二九 ウェーク島沖の大海戦
一九四二年一月二日、夕刻。
太平洋に浮かぶウェーク島の東北東一二〇キロの地点を、ハズバンド・キンメル海軍大将率いるアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊は、一五ノットの速力で西北西に向かって進んでいた。
一方の高須四郎海軍中将率いる帝国海軍第一艦隊、及び南雲忠一海軍中将率いる帝国海軍第二艦隊は、ウェーク島の北東二〇キロの地点を、東に向かって二七ノットの猛速で突き進んでいた。
「通信より艦橋。伊勢三番より入電。『我、敵艦隊身ゆ。敵艦隊は戦艦を七隻ずつ配した二個輪形陣からなる。敵艦隊の位置は我が艦隊より方位九〇、距離五〇〇。針路、方位三〇〇度、速力一五ノット』以上です」
「何だと! そんなに近くにいるのか!」
そんななか、第一艦隊旗艦の司令部巡洋艦『熊野』の羅針艦橋に、突然舞い込んできた報告は、高須を文字通り飛び上がらせた。
「この天気ですからね。索敵機ばかりを責められません。……とにかく索敵機には後方の第六航空戦隊に向かわせろ。それから照明弾を積んだ水偵を急いで発進させるように」
参謀長の小林謙五海軍少将がそう言うと、高須は落ち着きを取り戻し新たな命令を発した。
「各艦に通信! 速力二五ノット、水雷戦隊と巡洋艦隊は突撃用意!」
「伊勢三番より再度入電。『敵艦隊は陣形を単縦陣に変更しつつあり。敵艦隊の針路、三二〇度。速力、一五ノット。我、これより帰投す』以上です」
「どうやら敵は同航戦を望んでいるようだな。艦隊針路三三〇! 戦艦は観測機発進!」
太陽が沈んだばかりの海上は、多少雲がでているものの微かに明るい。
しかしそんな空もすぐに闇夜に変わる。
「電測より艦橋。対空電探に感あり! 数は六、敵弾着観測機と思われる」
「六航戦に連絡して『あれ』を出撃させろ。急げ!」
「対水上電探に感あり! 三時の方向、三五〇に戦艦級の反応を確認!」
そのとき、暗闇を切り裂くようなまばゆい光が太平洋艦隊を包んだ。
その光の正体は四機の水偵が高度二〇〇〇メートルから投下した四発の照明弾である。
「見張りより艦橋。敵艦隊視認! 三時の方向距離三五〇、針路は三二〇!」
と、ここまでは電測室のスコープを見れば分かる。
「敵艦隊の速力は一五ノット、単縦陣の先頭はサウスダコタ級と思われる。続けてノースカロライナ級、レキシントン級、コロラド級、最後尾はテネシー級。その他多数の軽快艦艇を確認」
ここまでくると現在使っている電探では分からない。
昼間から暗い部屋にこもり、本すら読まずに夜間視力を鍛えた熟練の見張り員だからこそ分かるのだ。
「速力はそのままで舵を少し右へ切ろう。敵の鼻先をおさえるのだ」
第一戦隊『信濃』『三河』……第二戦隊『出雲』『越前』……第三戦隊『伊勢』『日向』……第四戦隊『天城』『日高』……第五戦隊『阿蘇』『丹沢』の順で帝国海軍戦艦部隊は進んで行く。
一本の糸のように隊列を乱す事なく微かに弧を描いていく。月月火水木金土と呼ばれる猛訓練の成果が華を開いたのである。
「第一より第五各戦隊に通信。距離二七〇で砲撃開始だ。重巡及び軽巡は観測機を発進せよ」
「第二艦隊司令部より入電。『我、これより敵艦隊に突撃す』です」
主力部隊とは少し離れた所にいる第一艦隊の旗艦、司令部巡洋艦『熊野』の司令室を兼ねた羅針艦橋には、あらゆる報告があらゆる方面から入ってくる。また反対にあらゆる命令をあらゆる方面に出さなければならないため、てんやわんやの騒ぎになっている。
ところで帝国海軍には『指揮官先頭』という伝統がある。
代表例が日本海海戦における東郷平八郎連合艦隊司令長官であるが、この時点での連合艦隊総司令部は陸上にある。
約一〇年前、連合艦隊総司令部が戦艦『信濃』から神奈川県の日吉に移ったとき、多少の反対があったものの、その理由がちゃんとしたものであったため、それなりにすんなりとすんだ。
しかし『熊野型司令部巡洋艦』の建造が決まったときには、さすがに大きな反対運動が海軍内部で起こった。
「監督範囲を広げ過ぎた連合艦隊総司令部が戦艦に入りきらないないことは分かる。しかし個々の艦隊の司令部はやはり先頭にあるべきだ」
……反対した者達の意見はだいたいこんなものであった。
この司令部巡洋艦をめぐる論争は未だに収まっていない。
例えば『熊野』に座乗している高須は元々反対派。突撃する、と言いながら自分は『仁淀』に座乗している南雲は容認派であった。
司令部巡洋艦は本当に必要なのか?
答えが出るのはこの海戦が終わってからになるだろう。
さて、話が大きくそれてしまったが、ここで物語の視点を太平洋艦隊側に移してみることにする。
帝国海軍と違い対空電探しか持たない太平洋艦隊にとって、夜戦において頼れるものは水上偵察機のキングフィッシャーが投下する照明弾のみである。
もっとも対空電探は対水上にならないでもないが、あくまでも対空電探であるからあまり期待は出来ない。
「照明弾投下されました! 敵艦隊視認! 距離三万七〇〇〇ヤード、針路三二〇、速力は約……二五ノット」
「駆逐艦隊突撃します」
見張り員からの報告が相次いで飛び込んできたところで、キンメルは大音声で新たな命令を下した。
「こちらも二五ノットに増速する。戦艦同士の距離が二万七〇〇〇ヤードになり次第、砲撃開始だ。それから巡洋艦隊はこのまま戦艦部隊の護衛を続けるように」
「しかし長官、手持ちの戦艦の中で二五ノットを出せる艦は限られておりますが……」
「それでも八隻いるし、皆一六インチ砲を持っておる。それにジャップの戦艦で一六インチ砲を持っているのは六隻だ。充分勝ち目はある」
キンメルがここまで言ったところで、彼が座乗する『サウスダコタ』は加速するためにエンジンが大きな唸りをあげ始めた。と同時に上空を飛ぶ水上機……零式水上観測機……から二発目の照明弾が投下され、太平洋艦隊の周辺に限って、再び真昼のような明るさになった。
「……またか」
キンメルはうんざりしたようにつぶやいた。
とは言え、これから派手に主砲をぶっぱなすのだから対空戦闘どころではない。第一、アメリカの戦艦の高射砲は副砲と兼用であり、突撃してくるであろう日本の駆逐艦に対処しなければならない都合上、水偵などにかまってはいられない。
彼が半ば諦めたとき、信じがたい報告が彼の耳に飛び込んできた。
「敵戦艦より発砲閃光!」
「なに!? 距離は?」
「およそ三万ヤードです!」
「……その距離で命中などするのか?」
呆れながら言った参謀長ウィリアム・スミス海軍少将の言葉もむなしく、しばらくして飛来した砲弾は一列になって進む戦艦部隊を通り越し、およそ二〇〇メートル先に落下、色とりどりの水柱を吹き上げた。
弾着観測をしやすくするための帝国海軍の工夫であるが、今はそんなことにかまっている場合ではない。
『信濃』以下、六隻の戦艦が積んでいる四一センチ砲の口径は五〇口径だから射程距離はキンメル達が想定していたものよりも長いのだ。おまけに、対水上電探を照準に活用しているため遠距離における命中率もそれなりに高い。
「距離、二万八〇〇〇ヤード!」
「砲撃開始だ!」
帝国海軍の戦艦群が放つ主砲弾が周囲に落下するなか、キンメルは唐突に予定外の命令を叫んだ。
幕僚達は驚愕の表情を浮かべたが、そんなことは知ったことではないとばかりに二六門の『四五口径』四〇,六センチ砲が盛大に火を噴いた。
速力の関係から、おいていかれつつあるコロラド級とテネシー級も、最後尾を行く第五戦隊めがけて砲弾をぶっぱなした。
そんななか、日米合わせて二四隻の戦艦の中で、最初に命中弾を得たのは日本艦隊の前から三番目を行く第二戦隊旗艦『出雲』であった。
すでに至近弾をくらいながらも、勇躍して前から二番目を行く『インディアナ』のに後部甲板に直撃弾を確認するや、艦長の武田勇海軍大佐は即座に「一斉撃ち方!」を発令し、しばらくして『出雲』は猛烈な光と音を出しながら一二発の砲弾を撃ち出したのだ。
『出雲』の第一斉射弾が着弾し、命中炸裂したことを示す閃光が光り、外れ弾が噴き上げる水柱が『インディアナ』を隠すなか、『出雲』の後ろを行く『越前』の夜戦艦橋にも艦長の石橋昇海軍大佐の「一斉撃ち方!」の号令が走っていた。
『出雲』の第二斉射の発砲と『越前』の第一斉射の発砲はほぼ同時であった。
そして二四発もの四一センチ砲弾が着弾したとき、『インディアナ』の艦上には多数の閃光が光っていた。
外れ弾が噴き上げた水柱が崩れ落ちた瞬間、武田、石橋両艦長の顔に戦慄が走った。
確認できた命中弾は一一発。『インディアナ』の艦上には炎が舞い踊り、米新鋭戦艦の特徴でもあった尖塔のような艦橋は倒壊しかかっているものの、三基の主砲塔はなお健在であり、第一戦隊旗艦の『信濃』目がけて発砲したのだ。
二人の艦長が舌打ちするなか、粘る『インディアナ』を屈服させるべく二隻の日本戦艦は新たな斉射を放つ。
またもや水柱が崩れ落ち、姿を現した敵戦艦を目にした二人の艦長の顔には今度こそ満足げな表情が浮かんでいた。
「旗艦に通信。敵二番艦は戦闘能力を喪失したと認む」
三基の主砲塔が各々とんでもない方向を向いていることを見てとった、第二戦隊司令官の金沢正夫海軍少将が高らかにそう言うと、続けて観測機からの報告が通信室から飛び込んでくる。
「敵二番艦面舵に転舵。戦場より離脱を図る模様」
「司令官、いかがいたします?」
一気に畳み掛けて撃沈しましょう、と顔に書かれた武田が意味も無く遠まわしに具申したが、それに金沢が返事をする前に第一艦隊司令部からの命令が届けられた。
「旗艦より入電。『二戦隊目標、敵四番艦』」
「艦長、そういうわけだ。二戦隊目標、敵四番艦!」
とにかく戦艦の数の面での劣勢を早期に克服するためとは言え、第一艦隊司令部の決定は結果的に『インディアナ』を取り逃がすことになった。
それはともかくとして、第二戦隊の二隻の信濃型戦艦がその砲門を敵四番艦、『アラバマ』に向けたとき、その『アラバマ』は第一戦隊の二番艦、つまり『三河』に対して初めての挟叉弾を得、斉射に移行していた。
『三河』艦長、小暮軍治海軍大佐はしかし余裕だった。
自艦は前を行く『信濃』と共に敵一番艦を攻撃中であり、問題の敵四番艦を攻撃している第二戦隊も目標を変更したばかりで命中弾が出るまでには時間がかかる。
それまでの間、事実上一方的に撃たれることになるわけだが、大改装時に張りなおした分厚い装甲版は並大抵の分厚さではない。
主要防御区画に限っては四六センチ砲弾にも耐えられるというお墨付きのある装甲版だ。そう簡単には射抜かれない。
「観測機より入電。『敵一番艦への挟叉弾を確認』」
「艦橋より砲術。一斉撃ち方!」
砲撃戦は明らかに自分達に有利だ。斉射に移行するのに少し手間取ったが、ここは『信濃』と共に敵一番艦を早期に撃破するまでだ。
小暮はそう信じて疑わなかったが、その間にも『三河』は直撃弾を受け続けている。
確かに主砲塔等の部分は直撃弾をものの見事に跳ね返しているが、その他の部分はそうもいかない。
右舷側の高角砲塔や対空機銃座、艦尾の水上機甲板等はすでに跡形も無く粉砕されている。
「後部見張りより艦橋。敵三番艦一斉撃ち方!」
「観測機より入電。敵一番艦取舵に転舵。回避運動を開始せる模様」
「何だと!?」
相次ぐ報告に小暮は思わず絶句した。
つい先ほどまでは余裕と思っていた戦況が、いつの間にかそうでもなくなってきている。
敵艦隊は『三河』を潰すための行動を起こしており、このままでは二隻の戦艦から斉射を受け続けることになる。
「後部見張りより艦橋。敵三番艦第二主砲塔を損傷せる模様」
後ろを行く第三戦隊の戦果に小暮は胸の内で喝采を送ったが、その瞬間、直撃弾による強烈な振動が『三河』の夜戦艦橋を揺るがした。
さてその頃、帝国海軍戦艦部隊の最後尾を行く第五戦隊はコロラド級二隻とテネシー級二隻の集中攻撃を受けて大変なことになっていた。
ちなみにもう二隻のコロラド級はどうなったかというと、旧式の上に二本の航空魚雷をくらい、その影響で一五ノットしか出せないため、他の老齢戦艦にまで置いて行かれるという悲しい事態に陥っていた。
それはともかく、まともに撃ち合っても勝ち目が無いことが分かっていた『阿蘇』と『丹沢』の艦長は、持ち前の高速を生かして四隻の射程圏外に離脱し、その後僚艦の第四戦隊と共に防御力の低い二隻の巡洋戦艦を叩こうとしていた。
しかし運悪く突入してきたアメリカの駆逐艦隊の雷撃を受けてしまい、両艦の必死の回避運動もむなしく『阿蘇』には二本、『丹沢』には三本もの水柱が右舷に吹き上がった。
いくら近代化改装を受けているとはいえ、元々は巡洋戦艦だったため防御力は高いとは言えず、多量の海水が流入し艦は傾いた。
慌てて左舷に注水して傾斜は元に戻ったが、もはや離脱など出来るはずもない。
必死に三六センチ砲を振りかざして反撃したが、テネシー級はともかくコロラド級には通用しないのである。
「魚雷発射用意!」
「目標までの距離、一万五〇〇〇!」
一方、戦艦同士の撃ち合いの隙間を縫うように突撃を開始していた第二艦隊隷下の第二水雷戦隊の各艦の艦橋に上記のようなかけ声が響いていた。
「旗艦より入電。『距離七五〇〇で雷撃後反転離脱、魚雷を再装填し必要とあらば再び突撃す。なお、目標は敵四番から六番艦』」
「見張りより艦橋。敵重巡より発砲閃光!」
「針路、速度このまま。うろたえるな!」
見張り員から飛び込んできた報告に少したじろいた駆逐艦『不知火』の艦橋に、艦長の酒井秀造海軍中佐の怒声が響く。
彼等の目標は無傷の敵戦艦三隻……『アラバマ』『ノースカロライナ』『ネヴァダ』……である。
無論、太平洋艦隊も黙って雷撃されるようなことはしない。
第二水雷戦隊とアメリカ戦艦群の間に三隻の重巡が割り込んできて、二〇,三センチ主砲を乱射しはじめたのだ。
それから一分もしないうちに『早潮』と『夏潮』に砲弾が命中、二隻とも瞬時に爆発轟沈してしまった。
すると今度は日本戦艦群と第二水雷戦隊との間にそれぞれ三隻の重巡を擁する第六戦隊と第七戦隊が割り込んで来て、二隻の仇とばかりに援護射撃を開始した。
頭上を敵味方の砲弾が飛び交うなか、第二水雷戦隊は着実に前進していた。
「見張りより艦橋。目標までの距離、七五〇〇!」
「旗艦より入電。『二水戦魚雷発射始め』」
「取舵! 魚雷発射始め!」
「……水雷より艦橋。本艦魚雷発射完了!」
酒井の命令に従い『不知火』は艦首を軽く左に振って、八本の酸素魚雷を扇状に射出した。
第二水雷戦隊の各艦が次々に発射した合わせて八四本の魚雷は全て酸素魚雷であり、新型のジャイロコンパスを載せたそれは、最大戦速で射出されたにも関わらず真っ直ぐ海中を走って行く。……実際はよく見えないが……
狙われたほうにしてみれば、よく見えないうえに予想よりも向こう側で日本駆逐艦隊が反転したため、効果的な回避運動が出来ずにいた。……そして。
「後部見張りより報告。『アラバマ』と『ノースカロライナ』、行き足止まります!」
「『アラバマ』と『ノースカロライナ』、それに重巡二隻に水柱多数! 魚雷が命中した模様!」
『サウスダコタ』のCICには、レーダーマンと見張り員の悲壮な絶叫に続いて、通信室から恐るべき報告があがってきた。
「弾着観測機が片端から連絡を絶っています!」