四九 帝国陸軍・一九四二
「……以上になります」
一九四二年五月三〇日。所は東京霞ヶ関にある帝国総合作戦本部内のとある会議室。
陸軍大臣、畑俊六陸軍大将が資料の束を片手に出席者達に対する説明を終えた。
この日の議題は『帝国陸軍の改革について』というものだ。
きっかけは言うまでもなく、統制派と呼ばれる帝国陸軍内の派閥に属する将官が引き起こした先のクーデター、いわゆる五・一五事件である。
この世界の帝国陸軍には二つの大きな派閥があり、それぞれの名を統制派と協調派という。
統制派の主張内容は、陸軍主導の軍事独裁政権をもって国を治め、大陸方面に日本の権益を確保しつつ、日本を盟主とする東アジア諸国の連合体を創設して欧米に対抗する。そのためには対米戦争も辞さず機会があれば対ソ開戦もあり得る。という何とも物騒なものである。
また日英同盟が破棄されてからは、ドイツやイタリアとの間に軍事同盟を結ぶべし、などということを言い出した者も少なからず存在した。
一方の協調派の主張内容は、第一次世界大戦後に外務省が展開してきた協調外交政策の影響を受けているため、どちらかというと避戦派で陸軍や海軍、政府、国会等がお互いに連携を取りながら、万が一戦争になったときはその挙国一致体制で乗り切ろう。というものだ。
ただし、日本を盟主とする東アジア諸国の連合体を創設しようとしているところは統制派と同じである。
さて、統制派の幹部達が引き起こした五・一五事件が失敗した理由はいくつか挙げられるが、その中でも代表的なものが見通しの甘さであった。
彼等にとって最大の誤算と言えるのが、前参謀総長東條英機陸軍大将が計画に賛同しなかったことだ。
普通に考えれば、統制派の首領であり腹心の部下達を東京に集め、自らの権益を守るために自分とは意見の合わない者等を左遷し、さらには憲兵を利用して様々な方面の活動を探ってきたような人物なら、この手の計画にはすぐにのってきそうなものだ。何しろ最終的には行政と軍部のトップに立てるのだから。
しかし、東條は天皇陛下の御意思には逆らえず、統制派の将官に対する絶大な影響力を、クーデターを止めさせるために使ってしまった。
そして反乱を起こした近衛師団や第一四歩兵師団、各地の憲兵隊等は帝国海軍の艦載機や陸戦隊の無言の圧力のもと、一部の将官や下士官を除いてそれぞれの駐屯地に戻り今は謹慎状態にある。
また、東條の腹心を片端から東京に集めたため、クーデターの発生前まで統制派は陸軍内において絶大な影響力を保持していたが、いざクーデターを起こしてみると地方や外征中の部隊に対して押しがきかず、構想の壮大さに比べて規模は小さなものだったのである。
「……特殊演習は中止、ということですね?」
資料の束を捲りながら、総力戦研究会会長の堀悌吉海軍大将が質問する。
ちなみにこの時、研究会は帝国総合作戦本部の一部局となっており、その作戦指導に対して大きな影響力を持つに至っている。
「えぇ、満州方面の兵力を増強する計画は、前参謀総長が推し進めた他の計画同様中止です。近いうちにモスクワ奪回作戦を発令するであろうソ連軍に、東にかまっている余裕はないでしょうし」
と現参謀総長の多田駿陸軍大将が答える。
堀が言う特殊演習とは、日満韓合同特殊演習というもののことである。
元々この三国合同の軍事演習は毎年行われてきたが、特殊の文字がついた今回は規模をより大きなものとし、より実戦に近いものになる予定だった。
「そういうわけなので、八月中旬を目処に例年通りの演習が行えるよう、満韓二ヵ国と協議中です。ですから、招集解除になる師団が出ることになりますが、その詳細は先程の大臣閣下の御説明の通りです」
独ソ戦が始まって以来、ドイツ軍に押されっぱなしで首都まで明け渡したソ連であったが、ウラル山脈付近に疎開した工場から次々と生産されてくる兵器と、片端から招集をかけて集めた膨大な兵員による、モスクワ奪回作戦が発令間近となっている。
東條等の統制派幹部達は、ソ連がこの作戦のために極東に配置されている部隊も西に回すであろう、と予想し、演習という名のもとに対ソ開戦の準備をしたのだ。
太平洋での戦いに専念したい海軍や、軍事費の増大に産業の停滞化を心配する政府、さらには陸軍内部からも反対意見が続出したが、東條等はこれを押し切り陸軍内部の反対派には左遷人事で対抗した。
例えば、マレー作戦の指揮をとった山下奉文陸軍中将は危うく満州に飛ばされるところだったが、皮肉にも統制派の暴走によって事なきを得た。
「言いづらいことですが、陸軍の増強は必要最低限に留めてもらわなければ、我が海軍は太平洋での戦いに負けてしまいます……もっとも畑大臣の説明を聞いて安心しましたが」
海軍大臣の百武源吾海軍大将が心底安心した、という表情で言った。
発言の裏に「増大する海軍予算のためにも、陸軍の膨張は許されることではありませんぞ」という陸海軍の発言力の違いから来る忠告が入っていたが、今海軍に歯向かったところで得るものは何も無いことを、認めたくは無くとも認めざるを得ない状況下であることぐらい、陸軍士官学校と陸軍大学校を共に首席で卒業した畑にとって何よりも簡単に理解できることであった。
さて、当たり前だが、この物語の世界の大日本帝国は日中戦争などという感動的な消耗戦はしていない。
対ソ開戦を目論んだ統制派が中心となって、師団数を増大させるべく帝国全土に“赤紙”が文字通りばら蒔かれたのだが、東條以下統制派の将官が相次いで予備役に編入されると共に軍法会議にかけられ、協調派が圧倒的多数を占めた帝国陸軍の新執行部は対ソ開戦の無期延期を決め、必要でなくなった一部を除いて招集を解除したのだ。
よってこの時点における帝国陸軍の兵力は以下のようになる。
まず歩兵師団。
言うまでもなく歩兵は陸軍の主力部隊であるが、その装備兵器や隸下部隊によって甲乙丙丁の四つの種類がある。
甲編成は最も近代化された機械化歩兵師団であり、三個ある歩兵連隊は機関銃等の重火器が充実している上に全て自動車化され、一個ずつの九六式一五センチ榴弾砲装備の野戦重砲兵連隊や一式砲戦車と九八式中戦車装備の戦車連隊、一式装甲車や四輪自動車、オートバイ等を装備した捜索連隊、その他工兵、輜重兵の各連隊に通信隊、兵器勤務隊、野戦病院等の部隊を傘下におさめている。
乙編成は基本的に甲編成と同じだが、南方のジャングル地帯での活動を考慮され、そのため補給部隊が充実しており野戦重砲兵連隊の代わりに九四式山砲装備の山砲兵連隊が配備されている。
丙編成は甲編成の廉価版であり、自動車の配備数が少ないために歩兵連隊はほとんど機械化されておらず戦車連隊も配備されていないため、機動力の面では一段劣る。ただしこの世界の帝国陸軍は火力重視であるため、戦車連隊の代わりに九五式七五ミリ野砲を装備した野砲兵連隊が配備されている。ただし野砲及び弾薬を運ぶのは馬である。
丁編成は戦時編成部隊であるため機械化率は最も低い。例えば野戦重砲兵連隊が無かったり、捜索連隊の規模が小さかったり、配備されている兵器が旧式のものだったり……という具合だ。もっとも招集解除の師団が出たおかげで、思いの外早く丙編成にグレードアップする予定の部隊もある。
この時点における歩兵師団の師団数は、甲編成が四個、乙編成が四個、丙編成が八個、丁編成が六個の総計二二個である。
次に機甲師団。
文字通り機械化部隊の中核であり陸戦において重要な突破戦力でもある。
中戦車を四〇両ずつ配備した戦車連隊を四個に、一個ずつの砲戦車を四〇両配備した機動砲兵連隊、自動車化され装甲車も配備した機動歩兵連隊、捜索連隊、工兵連隊、輜重兵連隊、通信隊、整備隊、速射砲隊、防空隊、野戦病院等を傘下におさめている。
師団数は全部で三個であり、満中戦争の戦訓から二個師団が新たに編成作業に入っている。
この他にも歩兵師団甲編成とほぼ同じ編成の近衛師団や、師団に所属しない独立の混成旅団や海上機動旅団、野戦重砲兵連隊、工兵連隊、高射砲連隊、空挺連隊、軍や方面軍隸下の師団の兵站を管理する補給旅団、要塞砲兵隊、憲兵隊等の様々な部隊がある。
またこの世界における帝国陸軍の主力兵器として、戦車連隊や機動砲兵連隊配備の一式砲戦車と一式中戦車があげられる。
一式砲戦車は九八式中戦車の車体に、比較的長砲身の四〇口径七五ミリ砲を固定状態で取り付けたものである。
自走対戦車砲としての活躍が見込まれ、待ち伏せ攻撃の際に便利なように車高は可能な限り低く造られているため、鋼鉄の直方体から主砲が飛び出たような外見をもち、戦闘室や機関室は厚さ三〇ミリの装甲板に覆われている。
一式中戦車は先代の九八式に引き続き対戦車戦闘を意識した設計で、主砲はやはり長砲身の五〇口径五七ミリ砲を備え、装甲の厚さは最も厚い砲塔正面で六〇ミリというものであり、統制型一〇〇式発動機が弾き出す二八〇馬力の出力は、重量二四トンの車両に時速四二キロの最大速度を与えている。
これらの最新兵器は機甲師団や最前線の歩兵師団に優先配備され、淘汰された九五式軽戦車等は機関砲を載せた対空戦車に改造されたり、さほど重要でない拠点の守備隊に回されたり、蒋介石率いる中国国民党軍や同盟国の大韓帝国陸軍、満州帝国陸軍に供与されたりしている。また歩兵直協戦車である九七式中戦車の生産は、一式中戦車が榴弾を撃てば歩兵直協になるため打ち切られた。
「……いやはや。それにしても、思いきった人事ですね」
それまで黙って書類に目を通していた軍令部総長の長谷川清海軍大将がそう言うと、話しかけられた多田は苦笑いを浮かべながら応えた。
「我が陸軍は海軍と違い予備役への編入にあたって、これといった規則はありませんが、確かに一部からは反発を受けそうですな。もっとも相手にしている暇はありませんがね」
長谷川の言う思いきった人事の代表例が、南方方面軍司令官の寺内寿一陸軍大将の予備役編入と、それに伴う抜擢人事だ。
開戦から半年が経ち、占領範囲が一気に拡大した南方諸地域の陸軍部隊及び軍政を一括して監督するために、梅津美治郎陸軍大将を総司令官とする南方総軍を、そしてその隸下に阿南惟幾陸軍中将を司令官とする南東方面軍と、山下奉文陸軍中将を司令官とする南西方面軍を新設したのである。
「しかし、一番反発を受けそうなのは陸軍航空隊の改編。でしょうな」
「まったくですな。いくら効率が良いからといっても……いきなりそんなことを言われれば……理論と感情はまったくの別物ですから」
「陸軍航空隊の海軍航空隊への編入。まぁわが帝国海軍としては、陸軍の勇断に敬意を表しますよ」
「はぁ……ところで、インド洋で拿捕された不審船についてですが……」
その頃、帝国海軍の一大根拠地であるトラック環礁。
その環礁内にある帝国海軍夏島飛行場に建つとある戦闘機用格納庫の前に、第三四三海軍航空隊に所属する三人の士官が立ち、格納庫内にある航空機を見つめていた。
「こいつを我々の隊にですか司令官?」
三四三空第二戦闘隊隊長の長峰義郎海軍少佐が目の前の航空機を指差しながら、上司である三四三空司令官の富田卓次郎海軍大佐に向かって尋ねた。
「うむ。何しろ大川内長官直々の御指名だからな。まぁどの小隊に配備するかは長峰君の自由だがね」
「それはまた名誉なことです……」
「君達もこの戦闘機について、ある程度のことは知っているだろう?」
「はぁ……」
「確か城北と川西の共同開発の新型局地戦闘機ですよね?」
何も知らないため答えに詰まった長峰の代わりに、三四三空の偵察隊長の伊藤暁子海軍大尉が答えた。
彼女は二・二六事件後に日本政府がすすめた、男女平等化政策の一貫として開設された海軍兵学校女子部の一期生であり、兵学校卒業後は航空分野に進み今は三四三空の裏方として、電探装備の九六艦攻六機を率いる身分である。
また三四三空所属の女子将兵の先任士官でもある。
「その通り。速度及び上昇力は雷電と同等で、機動性は向上している。それからエンジンの直径が小さくなっておるから、前方視界も良好なんだそうだ」
「……近くで見ても構いませんか?」
「あぁいいとも」
格納庫の中に駐機された四機の戦闘機。
普段長峰達が操っている中島飛行機製の局地戦闘機雷電に比べ、直径の短いエンジンに四翅プロペラが取り付けられており、一見すると火星エンジンを載せたために図太くなった雷電よりもむしろ、零戦に似ている華奢な機体だ。
しかし主翼から飛び出ている四挺の大口径機銃は、零戦には無い力強さを感じさせる。
長峰はしばらくこの戦闘機をしげしげと見つめていたが、ふと思いついたように富田の方に顔を向け、口を開いた。
「ところで司令官。こいつのエンジンは栄の新型ですか?」
「ほう、やはりそう思うか。しかし残念だが違うな。これは春嵐といってな、城北が開発した戦闘機用の一五〇〇馬力エンジンだ」
「栄と同じ大きさで火星と同じ出力を発揮するというのですか!? やりますな……」
「まぁ、中島と三菱はさらに上の二〇〇〇馬力級エンジンを開発しているらしいがな。で、どの小隊に配備するのだ? 君が直率する第九小隊かね?」
「はぁ……そうですね」
「福山飛曹長の第一〇小隊はどうでしょう? 確か彼等の雷電は整備中でちょうどバラバラのはずですから」
と、またもや伊藤が脇から言うと、長峰はよく考えもせずに伊藤の意見を瞬間的に採用してこう言った。
「おぉそれが良い! 早速呼んで来ます!」