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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一〇章 南太平洋海戦
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五九 異色の参謀


 一九四二年六月八日、午前一〇時。

 神奈川県は日吉の帝国海軍連合艦隊総司令部の作戦室で、連合艦隊の幕僚達による臨時の会議が、南太平洋海戦の終結を受けて行われようとしていた。


 「まず、戦果ですが」

 と、情報参謀の早乙女勝弘海軍中佐が口火を切った。

 「六月六日から同七日にかけトラック周辺において撃沈確実と判断されたもの、戦艦三、空母二、巡洋艦四、駆逐艦一〇、潜水艦五。同じく撃破せしめたもの、空母一、駆逐艦三。撃墜した敵機は未だ詳細な報告が届いておりませんが、空母と共に海没せしめたものも含め、四五〇から五五〇機であると推定されます」

 参謀達が感嘆の声を上げるなか、早乙女は一つ息をつき書類をめくって続けた。

 「次に我が方の損害です。沈没、潜水艦二。大破、空母『沖鷹』『雲鷹』。中破、戦艦『日向』。小破、戦艦『伊勢』、軽巡『鬼怒』、駆逐艦『不知火』『磯風』、護衛艦『霜月』。喪失機はこれも詳細な報告がまだ届いておりませんが、一五〇から二〇〇機と推定されます。またトラック基地の復旧作業は今月中に完了するとのことです」

 以上です、と早乙女が席につくとややあって、参謀長の宇垣纏海軍少将が口を開いた。

 「戦術的にみても戦略的にみても我が軍の勝利だ。これで当分、南太平洋に米国の水上艦艇が現れることはあるまい。そして遂に航空機が行動中の戦艦を撃沈することが出来たということは、我が海軍の方針は正しかったということを示している」

 珍しく晴れやかな表情で宇垣がそう言うと、物凄く素晴らしい結果であるように聞こえるが、航空参謀の樋端久利雄海軍中佐が反論する。

 「しかし、あまり楽観視も出来ません」

 「それはどういう意味かな、航空参謀?」

 間髪入れずに、入り口から見て一番奥に座っている連合艦隊司令長官、山本五十六海軍大将が尋ねた。

 「詳細な報告が届いていない以上断言することは出来ませんが、まず零戦や雷電でB−17を撃墜することは相当の難事であること、また米艦隊に最初の一撃をかけた艦爆隊の帰還率が低すぎること等の不安材料がいくつもあると思うのです」

 「そのことについては私も同意見です。勝利に浮かれる者は二度と勝利することは出来ません。今回の戦闘に関する詳細な報告を早急にまとめ、必要とあらば他の機関の協力を仰ぐことも必要だとおもいます」

 早乙女が続けるように言うと、今度は首席参謀の黒島亀人海軍大佐が口を開いた。

 「基本的に連合艦隊に出来ることは艦政及び航空本部に要請を出すことぐらいだが、情報参謀や航空参謀には出来るだけ早くそれをこなしてもらいたい。その成果により、連合艦隊の戦力が変わってしまうことも有り得ることだからな」

 「うむ、よろしく頼む。ところで、次期作戦のことを考えると南東方面艦隊には増援を送らねばならん。何か意見はないかね?」

 と、山本は早乙女と樋端に向かってうなづいた後、自ら新たな議題を提起した。

 「当面は一航艦に対するものだけで良いと考えます。むしろ敵に有力な水上部隊がいない以上、第三艦隊に戦艦や空母、そして二水戦は必要ありません」

 「それにトラックには一月前までに、巡洋艦用の一万トン級が一つと駆逐艦用の小型ドックが五つ完成するなど、基地機能が大幅に強化されていますので、補給さえ滞らなければ南東方面艦隊が自活することは可能です」


 ……最終的に、第三艦隊からは第四戦隊や第四航空戦隊、第二水雷戦隊といった有力な水上部隊は引き抜かれ、代わりに戦時急造の小型駆逐艦や護衛艦が回されることになった。

 一方、第一航空艦隊には既存の航空隊の穴をうめ、全ての航空隊において機数を定数に揃えるために大規模な増援が送られることとなり、合わせて紫電や暁雲といった新型機を優先的に回すということも確認された。

 結果的に南東方面艦隊は水上戦力の弱体化と引き換えに、今までにない強大な航空戦力を得ることになったのである。


 「さて次期作戦のことだが」

 トラック方面の事柄について一通りの議論がなされた後、いったん会議は休憩をとるために解散された。

 そして、幕僚達が再び集まったときには東京から軍令部次長の伊藤整一海軍中将が数名の部下と共に到着しており、それを確認した山本は自らもう一つの重要な議題を切り出した。

 「まず、今回の作戦について軍令部次長から説明がある」

 山本の発言を受けて伊藤が連合艦隊の幕僚達に向かって、作戦の趣旨を説明するために立ち上がった。

 「まず、作戦名はい号作戦と決定した。作戦目的はインド方面の英軍に、再起不能な程の打撃を与えることである。また戦力については連合艦隊のほとんどを使用する予定だ」

 「太平洋は空にするということですか?」

 さっそく宇垣が質問すると、伊藤はかぶりを振った。

 「あくまで水上部隊が中心であり、基地航空隊は第三航空艦隊を除いて使用しない。それに幸運なことに、米国は当分攻勢には出られんだろうから空にしても心配はない、と軍令部及び作戦本部は考えている」

 「再起不能なまでということは、仮に東洋艦隊を撃滅したとしてもインド洋に留まり、攻撃を続けるということでしょうか?」

 続けて黒島が質問する。

 「基本的にはその方針だ。そのため補給部隊を充実させ、予備の搭乗員も後方に待機させる予定である」


 その後も伊藤と幕僚達の議論は続いたが、連合艦隊の水上部隊をあらかた投入するような戦闘は、これまですべて短期戦であったため、作戦の細かい期間は未定である、という伊藤の説明に皆それぞれ戸惑いを見せていた。

 もっとも、そんな幕僚達の中でただ一人、い号作戦に積極的に賛成した参謀がいた。

 その人物とは、まだ会議に出していない欧州の戦況の最新情報を握っていた情報参謀、早乙女勝弘であった。


 「英国本土航空戦に勝利し、一時的にとは言え英国本土に上陸まで行い、破竹の勢いでソ連を侵略しつつあるドイツ軍ですが、いったんは講和した英国と再び戦争状態になり、さらに米国という超大国が新たに敵陣営に加わったこともあり、さすがに息切れをし始めているように思われます」

 渋る参謀達を説得するべく、早乙女は欧州の戦況について説明を始めた。

 宇垣辺りは、それがどうした、という表情を作っているが早乙女はあえて無視していた。

 「例えばフランスにおいては、さしものドイツ空軍をもってしても、米国の参戦により強力になった連合国空軍を押し返すには至らず、いつ終わるともしれない航空消耗戦が続き、また大西洋においては、ドイツ海軍のUボートと連合国海軍の潜水艦戦が行われていますが、これらの戦いは連合国側に米国がいる以上、時間が経てば経つほどドイツにとって不利となると考えられます」

 早乙女は資料を捲り、まくし立てるように続けた。

 「さて東部戦線ですが、モスクワにクイビシェフ、ヘルシンキ等からの情報によれば、近くソ連軍によるモスクワ及びレニングラード奪回作戦が発動される模様です。ソ連軍の兵力は三五〇万程、対するドイツ軍は同盟軍を含めて一六〇万程と見られます」


 もっとも、まだ日本にいる者は誰も知らなかったが、この方面の戦いはすでに始まっていた。

 ウラル山脈付近に疎開した軍事工場で大量生産されている重砲がドイツ軍陣地に砲弾の嵐をみまい、煙で空を覆い隠さんばかりにカチューシャロケットを撃ちまくり、一部に最新型のT−34を含む戦車部隊を先頭に歩兵の超大集団が壮烈な突撃を敢行し、ドイツ軍陣地を一つ、また一つと突破していく。

 その上空では制空権を獲得するために互いの戦闘機が飛び交い、その隙間を縫うように地上攻撃機が低空に舞い降り爆弾を叩きつけていく。

 突出したソ連軍を撃破すべくドイツ軍の機甲部隊が逆襲をかけ、T−34と四号戦車との間に熾烈な戦車戦が繰り広げられる。


 ……などということはともかく、長々と欧州の戦況についての説明を続ける早乙女の僅かな隙をついて、宇垣が言いたかったことを吐き出すように喋り始めた。

 「欧州の戦況もまた大事ではあるが、それは今すべきことなのかね? 今はこのい号作戦について議論をしているのであって、欧州のことはどうでも良いことではないか!?」

 「関係あると考えるが故に話しているのです」

 不機嫌丸出しの宇垣の発言に対し、早乙女はいたって冷静にそうに返した。

 「現時点で我が国と欧州の列強との関係は、非常に奇妙な状態にあります。我が国は英国と戦争状態にあり、その敵であるドイツには頑張って貰わなければなりません。かといって、我が国はドイツと同盟を結んでいるわけではなくまた結ぶ気もありません。つまりあからさまな支援は出来ないのです」

 「インド洋の制海権を握れば、間接的にドイツを支援することになる。情報参謀の言いたいことはこういうことかね?」

 黒島がしたり顔で言うと、早乙女はうなづいた。

 「表面上関係がないといっても、すでに我が国とドイツは不慮の技術交流等が行われてしまっています。い号作戦の結果インド洋航路が麻痺し、エジプトの英軍への補給が滞ればアフリカのドイツ軍はスエズまで到達するでしょう。そうなれば西の敵は事実上消滅するのです」

 「……陸軍参謀からは何か意見はないかね?」

 早乙女が一通り話終えると作戦室の中は一瞬静まったが、その沈黙を破るように山本が彼から見て一番離れた所に座っている将校に話しかけた。

 山本を始めとしてほとんど全員が真っ白の軍服に身を包んでいるなか、一人だけカーキ色の軍服に袖を通しているその将校の名は天道早太陸軍中佐、肩書きは連合艦隊陸軍参謀という。

 その主な仕事内容は、帝国陸軍の諸部隊と連合艦隊の連絡や、陸軍の代表として連合艦隊の作戦に意見を述べること等である。

 ちなみに海上護衛総隊にも陸軍参謀はいるし、南方総軍には反対に海軍参謀がいたりする。

 「陸軍としては特に意見はありませんが、南方総軍内でビルマ方面に限定的な侵攻を行い、あわせて大規模な航空攻撃をかけて英軍に打撃を与えんとする作戦が検討されています。その作戦とい号作戦とは、目的はともかくやることは同じ様なものと考えますので、よろしければ南方総軍との連絡をとりますが、いかがいたしましょうか?」

 「うむ、よろしく頼む。そのうち南方総軍からも海軍参謀を通じていってくるとは思うが、早いことに越したことはない」

 「長官、では……」

 「連合艦隊としては、このい号作戦に特に異論はない」

 山本は微笑をたたえながら伊藤にそう話しかけた。

 「ただし聞いての通り、陸軍との共同作戦となりそうであるから参謀本部や陸軍省との連絡を密にとりながら、作戦の細部を詰めてもらいたい」



 六月一八日。

 所は変わってニューヨークのとある港。

 岸壁には船体に『グリップス・ホルム』と書かれた大型客船が停泊しており、付近は多くの乗客でごった返している。

 「ミスター・ノムラ」

 山高帽を被りステッキを片手にその様子を見ていた前駐米特命全権大使、野村吉三郎は前触れもなく名前を英語で呼ばれ、後ろを振り返った。

 「これは……ミスター・ハル。どうしたのですか?」

 そこにいたのはアメリカの国務長官、コーデル・ハルその人である。野村は仰天したがそこは元軍人。表情を変えずにゆっくりと右手を差し出した。

 「いや、貴方を見送りにこうしてお忍びで来たのです。米日間が平穏であれば細やかな送別会を開くところですがね」

 ハルは野村と握手しながらそう言った。

 「戦争になったのは我々外交官の敗北だ。と、私が最後の会談で言ったとき、貴方はこれからが本当の勝負だと言われた。私はあの時本当の外交官を見た気がしました」

 「それは買い被りです。外交官としての技能は海軍上がりの私より、貴方の方が遥かに勝っていますから」

 ハルは返そうとしたとき不意に汽笛が鳴り、出港時間が近いことを知らせた。

 「どうやら時間が無いようだ。では私は失礼します。またお会い出来ることを祈っています」

 「こちらこそ。ご無事で」

 野村はハルともう一度握手をすると、汽笛が再び鳴り響いた。



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