二八 太平洋艦隊漸減作戦
「第一七任務部隊司令部より報告。『“ロングアイランド”と“プリンストン”に総員対艦命令を発令。以後の処置について指示を求む』以上です」
「……第一七任務部隊は本時刻をもって解隊。残存艦艇は第一任務部隊の指揮下に入れる」
アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊の旗艦、戦艦「サウスダコタ」のCICには、悲痛な空気が充満していた。
帝国海軍第一機動艦隊が放った第一次攻撃隊が執拗に狙った二隻とも、軽空母ということでそれなりに小回りはきいた。
持てる対空兵器を振りかざし、最大戦速で右に左に転舵して急降下してくる彗星の猛攻を必死に避けていたが、それでも四発ずつの五〇〇キロ爆弾の命中を受け、大火災を起こしていた。
戦闘機は五機がハルゼー部隊……第一六任務部隊方面に退避したが、残りの三一機は全て撃墜されるか不時着水して失われた。
「艦隊に報告しろ。『我、攻撃に成功。空母二撃沈、重巡二撃沈、同一撃破、軽巡四撃沈、駆逐艦七撃沈。これより帰投す』以上だ。急げ!」
第一次攻撃隊の指揮官である淵田美津雄海軍中佐の乗機から、上記のような電文が打たれると、日本機の群れは編隊を組み直して西に向かって引き上げ始めた。
「サウスダコタ」のCICから出て、羅針艦橋からその光景を双眼鏡を通して見つめていた司令長官のハズバンド・キンメル海軍大将は、忌々しそうに口を開いた。
「……奴ら戦艦には見向きもしなかったな」
「はぁ、しかし空母の敵は空母とも言いますし、速力の関係から戦艦が空母を攻撃するのには難があります」
航空参謀のジョン・スタッド海軍少佐が答える。
「それはそうと、ハルゼーとスプルーアンスは合流しているのだろうね?」
実を言えばキンメルは“敵機来襲の声に叩き起こされたばかりの身である。
「はい。すでにこちらへ向かっているはずです」
「それならいいが……」
「今回来襲した日本機の数からも、第二次攻撃隊の来襲が予想され……」
「後部見張りより報告。艦隊後方より友軍戦闘機接近!」
スタッドの意見をかき消して見張り員が叫ぶ。そして。
「レーダー室より報告。艦隊前方より敵機襲来!」
零戦九六機、彗星六三機、九六艦攻六三機の合わせて二一二機からなる第二次攻撃隊は、前方を飛ぶ四〇機弱のF4Fワイルドキャットの姿に少なからず驚いたようだったが、例によって四八機の零戦が制空隊として飛び出した。
「対空戦闘用意!」
「サウスダコタ」以下、空襲の被害をあまり受けてなくかつ沈没艦の乗員救助活動をしていない艦艇に限って、上記のような命令が出される。
しかし、一七四機の日本機は隊形を維持しつつ、本隊を迂回するように南東の方角に曲がり、そのまま飛んで行く。
「……空母の敵は空母、か。奴らハルゼーの空母を潰す気だ」
キンメルの言ったことは正しかった。
発艦前、第二航空戦隊司令官の山口多聞海軍少将は「とにかく空母を潰せ、空母がいるかいないかで戦いの様相は大きく変わる」と言ったらしい。
もっとも第二航空戦隊のパイロットにに限らず帝国海軍のパイロット達は、養成課程からそういう教育を受けているため、戦艦などに惑わされたりはしない。
一方、太平洋艦隊唯一の空母部隊を抱えている、第一六任務部隊司令官のウィリアム・ハルゼー海軍中将は迫ってくる日本機の大群を見てゾッとした。
今回の海戦の前哨戦ともいえる先の航空戦で、ヨークタウン級空母二隻分の艦上機を失ったわけだが、これはあくまで合計数であって戦闘機に限れば三分の二近くが失われていた。
つまり、本隊上空で戦っている四〇機弱のF4Fが手持ちの戦闘機の全てであり、そこを突破したものを防ぐ術は悲しいことに対空砲以外無いのである。
そして、第二次攻撃隊の目標はやはり二隻のヨークタウン級空母「ヨークタウン」と「エンタープライズ」であった。
それぞれに一八機ずつの彗星が襲いかかり、しかも同時に魚雷を抱えた一八機ずつの九六艦攻が空母を両側から挟み込むように突っ込んで来る。
……一〇分後。
呑気に移乗する間もなく、沈み行く「エンタープライズ」から身を躍らせたハルゼーは、命からがら泳いでいるところを駆逐艦に助けられた。
全身ずぶ濡れの彼の目の前には真ん中から二つに折れてしまった「ヨークタウン」と、大爆発を起こして元々どんなものだったのかよく分からなくなってしまった「エンタープライズ」の哀れな姿があった。
「なんたることだ! 我が合衆国海軍の空母がこうもあっけなくジャップにやられるとは」
「……我が部隊の被害状況はどうだ?」
隣でハルゼーと同じようにずぶ濡れになっているブ参謀長のマイルズ・ブローニング海軍大佐が、ハルゼーとは対照的に冷静に尋ねる。
「空母以外では軽巡が一隻、駆逐艦が二隻失われました……」
「そうか……あの艦載機数の割には……」
「被害は計り知れん。太平洋艦隊は航空戦力を失ってしまったのだからな。それにひきかえ……ジャップはこれをあふれる程持っておる」
「……そういえば敵の機動部隊の別動隊はどうしたのでしょう? あれから情報が何も入りませんが……」
だが、ずぶ濡れの参謀の一人が言ったこの空気を読まない発言に、ハルゼーは反応しなかった。参謀も自分が浮いたことに気付いたのかそれ以来黙ってしまった。
「第一次と第二次攻撃隊の損害は合計で未帰還二七、廃棄処分三四です」
二時間後、帝国海軍第一機動艦隊の旗艦である司令部巡洋艦「矢矧」の羅針艦橋で、第一機動艦隊司令長官の塚原二四三海軍中将は、航空参謀の源田実海軍中佐の報告を受けた。
「長官、予定通り第三次攻撃隊は出撃させますか?」
参謀長である上野敬三海軍少将が尋ねる。
「……うむ。とりあえず第一目標である空母は潰したとは言え、まだ第一と第二艦隊にとって有利な状況になったわけではないからな。出せるだけ出すように」
「承知しました。……それにこう言うのもどうかと思いますが、まだ第二機動艦隊は予定位置に達していないようですしね」
「囮の囮か、ある意味で厄介な任務ではあるな」
塚原はそう言うと苦笑いを浮かべた。
「それで、被害は?」
さらに二時間後、ハルゼー率いる第一六任務部隊、レイモンド・スプルーアンス海軍少将率いる第二任務部隊、そしてキンメル率いる第一任務部隊の三つの部隊が合流を果たしていた太平洋艦隊に、第一機動艦隊による第三次攻撃隊、零戦一一二機、彗星七〇機、九六艦攻七〇機の合わせて二五二機が襲いかかり、例によって風のように去った直後、キンメルはぶっきらぼうに口を開いた。
「は、はい。今のところ重巡が三隻、軽巡が二隻、駆逐艦が七隻失われました。他に重巡一隻と軽巡二隻が大破炎上中、『コロラド』と『ワシントン』に二本ずつの魚雷が命中して速力が落ちております。……また敵戦闘機の機銃掃射により駆逐艦二隻が穴だらけで戦闘不能、また本艦を始めとする艦艇の対空火器にも大きな被害が出ています」
「……位置的に考えれば敵主力艦隊との会敵は今日の夜になるはずですが……この調子ですとそれまでに我が艦隊の戦力がどれだけ削られるのか……」
「まさか参謀長、君は撤退を考えているのかね? ならばよく覚えておくがいい。我が合衆国海軍の辞書に撤退という文字はないということを」
キンメルはナポレオンのようにそう言うとさらに続けた。
「それによく考えてみたまえ。ジャップの機動部隊は三次に渡って攻撃をかけてきたのだ。そろそろ弾薬も心細くなっているだろうから、補給のためにいったん下がるだろう。時間的にもジャップの機動部隊による攻撃はもうないと考えるが」
ちなみにこの時の時間は現地時間で午後一時である。
「はぁ……」
「とにかく、我が艦隊はこのまま進撃を続ける。……もっとも一部の艦艇は、救助した乗員を乗せて帰さなければならんがな」
……現地時間午後三時。
太平洋艦隊は西に進撃しつつ隊形を整えた。
この時点での太平洋艦隊の戦力をまとめてみると……以下のようになる。
戦艦:「サウスダコタ」「インディアナ」「マサチューセッツ」「アラバマ」「ノースカロライナ」「ネヴァダ」「コロラド」「メリーランド」「ワシントン」「ウェストバージニア」「テネシー」「カルフォルニア」の一二隻……つまりそのまま。
巡洋戦艦:「コンスティチューション」「コンステレーション」の二隻……三隻が沈み一隻は沈没艦の乗員を乗せて撤退。
航空母艦:無し……四隻が沈没、二隻が撤退。
重巡洋艦:五隻……八隻が沈没、三隻が撤退。
軽巡洋艦:五隻……一〇隻が沈没、一隻が撤退。
駆逐艦:三七隻……一九隻が沈没、六隻が撤退。
「やれやれ、キンメルは往生際が悪いようだな」
神奈川県横浜市は日吉の連合艦隊総司令部で、太平洋の地図を見つめながら司令長官の山本五十六海軍大将がそうつぶやいた。
「そのようですね。これほどの損害を出してまでも進撃してくるとは」
傍らで参謀長の宇垣纏海軍少将もうなずく。
「まぁここで引き返す訳にもいかんのだろう。アメリカ太平洋艦隊を率いる者として、いやその前にルーズベルト大統領が許さんだろうな」
「それに一応、戦艦の数では相変わらず我が軍よりも勝っていますしね」
「はは、単に狙わなかっただけなのだかな」
「しかしキンメルも次の一撃にはこたえるのではないでしょうか? 場所も場所ですし」
宇垣が金属棒で指した先にあるは……あの第二機動艦隊である。
小澤治三郎海軍中将率いる第二機動艦隊は二個の航空戦隊からなっている。
一つは小澤直率の第三航空戦隊……所属空母は「飛龍」と「翔龍」。
もう一つが角田覚治海軍少将率いる第四航空戦隊……所属空母は「大鷹」「冲鷹」「雲鷹」。
その他に軽巡洋艦が四隻と防空巡洋艦が二隻、司令部巡洋艦を一隻、駆逐艦を六隻、護衛艦を四隻抱え艦艇数の合計は二五隻、艦載機数は約三八〇機である。
「そろそろ小澤君は攻撃隊を……放ったようだね」
「は、はいっ。第二機動艦隊から報告、『第一次攻撃隊の出撃完了』です」
「単純明快な報告ですね」
「そして太平洋艦隊を干上がらせるための、第一声だ」
さて、西に進撃する太平洋艦隊の東方役五〇キロには、同じく西に進撃する別の艦隊がいた。
何の艦隊かと言えば燃料や弾薬、食糧等を載せた補給艦とマーシャル諸島攻略を担当する海兵隊を乗せた輸送船、その他工作機械や分解した大砲や航空機を載せた貨物船、そしてそれらを護衛する駆逐艦からなる補給艦隊及び上陸部隊の輸送艦隊である。
「どう考えてもおかしい」
そんな補給艦隊を、潜望鏡からじっと見つめながらつぶやいた男が一人いた。
彼の名は帝国海軍第四艦隊第五潜水戦隊所属の「呂号第四二潜水艦」の艦長、宮野正巳海軍大尉である。
「潜望鏡下げ」
宮野がそう命じると、しゅるしゅると潜望鏡が艦内に格納されていく。
「進路ようそろ、深さ三〇、両舷前進原速」
そして立て続けに命令を発すると、宮野は一人考え込んだ。
「どうしました?」
航海長が尋ねる。
「あぁ、それが輸送船の数はどうみても一〇〇隻以上あるのだけれど、駆逐艦の姿がほとんど見えなくてね。ひょっとすると一桁なのかもしれん」
「もしかして味方の機動部隊の攻撃で前方の本隊の駆逐艦の数が減って、その分引き抜かれたのでは?」
副長が具申する。実際にその通りなのだが、彼等には知るよしも無い。
「なるほどな。それ……」
すると、宮野の発言を遮るように爆発音が突然響いた。
「何事だ!?」
「……詳しいことは分かりません! ただ爆発音は敵の補給艦隊の方から聞こえてきます!」
聴音室からの返事も実際は爆発音にある程度遮られている。
「……仕方ない。上げ舵いっぱい、深さ一五」
宮野の号令に従い、『呂四二潜』は急角度で浮上していく。
「深さ一五!」
「もどーせー!」
「潜望鏡上げ!」
しゅるしゅると潜望鏡が上がっていく。
「……これは」
「どうしました?」
「凄いことになっている……」
「……いやだから……」
……簡潔に言うと、米補給艦隊は大混乱に陥っていた。
なぜかと言えば、日本軍機の空襲を受けているからだ。
第一機動艦隊が派手に暴れまわったおかげで、半ばその存在を忘れられていた第二機動艦隊が二派合計三三〇機に及ぶ猛攻撃を米補給艦隊に加えたのだ。
それにより護衛の駆逐艦八隻と軽巡一隻は全滅。輸送艦艇も三割が沈没、二割が穴だらけ、三割が沈没した他の艦艇の乗員や海兵隊員で一杯、かろうじて残りの二割の艦艇のみが、そのまま進撃出来る状態だった。
しかし、敵は水中にもいる。
「魚雷発射用意!」
またとないチャンスを逃すものかと、こんな命令が「呂四二潜」の艦内に響いていた。
「ジ、ジャップめ! 補給艦隊を攻撃するとは卑怯な!」
報告を受けたキンメルは顔を真っ赤にして怒り狂った。
無理もない。空襲とそれに続く潜水艦の攻撃で、補給艦隊の艦艇は沈むかその分の人間を乗せてひきあげるかしていた。いやそうしなければならなかった。
キンメルはその護衛のために一〇隻の駆逐艦を分離しなければならなくなり、太平洋艦隊はますますさびしくなってしまった。
「まさに空母機動部隊は神出鬼没です。……長官、やはりここはひくべきでは? このままでは戦うどころか帰れなくなります!」
「……仕方ないか。本国に打電しろ、内容は……」
「索敵機より入電! 『敵戦艦部隊、二七ノットで東進中、位置は第一任務部隊より方位二七〇度、距離九〇海里』以上です!」
「……やっとまともな情報が入ったな」
というのも索敵機にしろ潜水艦にしろ、これまできちんとした完全な情報を報告したものはなかったのだ。
「……しかし、どうやら我々は逃げられないようだ」
魚雷を受けた手負いの戦艦を抱える艦隊が、無傷の艦隊に捕捉されずに真珠湾に帰れるはずは無い。となれば、選択肢はただ一つ。
太平洋艦隊は夕日に向かって進み続けた。
―帝国海軍第二遊撃部隊編成図―
第二機動艦隊 司令長官:小澤治三郎海軍中将
旗艦:「酒匂」
第三航空戦隊:「飛龍」「翔龍」
第四航空戦隊:「大鷹」「冲鷹」「雲鷹」
第一三戦隊:「川内」「神通」「那珂」
第二二戦隊:第三護衛隊:「阿賀野」「春月」「宵月」
第四護衛隊:「阿武隈」「夏月」「満月」
第六水雷戦隊:「名取」
第三駆逐隊:「初春」「子日」「若葉」
第二七駆逐隊:「初霜」「有明」「夕暮」