二六 連合艦隊は何処に?
アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊旗艦、戦艦「サウスダコタ」の戦闘指揮所……つまりCIC。
「第一六任務部隊司令部より報告です。『我、敵機動部隊発見。作戦を変更し、これより我が任務部隊は発見せし敵艦隊を攻撃す。敵艦隊の位置はウェーク島のより方位一三〇度、距離五五〇海里』以上です」
「……ずいぶん勝手な奴だな。まぁやめろと言ってもあいつのことだ、やめるわけないがな」
太平洋艦隊司令長官のハズバンド・キンメル海軍大将と第一六任務部隊司令官のウィリアム・ハルゼー海軍中将はアナポリス海軍兵学校の同期で親友でもある。相手の性格を分かっているからこそ、キンメルはとめなかった。またハルゼー艦隊がいなくても手持ちの戦艦だけで日本艦隊を潰せる、と考えていたふしもある。
その頃、神奈川県横浜市の日吉地区にある帝国海軍連合艦隊総司令部の作戦室。
部屋の中心に巨大な太平洋の地図が設置され、その上に“一戦隊”“五航戦”等と書かれた小さな駒が大量に置いてある。
隣にあって出入口が開放されている通信室との間で人々が行き交い、駒を動かしたり壁に掛っているこれまた巨大な黒板に情報を書き込んでいく。
「どうやらハルゼーは引っ掛かったようだな」
連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将が細い金属棒で指した先には、“ヨ空4”と書かれた小さな旗を立てられた青い駒があった。
“ヨ空”はヨークタウン級航空母艦、“4”は四隻、という意味を持ち、青は合衆国海軍の艦艇であることを示している。
他にも、そのすぐ近くに“レ戦6”や“ニ巡4”等、すなわち“レキシントン級巡洋戦艦が六隻”“ニューオーリンズ級重巡洋艦が四隻”という意味を持つ旗を指した青い駒が置いてある。
「そのようですな。しかし彼等も不運ですね、このタイミングでこいつらを見つけるとは」
参謀長の宇垣纏海軍少将が指した先には“三航戦”“四航戦”“一三戦隊”等々、第二機動艦隊傘下の部隊を意味する赤い駒が置かれている。
「報告します。第二機動艦隊より入電『我、敵艦隊の位置を確認。作戦通りこれより反転す』以上です」
「よしよし、ハルゼーは間違いなく小澤艦隊に向けて攻撃隊を出すぞ。マーシャルの草鹿君に戦闘機の準備をさせておけよ。それから陸軍にもこのことを伝えておくようにな」
「……しかし予想通りですね。太平洋艦隊がマーシャルに攻撃をかけることも、その指揮官がハルゼーであることも」
首席参謀の黒島亀人海軍大佐の発言に、山本は微笑を浮かべて答えた。
「なに、少し考えれば簡単なことだよ。アメリカ西海岸から海兵隊や工作機械を積んだ輸送船が出港したと聞けば、その目標は一目瞭然だ。それにアメリカがマーシャルに配置した第二航空艦隊や、陸軍の航空第五師団の実力をとれほど分かっているのかは知らないが、空母無しで攻撃はしてこないだろうからね」
そして再び「サウスダコタ」。
「それで? その機動部隊とやらの兵力はどのくらいのものなのだね?」
「はい、第一六任務部隊司令部からの報告によりますと……空母と巡洋艦が五隻ずつ、その他の艦艇は索敵機が撃墜されてしまったため不明です……」
「そんな馬鹿な……」
傍らにいる航空参謀、ジョン・スタッド海軍少佐が呟く。
「どうしたね? 何か気に入らないことでもあるのか?」
大艦巨砲主義者らしく、たいして航空機に興味の無いキンメルが、スタッドにぶっきらぼうに尋ねる。
「空母が五隻だなんておかし過ぎます。日本海軍は正規空母だけでも一〇隻以上持っています。敵の機動部隊は他にもどこかにいるはずです!」
「……なるほど確かにその通りだ。すると別の機動部隊がいて、その戦力は今ハルゼーの奴が追っているのよりも強大である可能性があるということだな」
「どうしましょう、今すぐ呼び戻せば間に合うかも……」
参謀長のウィリアム・スミス海軍少将が冷や汗を掻きつつキンメルに具申する。
「あのハルゼーが敵に背をむけるはずがないだろうに」
「しかし、それでは……」
「……第一七任務部隊司令部に通信! 手持ちの爆撃機と雷撃機を全て索敵に回して、戦闘機は全て飛行甲板にあげさせるのだ!」
「……長官?」
「フレッチャーの手駒はせいぜい八〇機だ。こちらから攻撃をかけるなど自殺行為。ならば一秒でも早く敵を見つけなければならないのだ。……それから一応ハルゼーに戻ってくるように連絡だけはいれておけ」
なんだかんだ言ってさすがに太平洋艦隊の司令長官だけのことはある。
興味が無い割には、スミス達が呆然とするなか出したその指示は的確である。
その命令に従い、フランク・フレッチャー海軍少将が率いる第一七任務部隊……太平洋艦隊本隊に付き従っているもう一つの空母機動部隊に属している、「ロングアイランド」と「プリンストン」の二隻の軽空母から、次々とSBDドーントレス爆撃機やTBDデバステイター雷撃機が次々と発艦し、居場所の不明な日本艦隊を発見すべく四方八方に飛んでいく。
そして飛行甲板が空になると再びエレベーターがフル稼働して、格納甲板からF4Fワイルドキャット戦闘機を飛行甲板に上げ、順々に並べていく。
しかし、後の合衆国海軍と違い、空母の全搭載機の内で戦闘機が占める割合はせいぜい四割程であり、二隻の空母が搭載してきたF4Fは全部で三六機。
絶望的に少ないが、悲しいかなこれしか出来ないのだ。
一〇分後……
「……いったい何だこれは!?」
ハルゼーがいつものように雄叫びをあげる。
そんな彼の左手には一枚の電文が握られている。いや、潰されている。
第一六任務部隊参謀長のマイルズ・ブローニング海軍大佐が、恐る恐るハルゼーの左手から電文を抜き取る。
「……貴艦隊が発見した敵機動部隊は別動隊の可能性有り。出来うる限り早く攻撃を切り上げ本隊に合流せよ。なおマーシャル攻撃は日本艦隊を撃滅した後とする。……だったら最初から分離などしなければよかったのに……」
思わず本音を口にしてしまったブローニングだったが、ハルゼーも同じ事を考えていたらしく何も言ってこなかった。
「……しかし、この状況をどうします?」
別の参謀が言う。
この状況、すなわち第一次攻撃隊はすでに艦隊の上空で隊形を作り始め、飛行甲板には第二次攻撃隊の機体が次々と運ばれてきているという状況。
あまりにもタイミングが悪すぎたのだ。
「どうするって、決まっているではないか。ここまで来てしまったのだから仕方ない。さっさと攻撃してさっさと引き上げるしかない。とにかく一分一秒でも早く第二次攻撃隊を飛ばすんだ!」
山本の思惑通り、ハルゼーは“第二機動艦隊”という餌に引き寄せられ、どうにも脱け出せなくなっていた。
そしてさらに一時間半後。
ハルゼー艦隊から飛び立った第一次攻撃隊、戦爆雷連合一五二機の群れは、目標とする地点の上空に辿り着いた。
高度四〇〇〇メートル、これまで一機の脱落機も出さずにここまでやって来た彼等の頭上には、やや厚い雲が広がっている。
とは言え天候は良好だ。
……しかし何かが変だった。
「……潜水艦? ていうかこれだけか!?」
攻撃隊指揮官はそれだけ言って絶句した。
機動部隊など何時になっても陰も形も見えない。見えるものは小さな潜水艦ただ一隻。
「いったいどうなっているんだ!?」
指揮官の頭はこの異常事態のために一杯になってしまった。そういえば日本海軍の攻撃隊とすれ違ってもいないな……と考えていたころ、突然頭上から銃弾という災いが降ってきた。
草鹿仁一海軍中将率いる帝国海軍第二航空艦隊は、マーシャル諸島に展開する大航空部隊であり、雲を突き抜けて攻撃を仕掛けてきたのは、第三四一海軍航空隊の局地戦闘機“雷電”九六機の群れである。
囮役の第二機動艦隊につられてやって来た米軍機を殲滅すべく、すでに潜ってしまった潜水艦から発せられる電波に引き寄せられてここまで飛んできたのだ。
そして混乱するアメリカ艦載機部隊に向けて、容赦なく雷電の両翼から一二,七センチ機銃弾が放たれていく。
機動性にはやや欠けるため、高速と機体強度を頼みにした一撃離脱戦法をとる雷電が米軍機の編隊をすり抜けて行った後には、そこら中で火をふいて落ちていく米軍機が続出していた。
慌てて護衛役のF4Fが後を追いかけるが、時速にして六〇〇キロ以上出している雷電に追い付けるわけもなく、どんどん引き離されていく。
自分達が罠にはまったという事に今更ながら気が付いた攻撃隊指揮官は、後部座席の通信士に急いで撤退命令を打電するよう命じたが、いかんせんタイミングが遅すぎた。
間髪入れずに日本軍迎撃部隊の第二陣、帝国陸軍航空第五師団飛行第一一戦隊所属の一〇〇式戦闘機“隼”五二機が雲を突き抜けて襲いかかる。
……基本的に帝国陸軍の空中勤務者は、偵察機や輸送機のそれを除いて海上航法の技能は持っておらず、太平洋の島嶼地域に配置された陸軍戦闘機隊は、海軍戦闘機隊の迎撃を突破した敵機を島嶼のすぐ近くで迎撃することとなっていたが、冥二号作戦が上手くいく限り、マーシャル諸島に米軍機がやって来ることはあり得ない。
しかしそれでは自らの存在意義が失われると一人慌てた師団長の小畑英良陸軍中将が草鹿に頼み込み、一二機もの零式水上偵察機を誘導につけるという荒業を使って、陸軍航空隊は眼下に何も無い海上での迎撃戦に参加しているのだ。
そんな無理やりやって来た感のある隼の群れは、誘導役の水偵への感謝の意を込めて派手なバンクを行い、そのまま爆弾や魚雷を捨てて逃げ惑うドーントレスやデバステイターの集団の中に突っ込み、高速と機動性を利して彼等を次々と血祭りに上げていく。
そんな爆撃機を守るべきF4Fも、隼には劣るにしろ、その図太い見た目からは想像もつかない機動性を発揮する雷電に翻弄され、やはり次々と血祭りに上げられていく。
さらに一〇数分後。
あのハルゼーの恐ろしげな攻撃命令と、第一次攻撃隊から発せられた撤退命令との狭間で、このまま進むべきか悩んでいた第二次攻撃隊指揮官の目に、日本軍機に追い回されている友軍機の姿が写った。
「各機に通信! 爆撃機及び雷撃機は爆弾や魚雷を捨てて撤退、戦闘機は日本軍機を食い止めろ! 以上だ!」
後部座席の通信士が猛烈な速さで打電する。
前部座席の操縦士が魚雷を捨てたのか、機体がフワリと浮き上がる。
「で、我々は逃げないのでしょ。少佐殿」
少佐と呼ばれた指揮官はうなずきながら言う。
「あぁ、お前達には悪いが、山猫達を置いていくわけにはいかないからな」
「どこへだって着いて行きますよ!」
いつの間にか電信を打ち終わっていた通信士も同調する。
そして、彼等の脇を六〇機のF4Fが追い抜いて行く。
だが、目の前には零戦に鍾馗、屠龍をも交えた二五〇機の日本戦闘機群がいた。
再び、神奈川県は日吉の連合艦隊総司令部。
「第二航空艦隊司令部より報告! 『我が戦闘機隊は分離せる米機動部隊より出撃セ氏者と推定さる思われる敵艦上機部隊を、マジュロより方位七〇度、距離一一〇海里の地点に於いて迎撃。戦果は暫定値なるも撃墜一二〇、撃破七〇。我が方の損失は未帰還二九、塔乗員の損失は二一名。なおこれらの値は航空第五師団に関するものも含む』以上です!」
「……やりましたね」
宇垣が力無く言う。
「どうした参謀長?」
「いえ、これほどの大戦果になるとは、正直思っても見なかったので……」
「まぁいい。とにかく現時点での航空戦力は我々の方が勝っているという確証を得られたことは大きい。おそらくハルゼーは慌てて本隊と合流するだろうが……その戦力を削ることも出来た」
山本が満足そうに言う。
「それに多数配置した潜水艦に七人の貴重な塔乗員が救助されましたから、作戦の第一段階は成功と見て良いでしょう」
黒島が微笑を浮かべてそう言うと、山本は米軍の動きが自分の思い通りになっているせいか、至極愉快そうに応えた。
「うむ、次は高須君や塚原君達に頑張ってもらわなければな」
「やはり無理にでも止めるべきだったか……」
「サウスダコタ」のCICに於いて、第一六任務部隊からの“攻撃失敗”の報告を受けたキンメルは、帽子をとると頭を掻き毟った。
「未帰還一二二、廃棄処分六五……ヨークタウン級空母二隻分プラスの航空機が失われたというわけですね……」
「ハルゼー中将は『ホーネット』と『トレントン』を空にして、パールまで戻すと言ってきましたが……」
電文を手にしたスミスがおずおずと具申すると、キンメルは眉間を押さえてぶっきらぼうに答えた。
「二隻分しか残っておらんのだ、いても仕方ないだろう」
「はぁ……」
「ウェーク島に着くまでにはハルゼーとは合流出来るだろう。レキシントン級が全て無事なのだから、そこまで深刻に考えることもあるまい」
帽子をかぶり直しながらキンメルが言う。
「……それより潜水艦や索敵機からの報告はまだ無いのかね?」
「今のところ何も……」
「時間的に、索敵機はもうこちらに向かっているころだろう。もう日も暮れる。決戦は明日以降ということだ。……それから対潜警戒を怠らないように」
それだけ言ったキンメルは、そのまま憮然としながら司令長官公室に向かって歩き出した。
キンメルがCICから去って一分後。
残された参謀達は皆一様に黙っていたが、まず作戦主任参謀が口火を切った。
「少なくともこれではっきりしました。ワシントンの命令は実現不可能であるということが」
「確かに……もし私が作戦部長だったら、マーシャルなど放っておいてただひたすらフィリピンを目指すように言うと思います」
「サウスダコタ」の副長が言うと皆一様にうなずいた。
「……ハルゼー中将もです。目先の敵に引き寄せられて大損害を受けて、戦果無しです。……これからどうするつもりなのでしょう? どんなに低く見積もっても、我々を待ち構えているであろう日本艦隊の艦載機数は味方の二倍以上あるはずです」
首席参謀が航空戦力の圧倒的劣勢ぶりを指摘する。
「キンメル長官は戦艦が無傷であるから問題無いとおっしゃいましたが……」
「確かに日本艦隊の戦艦群は圧倒出来るだろう。しかしそれだけだ。本国ではさらに戦艦を建造しているようだが、日本戦艦を潰したらもう戦艦はいらんというのに……無駄なことだよ。これからは航空機の時代だ」
「何を!! そん……」
「……やめんか! 終わったことを悔やむのはパールに帰ってからにしないかね?」
今まで黙っていた艦長が怒鳴った。しかしその本心はいつになっても決着のつかない、大艦巨砲か航空主兵か、という論争を聞きたくなかったというものだ。
こうして、再び艦橋は静けさを取り戻した。
聞こえるのは波の音と機関の音ぐらい。
“日本艦隊発見”の報もまだない。