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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一〇章 南太平洋海戦
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五三 連合艦隊の思惑



 「取舵一杯!」

 第三艦隊の艦艇群、特に至近で魚雷を放たれた第四航空戦隊や第三護衛隊の操舵室では、航海長の絶叫と共に、操舵手が舵輪をそれこそもぎ取らんばかりに回し始めた。

 「雷跡、本艦より右七〇度、距離〇七!」

 最初に潜水艦及び雷跡を発見した秋月型護衛艦『霜月』の見張り員が絶叫する。

 『霜月』の艦長、川島良雄海軍少佐はその雷跡を見て、全身に寒気が走るのを感じた。

 すでに艦首を左に振り始めている『霜月』に魚雷が当たることはまずあり得ないが、その先にはその巨体故に舵がまだ利いていない空母『雲鷹』がいる。

 つまり、下手すれば魚雷が空母に命中してしまうのだ。

 「……舵戻せ! 針路一五〇度!」

 川島は無意識に叫んだ。

 「艦長!?」

 艦橋内の将兵達は、自ら魚雷に当たろうとする川島の命令に思わず固まった。

 しかしその命令が覆ることはない。

 川島は『霜月』を空母の身代わりにする、と決めたのだ。

 「面舵、針路一五〇度」

 航海長が悲痛な声で命令を操舵室に伝えると、しばらくして『霜月』は艦首を軽く右に振って進んで行く。

 「雷跡、本艦より右九〇度、距離〇一!」

 「総員衝撃に備えよ!」

 備えたところで意味は無い、と分かりつつも川島は伝声管に向かって怒鳴った。

 「近い! 当たります!」

 続けて、見張り員の悲鳴が艦内に響く。

 川島は下唇を噛み、目を固く閉じた。

 ところがそんな川島の耳に飛び込んできたのは、魚雷の炸裂音でもなければ弾薬の誘爆音でもなく、別の見張り員の絶叫だった。

 「雷跡、本艦直下を通過。四航戦に向かいます!」



 その頃、駒崎信明海軍少尉が機長を務める暁雲艦上偵察機は、アメリカ太平洋艦隊を求めて、南太平洋上空をただひたすら真っ直ぐ飛んでいた。

 「もう赤道を超えるというのに、まだ見つかりませんね」

 暁雲の操縦桿を握っている、操縦士の砂崎健三海軍一等飛行兵曹がぼやく。

 駒崎は苦笑いを浮かべながらも、目を皿のようにして眼下に広がる太平洋に視線を走らせ続けている。

 駒崎が小隊長を任されている六五一空第一偵察小隊は、暁雲の高速性能を活かして潜水艦が報告してきた海域の近辺を飛び回っているが、太平洋艦隊は未だに発見されていない。

 「……もしかするとスコールの中かもしれんなぁ」

 チャートと海面を見比べながら今度は駒崎がぼやく。

 「だとすると厄介ですね。見つけようがありま……敵機視認! 右前方!」

 砂崎はそう叫ぶと操縦桿を左に思いっきり倒した。

 横転した暁雲が背面になると同時に、暁雲のすぐ脇を四条の赤い火箭が流れ、続けて樽に羽がはえたような形状の、合衆国海軍の主力艦上戦闘機であるF4Fワイルドキャット戦闘機が急降下していく。

 F4Fに襲われたということはつまり、近くに空母がいるわけだが今はそれどころではない。

 頭上の景色がめまぐるしく変化していくなか、駒崎の視界に写った戦闘機は少なくとも三機はあるのだ。

 「敵機左後方!」

 体を後ろに向けて一二,七ミリ旋回機銃を握った駒崎が叫ぶと、砂崎は操縦桿を引き付けながらスロットルレバーを押し込んで、暁雲を急上昇させていく。

 駒崎は旋回機銃の引き金を引いて威嚇程度に弾をばら蒔きながら、敵艦隊を見つけるために視線を四方八方に向ける。

 そしてそんな駒崎の目に何かが写り、彼は考えるより先に伝声管に向かって叫んだ。

 「急降下しろ!」

 「了解、急降下します!」

 砂崎は瞬時に命令を復唱すると、今度は操縦桿を体ごと前に倒した。

 機首の春嵐エンジンが一五〇〇馬力の咆哮を上げ続けているなか、暁雲は凄まじい速度で急降下を始めた。

 しかし、いくら元々が艦上爆撃機でその急降下性能が優秀であるといっても、ダイブブレーキが取り外された状態での全速降下は非常に危険なことだ。

 砂崎がスロットルレバーを絞ってエンジンの出力を落としても、機体は重力に引っ張られて加速し続け、帝国海軍の航空機の中でも特に頑丈であるにもかかわらず、速度が上がるにつれ不気味な音をたてながら軋み始める。

 そして遂に限界がきたのであろう。雲の中に突っ込んだ途端、砂崎が絶叫する。

 「これ以上は無理です! 引き起こします!」

 暁雲は二名の塔乗員の体に強烈なGを与えながら、水平尾翼の昇降舵を目一杯跳ね上げて、雲の中で姿勢を水平に戻していく。

 機体は水平になると同時に雲から抜け出しており、またF4Fの追撃も振り切っていた。

 駒崎はクラクラする頭をおさえながら、足下の偵察窓を覗き込んで仰天した。

 「て、敵艦隊発見!」

 駒崎は偵察窓を覗き込みながら、脳が軽い酸欠になっていることも忘れて、猛烈な速さで無線機の電鍵を叩き始めた。



 「状況はどうだ?」

 第四航空戦隊の旗艦『大鷹』の羅針艦橋では、司令官の角田覚治海軍少将自らが受話器を持って、先程被雷した『雲鷹』の艦長、別府明朋海軍大佐に艦の被害状況を尋ねていた。

 「右舷中央部と後部に一本ずつくらいました。四番及び六番缶室が使用不能です。沈没の恐れは今のところありませんが、浸水による傾斜を復元するために左舷に注水しましたので、正直戦闘航海には耐えられないかと……」

 「そうか、分かった」

 角田が渋い表情のまま受話器を置くと、艦隊司令部と交信していた通信参謀が内容を報告する。

 「三艦隊司令部からは『雲鷹』に『春月』と『皐月』をつけてトラックに戻すように、とのことです。なおその際、トラックより援護の水偵隊が来るそうです」

 「それにしてもこの段階で空母が一隻脱落するとは……」

 首席参謀の小田切政徳海軍中佐が悔しそうに言う。

 「しかし、幸いにも『雲鷹』にはカタパルトがついていますから、艦載機を発艦させることは可能です」

 航空参謀の奥宮正武海軍少佐がそう言うと、角田の表情が幾分和らいだ。

 すると突然、くぐもったような爆発音が艦の後方から立て続けに聞こえてきた。

 「後部見張りより艦橋、『霜月』対潜戦闘中!」

 奥宮は双眼鏡をかまえ、右舷から爆雷を海面に投射し五センチ三連装対潜砲を連射している『霜月』を見つめた。

 その姿は『雲鷹』の身代わりになることが叶わなかったからか、闘志むき出しで戦っているように奥宮の目には写った。

 「よろしい。六五一空雲鷹隊は……」

 「失礼します! 駒崎一番より入電! 『我、敵艦隊見ゆ。位置、トラックより方位一七〇、五〇〇海里。戦艦三、空母三、巡洋艦四、駆逐艦一八。時刻、一一四一』以上です」

 角田の新たな命令を艦橋に飛び込んできた通信士が遮る。

 遮られた角田は苦笑いを浮かべ、別のことを口にした。

 「我が艦隊との距離は?」

 「およそ四五〇海里です!」

 『大鷹』の航海長が、まってましたとばかりに即答する。

 「それはいくらなんでも遠すぎます」

 奥宮が言う。

 「最低でも三〇〇海里にならなければ攻撃隊は出せません」

 「分かっておる」

 角田は体を動かさずに奥宮の意見に応えた。

 「索敵機に敵艦隊の針路及び速力を知らせるように言ってくれないか」

 「了解しました」

 水兵の一人が指揮所に詰めている六五一空の飛行長に、その旨を伝えるべく艦橋を出る。

 そして角田がまた何かを言おうとしたとき、今度は見張り員と通信士によって遮られた。

 「『日向』より信号、艦隊針路一八〇、第二戦速」

 「旗艦より入電、艦隊針路一八〇、第二戦速」

 「面舵一杯、針路一八〇!」

 第三艦隊司令部からの指示に航海長が間髪入れずに応える。

 そして、再び苦笑いを浮かべた角田に通信参謀が受話器を差し出しながら言う。

 「司令官、小松長官からお電話です」



 「友軍潜水艦より敵艦隊発見の一報です」

 「やっとか。読んでくれ」

 一方、二〇ノットの速さで北上中の合衆国海軍第二一任務部隊の旗艦『ホーネット』の羅針艦橋に、司令官のウィリアム・B・ハルゼー海軍中将が待ち望んでいた報告が届けられた。

 「潜水艦『ドラム』より、『我、日本艦隊視認。位置、ラバウルより方位一〇、距離七五〇海里。戦艦二、空母三、巡洋艦三、駆逐艦およそ二〇。なお、空母一が停止中なり』以上であります」

 「空母が停止中だと!?」

 ハルゼーは思わず叫んだ。

 「トラック近海には少なくない犠牲を払いながらも、我が軍の潜水艦が張り付いています。おそらく、その内の一隻が雷撃に成功したのではないでしょうか?」

 第二一任務部隊参謀長、マイルズ・ブローニング海軍大佐が発言する。

 「だとするならば、艦載機戦力は我が軍が優勢だな」

 とハルゼーは周囲を見渡しながら言った。


 彼が率いる第二一任務部隊は、三隻の空母……『ホーネット』『トレントン』『ワスプ』……とそれぞれに張り付いているアトランタ級軽巡三隻、及び周囲を固める駆逐艦一二隻からなっている。

 そして彼等の前方を、戦艦三隻……『インディアナ』『ネヴァダ』『レキシントン』……と重巡一隻、駆逐艦六隻を抱え、トーマス・C・キンケード海軍少将が指揮をとる第二二任務部隊が進んでいる。


 「しかし、あまり北上し過ぎしますとトラックの基地航空隊の攻撃圏内に入ってしまいます」

 「難しいところですね。もっとも敵も南下し過ぎれば、同じことになりますが」

 「ジャップの指揮官は確か……テルヒサ・コマツだったな」

 ハルゼーが思い出すように言うと、傍らの情報参謀が答える。

 「はい。彼はエンペラーの遠い親戚で、いわゆる貴族階級の海軍将校です。少なくともこの状況下において、脇目も振らずに突っ込んでくるような指揮官ではありません」

 「ふむ。だが、間違いなくジャップは来るぞ。俺達さえ潰せば太平洋は連中の海と化す。この好機をジャップが見逃すはずはないし、また我々も見逃してはならん。なぜなら開戦以来、負け続きだった我が合衆国海軍に、神がジャップを叩き潰すチャンスを与えてくれたのだからな」

 そう言ったハルゼーの表情は不気味な笑みに彩られていた。

 「では……」

 「このまま北上する。それから、ラバウルにも連絡を入れておくように」

 「了解!」

 第二一任務部隊の幕僚達は、方針の決定に伴いそれぞれ動き始めた。

 また、三隻の空母の飛行甲板には航空機が並べられ、暖気運転を開始していた。

 そしてその上空を、機体に日の丸を描いた偵察機が凄まじいスピードで駆け抜けて行った。



 「それで片桐長官は何と?」

 「一航艦が総力を上げて支援するから、この機を逃すことなく敵艦隊に突進、これを粉砕してくれ……まぁここまでは分かっているのだが、新たな条件がついた」

 「と言いますと?」

 「敵艦隊がラバウルの航空隊の支援を受けられる海域にいても、というものだ」

 小松は言いながら、受話器の向こう側で角田が息をのむのを聞いた。

 「つまり、ラバウルの敵航空隊の行動圏内にまで進出しろ、ということでしょうか?」

 「そういうことだ」

 「……南東方面艦隊の役割は、あくまでも攻めて来た敵を撃滅する、というものであり、今回我々が進出すべき場所は、ラバウルの敵航空隊の行動圏外ギリギリではなかったのですか?」

 「確かにその通りだが、それを覆せる存在があるだろう」

 小松はあえて遠回しに言った。とても直球が投げられるような話題ではない。

 「……連合艦隊、ですか?」

 恐る恐る角田が言う。

 「二ヶ月前に東京が空襲されそうになっただろう。どうやらあの件は日吉の方々に多大な衝撃を与えたらしい」

 「……」

 角田に言わせれば、三隻の空母ぐらいどこに来ようとたいしたことはないのだ。

 なぜなら来たら来たでその都度迎撃すれば良いし、帝国海軍は今、それだけの戦力を持っているからだ。

 「敵艦隊の針路はどうだ? 場合によっては、トラックから戦闘機が来れるかもしれん」

 しかし小松は言外に、上の方針には逆らえん、という意味を含めながら話を変えた。

 「はぁ、そろそろ索敵機からの報告が……」

 角田も上官の指示には逆らえない。


 南太平洋海戦の第二幕が始まろうとしていた。





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