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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第八章 其々の思惑、帝都を襲う脅威
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四六 インド洋の不審船

 一九四二年五月九日。

 オランダ領東インドの首都であるバタビヤや、東南アジアの大英帝国植民地の中心的存在であるシンガポールの陥落に加え、地下資源に乏しい日本が欲して止まない資源地帯の占領による南方作戦が完了して以来、積極的な行動を控えていた帝国海軍はこの日、イギリスの海とも言えるインド洋に強烈な打撃を加えるべく行動を開始した。

 もっともそれに備えての艦隊編成や移動、潜水艦部隊の投入等はすでに済んでいる。

 三日前に発令され、今まさに実行されようとしている“インド洋機動作戦”の下地は整っているのだ。

 しかし帝国海軍の主力部隊は未だに、本土の南方は伊豆諸島沖で、陸上基地に展開していた艦上機の収容作業をしている状態であり、実際に戦闘行動を開始したのは南西方面艦隊隸下の諸部隊である。

 南西方面艦隊とは、攻略の完了した東南アジア地域を守備する海軍部隊を統括する組織であり、司令部はシンガポールに設置され、司令長官の椅子には第三艦隊のそれから古賀峯一海軍大将が異動して座っている。

 隸下部隊はまず、マレー半島とインドネシア西部を守備しインド洋に睨みをきかす第一南遣艦隊、インドネシア東部を守備しオーストラリアに睨みをきかす第二南遣艦隊、フィリピンを守備しまだ日本軍が手をつけていないルソン島の海上封鎖も担当する第三南遣艦隊、の三つの南遣艦隊があげられる。

 それぞれ金剛型軽巡洋艦を旗艦とし、若干の駆逐艦や駆潜艇、掃海艇、敷設艇、特務艦艇からなる小規模の水上部隊を有し、水上偵察機や局地戦闘機主体の五〇機程のこれまた小規模の航空部隊も有している。また重要拠点には特別根拠地隊を配置しており、この地上部隊のみやや規模が大きい。

 その他にも方面艦隊直属の水上部隊として、重巡洋艦「飛鳥」以下、連合艦隊のその他の艦隊から軽巡洋艦が三隻、駆逐艦が八隻、潜水艦が六隻、各種特設艦艇及び小型艦艇二三隻が引き抜かれて配置されており、また直属の航空部隊として三桁の数の航空機を……書類上……持つ第三航空艦隊といった部隊もあり、さらに今回の作戦に備えて臨時編入された部隊もある。


 さて、まず手始めに帝国海軍が攻撃をかけたのは、イギリスのシベリアと言われたアンダマン諸島とニコバル諸島である。

 スマトラ島からインド洋方面に引いた直線上に位置する両諸島は、むしろ流刑地として有名だが、帝国海軍は史実のようにこれらの島々を占領する気は毛頭無かった。

 もっとも兵站線の確保を重要視し、戦力を温存するために必要以上、戦線を拡大しないことを基本方針とする、この世界の日本軍にしてみれば当たり前のことではある。

 ベンガル湾東部にあるイギリスの目を潰す。目的はこれ一つであった。

 そんなわけでアンダマン諸島に対する攻撃は、沖合に展開した第二航空戦隊から出撃した戦爆連合九〇機が軍事施設を爆撃し、仕上げに第六戦隊の重巡洋艦三隻による艦砲射撃でそれらを綺麗に壊滅させて終了した。

 一方のニコバル諸島に対しての攻撃は、マラッカ海峡に浮かぶペナン島から第二二一海軍航空隊の零式艦上戦闘機三二機と、第七二一海軍航空隊の九六式陸上攻撃機三六機、九八式艦上爆撃機一八機が、さらには第二航空戦隊からも零戦一六機と艦上爆撃機“彗星”一八機の、戦爆連合一一八機を投入して行われ、仕上げに第三水雷戦隊の一〇隻の駆逐艦による艦砲射撃をもって終了した。

 そして、翌五月一〇日。

 消耗した弾薬や燃料を補給した南西方面艦隊は勇躍テンデグリー海峡を突破して、インド洋のベンガル湾に踊り出た。

 連合艦隊からの派遣部隊として主力をなすのは、第二航空戦隊の松島型航空母艦三隻、第六戦隊の古鷹型重巡洋艦三隻、第三一戦隊の特設巡洋艦三隻、第三水雷戦隊の軽巡洋艦一隻と駆逐艦一〇隻、その他駆逐艦六隻、護衛艦四隻、特設水上機母艦二隻、の合わせて三二隻であり、何代目とも知れぬ“第一遊撃部隊”の名を冠せられたこの部隊の司令官は、「松島」に座乗する第二航空戦隊司令官の山口多聞海軍少将である。

 その他にも、第五潜水戦隊等の潜水艦一五隻や小型駆逐艦六隻と補給艦六隻からなる補給艦隊もいるが、これらは山口の指揮下に入っておらず、古賀の方面艦隊直率になっていた。



 一方のイギリス軍は陸海空そろって対応が後手に回っていた。

 在インドのイギリス陸空軍はこの時、苦戦の続く北アフリカ戦線に対する増援のために、戦車や含む数万の陸上部隊や航空部隊をボンベイに集結しているところだった。

 これは帝国陸軍がマレー半島に上陸してこれを占領し、さらにタイに進駐したところでその動きを止めたため、イギリス軍内に日本軍はビルマ方面に興味が無いのだろう、という希望的観測が満ちていたからだ。

 しかし突如舞い込んできた“インド洋に日本艦隊現る”の報告に彼等は慌てふためいた。

 アンダマン、ニコバル両諸島をいきなり潰され、潜水艦やスパイからの報告も入っていなかったため、彼等はこの艦隊の目的をはかりかねた。

 ただの通商破壊か、それともインドに対する攻撃か、はたまたビルマ侵攻の援護なのか、可能性は考えれば考える程出てくる。

 またインド防衛においてその主力を担う海軍でも、状況は似たようなものだった。

 欧州戦線の戦況から当分艦艇の補充は見込めないため、艦隊保全主義をとらざるを得ない状況にあり、日本艦隊の正確な規模が掴めない限り、迎撃も撤退も満足に出来ないのだ。

 結局のところ、イギリス軍が本格的な行動を開始したのはその翌日、ベンガル湾を航行していた商船や少数の哨戒機、哨戒艇が片っ端から連絡を絶ち、日本艦隊の目的が通商破壊であるということがはっきりしてからだった。

 これを受けて、ボンベイへ移動中または移動準備に入っていた陸軍の高射砲部隊や空軍のほとんどの部隊は、急遽行き先をベンガル湾沿岸の重要拠点である、チッタゴン、カルカッタ、マドラス、コロンボ等に変更したが、客観的に見て間に合うはずがなかった。

 しかし“インド防衛”、別の言い方をすれば“大英帝国の威信の防衛”という任務を持つ彼等は、意味が無くても行動しなければならなかった。たとえその影響で北アフリカへの転進が遅れようとも、この状況では仕方がなかった。


 「それで、哨戒機や潜水艦からの報告はまだなのかね?」

 セイロン島のコロンボ軍港に停泊している、英国海軍東洋艦隊旗艦のクイーン・エリザベス級戦艦「ウォースパイト」の作戦室で、東洋艦隊司令長官のジェームズ・サマーヴィル海軍中将は、ぶっきらぼうにそう言った。

 「はぁ、残念ながらまだありません」

 参謀の一人が力無く答える。

 「早く見つけんか。何も出来んではないか」

 サマーヴィルはその語気を荒くした。

 約五ヶ月前、帝国海軍によって南シナ海でボコボコにされた東洋艦隊は、その後の日本軍の進撃に伴って太平洋から叩き出され、今はこうしてインド洋に引き込もっている。

 ただし、インドだけは失うわけにいかないイギリスは、東洋艦隊に対して“当分はこれ以上の増援は無い”という条件付きで、艦艇を大幅に増強した。

 よってこの時点で、東洋艦隊がその隸下に置いている艦艇を具体的にあげると、戦艦が旗艦の「ウォースパイト」と旧式低速のリヴェンジ級戦艦、「リヴェンジ」「ラミリーズ」「ロイヤル・ソブリン」「レゾリューション」の合計五隻。

 空母は旧式の「イーグル」と装甲の施された飛行甲板を持つ最新型の「フォーミダブル」「ヴィクトリアス」の合計三隻であるが、搭載機数は三隻合わせてわずか一〇〇機そこそこ。

 重巡洋艦は「コーンウォール」ただ一隻。軽巡洋艦は「エメラルド」「ドラゴン」にオランダ海軍の「ヒームスカー」の三隻。

 その他に駆逐艦が一六隻、潜水艦が五隻、補給艦が三隻、小型及び徴用艦艇等が三六隻ある。

 「まあ、我が東洋艦隊は見ての通り、充分な戦力を有している。しかし悔しい限りだが、この程度の戦力では日本海軍には対抗出来んのだ……とにかく一刻も早く敵の規模とその位置を突き止めねば……」

 サマーヴィルは東洋艦隊の艦艇一覧を見つめながら、独り言のように自身の幕僚達に向かって言った。

 「もしや長官は敵がここセイロンに来襲するのでは、とお考えなのではありませんか?」

 一人の参謀の発言に対し、サマーヴィルは小さくうなずき、口を開いた。

 「ここをもし、日本軍が占領するようなことがあれば、それはつまりインド洋航路の東側が使えなくなることを意味する。さらには南インドが空襲の脅威にさらされてしまう」

 「……確かに、定期的にやって来て商船を攻撃するより、いきなりセイロンを占領してしまうほうが合理的かもしれません」

 「長官、ここは万が一の事態に備えるべきだと考えます。日本海軍は基本的に高速艦隊を好みますから、リヴェンジ級中心の低速部隊は最悪足手まといになりかねません。今のうちにアッズ環礁に脱出させておいたほうが賢明ではないでしょうか? 敵が輸送船団を伴っていれば話は別ですが」

 この意見に対しサマーヴィルは即座に、そして簡潔に、この段階で唯一とるべき結論を下した。

 「そのようにしてくれ」



 五月一二日、正午過ぎ。

 「通信より艦橋。第二部隊司令部より入電、『我、敵哨戒機の触接を受く。位置、カルカッタより方位一六〇度、距離三五〇海里。一四三二』以上です」

 「予定通りだな……第二部隊司令部に命令電、『貴部隊は直ちに反転、予定通り後退せよ』以上だ」

 「了解、第二部隊に発信します!」

 「電測より艦橋。対空電探に感有り。方位二八〇度方向より少数の高速機接近します!」

 「来ましたね、司令官」

 「あぁ、そうだな……ところで潜水艦の配置は大丈夫か?」

 「はっ! 今のところ特に連絡は入っておりません」

 「そうか、ならよろしい」

 のんびりと話す山口とは対照的に、「松島」の艦橋の空気は極度に張りつめていた。

 彼等……第一部隊……の目的は第二、三部隊のような通商破壊ではなかった。

 では第一部隊の目的は何なのかというと、英国東洋艦隊の戦力を正確に把握することであった。

 在シンガポールの東洋艦隊を葬って以来、帝国海軍はインド洋において戦力を回復していると思われた、新生東洋艦隊の戦力を把握するために、インド洋に多数の潜水艦を投入していた。

 ところが艦隊保全主義をとる東洋艦隊は、港の外に出てくることが滅多に無く、戦力把握は思うように進んでいなかった。

 この事態は東洋艦隊を再び撃滅しようとしていた帝国海軍を悩ませた。

 連合艦隊の総力を挙げて攻め込めば、間違いなく撃滅は出来る。しかし、弱体化したとは言えまだハワイには無視は出来ない戦力を擁する合衆国海軍太平洋艦隊がいる。

 何しろ陸軍機を空母に載せて本土に近づいてくるような連中である。ある程度の戦力は太平洋に残していかなければならない。

 そこで考え出されたのが“誘き出し作戦”である。

 あたかも通商破壊が目的であるかのように艦隊をインド洋に侵入させ、実際に一部の部隊は通商破壊を実行する。

 そして残りの部隊をセイロン島に接近させ、東洋艦隊を誘い出す……いくら艦隊保全主義をとっていても、敵の中核が空母と巡洋艦一隻ずつともなれば、総力を挙げて出撃してくるだろう。その様子を潜水艦でもって丁寧に観察する、というわけだ。

 その危険な任務を任されたのが山口率いる空母「松島」と重巡洋艦「高雄」、夕雲型駆逐艦四隻の小部隊である。

 彼等は敵地に深く入り込んだ状態にも関わらず、反転することは許されていない。

 ギリギリまでセイロン島に接近して、東洋艦隊を誘き出さなければならないのだ。

 「見張りより艦橋。零時の方向に敵機視認! 直衛機迎撃します!」

 見張り員の絶叫に山口は双眼鏡を構えた。

 双発機が一機、正面から向かって来る。

 と思いきや零戦の姿を認めたのか、機体を翻して機首を一八〇度回転させた。

 「……ずいぶん速いな」

 そうつぶやいた山口の視線の先には、零戦の必死の追跡を振り切る敵機の姿があった。



 「発光信号用意、『我、大日本帝国海軍第四艦隊所属、“呂号第四二潜水艦”。貴船名と目的地を知らせよ』以上!」

 その頃、セイロン島から南に一二〇〇キロ程の海上に、通商破壊という任務をおびた一隻の潜水艦……「呂四二潜」は東の方角に向かって進んでいた。

 「あの船は何だと思う?」

 艦長の宮野正巳海軍大尉は見張り艦橋に立って、右舷側を僅か五〇〇メートル程の距離をおいて並走する一万トン級の商船を見ながらつぶやいた。

 「不審船には違いないですね。こんなインド洋のど真ん中で、日章旗を掲げた商船が単独で行動するなんて異常です」

 双眼鏡を両手に持った見張り長が、確信を込めつつ不思議そうに応える。

 「……不審船か。確かに返事がな……!!」

 「三時方向の商船、速力を上げます!」

 「艦長、どうします!?」

 「……やむを得ないな。主砲右砲戦! 並びに発光信号用意! 『停船せよ。しからざれば撃沈す』以上!」

 発光信号が再び瞬き、艦内に待機していた砲員達は慌ただしくハッチを開けて艦上に飛び出すなり、「呂四二潜」の前部甲板に搭載されている一〇センチ単装高角砲に取り付き、砲身を右に旋回させ狙いを定める。

 目標は言うまでもない。

 なぜか日章旗を掲げたまま逃走する“不審船”である。


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