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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第九章 未完のクーデター
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四七 五・一五事件


 「……今、何と言った?」

 一九四二年五月一五日早朝。

 帝国海軍第一艦隊司令長官の高須四郎海軍中将は、電文を携えて羅針艦橋に飛び込んできた通信参謀に向かって、声を震わせながら尋ねた。

 一方の通信参謀も表情は青ざめ、電文を持つ手は震えている。

 「れ、連合艦隊総司令部より入電。『陸軍蜂起す。陸軍部隊は帝都中心部及び羽田等、関東地域の海軍所管全基地を占拠せり。〇六一二』い、以上です」

 「……ち、長官!」

 「まさか……陸軍がクーデターとはッ!」

 高須は天井を見上げ仰いでうめいた。参謀達にいたっては声すら発しない。

 「……陸軍がクーデターを……まさか首謀者は」

 「そんなこと、今はどうでも良い!」

 第一艦隊参謀長の小林謙五海軍少将の、絞り出すような言葉は高須の絶叫にかき消された。

 「首謀者云々は事が治まってから考えれば良い。今はとにかく、我々がすべきことを考えねばならん。下手すれば、日吉や横須賀にも敵の手が伸びかねん!」

 高須はこの時無意識に、しかしごく自然に帝国陸軍のことを“敵”と呼んだ。

 「失礼します。れ、連合艦隊総司令部より、あ、新たな通信です」

 新たに飛び込んできた通信士官のこの発言に、高須以下参謀達も皆口をつぐんだ。

 「読みます……『我、戦車を含む反乱部隊に包囲された模様。連合艦隊総司令部は横須賀に脱出し、彼の地にて徹底抗戦す。〇六一五』……以上です」

 「最悪の事態だな……」

 「長官! 友軍艦艇より次々と状況を問い合わせる通信が入電しておりますが……」

 「こちらが聞きたいぐらいだ。いったい東京で、何が、何が起こったというのだ……」

 「と、とりあえず横須賀はまだ無事なようですから、問い合わせてみましょう。それから呉や舞鶴にもです。クーデターが全国的なものなのか否か、判別しなければ」

 「うむ、そうして……」

 「連合艦隊総司令部から入電です! よ、読みます、『現時刻をもって、連合艦隊の指揮権を第一艦隊司令長官に一任す。同時に総司令部を放棄す。貴隊の武運を祈る。〇六一七』……以上、です」

 「……通信参謀、大至急、発信してくれ」

 艦橋内に充満した同様の塊を振り払うように首を振ると、高須は何かを決意したように目を閉じて、そしてゆっくりと宣言するように言った。

 「……我、只今より連合艦隊の指揮をとる。総員、帝国海軍の将兵としての誇りにかけて、与えられた任務を全うせよ。以上!」

 「発、第一艦隊司令長官。宛、帝国海軍全部隊。電文、我、只今より連合艦隊の指揮をとる。総員、帝国海軍の将兵としての誇りにかけて、その任務を全うせよ。以上、大至急発信します!」

 通信参謀が慌ただしく艦橋を出ていくのを横目に、高須は次々と三つの命令を発していった。

 「南西方面艦隊は攻撃を一切つつしみ、防御に徹しよ」

 「第三艦隊は針路そのまま、予定通りマリアナへ」

 「艦隊針路〇度! 最大戦速で東京湾に突っ込む!」

 最後の命令を発した際の高須の表情は、完全に連合艦隊司令長官のそれであった。

 そんな高須に負けじと、司令部巡洋艦「熊野」の艦長が声を張り上げる。

 「取舵一杯! 針路〇度、最大戦速!」

 相模灘での訓練を終え、“インド洋機動作戦”に参加すべく、長大な単縦陣を組んで颯爽と南下してきていた大艦隊……第一艦隊、第二艦隊、第一機動艦隊に所属する戦艦四隻、正規空母四隻、改造空母八隻、重巡洋艦六隻、軽巡洋艦六隻、防空巡洋艦六隻、駆逐艦四二隻、護衛艦八隻、補給艦一〇隻の、合わせて九四隻の艦艇群……は、大慌てで取舵を切って、艦隊中で最も足の遅い蔵王型航空母艦が出し得る二八ノットの速さで北上していく。

 艦隊の現在地は東経一四〇度の線上であり、かつ東京からの直線距離はおよそ一六〇〇キロである。

 東京湾まで単純計算で約三二時間。しかし一二隻の空母の飛行甲板には、気の早い戦隊司令官によって爆弾を装着した艦上機が並べられていく。

 皆、ギリギリの距離になったら飛び立つ意気込みなのだ。

 「……通信より艦橋。呉鎮守府から通信です」


 「今どのあたりだ? 横須賀まで、あとどのくらいだ?」

 「はぁ、おそらく保土ヶ谷付近だと」

 「何!? まだほ……」

 「宇垣君。静かにしたまえ。じっとしておれば、じきに横須賀につくのだからな」

 「は、はぁ。しかし暗闇の中をひた走るというのはどうにも落ち着かなくて……」

 いかにも不安そうな口調で、連合艦隊参謀長の宇垣纏海軍少将が言う。ただし暗闇の中であるため、その黄金仮面がどのように剥がれているのかは良く分からない。

 彼等は今、真っ暗なトンネルの中を四輪自動車等に乗って移動している。

 トンネルとは無論、日吉の総司令部と横須賀の鎮守府基地とを結ぶ地下鉄……いわゆる“海軍二号線”用のものであるが、運悪くまだレールは敷かれていなかった。

 そのため、総司令部にあった四輪自動車や二輪のオートバイをかき集め、定員オーバーを承知で将兵や軍属、そして機密資料までとにかく目につくもの全てを詰め込み、長蛇の列を作ってトンネルの中をエンジンの爆音で満たしながら、ただひたすら走っていた。

 「何を言っておる。暗闇とは言え、敵が襲ってくることはないのだから良いではないか」

 この事態を何とも思っていないかのように、山本は穏やかに言った。

 「それにしても、軍令部からの連絡と海軍省からの連絡がほぼ同時にくるとは……ある意味おしいところでしたね」

 と、どこか悔しそうに首席参謀の黒島亀人海軍大佐が言う。

 実のところ、軍令部は前々から帝国陸軍の中にクーデターを企てる一派がいることを、様々な筋から情報を得てつかんでいた。

 ただ、その情報がそれぞれ断片的なものであり、また決定的な証拠も無かったため、その裏付けに思いの外時間がかかってしまっていた。

 そして運悪く、裏付けがとれたと同時に帝国陸軍が蜂起してしまったのだ。

 もし、一日でも早く分かっていれば各地の部隊に臨戦体制をとらせると共に、より東京に近い地点にいた主力艦隊を呼び戻すことも出来たはずなのだ。

 「過ぎたことを悔やんでも仕方ない。心配しなくても横須賀は我が帝国海軍が誇る巨大基地だ。反乱軍など寄せ付けん。それに一日耐えていれば、高須君達は戻って来るのだしなぁ」

 「……このような時にこんなことを言うのもどうかと思うのですが、長官はどうしてそのように落ち着いていられるのですか?」

 宇垣が表情は良く分からないが普段と変わらぬ口調で話す、司令長官の山本五十六海軍大将に向かって疑問を口にする。

 「人間が慌てるのは何か予想外の出来事が唐突に起きた時だが、今回はそれにはあたらん。陸軍の中に今の帝国の政治体制に不満を持つ者がいる以上、いずれこのような事が起こるという予想はつく。……まぁ攻めて来たのがあの連中だったことには慌てたがね」

 「……確かに二・二六事件以来、陸軍の発言力は憲法改正に伴って大きく落ちましたからね。しかし一方で、あの事件に少なからず関わっていた我が海軍の発言力は逆に上がっている」

 二・二六事件の発生とその後の憲法改正によって、帝国陸海軍の政府内での発言力は低下したが、“満州事変”という前科を持つ陸軍のそれの落ち方は尋常では無かった。

 史実と異なるこの世界の大日本帝国は、男女平等普通選挙と憲法改正によって変化した政治体制、つまり議院内閣制に支えられた政党政治が太平洋戦争の始まる約半年前まで続いていた。

 そして、日米関係に緊張が走り、間近に迫った戦争の危機に対処するために成立した挙国一致内閣の首班は海軍の米内光政。

 さらに総理大臣をトップに据え、帝国陸海軍の作戦を一括して指揮する帝国総合作戦本部は、総理が総理であるため何となく海軍系の組織だった。

 「なるほど……するとやはり、統制派、の仕業でしょうか?」

 「恐らくな。そして首謀者は参謀総長だろう」

 「陸軍大将、東條英機。……ですね」


 「とりあえずクーデターは関東地域だけ、と断定は出来ないがその可能性が高いようだな」

 いささか落ち着きを取り戻した「熊野」の羅針艦橋で、高速で突っ走る艦とは対照的な穏やかさをもって高須はつぶやいた。

 この臨時の“連合艦隊総司令部”がこの時点……日本標準時午前六時二七分……において、連絡をつけることに成功した組織は呉鎮守府と大阪警備府の二つ。

 それぞれ陸戦隊に臨戦体制をとらせると共に、広島の留守歩兵第五師団や大阪の留守歩兵第四師団、姫路の留守歩兵第一〇師団等の帝国陸軍の司令部とも、連絡がとれているとのことだった。

 「しかし肝心の横須賀からの連絡がありませんね」

 「あぁそれが気がかりだ」

 「とりあえず状況を知らせるように言ってありますから……」

 「通信より艦橋。横須賀鎮守府より入電! 読みます。『我が基地駐在の航空隊、陸戦隊、警備戦隊、その他各部隊共臨戦体制につく。上空に時折、陸軍所属の偵察機が飛来するものの、それ以上の接触は確認されず。〇六二九』以上です!」

 「続けて入電です。『反乱軍主力は近衛師団及び近衛航空師団と認む。その他の部隊は確認されず。関東地域の海軍部隊との連絡は未だつかず。〇六三一』以上です」

 「……近衛師団、だと!? 陛下をお守りする部隊が反乱を起こしたというのか!?」

 史実ならこの時近衛師団は南方で作戦中だが、この世界では律儀に東京に残っている。

 近衛航空師団というのは、ある意味時代の流れに逆らって陸軍が強引に編成した部隊だ。

 なぜ逆らっているかと言えば、羽田に特別航空軍がいる以上、わざわざ似たような陸軍独自の部隊を創る理由はないからである。

 「長官、舞鶴鎮守府と佐世保鎮守府、それから大湊警備府から入電ですが、それぞれ最寄りの陸軍部隊に別段怪しい動きは無く、連絡もとれているそうです」

 「では……近衛師団の独断、でしょうか?」

 「いや、主力は近衛師団でも黒幕は別にいるはずだ。そして彼は少なくとも、関東地方の陸軍部隊をその指揮下においているというわけだ」

 「なるほど、ところ……」

 小林の発言を羅針艦橋に飛び込んできた通信士官が遮る。

 「横須賀鎮守府より入電! 読みます『山本大将以下、連合艦隊総司令部要員は無事に我が鎮守府に到着しつつあり。〇六三五』以上です!」

 「そうか……良かった。で、何だね? 参謀長」

 さらに落ち着いた声色で高須は小林に発言を促した。

 「は、はい。長官は東京湾に艦隊を突入させて、その後どうなさるおつもりなのかと」

 「ふむ。まだ決めてはいないのだが、とりあえず考えはある」

 「ぜひお聞かせ願えないでしょうか?」

 「……反乱の黒幕はおそらく、陸軍の統制派だろう。そして連中は必ず、陛下を担ぎ出して米内内閣を倒し、陸軍主導の軍事独裁政権を樹立しようとするだろうな。それが連中の主張なのだから。……もっとも、陛下は賛同なさるまい。しかし、もし万が一の時は宮城もまた敵地となる。それを防ぐ手だては一つしかない……つまり、我が海軍が宮城を押さえる、ということだ」

 高須が落ち着きながらも厳しい口調でそう言うと、羅針艦橋に詰めていた幕僚達の表情も否応無しに引き締まった。


 「長官、ご無事で何よりです。さぁ、こちらへ」

 「いやぁわざわざありがとう。早速状況を聞きたいのだが」

 所変わって、海軍専用のもう一つの横須賀駅……になる予定のがらんとした地下空間。

 日吉から延々と車を走らせて避難してきた、山本以下連合艦隊総司令部の幕僚達を、横須賀鎮守府司令長官の平田昇海軍中将が、副官を一人連れただけの姿で出迎えた。

 「とりあえず偵察機が上空を飛行している以外、反乱軍の接触はありません。基地内の対空陣地は命令あり次第発砲出来る状態にあります。戦闘機隊も命令あり次第発進出来ます」

 「そうか、他の海軍部隊との連絡はとれているか?」

 「関東地方の基地は皆応答がありませんが、その他の地域は大丈夫です。それからつい先程、陸軍の南方方面軍との連絡がつきましたが、クーデターは彼等にも寝耳に水だったようです」

 「やはり中央の独断か……第一艦隊はどうした?」

 「すでに連絡を取り合っています。今頃は最大戦速で北上中のはずですが」

 「よし、ひとまずは、安心だな」

 ふぅと山本は息をつき、なにかを思い出したようにまた尋ねた。

 「そういえば……大田君は今横須賀にいるのかね?」

 「はぁ、彼には陸戦隊の指揮を任せていますが」

 「ということは二連陸もいるな?」

 「無論です」

 「では直ちに大田君を呼んでくれ。彼に話がしたい」

 「承知しました」

 いまいち納得がいっていないという表情をしながら、平田は傍らの副官に目配せをした。

 「大田少将とお会いになってどう…」

 そう尋ねた黒島は、途中で言葉を切った。

 山本の魂胆がありありと分かったからであった。


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