五一 南太平洋海戦始まる
「塔乗員整列!」
一九四二年六月六日、午前九時。トラック環礁にある全ての飛行場に掛け声が響き渡る。
それぞれの飛行場の司令部の建物の前に、塔乗員達が弾かれたように飛び出してきて、あっという間に整列を終える。
同時に整備兵達が、駐機場や格納庫内の航空機に取り付いて一斉にエンジンを始動させる。
燦々と太陽が降り注ぎ、文字通り穏やかだった環礁は一瞬にして爆音に満たされる。
「長官、各飛行場とも集合完了です」
「分かった。全島放送の準備を頼む」
いくつもの島々の中でも帝国海軍の施設が集中している夏島の司令部の前には、一つの立派な台が置かれている。
すると司令部から、真っ白な海軍第二種軍装に身を包んだ何人かの将官が出てきた。
「片桐司令長官に敬礼!」
その一言で夏島の司令部前に集まった何百人もの塔乗員達は、台上の人物に向かって一斉に敬礼する。
南東方面艦隊司令長官の片桐英吉海軍大将は軽く答礼すると、マイクに向かって話始めた。
「ラバウル沖に展開中の友軍潜水艦から、米軍機の大軍が北上中との連絡が入った。まだ電探には写ってはいないが、これらの目標がここトラックであることは明白である。このところ米軍機による空襲が途絶えていることを考えると、相当数の機体を揃えている可能性が高い。塔乗員各員の奮闘を期待する。以上」
片桐はそれだけ言うと台を降り、代わりに第一航空艦隊司令長官の大川内傳七海軍中将が台上に上がる。
「塔乗員諸君の中にはすでに知っている者もいると思うが、米軍は双発双胴の戦闘機を伴っている可能性が高い。そのことを充分注意して、そして必ず帰還してもらいたい。以上、かかれッ!」
大川内の号令と共に塔乗員達の靴音が駐機場を駆け抜ける。
第一航空艦隊の指揮下にあり、帝国海軍最強の戦闘機部隊と称される第二一航空戦隊や、第二三航空戦隊、第二六航空戦隊の戦闘機塔乗員達は部隊ごとに簡単な打ち合わせを済ませると、次々に愛機に飛び乗って滑走路に向かう。
陸攻や輸送機、哨戒機、空母艦載機等の機体も空中退避のために、各々爆音を轟かせながら誘導路を走る。
また、目立たないが秋島の陸軍飛行場からも、戦闘機が飛び立ち始めている。
海上に視線を移せば、春島錨地に停泊していた輸送艦や護衛艦艇、そして夏島錨地に停泊していた第三艦隊の艦艇群も煙突から煙をもうもうと吐き出して、出港の準備に取り掛かっている。
艦艇群は空襲に際しては退避することが基本だ。
飛行場はすぐに修理出来るが、艦艇はそうはいかないのだ。
「両舷前進原速、ようそろ」
「『伊勢』及び『日向』、環礁外に出ます」
「『沖鷹』及び『雲鷹』、本艦に続行します」
「志賀一番より入電。『六五一空全機離陸完了。我、収容海域へ向かい、当地にて待機す』以上です」
「水道通過完了!」
「両舷前進強速!」
「艦載機収容準備始めッ!」
第四航空戦隊旗艦、空母『大鷹』の羅針艦橋は慌ただしい空気に包まれている。
「正直な所を言えば、六五一空の戦闘機隊にも敵重爆を迎撃させたいのだかな」
艦橋の一角で、司令官の角田覚治海軍少将がつぶやく。
「仕方ありません。これが南東方面艦隊司令部の方針なのですから」
と参謀の一人が苦笑いを浮かべながら言う。
南洋諸島の防衛を担当する南東方面艦隊の指揮下にある第三艦隊の任務は、大幅に弱体化したとは言え、まだそれなりの戦力を持っているアメリカ太平洋艦隊に対する抑えである。
少なくとも三隻の正規空母を有する太平洋艦隊に対処する唯一の機動部隊の戦力を、他のことで消耗させるわけにはいかない、という理由で、第四航空戦隊の艦載機部隊の第六五一海軍航空隊は、おとなしく母艦に収まっていなければならないのだ。
「しかし太平洋艦隊の主力がサモアに進出しているという情報が確かなら、やはりここは戦力を温存すべきです」
「……分かっているさ」
角田はどこか納得のいかない表情でうなずいた。
そして双眼鏡を構えて、南に向かって次々と飛び立っていく戦闘機の群れを見つめた。
その時、通信参謀が息も切々に羅針艦橋に飛び込んで来た。
「指揮所より全機へ。敵はB−17四八〇機及び双発双胴の戦闘機一四〇機程度の大編隊だ。これより各隊の役割を伝える」
戦闘機の塔乗員達全員に緊張が走る。敵は文字通り途方もない大軍だ。
「……まず二一航戦の内、二五一空は戦闘機に攻撃を絞り三四三空は爆撃機にあたれ。目標とする悌団の選択は各隊の指揮官に一任する。なお、迎撃開始地点は指定しない」
要するに出来るだけ遠くで、ということだ。
「次に二三航戦は夏島より六〇海里の地点から迎撃を開始せよ。なお、二一〇空は戦闘機が残っているようであれば積極的にこれを撃墜せよ」
「最後に二六航戦は夏島より四〇海里の地点で迎撃を開始せよ。以上」
さて総勢約六二〇機もの大軍で北上中の米軍であるが、対する帝国海軍航空隊の戦闘機は五個航空隊合わせて三八四機。
内訳は、第二一航空戦隊隸下の二五一空の零戦九六機と三四三空の雷電九二機と紫電四機。第二三航空戦隊隸下の二一一空の零戦四八機と一八一空の月光四八機。そして第二六航空戦隊隸下の三二一空の雷電九六機である。
第一航空艦隊司令部の目論見は、常に爆撃機の編隊に戦闘機を取り付かせて、一機でも多くの爆撃機をトラック上空に到達する前に脱落させることにあるのだ。
「新郷一番より指揮所。我、敵編隊視認、これより攻撃する。位置、夏島より方位一八〇、距離八〇、高度六〇」
「指揮所了解、健闘を祈る。長峰一番、状況知らせ」
「こちら長峰一番。我も敵編隊視認、これより攻撃する」
迎撃部隊の先鋒を行くのは、帝国海軍最強の艦戦部隊の異名をとる、新郷英城海軍少佐率いる第二五一海軍航空隊。
九六機の零戦が、爆撃機の前に出ている双発双胴の戦闘機、P−38を狩るべくそれぞれエンジンスロットルをフルに開いて、敵に向かって突っ込んでいく。
続けて、帝国海軍最強の局戦部隊の異名をとる、長峰義郎海軍少佐率いる第三四三海軍航空隊も、戦闘隊ごとに散開しながら急加速及び急上昇をかける。
そして彼等はP−38には目もくれず、B−17の編隊目がけて突撃を開始する。
そうする間にも、二五一空の面々は持ち前の機動力を活かしながら、いきなりP−38を翻弄し始めた。
特に中隊長に鴛淵孝海軍中尉を、小隊長に坂井三郎、太田敏夫、武藤金義、宮崎儀太郎、大木芳男、高塚寅一の各海軍飛行兵曹長を据えた、笹井醇一海軍大尉率いる二五一空第二戦闘隊は、瞬く間に一〇機以上のP−38を撃墜する活躍を見せている。
「長峰一番より三四三空全機へ。狙う悌団は一番端っこの奴だ。弾のある限り撃ちまくれ! ……総員突撃開始!」
「とりあえず、方面艦隊司令部からの指示を待つ」
第三艦隊司令長官の小松輝久海軍中将は、旗艦の戦艦『日向』の羅針艦橋でそう宣言した。
「後部見張りより艦橋、四航戦面舵に転舵します」
見張り員の声が響くと共に、『日向』の後ろを進んでいた三隻の空母が、自らの艦載機を収容するべく風上に艦首を向ける。
そしてその後方の上空には、第四航空戦隊の航空戦力である六五一空の航空機の群が着艦の順番待ちをしている様子が艦橋から見てとれる。
そこへ、通信参謀が息急き切って飛び込んできた。
「方面艦隊司令部より入電です! よ、読みます『三艦隊は六五一空を収容後、速やかに敵艦隊に突撃、これを撃滅せよ』以上です!」
「長官!」
第三艦隊参謀長の矢野志加三海軍少将は、顔を輝かせながら特に意味もなくそう言った。
「そう興奮するな参謀長。敵は太平洋艦隊の残党だから気持ちは分かるが」
海軍少尉候補生時代に臣籍降下した元皇族だけあってか、小松は比較的冷静に応えた。
「敵艦隊の位置は掴めているのだから焦ることはない。ところで敵艦隊の構成艦艇の情報はまだか?」
「はぁ、潜水艦からの報告電にあった情報は、敵艦隊の座標と針路及び速度のみです。もっとも潜水艦に、これ以上の情報を求めるのはある意味酷です」
「分かっている。だが情報は戦いを制するといっても過言ではあるまい。四航戦から索敵機を出せれば一番なのだが」
「あぁそれでしたら」
と航空参謀が思い出したように口を開いた。
「先日、新型局戦の紫電と一緒にトラックに配備された彗星改……暁雲艦偵が適任かと」
「そうだ、すっかり忘れておった」
艦上偵察機暁雲とは史実で言うところの二式艦上偵察機のことである。
史実と違う点は、元の彗星から爆弾倉と照準器を取っ払っただけのような中途半端なものではなく、彗星を基本としながらも機体設計が微妙に違うところだ。
具体的にはまずエンジンを一三〇〇馬力の金星から、一五〇〇馬力の春嵐に換装して速力の向上を狙い、また無線設備をより充実させたことや燃料搭載量を増やした等があげられる。
「よし、善は急げだ」
小松はそう言うと通信参謀に視線を移してうなずいた。
通信参謀はうなずき返すと、無線機が置かれている電信室には向かわずに、艦橋の片隅に設置された電話機に歩み寄った。
艦隊内での意思疎通にいちいち電信やら発光信号やら手旗信号やらを使うのは面倒だ、という意見は海軍内でだいぶ前から出されていた。
そこで、その手の開発及び生産を担当する沼津海軍工廠は、艦艇用の短距離電話機の開発を行い、そしてつい先月に採用され二式短距離電話機と名付けられたものが、この時第三艦隊の各艦艇に搭載されていた。
「……四航戦司令部からは、暁雲装備の偵察小隊を出来る限り早く発艦させる、とのことです。それから攻撃隊の編成も行いたい、との意見具申もあります」
「まぁあの角田君なら言いそうなことだな。……よろしい。直ちに攻撃隊の編成をさせてくれたまえ」
「陸軍の連中は大丈夫でしょうか?」
合衆国海軍第二一任務部隊の参謀の一人が、ラバウルの北東七〇〇キロに浮かぶ旗艦の空母『ホーネット』の艦橋で、ボソッとつぶやいた。
さて今回の作戦の裏には、合衆国海軍太平洋艦隊が、帝国海軍連合艦隊と正面からぶつかれる兵力を保持するまではまだ時間がかかる、という事実がある。
時間がかかるといって、それまで防御に徹しているわけにもいかない。そんなことをすれば、ルーズベルト政権の支持率は急降下してしまい、下手したらそのまま墜落さえしかねないのだから。
そういうわけで、何かしらの攻勢をかけなければならないのだが、四月に行なった東京空襲作戦は、日本の警戒網に見事はまって大失敗。
そして、そんなことではへこたれないアメリカが考え出した次の作戦が、今回のトラック空襲作戦である。
「ふん、陸軍が駄目なら俺達も用無しになっちまうからな」
第二一任務部隊司令官であり、この海域で行動中の全ての任務部隊の統一指揮を任されている、ウィリアム・B・ハルゼー海軍中将が不機嫌そうに言った。
ウェーク沖海戦での大敗北が響いた合衆国海軍の発言力は、合衆国陸軍のそれの遥か下であり、今回の作戦においてもその立場は陸軍の補助、というものなのだ。
トラックに有力な日本艦隊がいればこれを撃滅し、いなければ陸軍航空隊と共にトラックを攻撃する、また前者の場合でもトラックに対する攻撃が不十分と判断されれば即引き上げ、という何ともアバウトかつ投げやりな任務を与えられ、さすがのハルゼーも不機嫌の絶頂にあった。
「突っ込みますか?」
顔に『陸軍など無視しましょう』と書かれている参謀が問いかける。
だがハルゼーは迷っていた。
彼には先の戦いで不用意に敵に向かって、結果大損害を被ったという苦い過去がある。
「とりあえず攻撃隊の準備をしよう。その後のことは、陸軍次第だ」
猛将と呼ばれるハルゼーだが、口から出てきた言葉はえらく慎重なものだった。
もし陸軍がしくじれば……敵は艦隊プラス基地航空隊となる。
「それだけはない。断じて」
ハルゼーは北北東の空を眺めながら、心の中でつぶやいた。