表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第九章 未完のクーデター
48/113

四八 参謀総長の苦悩


「四八 参謀総長の苦悩」



 「飛鷹指揮所より六二一空一班全機へ。一班より方位〇度、距離二〇海里に所属不明の小規模編隊を探知。警戒せよ」

 「高橋一番了解」

 「兼子一番了解」

 一九四二年五月一六日。

 帝国陸軍によるクーデターを阻止せんと、勇んで東京湾に踊り出た第五航空戦隊所属の航空母艦「飛鷹」の対空電探が、北方から飛来する機影を捉えた。

 ちなみに六二一空……第六二一海軍航空隊とは、第五航空戦隊を構成する空母「飛鷹」及び「隼鷹」を母艦とする艦上機部隊である。

 そして一班とはあくまで便宜上つけられた名称で、六二一空に所属する航空機を三つに割ったものの一つだ。いくらなんでも全機上空待機、というわけにはいかないのである。

 「……所属不明、か」

 一班の総指揮を担当する高橋赫一海軍少佐は、自らが機長を務める艦上爆撃機“彗星”の操縦桿を握りながらつぶやいた。

 「なんだかんだ言って、宇都宮の近衛航空師団の所属機でしょうに」

 偵察員として高橋機の後部座席に座る藤井衛海軍飛行兵曹長が、七,七ミリ旋回機銃の引き金に指をかけながら言う。

 「とすると、やって来るのは隼だな」

 「えぇ、おそらく」

 機首の金星エンジンが発する爆音のため、伝声管を介してでないと会話すら出来ない二人の真下には、帝都東京の下町が広がっている。

 高橋率いる一班は、あえて陸軍の牙城である永田町や市ヶ谷の上空を避け、両国、日暮里、小石川、早稲田、代々木、高輪、築地、そしてまた両国、というふうにそれらの周りを巡航速度でぐるぐると回っているのだ。

 「……ところで、そろそろこいつを落とすとしますか?」

 旋回機銃からいったん手を離し、藤井が自らの足元に置かれている麻袋を取りながら言った。

 高橋はいきなり答えようとはせず、操縦桿を右に傾けて機体を少しだけ横転させると、眼下に隅田川とその東岸にある貨物駅のようなもの、そして西岸にある寺院のようなものを視界におさめてから口を開いた。

 「浅草上空か……邪魔が入る前に全て落とすとしよう。よし、落とせ!」

 「了解! ……投下!」

 無論、爆弾を落としたりはしない。

 高度二〇〇〇メートルから投下された物は、例によって大量のガリ版刷りのビラである。

 内容は即席であるために簡潔なものであり、ただ陸軍がクーデターを起こした、という事実が連合艦隊司令長官の名で書かれているに過ぎない。

 これらのビラが果たしてどれだけの効果を発揮するのかは、投下している本人にも良くは分かっていない。

 何しろ東京には戒厳令と外出禁止令が出されているという。どれだけの住民がこのビラを目にするのかも分からない。

 ただ彼等の頭にあるのは、横須賀鎮守府から陸軍の偵察機の目を盗んで発進した六機の艦攻が積めるだけ積んできたビラを、いかに均等に東京にばらまくか、といったことぐらいだった。


 「長官、作戦準備が完了致しました」

 「うむ、分かった」

 一時的に手放していた連合艦隊の総指揮権を取り戻していた山本五十六海軍大将は、横須賀鎮守府の中に設けられた即席かつ臨時の長官室で、参謀長の宇垣纏海軍少将からの報告を聞くと目を閉じた。

 「失礼します。大田少将がお見えです」

 すると、ドアをノックする音と共にさっき呼び出してもう用件は済んだはずの人物の訪問を伝える声が響き、山本はどこか不思議そうな表情を作って答えた。

 「……入りたまえ」

 「失礼します」

 「まぁ、かけたまえ……それでどうした? 何か問題でも起きたのか?」

 宇垣は中に入ってきた第二連合陸戦隊司令官の大田実海軍少将にそう尋ね、自らもソファーに腰かけた。

 「いえ、問題は何もありません。ただ、一つだけ長官に確かめておきたいことがあるのです」

 「ほぅ、何だね?」

 山本は興味ありげに目を開け、陸戦隊用被服に身を包んだ大田を見つめた。

 「今回の陸軍のクーデターですが……首謀者は本当に参謀総長なのでしょうか?」

 「何を言う、今回のクーデターはどう考えても陸軍統制派の仕業だ。すなわち、統制派の首領である参謀総長の仕業ということだ。どこに疑問がある?」

 宇垣は大田を馬鹿にしたようにそう言った。

 「要するに、疑問を持たざるを得ない事情があるというわけなのだろう? ……君は海軍陸戦隊を代表して、南方作戦に関する会議に何度も出席していたからな」

 宇垣に比べれば、格段に話が分かる山本がさらなる発言を大田に促す。

 「私の知っている参謀総長はクーデターを起こすような人ではないのです。なぜなら、彼ほど天皇陛下に対して熱い忠誠心を持つ軍人はいないと思うからです。彼が現在の帝国の体制に不満を持ち、私情をはさんだ人事を展開していることは事実であるとは思いますが、しかしクーデターだけは起こさないと思うのです」

 「……君の言う参謀総長像が事実だとして、ではなぜ彼はクーデターを阻止しようとしないのだね? 年明けに公表された天皇陛下の御言葉の中に、帝国の総力を上げ、帝国臣民は皆力を合わせて国難に対処してもらいたい、という趣旨のものがあったが、参謀総長の行動は明らかにこれを無視しているではないか」

 宇垣がある意味当然の疑問を口にする。

 「それは、分かりません。ただ……」

 「それに近衛師団や東京憲兵隊の幹部に統制派の軍人を多数配置し、聞くところによれば我が海軍との協調を拒んでいるらしいではないか!」

 「参謀長、興奮しすぎだ。少し落ち着きたまえ」

 山本は宇垣に自制を促し、口を開いた。

 「君達のそれぞれの言い分は、それぞれ否定することは出来ないだろう。統制派だから参謀総長、という発想は確かに短絡的過ぎたかもしれん。しかし一方で、彼が参謀総長にふさわしい人物かといえば、それは違うと思う……とにかく、作戦は予定通り実行する。今はクーデターを阻止せねばならん。全てはその後だ」


 「機長!」

 「あぁ、おいでなすったか」

 その頃、日暮里上空を飛行していた六二一空一班の右側、つまり真北の方向から、近衛航空師団所属の戦闘機と思われる機体が迫って来ていた。その数はおよそ二〇機。

 「兼子一番より高橋一番」

 すると、高橋機に積まれた無線電話機から、一班の戦闘機隊を率いている兼子正海軍大尉の声が響いた。

 「右の陸軍さん、どうしますか?」

 「出来るだけ戦闘は避けたい。威嚇射撃程度で追い払えないだろうか?」

 「分かりました、一応やってみます……兼子一番より戦闘機隊全機へ。我に続け!」

 「機長! 右の陸軍機増速してこちらに向かって来ます!」

 「厄介だな。高橋一番より艦爆隊全機へ。我に続け!」

 藤井の報告に高橋は軽く舌打ちをしながら、無線機に向かって叫んだ。

 そして左の水平旋回をかけて機首の向きを南に向け、愛機の金星エンジンのスロットルをフルに開いた。

 高橋がちらりとバックミラーを見ると、そこには部下達が操り自分についてくる一七機の彗星と、反対方向に飛んで行く一六機の零戦の姿が写っていた。

 常識的に考えれば、たとえ戦闘が起きても兼子隊が負けるはずはない。

 隊長の兼子自身満中戦争からの歴戦の勇士であり、部下達もウェーク島沖海戦や南方作戦を経験してきた猛者揃いであるのに対し、相手は“近衛”のくせして戦闘経験のあるベテランはほとんどいないという。

 機体だけは、兼子隊の零戦とほとんど同じ最新型の隼ではあるが、塔乗員の練度が桁違いである以上、彼等近衛航空師団に勝ち目はないのだ。

 バックミラー越しに暗緑色に塗られた陸軍機と、藍色に塗られた海軍機との距離が縮まっていく光景を見ながら、高橋は思わず下唇を噛んだ。

 すると無線機から、思いもよらぬ言葉が聞こえてきた。

 「飛鷹指揮所より六二一空一班へ。艦爆隊は直ちに母艦に帰還せよ。繰り返す、艦爆隊は直ちに母艦に帰還せよ」


 「閣下! いまさら悩むことはありません。早く御決断を!」

 一方、永田町の陸軍省内にある一室で、陸軍省人事局長の冨永恭次陸軍少将は、目の前に座っている陸軍参謀総長の東條英機陸軍大将に詰め寄った。

 大田の予想通り、東條はクーデターの首謀者ではなかった。

 真の首謀者はこの冨永を始め、陸軍次官の木村兵太郎陸軍中将や近衛師団長の牟田口廉也陸軍中将、東京憲兵隊長の四方諒二陸軍大佐といった“取り巻き達”であったのだ。

 「閣下の一言さえあれば、帝国は生まれ変わるのです。準備は万端です!」

 ……彼等の計画を簡単に並べるとこうだ。

 ・総理官邸及び全ての省庁、関東地方の海軍基地を占拠、その機能を停止させる。

 ・東京市全域に戒厳令及び外出禁止令を発令する。

 ・上記二項目に使用する兵力は東京憲兵隊及び各県の憲兵分隊、宇都宮歩兵第一四師団の一部。

 ・海軍の抵抗を防ぐため、近衛師団及び歩兵第一四師団をもって連合艦隊総司令部、そして横須賀鎮守府を占拠する。

 ・並行して東條英機参謀総長を総理大臣代行、帝国総合作戦本部長代行とする。

 ・その後、総理代行自ら参内し天皇陛下に事態の説明をする。

 ・最終的に東條を正式な総理大臣とし、帝国の指導権を帝国陸軍が握る。

 「……」

 その東條は冨永が部屋に入ってきて以来、一言も喋っていない。

 この世界の天皇陛下は統治権の総攬者ではあるが軍隊の統帥権を総理大臣に委任するなど、法律によって多くの権限を他の役職の者に委任しており、政府及び軍部の活動に対し何ら意見することは無い。ただ万世一系の現人神として、君臨しているだけである。

 つまるところ、その発言に逆らうことは、法律上これと言った問題は無い。

 しかしそれでも、凄まじい影響力だけは健在であった。

 そんな天皇陛下に対して絶対の忠誠を誓う東条にしてみれば、クーデターという、陛下の望む国家像……一つに纏まって国難に対処する帝国……に盛大に反している行動を自らするなどというは、とてもではないが出来たものではなかったのだ。

 また、自分の腹心達が考え出した計画が思いの外“穴だらけ”であることに愕然としていたというのも、東條に決断を躊躇わせていた。

 例えば、元々警備及び海軍の要人警護のために、日吉の連合艦隊総司令部や横須賀鎮守府に配置されていた憲兵隊は、最も重要な役目を負っているのにも関わらず、配置数を増やす等の処置をとらなかったため、真っ先に海軍陸戦隊に制圧されてしまっていた。

 そして、後からやって来た近衛師団の部隊が総司令部に突入した時には、すでにもぬけのからとなっており、鎮守府には守りを固める時間を与えてしまった。

 そうこうしている内に、帝国海軍の主力艦隊が戻って来てしまい、東京の空にはその空母から発進した海軍の艦上機が舞っているという始末だ。

 木村が旗振り役となって設立した近衛航空師団も、海軍のように熱心に塔乗員の大量養成を行わなかったことも一因となって、帝国海軍の母艦航空隊から見れば遥かに未熟な塔乗員しか配置出来ていない。

 「閣下!」

 「失礼します! 緊急の報告です!」

 「……いったい何だね? 早く言いたまえ!」

 冨永は声を荒げた。

 「近衛航空師団所属、独立戦闘第一三中隊より入電。『我、これより帰還す。』です!」

 「な、何だと!?」

 冨永はさらに声を荒げた。

 要するに、兼子率いる零戦隊にけちらされたわけである。

 ちなみに彼等は高橋の望み通り、威嚇射撃程度しか行なっていない。

 言い方を変えれば、陸軍の隼隊は戦闘機を操る腕は無くても、状況を理解しそして何をすべきなのかを考えられる頭はあったのということだ。

 「……冨永よ。もう終わりだな。……私は決めたよ……君達の行動には賛同しない。いずれにせよ、このままぐずぐずしていれば最悪、痺を切らした海軍に砲弾を撃ち込まれるだけだ」

 東條は立ち上がり、異常な冷静さをもって冨永に話しかけた。

 「……閣下? まさかそんな……御冗談を」

 「私は冗談は言わん」

 東條はそれだけを言うと、冨永を一人残して部屋からゆっくり出ていった。


 それから一時間後。

 二隻ずつの戦艦と空母や、その他巡洋艦や駆逐艦等の合わせて一四隻の艦隊が静かに東京湾を航行していた。

 戦艦の主砲は東京の中心の方向を向いており、空母の飛行甲板には、対地用の二五〇キロ爆弾を爆弾倉に搭載した彗星と、六〇キロ爆弾を主翼下に二つ吊した零戦が待機していた。

 「兼子一番より飛鷹指揮所。我、敵戦闘機を撃退す。我に被害無し」

 「飛鷹指揮所了解。六二一空兼子隊は直ちに帰還せよ」

 「これで、制空権は我々のものだ」

 「飛鷹」の羅針艦橋で、第五航空戦隊司令官の大西瀧治郎海軍少将は力強くうなずきながら言った。

 「しかし……いくら反乱軍とは言え、同じ日本人を攻撃するはめになるとはな」

 一方で「飛鷹」の塔乗員待機室に待機しながら、一足先に戻ってすぐさま攻撃隊の総指揮を任された高橋は、やるせなさそうにつぶやいた。

 彼等の目標は日吉付近にいる陸軍部隊。

 戦時中ということもあり、帝国海軍は早々と、実力行使をとることを決めてしまったのだ。

 「何の因果ですかねぇ」

 高橋の隣で藤井が同じようにつぶやく。

 「連合艦隊総司令部より入電です!」

 そんな時、羅針艦橋に通信参謀の絶叫が響いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ