六〇 新生海軍航空隊
一九四二年七月九日、正午。
所は、ボルネオ島北部のブルネイの郊外に広がる巨大な航空基地、帝国海軍ブルネイ飛行場の一角に建つとある二階建ての建物の前庭だ。
「海軍中尉日比野敬、以下一七名は、本日付けをもって帝国海軍第三四三航空隊配属を命じられ、ただいま着任致しました! 敬礼ッ!」
日比野と名乗った将校が号令をかけると、彼を含めた一八人の将兵が一斉に右手を上げる。
すると、彼等の前に置かれた台の上に立っている将校や、その台の脇に並んでいる将校達も返礼をする。
「直れッ!」
「えー、私が司令官の富田である。諸君の中には今回の配属命令に戸惑いを覚えている者も多いと思う。しかし、同じ軍人には変わりがないわけで……」
「それにしても、本当に来ちゃいましたね」
と、少し離れた所に集まっている三四三空の将兵達の中で、第一〇小隊長の福山和樹海軍飛行兵曹長がボソリとつぶやくように言った。
「何と言うか、さっきの連中の敬礼に少し違和感を覚えましたけど、ちゃんと練習したんですかね?」
その隣で福山の部下の岩谷昌文海軍二等飛行兵曹が、聞きようによっては恐ろしいことをさらりと言ったが、誰一人としてそれをたしなめようとはせず、むしろ一斉にうなづいた。
「まぁ肝心なことは、果たして連中が我々と共に戦っていけるのか、どこまで協調出来るのか、ということですね」
さて、第一航空艦隊が誇る精鋭部隊である三四三空が、なぜトラックではなくブルネイにいるのかというと、早い話が訓練のためである。
南太平洋海戦で被った損害を回復するためという名目により、搭乗員達は泰山の輸送機型として大量生産が開始されている蒼空に個人の荷物と一緒に詰め込まれ、愛機の雷電に別れを告げる間もなく内地に呼び戻され、見知らぬ飛行場に降り立った彼等を待っていたものは、駐機場にズラリと並ぶ紫電の大群であった。
この見知らぬ飛行場は帝国海軍筑波飛行場といい、城北航空機の筑波工場の隣に造られたためか、駐機場が広く格納庫がやたら多いのが特長である。
彼等はそこで新たな愛機を受け取ると共に、次の日には松山の吉田浜飛行場に移動し慣熟訓練に着手した。
その後、予備の紫電や修理部品、整備員が到着して整備や修理の訓練も行われ始めたが、南太平洋海戦において戦死か重傷を負った合わせて一八人の搭乗員の補充はされる気配すらなかった。
そして結局補充が行われないまま油の豊富なブルネイへの移動が命ぜられ、そこで待っていたのが帝国総合航空本部長名義の、ある意味とんでもない指令だった。
その指令が書かれた書類を目にした三四三空の幹部達は、皆我が目を疑ったという。
もっとも、『補充の搭乗員は全て陸軍航空隊出身の者達である』と言われれば、当たり前ではあるが。
その頃、スマトラのリンガ島に設けられた帝国海軍の泊地から、マストに旭日旗をはためかせた艦艇が次々と出港していた。
パレンバンで産出及び精製された重油を満載した艦艇群は、陣形を整えつつ北西の方角に艦首を向ける。
上空を零戦や九六艦攻が舞うなかを、第一艦隊、第二艦隊、第一機動艦隊、第二機動艦隊という文字通り帝国海軍の主力部隊が、インド洋に居座る英国海軍東洋艦隊を粉砕し、インドの英軍に強烈な打撃を与えるべく、長大な単縦陣を作って進撃を開始した。
その戦力は、戦艦が『大和』を筆頭に八隻、空母が新たに商船改造の中型空母『穂高』『乗鞍』を戦列に加えて一五隻、重巡が九隻、軽巡が一四隻、防巡が六隻、駆逐艦が五七隻、護衛艦が一二隻という、一〇〇隻を軽く超える凄まじいものである。
そしてその他にも、インド洋には多数の潜水艦がすでに配置されているし、燃料や弾薬、真水や生鮮食品を積んだ補給艦もシンガポールに停泊し、いつでも出撃出来る体制が整えられている。
「通信より艦橋。南西方面軍よりの報告を受信しました『フジノヒハノボッタ。一一三七』」
「南西方面軍宛てに通信。『シラネノヒモノボッタ』至急、発信せよ」
第一艦隊の旗艦、司令部巡洋艦『熊野』の羅針艦橋に、第一艦隊司令長官の高須四郎海軍中将の声が響く。
「予定通り、ですね」
高須の傍らで参謀長の小林兼五海軍少将が口を開く。
南西方面軍から送られてきた電文の意味は要するに『我、作戦を開始す』であり、反対に返された電文の意味は要するに『了解せり。我も作戦を開始す』というものだ。
最終的に帝国総合作戦本部でまとめられた『い号作戦』の目的は、イギリスから見ればとてつもなく迷惑な内容となっている。
最優先事項は当然ながら、東洋艦隊を完全に壊滅させることであり、あわせて通商破壊や沿岸の基地に対する攻撃も実施される予定だ。
その陽動として、つまりこれらの帝国海軍の動きに英軍が全力で反撃を加えてこないように、またイギリスに大きな危機感を植え付け積極論を潰すために、帝国陸軍が英領ビルマに限定的な侵攻を行い、大規模な航空攻撃をかけることになっている。
とは言え、帝国海軍が持てる主力の水上部隊をあらかた投入するのに対し、帝国陸軍が投入するのはは新たに編成した河辺正三陸軍中将率いる第四軍と、菅原道大陸軍中将率いる第三航空軍、細く言うと三個歩兵師団に一個機甲師団、二個航空師団他である。
陽動としてはこれくらいで良いということなのだが、実際にはこれに英領ビルマを混乱させるべく現地の独立派を支援してきた、作戦本部直属の特務機関である南機関が結成したビルマ独立義勇軍が加わり、道案内を含めて総合的にい号作戦を支援することになっている。
「見張りより艦橋。七時の方向より友軍機多数接近中」
「電測より艦橋。接近中の友軍機は双発機の編隊なり」
「九六陸攻と泰山、ですな」
第一艦隊の航空参謀である鈴木栄二郎海軍中佐が発言する。
「第三航空艦隊所属の七二一空と思われます。彼等はタイの飛行場に進出して陸軍の第三航空軍と共に、ビルマやインドに対する爆撃に従事することになっていますから」
「第三航空軍と共に、か。そんなことを言うのもこれが最後かもしれませんな」
と小林が感慨深そうに高須に言うと、高須はうなづきながらゆっくりと口を開いた。
「航空隊を陸海軍からそれぞれ独立させて、新たに空軍を創ろうという意見はだいぶ前からあったが、それが今形は微妙に違えど実現しつつあるわけだ。私には良く分からんが少なくとも悪いことではあるまい」
「そうなると空母にもそのうち陸軍航空隊出身者が乗艦することになるのでしょうか?」
首席参謀の柳沢蔵之助海軍大佐がそう言うと、その方面には艦橋内に詰めている士官の中で一番詳しい鈴木が返答する。
「内地に残った七航戦の空母を使用して行われている母艦搭乗員の養成訓練には、すでに陸軍出身者が参加しているとのことです。基地航空隊にも陸軍出身者が配属され始めたそうですから、首席参謀の言われたことが現実のこととなるのも、時間の問題と思われます」
「海軍一等飛行兵曹、野山淳であります! 搭乗員歴三年、撃墜数はフィリピンでの一機です」
「同じく、田路敏三郎であります! 搭乗員歴三年、撃墜数は満州での二機です」
「海軍二等飛行兵曹、藤幡影次郎であります! 搭乗員歴一年、まだ撃墜をあげたことはありません」
場面は戻って帝国海軍ブルネイ飛行場。
第三四三海軍航空隊司令官の富田卓次郎海軍大佐の訓示が終わった後、補充要員として三四三空に配属された『陸軍航空隊出身者』達は、各々が所属することになったそれぞれの部隊の旧来からの搭乗員の前で、簡単な自己紹介を行った。
このうち、長峰義郎海軍少佐が隊長を務める第二戦闘隊には三名が回されたのである。
さて、そんな彼等の自己紹介を聞いている内に、旧来からの搭乗員達は皆拍子抜けしていた。
何しろ彼等は、帝国海軍最強の局戦部隊という異名をとるだけの技量及び戦果を持っており、ほとんどの搭乗員は欧米でいうところのエース、つまり撃墜数が五機以上の連中だ。
そんな三四三空に、わざわざ陸軍から海軍に転籍してまで配属されたのだから、さぞかし凄い奴等が来るのであろう、と予想していたところなのに、実際にやって来たのは、技量も戦果も特に優れているとはとても思えない三人なのだ。
「大丈夫ですかね?」
そんな三人に懐疑的な視線を送る福山の隣で、彼の小隊の分隊長である浅野誠司海軍一等飛行兵曹が囁くように言う。
「いや、むしろやりやすいかもしれんぞ」
さらにその隣で、長峰の戦闘隊の中隊長である大原義時海軍大尉がつぶやく。
「どういう意味です?」
「知っていると思うが、海軍の雷電と陸軍の鍾馗は見た目こそまったく同じだが、操縦席周りだけはまったくの別物だ。なぜなら操縦法が違うからだ」
これは二〇年程前から陸軍はフランス、海軍はイギリスをそれぞれ手本として航空隊を養成してきたためである。
「我々が機体を加速させようとするときには、当たり前だがレバーを前に倒す。しかし陸軍機でそれをやると機体は失速してしまうのだよ」
「なるほど。ベテランの搭乗員はその動作が体に染み付いているから、その癖を矯正するのに時間がかかる。ということですね、中隊長?」
「そういうことさ。まぁあの三人にもある程度の癖はついているとは思うが、まだマシなほうだろう」
「しかし……連中、海上航法の能力は零ですよね」
「それもそうだな。そうするとこいつは、少し厄介なことになりそうだな」
基本的に陸軍航空隊の搭乗員は空より地上を眺めれば、その景色から自分の現在地を地図上に見つけることは可能だが、海軍航空隊の搭乗員のように空と海以外何もないような状況で、自分の現在地を海図上に見つけることは不可能、と言うよりやったことがないのである。
「さて諸君」
そんななかいつの間にか三人の自己紹介が終わり、代わって長峰が喋り始めようとしていた。
「彼等はもう立派な海軍の搭乗員だ。操縦法や航法等、彼等に足りないものも多々あるが、それを補うのは我々旧来の搭乗員だ。しっかり頼む。あぁただし……」
長峰は咳払いを一つ挟むとさらに続ける。
「焦ることはない。こんなことを俺が言うのもどうかと思うが、我々三四三空は少なくとも向こう二ヶ月間、ブルネイで訓練を続けることになっておる。つまりトラックに戻るのは九月になってからだ」
「なぜです!? トラックはまたいつ何時ラバウルから攻撃を受けるのか分からない状況なのに、我々はこんな所でボヤボヤしていても良いのですか?」
大原がさりげなく自らの株を上げるように尋ねると、長峰は表情を崩すことなく答えた。
「トラックにはマーシャルから三四一空が、内地から三四五空が増援として配置されておる。我々はトラックのことは気にせず、紫電と共に訓練に励めば良い。それに一応我々は、ちょうど今日発令されたインド洋方面作戦、い号作戦における予備部隊の一つともされているのだが……言ってなかったか?」
「えぇ、聞いていません」
大原はにべもなく返す。
「そうか、それは悪かったなぁ。そう、それからオーストラリアのダーウィンとかいう都市に対する攻撃が、我々を巻き込んで起こるかもしれん。くれぐれも準備は怠らんようにしておくように……以上だが、何かあるかね?」
「なぜ、あそこで引き上げなかったのだね?」
「申し訳ありません。私の判断ミスです。せっかく、チャンスをいただいたのに」
「私としては遺憾の限りだが、ワシントンは貴官を許さんだろう。私が豊富な経験は何よりも勝るのだ、と何度訴えても彼等は聞く耳を持たんかった」
「長官のご尽力には感謝致します。しかし幸いなことに、合衆国海軍には私より優れた指揮官が大勢います。ご心配にはおよびません」
「……いずれ反攻作戦が発動されると思うが、貴官は我が海軍に欠くことの出来ない人材だ。その時はそのような萎れた態度はとらんでいてもらいたい。猛将の名に恥じないような態度でいてくれなくては困るのだ」
「分かっております。ですが……いえ、失礼します」
第一三話から一五話まで加筆訂正しました。
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