだ。

 何しろこれから先、彼等は陸戦隊員の食料や弾薬を定期的に輸送しなければならず、つまり何度も米軍の哨戒圏内に突入する運命にあるのである。並大抵のことではない。

 「見張りより艦長、陸戦隊発進完了です」

 しばらくして司令塔にいる見張り員からの報告が入る。

 「了解」

 特二式内火艇のエンジン音が微かに聞こえるなか、宮野は短く返事を返し新たな命令を発した。

 「潜航開始、深さ一七!」

 彼は自ら運んできた陸戦隊を見送ろうとはしなかった。いや、出来なかったと言うほうが正しいかもしれない。




 第一六話、第一七話加筆訂正しました。


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