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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第四章 嵐の前の静けさ
17/113

一七 束の間の平穏



 『英独講話す』

 この知らせはすさまじい速さで世界中を駆け回り、と同時に世界中の……多少なりとも国際政治に関して知識があるか、新聞を読むという文化のある……人々を驚愕させた。

 むしろ一番驚いたのは英独それぞれの国民であった。

 必死に戦っていた矢先、一握りのお偉いさん達によって、思いもしない結果に終わらせられたのだから、どちらかというと拍子抜けしたといったほうが正しいかもしれない。



 一九四〇年一一月二四日夜、東京は首相官邸。

 「しかしなんでまた講話なんてしたのだ?」

 中村祐二総理大臣のこの発言は独り言のように発せられたが、半ば近衛文麿外務大臣に向けての質問でもあった。

 「お互いにこれ以上戦争を続けることは無理だと悟ったということでしょうね」

 「確かにドイツにしてみれば、海上補給路が脅かされて、いずれ在英部隊が立ち行かなくなることを防ぎたいという理由があるのでしょうが……イギリスはあのまま粘ればドイツ軍を追い落とすことも不可能ではなかったでしょう。どうしてまたあっさりと?」

 「内相のご意見は確かに一理あると思いますが」

 と杉山元陸軍大臣。

 「もし本土のドイツ軍を駆逐出来たとしても、植民地にドイツ軍がやって来てしまえば意味がないのです。実質的にあの国があれほどまでに強大化したのは、膨大な数の植民地のおかげと言えますから」

 「そのイギリスの植民地……ではなく、とりあえず独立国のエジプトに侵入した、リビアのイタリア軍を追い返す余裕もないみたいですからね」


 無論エジプトの英軍が相次ぐ引き抜きによって弱体化したのであって、イタリア軍が強くなったわけではない。


 「ところで総理」

 「なんですか米内さん」

 「我が国は現在、ドイツ及びイタリアと戦争状態にあるわけですが、イタリアはともかくドイツとは講話するおつもりですか?」

 「もちろんですよ。イギリスが講話した以上、ドイツと戦い続けなければならない理由はありませんから」

 中村が米内光政海軍大臣に微笑を湛えながら返事を返す。

 「しかしまだ英独がどのような条件で、講話に至ったのかはっきりとしたことは分かっていませんから、その話は吉田からの連絡後にまた」

 と近衛が答える。


 結局この日の閣議では、欧州の話はこれで終わり内政問題に話題が移った。

 しかしこの半ば楽観的な日本政府の判断によって、おおいに迷惑を被った人々がいたとは、おそらく誰一人として気が付いていなかっただろう。



 ほぼ同時刻……といっても昼だが……英領ジブラルタルから西へ約一五〇〇キロいった大西洋上。

 このポルトガル領アゾレス諸島以外に何もない海上に、ぽつんと浮かぶ一隻の軍艦がいた。

 帝国海軍第六艦隊所属の駆逐艦、『不知火』である。

 帝国海軍の最新型駆逐艦、陽炎型駆逐艦の二番艦として建造されたこの艦は、ちょうど一ヶ月前に派遣され、ジブラルタルを根拠地に地中海や大西洋の哨戒活動に従事していた。

 しかしこの日はすこしばかり様子が違った。

 普段なら近場に英国駆逐艦や日本駆逐艦が少なくとも一隻はいて、共に行動するところなのだが、今日に限って見渡す限りに広がる大海原に見えるものは、ちっぽけな島々と『不知火』だけだった。


 「ん? あぁありがとう」

 そんな『不知火』の艦橋で、木の像がしゃべった。

 いやもちろん物のたとえであるが、ほどよく日焼けして双眼鏡を構えたまま動かない様子はまさに木像であった。

 さてこの木像氏、その名は酒井秀造、階級は海軍中佐、役職は『不知火』の艦長である。

 無類のコーヒー好きとして知られ、物凄いこだわりを持つ男でもある。

 「おぉ、だいぶ美味くなったな」

 コーヒーを運んできた海軍二等主計科兵曹を示す階級章をつけたその下士官はそれを聞くと、照れながら頭をかいた。

 酒井が艦長に着任してから二ヶ月。毎日のように『酒井流コーヒーの作り方』を教授され、その成果がようやく実を結んだわけだ。

 ……閑話休題。


 「しかし暇ですな」

 酒井の傍らで、砲術長の石間敦海軍大尉がぼやく。

 「何だ砲術長、暇なことに越したことはないだろう」

 「はぁそれはそうでしょうが、やはり張り合いがありませんね。第六艦隊の中で本艦だけですよ、まともな戦闘を経験していないのは」

 「なに、戦闘なら近いうちにおこるさ」

 「えっ、どういうことですか艦長?」

 穏やかにとんでもないことを言った酒井に向かって、水雷長の野村雅俊海軍大尉が尋ねる。

 「英独が講和してしまった以上、このあたりでUボートが狙うような軍艦は、基本的に我が第六艦隊の軍艦だけだからな」

 ちなみにこの世界の帝国海軍は、所属する艦艇を全て軍艦……特設艦艇は除く……と称しており、『不知火』の艦首にも菊花紋章が取り付けられている。

 「そういえばそうですね」

 石間がうなずきながらそう言ったが、結局この日も相変わらず何も起こらなかった。



 「ではよろしいですね?」

 その翌日、首相官邸内の閣議室で近衛がいならぶ閣僚達に念をおした。

 中村以下異議を唱える者は、一人もいない。

 「それではスイスの東郷茂徳大使に指示を出します」

 近衛がそう言うと、扉の近くにいた外務省職員が静かに部屋を出てい行った。



 「艦長……やっぱり何も起きませんね」

 「その……ようだな」

 「皆の士気も落ちているようです。なにしろ……」

 石間が「わざわざ欧州くんだりまで来て」と言おうとしたとき、艦橋に通信長の別宮潤一海軍中尉が飛び込んで来るなり声を張り上げた。

 「友軍飛行艇より通信です!」

 酒井は別宮から電文を受け取りそれを一読すると、航海長の国末健斗海軍大尉にそれを渡して尋ねた。

 「航海長、本艦からの距離はどのくらいだ?」

 「……本艦より方位四五度、距離三〇海里です!」

 一呼吸おいて国末が答えると、酒井はうなずき伝声管に向かって叫んだ。

 「艦長より全乗組員に告ぐ。たった今、友軍飛行艇より敵潜水艦発見の一報が入った。本艦はこれより現場海域に急行し、これを攻撃する。各員戦闘配置につけ!」

 酒井の絶叫が艦内を巡るやいないや、それまでどこと無く気だるい空気に包まれていた『不知火』は一気に活気づいた。

 「面舵一杯! 針路四五度、最大戦速!」

 そして酒井の次の命令が下ると、『不知火』は煙突からもうもうと煙を噴き上げながら、飛行艇が知らせてきたポイントに向けて爆走を始めた。


 一時間後。

 『不知火』は指定された海域に到着した。

 するとそこからさらに東に約五海里程行った所に、一報をいれた九七式飛行艇が大きく旋回している。

 それは『不知火』の姿を認めると、敵潜水艦の情報を追加で飛ばしてきた。

 「『我、磁気探知機にて敵潜を追尾中』か。よし急ぐぞ!」


 『磁気探知機』というのは、それを搭載する機体をコイルにみたてて、海中に潜む鉄の塊の真上を飛ぶと電流が流れるという仕組みである。

 もっとも、この磁気探知機にしろ『不知火』が積んでいる音波探知機にしろ、『〇〇式』という名前はついておらず、『試制』の段階なのだ。

 そのうえ、研究所でつくられた極めて繊細ものを、無理矢理実戦配備したため、調子が悪いと何の役にもたたず、七〇バーセントの確立できちんと作動しないという重大な問題を抱えた、とんだ『新兵器』であった。


 「どうやらちゃんと動いているみたいですね。あとはこちらが動いてくれることを祈るばかりですね」

 国末が言うと酒井が口を開く。

 「ここまで運に見放されてきたんだ。今度ばかりは大丈夫だろう」

 「探知開始します」

 聴音室から報告が来る。

 これほどまでに近づかなければ使えない点からも、音波探知機の現状が分かる。

 聴音室に取りつけられたスピーカーから、ピーン、ピーンという規則正しい音が聞こえてくる。

 どうやらこちらもうまく作動しているらしい、と思った酒井は追加の命令を発した。

 「合戦準備、対潜戦に備え! 艦長より機関、速力一〇ノット」

 こうすることで自らの機関から発せられる雑音をより小さくし、パッシブ・ソナーである九五式聴音機も使えるようになった。


 三分後。

 酒井始め幹部達は一言も口をきかず、聴音室からの報告もまっていた。

 この短い時間の間に、九七式飛行艇はジブラルタルに向かって去って行ってしまっていた。

 燃料がこころもとなかったようである。

 しかしこれで空からUボートを探すことは出来なくなった。

 聴音機も水中の敵が動いていなければ捉えようがない。ただでさえ、たいした性能は持っていないのだから。

 だが、そのとき。

 ピーン、カン! という音がスピーカーから聞こえてきた。

 とたん、幹部達の顔がほころんだ。

 探知機が敵潜を捉えたのだ。

 「敵潜の位置は!?」

 「ほ、方位七十度、距離五〇〇〇メートル!」

 酒井の問いに素早く返事が返ってくる。

 「水測より艦長。敵潜のスクリュー音探知しました。方位そのまま遠ざかっていきます。速力およそ八ノット。深さ五〇」

 どうやらUボートの艦長は、未経験とは言え探知されたことを悟ったのだろう。慌てて逃げ出したが、逆に聴音機にまで捉えられてしまった。

 「逃がすなよ。追い掛けるんだ! 取舵、針路七〇度」

 「取舵、針路七〇度」

 国末が命令を復唱すると、操舵室で舵を握っている操舵士もそれを復唱すると共に舵を左に切る。

 「水測より艦長。敵潜面舵に転舵、及びさらに潜行。敵潜針路一〇〇度、深さ八〇!」

 「面舵一杯! 針路一〇〇度! ……逃がしはせんぞ」

 Uボートは必死にこちらをまこうとしているようだが、音波探知機は幸か不幸か正確に作動していた。

 艦橋には相変わらず、ピーン、カン! ピーン、カン! と規則正しくエコーが響いているのだ。逃げられるはずはない。

 「水測より艦長。敵潜と並びました!」

 『不知火』はUボートが右に舵を切ったポイントよりも手間で曲がったので、自然とこうなる。

 「距離はおよそ三〇〇〇、敵潜の深さは変わらず八〇です!」



 「とりあえずそういうことでよろしいですね?」

 「ええ、無論ですよ。東郷さん」

 スイスはチューリッヒ、市民の憩いの場でもあるチューリッヒ湖の湖畔に、一軒の趣のあるホテルが建っていた。

 そのホテルの一室で、二人の男がかたい握手を交していた。



 「水測より艦長。敵潜面舵に転舵及び浮上! 敵潜針路一三〇、深さ三〇!」

 「何をするつもりだ?」

 酒井が言った次の瞬間、聴音室からとんでもない報告が入ってきた。

 「敵潜魚雷発射! 数は……四本です!」

 「おのれ! 取舵一杯! ……艦長より水雷、魚雷発射用意」

 酒井は回避を命じると共に、艦内電話の受話器を取って、水雷指揮所に詰めている野村を呼び出した。

 「え? 艦長、お言葉ですが潜水艦に魚雷というのは……」

 「命令だ」

 酒井は静かに、そしてきつく言い放った。

 「……分かりました。魚雷発射用意!」

 「敵潜の位置は?」

 「本艦の三時方向、距離一〇〇〇、深さは……五〇です!」

 「……発射用意良し!」

 「よろしい。……てッ!」

 野村の号令と共に八本の魚雷が圧縮空気に押し出されて次々と飛び出していく。

 しかしいつになっても命中した様子はない。

 艦橋にいる者全員が横目で酒井を睨むと、またもや酒井は信じられない命令を発した。

 「面舵一杯。針路一〇度」

 艦橋にいる幹部達は皆、艦長の作戦をはかりかねていたが、聴音室からの報告でその疑問は解決した。

 「水測より艦長。敵潜の位置、本艦の進路上五〇〇メートル、深さ八〇!」

 「一気に追い抜かせ! 追い抜きざまに爆雷投射!」

 つまり、敵潜は魚雷をさけるためにとにかく舵を切る。それに合わせるように『不知火』が舵を切れば、うまい具合に急接近出来るというわけだ。

 そして事態はまさにそのとおりに動いた。

 「投射始め!」

 合わせて一六個の爆雷が、海中に潜むUボート目指して沈んで行く。

 「……どうだ!?」

 そのときスピーカーからピーン、カン、カン、カン! という今までとは明らかに違うエコーが聞こえてきた。

 そして次の瞬間盛大な水柱が発生、時間がたつにつれ油膜等も浮かんできた。

 「敵潜撃沈確実!」

 この知らせを聞いた乗員達は思い思いの方法で喜びを爆発させた。なにしろ欧州に来て初めての戦果である。

 幹部達も皆例外なく喜んだ。一応生存者を探させたが、浮かんでくるのは無惨な姿と化した肉片だけだった。



 三〇分後。

 「艦長、司令部からです」

 一人の通信兵が一枚の電文を持ってきた。

 「さっき出した報告の返事ですか? 妙に早いですね」

 水雷指揮所から戻ってきた野村が尋ねる。

 「いやそういう話ではないようだ」

 「じゃあなんなんです?」

 「……戦争はもう終わりだ。引き上げるぞ」



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