四三 帝都東京防空戦
「八丈島監視所より入電『我、敵編隊見ゆ。敵機は双発の中型機、機数は一六、速力二三〇ノット、針路〇度。〇九三七』以上です」
「よし分かった! 長官……」
「うむ、特空軍所属の全戦闘機隊に出撃命令を出したまえ。それから六〇一空の戦闘機隊は大島上空で待機させろ!」
本土防空特別航空軍司令長官、井上成美海軍中将は参謀長の山本健児陸軍少将の合図を受け、宣言するように命令を発した。
ちなみに第六〇一海軍航空隊というのは、帝国海軍の空母部隊の主力である第一航空戦隊、つまり「蒼龍」と「雲龍」の艦上機部隊のことである。
前にも書いたが、この世界の帝国海軍は母艦航空隊に限って空地分離方式を採用しており、艦上機は原則として、その母艦が母港に戻っているときは母艦から離れて、近隣の陸上基地に駐在することになっていた。
帝国海軍がこの当時運用していた空母部隊は全部で七個戦隊であったが、母艦が本土に停泊していたのは第一と第六の二個戦隊。
ただし第六航空戦隊は呉にいたため、その艦上機部隊である第六〇三海軍航空隊は、岩国飛行場にいて意味が無い。
話を戻すが、このとき館山基地を飛び立った六〇一空所属の零式艦上戦闘機五二型は全部で五四機であり、定数から見れば格段に少なく、これが初めての実戦、という新米塔乗員もいた。
これは他の艦上機部隊の穴をうめるために異動した者や、塔乗員大量養成のために教導部隊に引き抜かれた者が多数いるからだが、それでも機数が特別航空軍全体とたいして変わらないのだ。
帝都東京の空を守るための専門部隊の現状は、やはり問題だらけなのだ。
井上も司令室の窓から見える滑走路を、固定脚の九六式四号艦上戦闘機が妙にフワフワと離陸していくのを偶然目撃し、人知れずため息をついていた。
「中佐、これがミヤケジマですかね?」
「あぁ、そのようだな」
真上から見ると正三角形に見える編隊を組み、北上を続ける一六機のB25“ミッチェル”。
その先頭を行く機体に乗っている指揮官、ジェームズ・ドーリットル陸軍中佐は、右下に広がる光景と地図を見比べながらそう言った。
彼等の目標は史実とは違い、“帝都東京”ただ一つである。
これは、蒋介石の中華民国政府がとりあえず日本と友好的な関係を結んでいて、中華民国とアメリカがお互いを信用していないため、着陸地点がソ連のウラジオストックくらいしかないからだ。
また航続距離を稼ぐために爆弾の搭載量もたかが知れており、より深い精神的なショックを日本に与えるためには、全力をもって首都を叩かなければならなかった、という理由もあったりする。
ちなみにソ連は先日、日本と韓国との間に、“日ソ不可侵条約”及び“韓ソ不可侵条約”を結び、日米戦争に対しては中立を宣言してしまったため、無事にウラジオストックに降りたところで塔乗員は抑留されてしまう、という問題もあった。
とは言え、首都モスクワ並びに第二の都市レニングラード以下多数の重要都市が陥落し、戦力も大きく減少したソ連が未だにナチス・ドイツ相手に戦えるのはアメリカが続けている援助のおかげであり、アメリカの指導者達はなんだかんだいって、塔乗員だけは帰還出来るとたかをくくってもいた。
「しかし中佐。我々の位置はとっくに分かっているはずなのに、ジャップの戦闘機は陰も形も見えませんぜ。連中何してるんですかね?」
ドーリットル機の操縦員を勤めているダグラス・リーガー陸軍少佐がそう言うと、ドーリットルは薄ら笑いを浮かべて応えた。
「位置が特定出来たからといって、すぐにその目標に対して攻撃をかけられるというわけではないからな」
「なるほど、するとジャップはまだ呑気ですな。ミッドウェー沖で我々を発見しておきながら、今の今まで迎撃してこないのですから」
「太平洋艦隊を潰していい気になってるのかもしれませんよ。それに空母から双発機を飛ばすそうとは、ジャップの頭では想像も出来なかったでしょうし」
同じくドーリットル機の無線士を務めているハミルトン・カルヴィン陸軍少尉が、どこか馬鹿にしたような口調で言う。
「まぁ、敵が油断していたのならこの好機を逃すわけにはいかん。後続機に連絡だ。全機針路そのまま、高度を七〇フィートまで落とすように」
前半部は薄ら笑いを浮かべ、後半部では一切の表情を消して、ドーリットルはそう言った。
「七〇フィート……ですか?」
リーガーが思わず振り返って尋ねる。無線封鎖中であるため無線機を使えないカルヴィンも、手に無線の代わりのオルジス信号灯を握りながら、足を動かそうとはしない。
七〇フィートをメートル法に直せば、二〇メートルちょとだ。はっきり言って異常な低さであり、一つ間違えれば機体は海に突っ込んでしまう。
「いくらジャップが油断しておったとは言え、連中も馬鹿じゃない。我々の視界に陸地が入る頃には迎撃体制を整えておるだろう。それを防ぐにはひたすら低空を飛んで、レーダーの電波をかいくぐって進むしかない」
「……そういうことですか。了解しやした! 降下開始!」
ドーリットルの意を汲んだリーガーはそう威勢良く言うと、操縦桿をゆっくりと倒し、機体を前のめりにさせて高度を落とし始め、カルヴィンも機体の後ろにある機銃座に出向き、発光信号で後続機に命令を伝え始めた。
しばらくして、後ろに続く一五機のB25も隊列を乱すことなく高度を落とし、高度七〇フィートでの進撃を続行した。少なくとも、空母から飛び立っただけのことはある。
「電探から敵影が消えただと!? どういうことだ!?」
午前九時四八分。
幕僚を後ろに引き連れて、珍しいことに血相を変えて通信室に飛び込んで来た井上はそう叫んだ。
電探から敵影が消えたということはつまり、敵機を見失ったということであり、このままでは迎撃などとても出来たものではない。下手すれば何も出来ないまま東京に爆弾が降ってくる。
「三宅島の監視所からの報告では、いきなり消えたのではなく徐々に影が薄くなったとのことです。ですから、敵機は電探の電波が飛んでいない超低空、海面すれすれのところを飛んでいるのではないでしょうか」
通信参謀の小杉豊和海軍少佐がおずおずと言う。
「……三宅島付近を飛んでいる飛行艇に連絡はつくか? こうなったら電探に頼ってはおれん」
井上は小杉の具申を受け、一呼吸置いて本来の姿に戻るとそう言った。
「はっ、少々お待ちください。……三宅島付近を飛行中の哨戒機に直ちに連絡するよう、至急打電せよ」
小杉は自ら無線機の近くに行き、その前に座っている通信士に向かって言った。
すると幸運なことに、すぐに返信がきたのである。
「特哨二番機より入電。『我、現在三宅島上空を南下中なり』以上です」
特哨二番機とは、特別航空軍直属の飛行艇の二番機のことだ。
「特空軍司令部了解。三宅島監視所、特哨二番を敵影喪失海域に誘導せよ。その後特哨二番は超低空を北上中と思われる敵機を追跡せよ」
「三宅島監視所了解。特哨二番、我、これより貴機を誘導す」
「特哨二番了解」
「特哨二番、こちら三宅島監視所。速度及び高度そのまま針路を三〇〇度に変針せよ」
完全に冷静になった井上は、一歩下がって無線を介して行われているやり取りに聞きいっていた。もっとも実際にはすべてモールス信号である。
「特哨二番、こちら三宅島監視所。我、貴機の誘導を完了せり。貴機の武運を祈る」
「三宅島監視所、こちら特哨二番。貴隊の誘導に感謝す。特空軍司令部、我、これより最大速度で北上す」
「特空軍司令部了解。特戦各隊現在位置知らせ」
「特空軍司令部、こちら特戦一隊。我、特戦三隊と共に利島上空にて待機中」
特戦一隊は特別戦闘機第一部隊の略称であり、零式艦上戦闘機三一型一六機、特戦三隊は一式副座戦闘機“屠龍”一三機からなる部隊である。
「こちら特戦二隊。我、式根島上空にて待機中」
特戦二隊は九六式四号艦上戦闘機一六機からなる部隊。
「こちら特戦四隊。我、新島上空にて待機中」
そして、特戦四隊は九七式戦闘機七機と一〇〇式戦闘機“隼”二型一〇機の連合部隊だ。
「特空軍司令部、こちら六〇一空連合戦闘隊。我、大島上空にて待機中なり」
最後に、忘れちゃ困るよ、と一番頼りになる部隊からの報告が入った。
連合戦闘隊、といったのは六〇一空の戦闘隊は元々、『蒼龍』を母艦とする第一戦闘隊と『雲龍』を母艦とする第二戦闘隊に別れているからだ。
「特空軍司令部了解。各隊命令あるまでそれぞれ待機せよ」
ここまでくると、小杉は無線機の前からいったん離れ、勉強熱心な性格のため通信機のスピーカーから流れてくるモールス信号を理解しているであろう井上のもとに向かった。
「状況はお聞きの通りです」
「うむ、とりあえず迎撃体制は整ったようだな。後は一刻も早く敵機を見つけることだけなのだが……」
いくら一〇〇機を越す戦闘機が伊豆諸島上空に展開しているとはいえ、B25の編隊が発見されない限り何の意味も無いのである。
「そういえば……例の臨時戦闘隊の準備は大丈夫なのか?」
「はぁ、塔乗員はそれぞれ確保出来ております」
臨時戦闘隊とは、関東地方にある教導部隊や実験部隊所属のベテランパイロットを、今回のような非常事態に限って戦闘機塔乗員として戦闘に参加させるための文字通りの臨時部隊である。
前にも書いたが、機体はあるのだ。
「では彼らにも臨戦体制をとらせたまえ」
「はっ、すでに準備は整っております」
ただし、あくまでも準備、である。
一度も集まって訓練したことのない者達が、どれだけ戦えるのかはまさに未知数なのだ。
それからわずか五分後。事態は動いた。
「こちら特哨二番、こちら特哨二番。我、電探に感有り。敵と思われる編隊、我の正面二万メートルを北上中」
この一本の無線により、総司令部の通信室と司令室は大騒ぎになった。
「特空軍司令部了解、特哨二番へ。針路及び速度そのまま、急上昇せよ」
「特哨二番了解」
というのも今、ドーリットル隊にしろ特哨二番にしろ、どこの電探にもその影が写っていないのである。
「こちら大島監視所。我、特哨二番と思われる機影を感知す」
「特空軍司令部了解、特哨二番、現在地知らせ」
「こちら特哨二番。我、大島より方位一三五度、距離三万メートルを飛行中」
「こちら大島監視所。我、特哨二番を確認す」
これらの通信の最中も、司令室に置かれた関東地方の地図上に置かれた、敵味方の部隊を示す多数の駒が、せわしなく動かされている。
そして、それまで位置があやふやだったドーリットル隊の駒がはっきりと地図上に置かれた。その位置、伊豆大島より方位九〇度、距離二万二千メートル。
「こちら特空軍司令部、特戦各隊へ、大至急北上し敵機を背後より強襲せよ。六〇一空連合戦闘隊へ、いったん北上し、敵機を正面から迎撃せよ」
「ジャップの本土まで後少しですぜ、中佐」
「あぁ、遂にここまできたか。君にはご苦労だが、しばらくはこのまま、低空飛行を続けてもらうぞ」
ドーリットルは微笑みながら、リーガーにそう言った。
「分かってますよ。ここまできて迎撃されたらたまったもんじゃありませんからね」
リーガーはニヤリと笑いながら後ろを振り返り、そう言った。
そしてすぐに顔を前に向けた。そして、彼の顔は氷ついた。
「中佐……やばいですよ。お迎えが来たようですぜ」
「目標発見! 全機迎撃態勢!」
「特戦一隊、特戦三隊、六〇一連戦隊の順番で急降下せよ!」
「特戦一隊一番了解! 特戦一隊各機、我に続け!」
この時、ドーリットル隊には正面やや左から六〇一空連合戦闘隊が、後方やや左からは特戦一隊と三隊が迫ってきていた。
そして、この中で指名をうけた特戦一隊が、隊長機を先頭に急降下を開始した。
しかし一六機の零戦は高度一〇〇〇メートル付近で機体を引き起こし、ドーリットル隊の真上の位置をとるように機動しはじめた。
すると零戦の翼下から小さな爆弾のようなものが次々と投下され、まっすぐにドーリットル隊めがけて落ちていく。
これらの爆弾は高度五〇メートル付近で突然破裂し、次の瞬間、五機のB25が火を吹き海中に突っ込んだ。
史実よりも格段に早く実用化された空対空クラスター爆弾、三号爆弾の初陣である。
「特戦三隊、突撃開始!」
間髪いれずに、低空に舞い降りていた屠龍隊が機銃を乱射しながら突っ込んでいく。
旋回機銃の攻撃を受けやすい、敵爆撃機の後方斜め上という一番危険な位置からの攻撃だったが、混乱するドーリットル隊は思うように反撃が出来ず、必殺の二〇ミリ炸裂弾によりさらに四機が海中に没した。
「何ということだ!?」
ドーリットルが意味もなく叫ぶと、突然彼の乗る機体がフワリと浮いた。
要するに爆弾を捨てて身軽になり、何とか攻撃をかわそうとしているわけだが、八〇機以上の戦闘機に囲まれながら、しかも海面すれすれという必然的に機体が重くなる高さを飛びながら出来ることではなかった。
屠龍隊がいったん去った後、歴戦の搭乗員を先頭に六〇一空の戦闘機が小隊ごとに急降下し、これまで戦ってきた単発機に比べれば格段に大きいB25に的確に射弾を浴びせ海中に叩き付けていく。
「左翼エンジン被弾!」
カルヴィンの悲痛な叫び声を聞いたドーリットルは覚悟を決めざるをえなかった。
「残りは四機だ! 一気に行けぇ!」
容赦なく次々と突っ込んでくる零戦と屠龍。
ドーリットル隊が壊滅するのに時間はかからなかった。
「特空軍司令部、こちら特戦一隊一番。我、敵機を撃滅す。我が部隊に被害無し!」