二五 猛将の早とちり
一九四二年一月一日、早朝。
北緯二〇度の線上を真っ直ぐ西へと進んでいたアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊は、ウェーク島の東一〇〇〇キロの地点で、帝国海軍が網目のように配置した大量の哨戒潜水艦の内の一隻に捕捉された。
直ちにマーシャル諸島に数ある飛行場の中でも、最も北に位置する飛行場から五機の一〇〇式司令部偵察機が飛び立った。
ちなみにこの時マーシャル諸島に配置されていた帝国陸軍航空第二師団飛行第八戦隊の一〇〇式司令部偵察機“二型”の最高速度はエンジンの換装や機体の再設計により、六二〇キロにまで向上している。
午前九時、東京霞ヶ関。
元旦から緊急招集された“帝国総合作戦本部”のメンバー達は皆、来る決戦を前に緊張しきっていた。
潜水艦や偵察機からの報告、そして開戦前の情報を総合すると太平洋艦隊の戦力は以下のようになる。
戦艦:サウスダコタ級戦艦……「サウスダコタ」「インディアナ」「マサチューセッツ」「アラバマ」、ノースカロライナ級戦艦……「ノースカロライナ」「ネヴァダ」、コロラド級戦艦……「コロラド」「メリーランド」「ワシントン」「ウェストバージニア」、テネシー級戦艦……「テネシー」「カルフォルニア」、計一二隻。
巡洋戦艦:レキシントン級巡洋戦艦……「レキシントン」「サラトガ」「レンジャー」「コンステレーション」「コンスティチューション」「ユナイテッド・ステーツ」、計六隻。
空母:ヨークタウン級空母……「ヨークタウン」「エンタープライズ」「ホーネット」「トレントン」、ロングアイランド級空母……「ロングアイランド」「プリンストン」、計六隻。艦載機数、約四二〇機。
重巡洋艦:ノーザンプトン級、ポートランド級、ニューオーリンズ級等、計一六隻。
軽巡洋艦:オマハ級、ブルックリン級等、計一六隻。
駆逐艦:各級混合で、計六二隻。
輸送艦、補給艦等:計一二〇隻以上。
潜水艦:……計測不能。
「いやはや、こうして改めて見直して見るとやはりアメリカはあなどれませんな。戦艦と巡洋戦艦だけで一八隻とは……」
陸軍大臣の杉山元陸軍大将が、手元の資料を見てぼやいた。
「しかし空母は六隻、しかもロングアイランド級は軽空母ですからマーシャルの基地航空隊も合わせれば、航空戦力においては何倍も我が軍が勝っています」
と、軍令部総長の長谷川清海軍大将が言い返す。
「……全ては連合艦隊の奮戦にかかっている。長谷川君、準備は整っておるのだね?」
総理大臣の米内光政海軍大将が最後の確認をする。東京にいるものとしては、これしか出来ない。
「はい、出来うる限りのことはしたつもりです。……きっと彼等は勝って帰って来ます」
その頃、ひたすら西へと進む太平洋艦隊の旗艦、大将旗をマストにはためかせた戦艦「サウスダコタ」の羅針艦橋で、司令長官のハズバンド・キンメル海軍大将は、双眼鏡でじっと上空を見上げていた。
傍らに居並ぶ参謀達も皆同じことをしている。
「……まったく。何をしているのだ連中は!?」
そんな視線の先には、機体に日の丸を描いた双発の高速機が二機と、それらを追い回している五機のF4F“ワイルドキャット”戦闘機がいる。
おそらく日本軍の偵察機……一〇〇式司偵……はいまから五分前に飛来して太平洋艦隊の進行方向左側を飛び回っているのだ。
「何をしているんだ! 何を!? たかだかジャップの偵察機相手に!」
別の位置……空母「エンタープライズ」の艦橋では、空母機動部隊である第一六任務部隊司令官のウィリアム・ハルゼー海軍中将が、例の光景を双眼鏡で見ながら吠えていた。
「どうやら時速六〇〇キロは出ているようですな」
参謀長のマイルズ・ブローニング海軍大佐がぼやいた。
ちなみにF4Fの最高速度は五〇〇キロちょっとである。追いつける道理はどこにも無い。
「もういい! 戦闘機隊は引き上げさせろ!」
もう見ていられん、とばかりにキンメルが叫ぶ。
「……まったく、我が合衆国海軍の航空隊の技量はこんなものなのか? 呆れてものも言えん」
と言いつつ、キンメルと大多数の参謀達はこのことに関して特に思うことはない。
根っからの大艦巨砲主義者の彼等にしてみれば、航空機など補助戦力でしかない。
もちろんいたほうが良いが別にいなくても良い、という考えなのだ。
むしろ今、彼等の不安の種はマーシャル近海に配置した潜水艦が次々と連絡を絶っていることにあった。
「長官、あと一時間程で分岐ポイントです」
そんななか、参謀の一人がキンメルにそう具申した。
「分かった。それでは各艦に連絡してハルゼーの艦隊の分離準備をさせろ。作戦は全て予定通りだ」
「しかし……なぜこの段階でマーシャルを攻略しなければならないのでしょう? 本来我々の任務は日本海軍の撃滅とフィリピンの救援のはずなのでは」
「まぁ確かにそうだが……ワシントンの言うことには逆らえんからな」
「正直なところワシントンはフィリピンのことを見捨てたのではないでしょうか?」
「そんな事は……」
「いえ長官、本職にはそう思えてなりません。そうでなければ、あんな命令は出してこないはずです」
「連合艦隊総司令部より命令電受信。『冥二号作戦発動。各隊奮起の上、敵を撃滅せよ』以上です」
一方、南鳥島の南南東五〇〇キロの海上で待機していた、帝国海軍第一艦隊の旗艦である司令部巡洋艦「熊野」の羅針艦橋に、極めて簡潔でかつ非常に重い命令が伝えられた。
マーシャル諸島及びウェーク島に於いて太平洋艦隊を迎え撃ち、これを撃滅する冥号作戦の内、連合艦隊が発令した“二号”は、基本に忠実かつ執拗な作戦案だ。
「……来るべき時がきた。皇国の存亡は諸君らのその腕にかかっている。心して与えられた任務を、全身全霊をもってまっとうしてくれ。私からは以上だ」
第一艦隊司令長官、高須四郎海軍中将が隊内無線を使って訓示を述べると、艦隊をおおっていた空気が引き締まる。
次いで「熊野」のマストにZ旗が掲げられた。
「皇国ノ興廃コノ一戦ニ在リ。各員一層奮砺努力セヨ」
この旗を見て発奮しない帝国海軍の将兵はいない。
午前一一時。
磁探と電探を装備した九六式陸上攻撃機の対潜哨戒機型の傘のもと、陣形を組み“第一遊撃部隊”の名を冠せられた日本艦隊は一三五度、すなわち南東に向かって進み始めた。
日本艦隊は日清戦争で採用されて以来、伝統となった単縦陣を基本に、戦艦や空母が一列になって進み、その脇を巡洋艦や駆逐艦が挟んで行く。
上空では相変わらず九六陸攻が対潜哨戒に勤んでいる。
さて、今を去ること一週間前、帝国海軍は来る太平洋艦隊との決戦に備えて艦隊の編成を改めていた。
今回、前衛を担当している南雲忠一海軍中将率いる第二艦隊は、司令部巡洋艦「仁淀」を旗艦に定め、主力の重巡洋艦を三個戦隊九隻、軽巡洋艦を一個戦隊四隻、軽巡洋艦一隻と駆逐艦一二隻を抱える水雷戦隊を二個の合わせて四〇隻の艦艇をその傘下におさめている。
第二艦隊に続く高須率いる第一艦隊は、司令部巡洋艦「熊野」を旗艦とし、こちらの主力である戦艦を五個戦隊一〇隻、第一艦隊では補助的任務を行う重巡洋艦を一個戦隊三隻、防空巡洋艦を一個戦隊四隻、二個水雷戦隊、千歳型航空母艦四隻とその護衛の駆逐艦四隻からなる第六航空戦隊の合わせて五二隻である。
ちなみに、海軍兵学校の卒業年次が一番古い高須が、この部隊の先任指揮官である。
そして最後尾を行くのは、塚原二四三海軍中将率いる第一機動艦隊である。
旗艦の司令部巡洋艦「矢矧」と第一航空戦隊の……「蒼龍」「雲龍」……は塚原の直率部隊。
「松島」「橋立」「厳島」からなる第二航空戦隊の司令官は山口多聞海軍少将。
「飛鷹」「隼鷹」からなる第五航空戦隊の司令官は大西瀧次郎海軍少将である。
これらを守る艦艇は軽巡洋艦が四隻、防空巡洋艦が二隻、駆逐艦が六隻と護衛艦が八隻であり、これらの合計は二八隻、艦載機総数は約六〇〇機である。
司令部巡洋艦「矢矧」の通信室……巡洋艦としては破格のサイズ……の中で、第一機動艦隊司令長官の塚原は何かをするわけでもなくただ立っていた。
傍らにいるのは航空参謀の源田実海軍中佐ただ一人で、通信兵達には任務に集中するよう命じてあるため、せわしなく動く彼等は誰一人として二人の事を気にしない。
この何とも異様な空間の中で、塚原は口を開いた。
「……まだ実感がないよ。今こうしていることについて、これからしようとしていることについて、そして何より自分が機動艦隊の司令長官として戦場に向かっていることに……」
「長官……何をそんなに心配なさっているのですか? 私がこの職について以来、失礼ながら弱気な長官を初めて見ます」
「心配など、いや不安と言うべきだな、そんなもの山ほどあるさ。帝国海軍始まって以来、最大の決戦を行うべく行動しているのだからな」
「……少なくとも、敗北はしないはずです。たとえ痛み分けになってもアメリカの意図は充分くじけるはず……しかし長官、その件は本土でさんざん……」
「君は我が機動艦隊の技量をどう思う? 太平洋艦隊とぶつかって勝てるかね? 山本長官がおっしゃったように、もし戦艦が撃ち合うようなことになるとすれば今回で最後だ。未来の帝国海軍の主力は空母でなくてはならない。アメリカの機動部隊に……」
「勝つに決まっています」
塚原の弱気な発言を、源田は静かにそして強く否定した。
「艦隊の防御力、艦載機の能力、機動部隊の運用法、どれをとっても我が機動艦隊が勝っています。山本長官もそれが分かっているからこそ、第二機動艦隊を別動隊にすることを決心されたのでしょう。それに、長官が弱気では勝てる戦も勝てません。私達も出来うる限り補佐しますから、しっかりなさってください」
塚原の弱気がある程度治まった頃、西に進撃している太平洋艦隊は二つに分離した。
キンメル率いる主力部隊……第一任務部隊は今まで通り西へ進みウェーク島方面へ、そしてハルゼー率いる別動隊……第一六任務部隊は南西へと舵を切った。
この別動隊は、レキシントン級巡洋戦艦六隻とヨークタウン級航空母艦四隻を基幹として、重巡洋艦と軽巡洋艦を四隻ずつ、駆逐艦を一六隻保有しマーシャル諸島に攻撃を仕掛けることを目的としている。
「まったく、この行動に何の意味があるんだ!?」
別動隊旗艦、空母「エンタープライズ」の艦橋にハルゼーの怒声が響く。
「し、しかし命令は命令ですから……」
参謀の一人が恐る恐る言う。
「分かっている! だが、俺にはどうにも理解出来ん。キンメルの奴だって理解していないだろうさ」
「確かに今すべきことでは無いかもしれませんが……」
「しれないではない! 必要無いのだ! 今すべきことはジャップの艦隊を葬り去ることと、フィリピンの友軍を助け出すことだ。マーシャルなどにかまっている暇などないのだ」
ワシントンが通告してきた作戦内容を簡単に述べると以下のようになる。
・ウェーク島への物資の輸送及びその護衛。
・マーシャル諸島に上陸、占領する。
・その際、出撃してくるであろう日本艦隊を撃滅する。
・日本艦隊を撃滅した後、戦力に余裕があれば輸送船団を伴いフィリピンに向かう。
明らかに……特に二つ目……無茶な命令である。
さらに最重要事項であったフィリピン救援が、いつの間にか二の次になっている。
キンメルにしろハルゼーにしろ、“日本艦隊と正面からぶつかって戦力に余裕がある”状態でいられる、などという自信は持ち合わせていなかった。
「確かにジャップを屈服させるために、マーシャルは占領しなくてはならない所だが……なぜそれが今なんだ!? ワシントンは、大統領は何を考えているのだ!?」
アメリカ合衆国こそ地球を支配すべき国家である。
という、アメリカ以外の者にすれば迷惑以外の何物でもない思想を持つアメリカの指導者達にとって、今真っ先に潰さなければならないのは、ヨーロッパを我が物としているドイツ第三帝国であって大日本帝国ではない。
ではなぜ日本に宣戦を布告したのか?
邪魔者を排除するならいっぺんに、という発想があったことは否めない。
しかし正直なところ、あまり日本にはかまっていられない。
早々と決着をつけて全力でドイツを潰す。これがアメリカの戦略である。
だからこそ、マーシャル占領の優先順位が上がりフィリピン救援の順位は下がるのだ。
キンメルもハルゼーも、そして彼等の参謀も薄々はこのことに気付いている。
それでもあえて疑問を口にするのは、ただそのことを認めたくないだけなのかもしれない。
そして、午後二時。
「索敵機より緊急報告! 『我、敵艦隊発見。空母五、巡洋艦五、駆逐艦』ここで途切れました。位置はここから方位二〇〇度、距離は三〇〇海里です!」
「ジャップの機動部隊だ! 作戦変更! 我が艦隊は全力でこの艦隊を撃破する。攻撃隊は直ちに発艦準備をしろ!」
日本艦隊発見の報にハルゼーはまさに“猛将”と化した。
彼の頭には南の日本艦隊を潰すことしかない。
しかし、索敵機が発見したのは小澤治三郎海軍中将率いる第二機動艦隊。……別動隊であった。
―帝国海軍第一遊撃部隊編成図―
第一艦隊 司令長官:高須四郎海軍中将
旗艦:「熊野」
第一戦隊:「信濃」「三河」
第二戦隊:「出雲」「越前」
第三戦隊:「伊勢」「日向」
第四戦隊:「天城」「日高」
第五戦隊:「阿蘇」「丹沢」
第九戦隊:「羽黒」「足柄」「那智」
第六航空戦隊:「千歳」「千代田」「瑞穂」「日進」
第一〇駆逐隊:「白露」「時雨」「村雨」「夕立」
第一一戦隊:「隅田」「多摩」「養老」「渡良瀬」
第一水雷戦隊:「五十鈴」
第五駆逐隊:「神風」「朝風」「春風」
第七駆逐隊:「疾風」「朝凪」「夕凪」
第一四駆逐隊:「春雨」「五月雨」「海風」
第二〇駆逐隊:「山風」「江風」「涼風」
第三水雷戦隊:「由良」
第六駆逐隊:「睦月」「如月」「弥生」「卯月」
第一一駆逐隊:「皐月」「水無月」「文月」「長月」
第二三駆逐隊:「菊月」「三日月」「望月」「夕月」
第二艦隊 司令長官:南雲忠一海軍中将
旗艦:「仁淀」
第六戦隊:「古鷹」「高雄」「愛宕」
第七戦隊:「蓼科」「衣笠」「鞍馬」
第八戦隊:「鳥海」「妙高」「摩耶」
第一四戦隊:「吉野」「天塩」「太田」「天龍」
第二水雷戦隊:「鬼怒」
第八駆逐隊:「陽炎」「不知火」「黒潮」
第一五駆逐隊:「雪風」「初風」「親潮」
第一六駆逐隊:「早潮」「夏潮」「天津風」
第一八駆逐隊:「磯風」「時津風」「浦風」
第四水雷戦隊:「四万十」
第一二駆逐隊:「吹雪」「白雪」「初雪」「深雪」
第一七駆逐隊:「叢雲」「東雲」「薄雲」「白雲」
第一九駆逐隊:「磯波」「浦波」「綾波」「敷波」
第一機動艦隊 司令長官:塚原二四三海軍中将
旗艦:「矢矧」
第一航空戦隊:「蒼龍」「雲龍」
第二航空戦隊:「松島」「厳島」「橋立」
第五航空戦隊:「飛鷹」「隼鷹」
第一二戦隊:「利根」「筑摩」「最上」
第二一戦隊:第一護衛隊:「夕張」「秋月」「照月」「涼月」「初月」
第二護衛隊:「黒部」「新月」「若月」「霜月」「冬月」
第五水雷戦隊:「長良」
第一三駆逐隊:「嵐」「谷風」「萩風」
第二五駆逐隊:「野分」「浜風」「舞風」
今回の物語では、通常の架空戦記ではあまり目立つ存在でない塚原二四三中将を表にもってきてみました。
でも何だか弱気な人物に……失敗したかも……
ご意見、ご感想お待ちしています。