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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第八章 其々の思惑、帝都を襲う脅威
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四一 海上護衛総司令部


 一九四二年三月二五日。

 横須賀軍港内に建つとある煉瓦造りの四階建ての建物の屋上に、一人の海軍士官が立っていた。

 彼の名前は大井篤海軍中佐。

 肩書きは一週間前に創設された“海上護衛総司令部”の作戦参謀である。


 ちなみに、この海上護衛総司令部……以下海上護衛総隊……、その編成は当初予定されていたものとはだいぶ異なっている。

 その当初の予定とは内地から小笠原、マリアナ両諸島を通り、パラオ諸島を結ぶ航路と、トラック諸島を経由してマーシャル諸島を結ぶ航路の護衛を担当する部隊というものだったのだ。

 ところが、陸軍から南方作戦を継続するにしろ、また作戦完了後占領した地域を統治していくにしろ、それらの地域に向かう輸送船団の護衛の継続を依頼されたことで予定は崩れてしまった。

 今までは第一と第二の南遣艦隊がその任務に就いていたのだが、やはり専門の部隊に任せたほうが良いということで、新たに内地から沖縄、台湾を経由して南シナ海に抜け日本軍占領下にある地域に向かう航路を護衛する部隊の創設が決定されたのだ。

 こうして三月五日に決定された海上護衛総隊の編成は、以下のように二つの艦隊によるものになった。

 具体的にはマリアナ、トラック方面を担当する第一護衛艦隊とフィリピン、マレー半島、インドネシア方面を担当する第二護衛艦隊である。

 第一護衛艦隊の司令長官は近藤信竹海軍中将、第二護衛艦隊の司令長官は新見政一海軍中将、そして海上護衛総隊の司令長官は半ば無理矢理実戦部隊に引っ張られた豊田貞次郎海軍大将である。


 「こんな所にいたのか」

 突然声をかけられ、何事かと大井が振り向くと階段の前に大男が立っていた。

 彼の名前は工藤俊作海軍中佐。

 大井とは海軍兵学校五一期の同期生であり、肩書きは第四水雷戦隊に所属する吹雪型駆逐艦「深雪」の艦長である。

 史実では訓練中の事故で沈没した『深雪』だが、この世界では健在だ。反対に「深雪」沈没の原因である「電」は建造さえされていない。

 前にも書いたが、第四水雷戦隊は第二南遣艦隊から引き抜かれて、第一護衛艦隊の隸下部隊になっている。

 「あぁここから港が一望出来るからな」

 「なるほど、確かに良い眺めだなぁ」

 二人は海軍兵学校の同期であるだけではなく、出身も同じ山形県ということで仲が良い。ただし第四水雷戦隊はつい最近まで南方で活動していたため、二人が直接会話を交わすのは久しぶりのことだ。

 「あれからどうだ? もう抵抗は治まったのか?」

 「うん、俺の艦は大丈夫だ。四水戦全体で見てもだいぶ減ったな。やっぱり山本長官の訓示が効いたらしい」

 約二週間前、海上護衛総隊の編成が“書類上”完了したことを確認した連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将は、自らその総司令部……つまり大井達が会話している建物……に出向き、いまいち、と言うよりも明らかに乗り気でない近藤の説得にわざわざ取り掛かったのだ。

 もっとも彼が乗り気でない理由はそれなりに説明が出来る。

 少なくとも彼には、海軍兵学校第三五期を首席で卒業したという実績がある。

 しかし、帝国海軍の主要戦闘部隊の指揮官達の顔ぶれを見てみると、第一艦隊の高須四郎海軍中将は同期だが、第二艦隊の南雲忠一海軍中将や第一機動艦隊の塚原二四三海軍中将、第一南遣艦隊の高橋伊望海軍中将は一期後輩にあたり、第二機動艦隊の小澤治三郎海軍中将や第一航空艦隊の大川内傳七海軍中将、第二航空艦隊の草鹿仁一海軍中将にいたっては二期後輩なのだ。

 この人事がエリートである彼のプライドを、著しく傷つけたことは否定出来ないだろうし、ようやく巡ってきた艦隊司令長官の職務も“護衛艦隊の”とくればテンションも下がるというものだ。

 もっとも近藤は帝国海軍内では珍しい部類に入る大艦巨砲主義者であり、その主義主張が災いしたという面もあると言えばある。

 まあそれはそうとして、近藤がエリート気質の持ち主であることを心得ていた山本は、その方面から攻めることで彼を何とか納得させたのだ。

 つまり簡単に言えば、“護衛艦隊こそ帝国海軍、いや帝国全体の大黒柱!”とおだてにおだてたのである。

 といっても、そこまで言われては文句を言えるはずもないので、彼が本心から納得したかどうかは山本自身確信は持てなかったようだ。

 しかし、乗っている艦艇が護衛艦隊に回されたことを不満に思っていた乗組員達に同じことを訓示した結果、ほとんどの将兵が“改心”したらしい。

 「……出撃は確か来月の二日、だったな」

 「そう、行き先はトラックだ。あそこは三ヶ月前に突然最前線になった所だからな、陸戦隊や航空隊も増強するみたいだし、相当の大船団になるだろうな」

 「あぁ、まだ護衛艦の数が足らんから連合艦隊からも応援部隊がくるらしい。……あくまで応援だがな」

 「思ったんだが、護衛艦の数が充実すれば、俺達もまた前線に出られるのかな?」

 「どうだろうな。……ただ一つ言えることは、米国海軍との決戦のときには逆に護衛艦隊から連合艦隊に応援部隊が出されるということだな。だから豊田長官も、そういう訓練も暇さえあればやるつもりのようだ」

 「水雷戦隊であることを忘れるな、ということか」

 


 さて、そんな頃。

 帝国陸軍による南方作戦はいたって順調に推移していた。

 今村均陸軍中将率いる第二軍は、第二南遣艦隊に所属する海軍陸戦隊をもその指揮下に加えて、オランダ領東インド……以下蘭印……の内ジャワ島を除く主要諸島をほぼ制圧し、ボルネオ島の油田はすでに操業を再開していた。

 史実の約四倍、つまり約一五〇〇名もの空挺部隊を投入しての、パレンバン空挺作戦も滞りなく成功している。

 今は最終目標であるジャワ島の占領に向けて、消耗した兵員や兵器等の補充……という名目で小休止中といったところだ。

 そんななか、第二南遣艦隊が連日大量にばらまいている偵察機が撮影してきた大量の航空写真を分析した結果、不思議なことにジャワ島の蘭印軍が日本軍の侵攻を防ぐために当然するはずなことをまったくしていないことが判明した。

 具体的にいえば、部隊の移動であるとか、新たな陣地の建設であるとか、住民を避難させるとか……であるが、これには百聞は一見に……、と第二南遣艦隊の司令部を訪れた今村以下第二軍の幕僚達も絶句したという。

 統帥権が内閣総理大臣に委任されて以来、帝国陸海軍では“軍”というものの存在意義をしつこいまでにその将兵に教育してきた。

 簡単にいえば、軍は国家や国民が危険に晒された時、またそれが外交交渉ではどうにもならないと決まった時、やむなくその力を発揮するものであり、いかなる場合も政府の指示には従わなければならない。外交交渉で解決するのであれば、これに越したことはない……

 日本人特有の“話し合い絶対主義”が強く影響しているが、少なくとも蘭印軍は支配下の住民の安全を守るという、この世界の日本軍人から見れば当たり前のことをしていないのである。

 この日の夜、第二南遣艦隊の幕僚達との会議を終えて司令部に戻った今村は新たな命令を二つ発した。

 一つはジャワ島上陸作戦の先陣を切ることになっている、堀井富太郎陸軍少将指揮下の海上機動第一旅団に向けて発せられ、全員乗船の上、即時出撃体制をとること。

 もう一つは英語はもちろん、オランダ語に堪能な将官を大至急軍使としてバタビアに派遣すること、である。

 無駄な血は流さないに越したことは無い。そう考えた今村による“飴と鞭”であった。


 そして、山下奉文陸軍中将率いる第三軍はまさに破竹の勢いでマレー半島を南下し、すでにクアラルンプールを手中におさめ、マレー半島の最奥にしてシンガポール島の目と鼻の先にある都市、ジョホール・バール目指して快進撃を続けていた。

 対するイギリス軍も、数えきれない程ある橋梁を破壊しつつ後退して遅滞戦闘に努めていたが、第三軍はイギリス軍の予想を遥かに上回るハイペースで橋梁を修理して進撃していた。

 というのも、帝国陸軍はマレー作戦を発動するにあたり、そんなイギリス軍の作戦を見越して、元々あった独立工兵連隊の他に、内地に残る常設師団が持つ工兵連隊から一個大隊ずつ引き抜いて師団クラスの工兵部隊を新たに組織していたのだ。

 また、海軍の協力を得て造られた、シュノーケル付きで、ある程度の水圧に耐えうるよう改造を施された九八式“水陸両用”中戦車の部隊が、わずかに二個中隊ではあるが機甲第二師団に配備されており、橋梁を修理する工兵を妨害するために作られたイギリス軍の機関銃座の前に、のっそりと現れてはこれを制圧するなど大活躍していた。

 逆にいわゆる“銀輪部隊”、つまり自転車乗車歩兵の活躍は史実程ではない。

 と言うのも、第三軍に配備された歩兵師団は全て自動車化されており、歩兵の移動も基本的にトラック輸送であるため、自動車部隊の移動速度も全体から見ればたいしたことないというわけだ。

 そして、この世界において活躍しているのは、歩兵大隊ごとに数両ずつ配備されている一式装甲車……あくまで正式名称で、縄張り意識の強い陸軍内において歩兵科と機甲科は一式軽戦車と呼ぶ……である。

 その装甲板は大方の機関銃の弾をはね返し、逆に搭載する三〇ミリ機関砲は、元来が航空機を一撃の下に粉砕する対空機関砲だあるため、イギリス軍の簡単な陣地程度であれば制圧出来る威力を持っていた。

 この第三軍の進撃速度の速さは、文字通りイギリス軍の想定の範囲外であり、撤退しようにもする前に帝国陸軍に追い越されてしまう部隊が続出していた。

 戦意旺盛なグルカ兵の部隊はともかく、インド兵の部隊等は追い越されたことを知ると、別に包囲されたわけではないのに、孤立したと思い込み相次いで降伏してくるなど、イギリス軍の士気は日をおうごとに落ちていく状態であった。

 シンガポールの司令部では、インド及びビルマ方面の部隊を海上輸送かタイ王国領内を強行突破させて、日本軍の背後を攻撃しようなどという案もでていたが、輸送船の多くはアフリカ方面に使用され、タイにも二個歩兵師団を中核とする帝国陸軍泰国駐屯軍が配置され、第一インドやビルマにいるイギリス軍にそんな余裕はなく、暇つぶしの雑談のネタにあげられそのまま没となった。

 裏を返せば、そんなくだらない作戦が出てくる程、イギリス軍の余裕が無くなっているということだ。

 マレー半島やシンガポールの制空権は、とっくに第三軍隷下のの航空第三師団のものとなっており、編隊を組んで爆弾をまきちらす一式重爆撃機“呑龍”や、小隊規模で飛来して戦車や施設を潰していく九九式双発系爆撃機や一式襲撃機“海龍”……陸軍版彗星……などの行動を止める術はもはや何も無い。

 また日本軍の火力もまた、イギリス軍の予想以上に強力であった。

 帝国陸軍の制式小銃と言えば“三八式歩兵銃”であったが、満中戦争の頃には半自動小銃の“八八式歩兵銃”がそれなりの勢力を築いていた。

 そんなわけで、この時点で未だに“三八式歩兵銃”を使っている帝国軍人はいない。

 しかし六,五ミリ弾を使用する“八八式歩兵銃”は威力不足が問題となったためそのまま主役とはならず、前線の部隊の多くには口径を大きくした七,七ミリ弾を使用し、連射が可能となった自動小銃“九九式自動歩兵銃”が行き渡っている。

 第三軍には補給や整備に特化した部隊として、“補給第三旅団”が配属されており、食糧や弾薬の不足を心配する必要がどこにもないということも、帝国陸軍の強みであった。



 「そういえば……貴様達帰り際に香港を攻撃したんだよな?」

 場面は再び、海上護衛総隊の総司令部庁舎の屋上。

 「あぁ……でも何て言うかあっけなかったなぁ。こっちには上陸して占領する気なんて微塵も無いから、七航戦が空襲した後に俺達四水戦が艦砲射撃して、それで終わりだ。反撃も全然無かった」

 「でもやりづらかったんじゃないか? 香港は人口密集地帯というし、そんなに大きな軍事施設があるわけじゃあないだろう」

 大井の質問に、工藤はいくぶん明るい苦笑いを浮かべて答えた

 「まあな。だから駆逐艦一隻につき一機の艦攻がついて、弾着を観測するんだ。まるで艦隊決戦でもしているかのようにえらく細かく言ってくるもんだから、砲術長も苦労していたよ」

 「ははは、そいつは大変だったな」

 「まったくだ。でも護衛艦隊に配属されちまったから、あれが最後の対地攻撃になるのかな」

 今度はいくぶん暗い苦笑いを浮かべながら、どこか寂しげに工藤は言った。

 「良いじゃないか。これから対空射撃や対潜射撃に忙しくなるんだからさ。俺は参謀だからなぁ。前線に行くこともないし命令をだすこともない」

 「……いい身分だな。後方で頭だけ回しているだけだなんて」

 「そう言うなよ。参謀は参謀で大変なんだからな」

 工藤は駆逐艦「深雪」の艦長であるから、「深雪」に関することに限って命令を発する権限を持っているが、司令部においてそういった権限を持っているのはあくまでも司令長官ただ一人であり、参謀といっても長官に助言し補佐する役職でしかない。

 (だから俺は貴様が羨ましい)

 大井は寂しげに笑い、しかし本心を決して口には出さず、横須賀軍港に視線を転じた。



 世界大戦の真っ只中とはいえ、日本本土はまだ平和であった。

 しかし、同じ頃にアメリカ合衆国西海岸のサンフランシスコを出撃した空母任務部隊が、日本本土を脅かすことになるということを知っている日本人は誰一人としていなかった。


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