三一 とんでもない知らせ
一九四二年一月四日。
この日、日本全国の新聞各紙の一面は……そして二面、三面と……『ウェーク島沖海戦』の記事でうまっていた。
『敵艦艇多数撃沈』『マーシャル沖の航空戦大勝利』『天皇陛下より勝利を祝う御言葉』……等々、華やかな話題が紙面を踊る一方、『天城型戦艦を始めとする艦艇の喪失』『それに伴う死傷者多数』……等々、暗い話題もまた大きく書かれている。
「それで、国民の反応はどうですか?」
「概ね、予想通りです。今のところ、大規模な祝賀大会が行われたとの報告はありません」
手元の資料を見ながら内務大臣の近衛文麿が答えると、質問した神様の傑作……堀悌吉海軍大将は安堵の表情を浮かべた。
堀の肩書きは『総力戦研究会会長』という、ある意味ふざけたものだが、『総力戦』というものを未だかつて経験したことのない日本にとって、研究会の意見は極めて貴重なものなのだ。
念のため言っておくが、この世界には『大角人事』なるものは存在しない。……『艦隊派』とか『条約派』すら存在しないのだから当たり前だが。
ちなみに所は、『帝国総合作戦本部』が占有しているとある庁舎のとある会議室だ。
本来は軍人しか出席しない所なのだが、事態が事態ということもあり文官も参加している。
『ウェーク島沖海戦』の興奮が一段落したこの日の会合。
連合艦隊司令長官の山本五十六、軍令部総長の長谷川清、海軍大臣の百部源吾等、海軍関係者は皆会議が始まる前から疲れきっていた。
彼等が海軍という組織に足を踏み入れた時期は、ちょうど帝国海軍の仮想敵がアメリカ合衆国海軍になった時期とほぼ重なる。
世界一の力を持つ超大国であり、太平洋の覇権を争う唯一にして最強の国家が運用する海軍。
そんな合衆国海軍に勝つために、長年に渡って先代が積み上げてきた成果が、自分達が海軍を率いている時に身を結んだのだ。無理もない。
「いや安心しました。これの最大の敵は国民ですからね」
そんな彼らの気を知ってかしらずか、東郷茂徳外務大臣がホッと息をつく。
『今回の戦争は仕掛けられたものですからね、アメリカから講話を打診してくる、もしくはこちらの打診に応じるか、そして我が国が降服するか。戦争を終わらせる手段は以上の三つです。つまり長期戦になることが予想されます。……それとここからが一番重要なことなのですが、我が国としてはいつでも戦争を終わらせるようにしなければなりません。日露戦争の時のようなことがあってはならないのです』
開戦後の初会合で堀が言ったこの言葉は、今もメンバー達の頭に深く刻みこまれている。
史実よりだいぶましとは言え、国民の多くは軍事のことは良く分かっていないし教養も無い。
日露戦争の時、当時の日本国民は『旅順陥落』『奉天会戦大勝利』『日本海海戦大勝利』という知らせに沸き返った。
しかし実際はまさに薄氷を踏むような勝利であり、現地の満州軍は人員不足と弾薬不足にあえいでいた。
そしてポーツマスで結ばれた講話条約。朝鮮半島の利権と遼東半島の租借権、その他いろいろ……を得た大日本帝国。賠償金などはどうでも良い、当初の目的は達成されたのだ。
ここで本来なら英雄となるべき当時の小村寿太郎外務大臣は……英雄にはなれなかった。
国民が戦争の舞台裏を知らなかったからだ。
とは言え、今回はそのようなことになってはならない。
「最終的に我が海軍が今回の海戦で失った艦艇は、戦艦『阿蘇』『丹沢』、重巡『摩耶』、軽巡『五十鈴』『由良』『太田』『天龍』『多摩』、駆逐艦八隻、連絡を断った潜水艦が一一隻です。航空隊の損害につきましては第一及び第二機動艦隊合計で未帰還五一との報告を受けております」
『ウェーク沖海戦』の被害報告を、連合艦隊参謀長の宇垣纏海軍少将が一気に言うと総理大臣の米内光政海軍大将が重い口を開いた。
「……一四隻もの戦艦と四隻の空母、その他多数の敵艦を撃沈した割には、被害ははるかに軽微だと言える。だが……我が国にこの被害は痛い」
「損傷艦はどの程度で?」
「機動艦隊所属の艦艇は対潜哨戒の強化によりほぼ皆無です。……しかし戦艦『三河』『出雲』それに『天城』と『日高』は大破。その他の戦艦は『信濃』と『日向』が中破、『越前』と『伊勢』は小破……ですからこれら八隻の戦列復帰は、向こう二ヶ月から、少なくとも半年以上はかかります」
「陸軍としては今月中旬に予定している蘭印攻略作戦に、戦艦の艦砲射撃の援助を求めたいのだが……」
陸軍大臣の杉山元陸軍大将の発言に対し、山本が凛とした態度で返した。
「海軍としても出来る限り協力するつもりです。幸い『大和』と『武蔵』の公試も、あと五日程で終わります。連度に不安がありますが、損傷艦の乗員を回してでも間に合わせます」
「それはありがたい」
「改信濃型が二隻いれば、心強いです」
「しかし一つ、懸念があります」
「……と言いますと?」
「この国の動向ですよ」
会議もたけなわとなるなか、東郷はおもむろに立ち上がると、例の巨大地図に歩み寄り木の棒を手にとった。
「……オーストラリア、の動向ですか?」
「二ヶ月程前から、アメリカが様々な理由をつけて多額の経済支援をしています。無論今もですが、戦争中にわざわざ中立国に資金を流す理由など一つしかありません」
「……しかしオーストラリアはすでに英連邦の一員として北アフリカ戦線に参加しています。元々人口の少ない国ですし……」
「おそらくアメリカは、オーストラリアを後方支援基地として活用するつもりなのでしょう」
「しかしもしそうなれば長期戦どころか消耗戦になってしまいます。それだけは避けねばなりません。我が国が今為すべきことは、ひたすら国力と軍事力を蓄えることです」
堀が必死になって言う。もっとも彼が何を言っても、こればかりはどうしようもないが。
「それは本職も同意見だ。しかし……消耗戦に引きずり込まれないとは限らない。準備はしておくべきと考えるが」
山本がつなぐ。
「海軍としては近々連合艦隊とは別組織の護衛艦隊を編成するつもりです。長期戦を戦ううえでは物質の安全な輸送が一番大事ですから」
百武の提案に、陸軍関係者はそろって賛成した。
この世界では、陸軍と海軍の仲はそれほど悪くはなく、それなりにお互い協力しあっている。
「国家戦時体制法に基づいての戦時体制への移行についてですが、今のところ重大な問題もなく完了する見込みです」
そして会議が内政問題に変わると同時に近衛が発言する。
史実よりも豊かな国力とより発達した工業力を持ち、そして何より日中戦争とかいう感動的な長期戦をやっていないこの世界の日本の一般市民の生活水準は、史実のそれよりもはるかに高い。
しかしだからといって、そのままアメリカ相手の総力戦を戦えるかといえば無理である。
米、砂糖、マッチ、ガソリン、貴金属……等々、あらゆる物資に価格統制がかかったり、配給制になったりと様々な制限がかせられ始めている。
この後、会議は夜遅くまで続き、陸海軍それぞれの航空機や車両、艦艇の整備状況や新兵器の開発状況……等々、あげればきりがないがそれらはいずれ機会をみて取り上げることにする。
そんななかメンバー達を絶句させ、東郷の腰を抜かせた知らせが飛び込んできたのは、まさに日付が変わろうとしていたときだった。
この少し前、地球の裏側のホワイトハウス。
「……以上であります」
弱々しい声で海軍作戦部長のハロルド・スターク海軍大将が『ウェーク島沖海戦』を始めとする、一連の作戦による戦果及び被害の報告を終えた。
居並ぶ軍の指導者等、大統領の側近達は、冬だというのにだらだらと冷や汗を流している。
「……これが君のニューイヤープレゼントかね? 作戦部長、私は失望したよ」
極めて冷静に、そして言葉ではとても言い表せないほどの怒りのオーラを全身から出しながら、フランクリン・ルーズベルト合衆国大統領は目を閉じたまま言った。
それっきり、大統領は一〇分に渡って沈黙を保った。
この場合、怒鳴り散らされたほうが、部下達にとってみればまだ気が楽だ。
しかし、まったく表情を変えることなく考え込んでいる大統領ほど怖いものはない。
(……四隻の戦艦が沈んだ、ならば何の問題も無いのだが……四隻しか帰って来なかった、というのはどういうことだ)
結局、今のところ無事が確認されている艦艇を箇条書きすると以下のようになる。
戦艦:『インディアナ』『ネヴァダ』『ウェストバージニア』『レキシントン』
空母:『ホーネット』『トレントン』
重巡:一隻
軽巡:一隻
駆逐艦:一五隻
潜水艦:連絡がつくものを含めて二九隻
その他輸送艦等:一六隻
(どう考えてもおかしいではないか!? 我が太平洋海軍の戦力はジャップの海軍に劣るようなものではなかったはずなのに……この復讐はいつか必ずしてやる。しかし、今すべきことはこれからの戦略を練り直すことだ)
「なぜ、これほど盛大に負けたのだね?」
ルーズベルト大はおもむろに口を開いた。
どういうわけか、考えていることと言っていることが違うのだが、この事には踏み込まないでおこう。
「……戦術的な敗北もそうですが、何よりも戦略的な敗北がきいたようです。戦艦同士の艦隊決戦に至るまで、太平洋艦隊はジャップにいいように遊ばれたといえます。まずマーシャルへの攻撃ですが……まずハルゼー中将率いる機動部隊が偶然マーシャル近海にいたジャップの機動部隊を攻撃したのですが、攻撃隊がその海域に着いたときにはすでにジャップの機動部隊は姿を消していて、代わりにマーシャルの基地航空隊が待ち受けていました。この段階で、まず太平洋艦隊の航空戦力は大きく削がれました」
ここまで言ってスタークは言葉を切った。
もとはと言えばこのマーシャル攻略作戦は、陸海軍共に渋っていたものを大統領が強引に実行させたものなのだ。スタークとしてみれば、大統領の反応も見ておきたかったというところだろう。
「……ふむ、それで?」
やはり大統領は多少後悔しているようで、続きを促す発言はどこか威勢がなかった。
「はい。その後、ハルゼー中将は作戦を中止して本隊と合流しようとしたのですが、その途中、夜間にジャップの潜水艦隊の襲撃を受けてしまいました。そして本隊のほうにも、日付が変わり、太陽がのぼった頃にジャップの別の機動部隊からの攻撃隊の空襲を三次に渡って受け、その過程で航空戦力は水偵を除いて喪失、戦艦以外の艦艇にも大きな被害を出してしまいました」
再びここでスタークは言葉を切った。そして息を一息つく。
「ジャップの機動部隊の運用法は我々よりも一枚上手でした。というのも、ジャップは大きさはともかく、一〇隻以上の空母を投入してきました。その内の主力部隊……本隊に空襲をかけてきた部隊ですが、それにかまけている間に別動部隊……ハルゼー中将が攻撃しようとしたものです……その艦載機に後方を進んでいた補給部隊及び、海兵隊や陸軍を載せた輸送部隊がやられてしまいました。またそれに連動して潜水艦の襲撃をも受けてしまい、両部隊ほぼ壊滅してしまいました。……その後夜になって、ようやく戦艦同士の艦隊決戦となったのですが……」
「そこでも敗けたわけか」
「はぁ……」
ルーズベルトは車椅子を動かして、窓際に寄って外を眺めならボソリと言った。
「……君達はこれからどうするつもりだね?」
失った艦艇の数は膨大なもので、その損失に耐えられる国家はアメリカ以外にない。
そればかりか、失った艦艇数を上回るペースでより強力な新鋭艦が造られている。
しかしそれらが揃うまでにはそれなりに時間がかかるし、それらを動かす人間や上陸作戦を精強な海兵隊や陸軍将兵を失ってしまった。
戦争を遂行するにあたって、非常にまずい事態であると言って良い。
「……早く言いたまえ」
とんでもない知らせを受けた国務省職員が、慌ててホワイトハウスに電話をかけようとしているなか、大統領の側近達の寿命を縮める会議は続いていく。