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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一〇章 南太平洋海戦
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五四 小松艦隊の反撃



 一九四二年六月七日、時刻は午前五時丁度。

 所はトラック環礁の南約三五〇キロの太平洋上。

 穏やかな海上を、小松輝久海軍中将率いる帝国海軍第三艦隊の艦艇群が、朝日を左舷に浴びながら、一八ノットの速さで南下している。

 昨日、連合艦隊総司令部の方針転換によりアメリカ太平洋艦隊への攻撃を命じられ、南下していた第三艦隊であるが、結局距離を詰めきれず攻撃隊を出すことは出来なかった。

 そのため彼等は日暮れと共にいったん針路を変更して、トラックの第一航空艦隊の対潜哨戒機の支援のもと、敵潜水艦の動きに注意しながら夜を明かし、そして今この海域を南下しているのだ。


 その一方、ウィリアム・B・ハルゼー海軍中将率いる合衆国海軍第二一及び二二任務部隊は、右舷に朝日を浴びながらラバウルの北約三〇〇キロを一五ノットの速さで北上している。

 こちらも昨日、B−17によるトラック空襲と連動して北上していたが、日暮れと共にいったん進撃を中止して赤道付近まで後退していたのだ。

 ただし太平洋艦隊の虎の子空母を失うわけにはいかないため、ハルゼーはラバウルの戦闘機隊の行動圏外にまで出るつもりはなかった。

 彼らしくない消極的な方針だが、正確にはそうせざるを得なかったのだ。

 帝国海軍の一大根拠地であり巨大な航空基地でもあるトラック環礁に、三隻ずつの戦艦と空母を基幹とする艦隊で接近するのはあまりにも無謀だ。

 もっとも極東空軍指揮下のB−17が基地を徹底的に破壊するか、せめて帝国海軍航空隊を拘束していれば話は別である。

 しかし、昨日の航空戦で損傷機を含めて二〇〇機以上のB−17が失われ、護衛のP−38にいたっては損耗率が九割近くになってしまい、この結果にラバウルに進出した極東空軍司令部は、トラック基地を破壊しきれていないのにも関わらず消極的になってしまった。

 さらにトラックとマーシャルの間に配置された潜水艦から『日本軍戦闘機の大編隊西に向かう』との報が飛び込み、極東空軍の面々は完全に怖じ気付いてしまったのだ。

 『ホーネット』の艦上で極東空軍から『貴艦隊の支援以外はしない』と通告されたハルゼーは怒り狂ったが、立場が立場だけに何も出来なかった。

 潜水艦の活躍で、戦う前に帝国海軍の空母が一隻戦列を離れていることが、せめてもの救いであった。



 「我が艦隊と敵艦隊との距離は現時点で、およそ五〇〇海里である」

 第三艦隊隸下の第四航空戦隊に所属する『大鷹』の飛行甲板に置かれた令達台の上で、司令官の角田覚治海軍少将が訓示を始めると、整列した搭乗員達は皆唖然とした。スピーカーを通して訓示を聞いている『沖鷹』の搭乗員もまた然りだ。

 だが、そんなことはお構い無しに角田の訓示は続く。

 「昨日の『雲鷹』の戦線離脱により、我が航空隊の戦力は三分の二に低下したが、敵艦隊は無傷であり戦力を失ってはいない。この劣勢を挽回するためには、先制攻撃を仕掛け敵空母の戦闘能力を奪う以外に無い」

 そして角田は少し間を開け、最も重要な事を力強く言った。

 「搭乗員諸君にとって、この任務が非常に厳しいことは承知している。諸君の奮闘に応え、また諸君の負担を少しでも抑えるために、我が艦隊は、全速力で諸君らを迎えに行く! 以上!」

 この一言は搭乗員達の闘志を沸き立たせるのに、充分過ぎる効果を発揮した。

 訓示を終えた角田は、搭乗員達の表情の変化を見てとるとゆっくりと頷いた。

 するとまるでそれが合図であったかのように、二隻の空母の飛行甲板に「かかれッ!」の号令が響き渡った。

 直立不動の姿勢を保っていた搭乗員達は、弾かれるように愛機のもとに駆け寄り、操縦席に飛び込んだ。

 「面舵一杯! 戦隊針路二一〇度!」

 続けて角田が叫ぶと、二隻の航海長が復唱し操舵室で舵輪が回される。

 例によって反応は鈍いが、二隻が回頭を終え艦首が風に正対したこときには、飛行甲板上における作業は全て完了していた。

 「発艦始めッ!」

 第六五一海軍航空隊の司令官でもある角田が命じると、飛行長の崎長嘉郎海軍少佐は信号灯を振り、くわえていたホイッスルに力一杯息を吹き込んだ。

 間髪入れずに整備兵が一番機の零戦の車輪止めを外してその翼下に転がりこむと、第一次攻撃隊の総指揮を任された志賀淑雄海軍大尉は、愛機のスロットルレバーを押し込み、そしてブレーキを解除して、愛機を走らせ始めた。

 ガソリンが満載された落下増槽をぶら下げた零戦は、強い向かい風に助けられ、栄エンジンの爆音を轟かせながら軽やかに上昇していく。

 続けて志賀の部下達が操る零戦が、そして二五〇キロ爆弾を爆弾倉に搭載した彗星が、手の空いている乗組員の帽振れに見送られながら、次々に飛行甲板を蹴って飛び立って行く。

 二隻の空母から零戦三二機、彗星一八機の合わせて五〇機の第一次攻撃隊が発艦し終わると、角田はその旨を第三艦隊の旗艦の『日向』に伝えさせた。

 そしてその三〇秒後、『日向』から第三艦隊の各艦艇に新たな命令が発信された。

 「艦隊針路一八〇度、最大戦速!」



 その頃、トラック環礁の夏島に司令部を置く帝国海軍南東方面艦隊は、持てる設営隊と陸戦隊を総動員して、昨日の空襲により見事に破壊された飛行場の復旧作業に努めていた。

 また被害を受けていない飛行場には、米軍によるさらなる空襲に対する備えと、第三艦隊に対する支援のための航空機が並べられ、整備兵達の手によって最終点検や燃料弾薬の搭載が行われ、次々にエンジンが始動されていく。

 昨日の航空戦を生き残った戦闘機や、マーシャル諸島に展開する第二航空艦隊からの援軍、そして艦爆、艦攻、陸攻から様々な音色の爆音が発せられ、そこに設営隊の土木機械の駆動音が混ざる。


 「それにしても……朝から賑やかなものだなぁ」

 竹島飛行場の駐機場の傍らで、第三四三海軍航空隊の飛行隊長兼第二戦闘隊隊長の長峰義郎海軍少佐がつぶやいた。

 「仕方ないだろう。ここは戦場なんだからな」

 「はぁ、しかし陸戦隊の連中は可哀想ですね」

 「まったくだな。このご時世にあんなことをさせられるとは」

 陸攻の神様という異名を持つ、第七五一海軍航空隊飛行隊長の入佐俊家海軍少佐は、苦笑いを浮かべながら言った。

 ちなみに入佐は長峰の海軍兵学校の一期先輩にあたり、また第一航空艦隊隸下の航空隊の飛行隊長同士ということもあり、付き合いが長く仲も良い。

 なぜ陸戦隊が可哀想なのかというと、陸戦隊は土木作業用の機械を持たないからだ。設営隊がブルドーザーや蒸気ショベル、クレーン車を駆使しているその脇で、汗だくになりながらシャベルと一輪車を駆使して飛行場の穴を埋めている光景は、この表現以外で語ることは出来ない。

 しかし、この状況を目のあたりにしても二人の話題は航空関連のことになってしまう。

 「昨日は大変だったなぁ。この竹島が無傷であることが不思議なくらいだ。俺は陸攻乗りだから分からんのだが、やはりB−17はすごいのか? 聞いた話じゃあ防御砲火が半端じゃないってことなんだが」

 「そりゃぁ。よってたかって炸薬仕込みの一二,七ミリを撃ち込んでやっと墜ちるのですから。あのしぶとさは桁違いですね。……台湾沖で戦った手負いの奴に比べれば、防御砲火も凄いですよ」

 どこか悲しげに言う長峰の発言を聞きながら、余計なことを聞いてしまった、と入佐は自分を呪った。

 長峰は昨日だけで一六人の部下を失っている。

 入佐も目の前で僚機が撃墜される光景を何度か見てきた。戦争中とは言え、自分が一番聞かれたくないようなことを聞いてしまったのだ。

 陽気に見えて、抱えているものは深く大きい。長峰の性格は長い付き合いの中で心得ているつもりだったが……

 何とも気まずい空気が二人の間に流れるなか、竹島飛行場にいくつか設置されたスピーカーから、第一航空艦隊参謀長の酒巻宗孝海軍少将の声が響いてきた。

 「二五一空、七五一空は出撃用意! 中隊長以上は至急各飛行場の指揮所に集合せよ」

 「じゃあな。行ってくる」

 入佐がぎこちなく言うと、長峰はゆっくりと敬礼しながら口を開いた。

 「御武運を」

 入佐はやはりぎこちなく答礼した。

 そんな光景を、三四三空の搭乗員達に変なものを見るように眺めてられていたとは、二人は思いもよらないだろう。



 「駒崎一番より志賀一番」

 午前七時三〇分。

 第三艦隊の第一次攻撃隊を率いて、南太平洋上空を南下中の志賀の左耳に掛けられたヘッドホンに、彼等に先行して出撃していた駒崎信明海軍少尉の声が響く。

 「敵艦隊は戦艦を含んだ輪形陣を形成して北上しています。今のところ上空にいる戦闘機の数はさほど多くはありませんが、どうも空母から発艦中のようです。陸軍機の姿はありません」

 「志賀一番了解。ご苦労だった。ところで例の作戦は成功したのか?」

 「はぁ、やることにはやりましたが、見た目ではよく分かりませんね」

 「分かった。後は任せろ」

 「駒崎一番了解。御武運を」

 志賀は交信を切るとスロットルレバーを軽く押して、零戦の速度を少し上げた。

 出撃前に知らされた彼我の距離及び速度や針路に変更が無ければ、そろそろ敵艦隊が視界に入るはずだ。

 にもかかわらず敵の戦闘機の迎撃を受けないということは、駒崎に率いられた四機の暁雲が敵艦隊の上空を、高速で駆け抜けながらばら蒔いた大量のアルミ箔の薄片が、敵の電探網に穴を開けることに成功したのだろう。

 しかしその効果も長くは続かない。そう思った志賀は急がずにはいられなくなったのだ。


 「三枝一番より全機へ。右前方に敵艦隊視認!」

 艦爆隊を率いる三枝夕治海軍大尉が声を張り上げるのと同時に、志賀は左前方から迫ってくる敵戦闘機の姿を見つけていた。

 「敵機左前方! 制空隊突撃ッ!」

 志賀の声に搭乗員達は瞬時に反応し、志賀が率いる第一中隊は制空隊として敵機に立ち向かい、中西輝政海軍中尉が率いる第二中隊が彗星の周囲を囲む。

 志賀はまだいくらか燃料が残っている落下増槽を機体から切り離すと、軽くなった零戦を巧みに踊らせてF4Fから放たれた火箭をかわし、偶然目の前に現れたF4Fの横っ腹目がけて一二,七ミリ弾を撃ち込んだ。


 制空隊の零戦がF4Fを食い止めるなか、三枝に率いられた艦爆隊は九機ずつで二列の斜め単横陣を形成し、敵艦隊上空に迫っていた。

 目標である三隻の空母の内、やや規模の大きな二隻が前に出て、規模の小さな一隻が後ろに配置され、この三隻で逆三角形を描いている。

 そして空母一隻に一隻ずつの戦艦と巡洋艦が張り付き、周囲を多数の駆逐艦が囲んでいる。

 「目標、右手前の敵空母! 艦爆隊突撃開始!」

 三枝はそう叫ぶとスロットルレバーを押し込み、機首の金星エンジンに一三〇〇馬力の咆哮を上げさせた。

 今のところ戦闘機による妨害はない。

 敵の陸軍機がいないことに加え、三二機の零戦の壁はそれなりに厚いのだ。

 だが零戦にも防げないものがある。

 三枝が駆逐艦の上空を飛び越えようとした瞬間、その駆逐艦から火炎が噴き出し艦爆隊の周囲で次々と高角砲弾が炸裂し始めたのである。

 その爆風に機体があおられたかと思うと、空母の脇を固めている戦艦や巡洋艦からも高角砲弾が放たれ始めた。

 「何だあいつは!?」

 三枝の目にまるで火災が起きているかのように、盛大に発射炎を踊らせている巡洋艦が写った。

 帝国海軍の隅田型、夕張型軽巡のような艦を米軍も持っているのだ。

 「三番機被弾!」

 三枝とペアを組む森文二海軍一等飛行兵曹が叫ぶ。

 ついに敵の高角砲弾が艦爆隊を捉え始めたのだ。

 「七番機、あっ六番機も一五番機も被弾!」

 森の報告は機体が空母に迫るごとに切迫したものになる。

 急降下に入る前に、どれだけの機体が撃墜されるか見当もつかない。

 そして森が「二番機被弾!」と叫んだところで、三枝はスロットルを絞って操縦桿を思いっきり倒した。

 急降下を始めた三枝の彗星はその照準器に空母を捉え、機銃弾までもが噴き上がってくる中を猛然と突っ込んで行った。





 第一話から第六話まで加筆訂正しました。


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