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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第三章 欧州大戦、再び
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一六 クリーグス・マリーネ


 一九四○年九月二〇日、東京は首相官邸の会議室。

 「英国駐在の吉田全権大使からですが、大使を始め在ロンドンの外交官及び邦人は全員、ケンブリッジ方面に脱出したようです」

 外務大臣の近衛文麿が報告すると、一座の空気が少し和らいだ。

 「とりあえず安心ですな」

 「しかしその他の地域の情報がまだありません。無事に北部に脱出していることを願うばかりです」

 「ところで海軍大臣。この戦い、どちらが勝つでしょう?」

 と、近衛は海軍大臣の米内光政海軍大将に問いかけた。


 もっとも近衛も、明確な返事を陸戦に疎い米内に求めているわけではない。

 ただ、何か重大な事が起こった場合、内閣の長老的な存在である米内の意見をとりあえず聞くということが、他の閣僚達の中で暗黙の了解となっていただけである。


 「そうですな。やはり英国海軍がどれだけ早く、機雷原を突破するかに全てがかかっていると言えるでしょう」

 「逆に言えばそれまでにドイツ陸軍がどこまで進むか、ということですか」

 この世界では未だに『日英同盟』が存在しており、同盟にもとづいて大日本帝国はドイツを始めとする枢軸国とは戦争状態にある。

 とは言え、戦っているのは地中海まで遠征している駆逐艦主体の第六艦隊だけであり、あまり関係がないというのが実情である。


 「失礼します」

 職員の一人が小走りで入って来ると、近衛に耳打ちした。

 「南京の総領事館からです。国民党政府がまた援助を求めてきたそうです」

 「また援助物資を求めてきたのですか?」

 逓信大臣の村田省蔵がうんざりとした口調で尋ねる。

 「えぇ、まぁそんなところですが……」


 満中戦争以後、関係を正常化した大日本帝国と中国国民党政府だが、中国共産党との戦いを再開した国民党政府に援助を行うということがその条件だった。

 なぜなら国民党政府単独ではどうしようもないからだ。

 実際に史実では第二次国共合作の崩壊後、国民党政府は台湾に追い落とされている。


 「それで?」

 「はい?」

 「……ですが、の続きですよ。近衛さん」

 米内が言う。

 「は、はぁ。それが共産党の軍隊に、アメリカ製と思われる兵器が大量に配備されているということが、今回の援助の理由なのです」

 「アメリカ製……の兵器?」

 「どういうことでしょう?」

 「まるで……いつぞやの国民党軍みたいですね」

 内務大臣の小林一三が呟くと、和らいでいた空気が一転して緊張を帯びた。

 「アメリカの目先が変わったということですか?」

 「……おそらくそういうことでしょう」

 「これはこれで面倒なことになりそうですね」


 アメリカ合衆国、というよりフランクリン・ルーズベルト大統領のやりたい事はいたって単純明快だ。

 そもそもアメリカ人の頭には第一一代大統領ジェームズ・ポークが唱えた『明白な天命マニフェスト・デスティニー』というものがあり、広大な北米大陸を切り開いていったフロンティア・スピリットはこれによるところが大きい。

 そして一八九○年代になると、フロンティアの消滅宣言が出され、西部開拓の時代は終わりを迎えた。

 しかしそれであの国が満足するはずがない。

 ハワイを無理矢理手中におさめると、今度はいちゃもんをつけて米西アメリカ・スペイン戦争を引き起こし、カリブ海地域やグアム、フィリピンを獲得し帝国主義へとまっしぐらに突き進んで行ったのだ。

 一八九九年に出されたジョン・ヘイ国務長官による中国に対する門戸開放宣言や、セオドア・ルーズベルト大統領の棍棒外交等はその代表例だ。

 その後第一次大戦が終結し、日本による対華二一ヶ条の要求が取り下げられたことも一因となり、史実のようにワシントン体制が築かれることはなかったが、虎視眈々とアメリカがアジア市場を我がものとしようとしていることに変わりはない。

 ニューディール政策の限界が見えてきた今、アメリカ合衆国、そして何よりルーズベルト政権にとってアジア、特に中国という市場は喉から手が出るほど欲しいものなのだ。


 「まぁアメリカから見れば、我々日本はただの邪魔者でしかないのでしょうが」

 近衛が苦笑いを浮かべて言うと、すかさず陸軍大臣の杉山元陸軍大将が口を開く。

 「しかしだからといって、手を引くわけにはいきません」

 「無論、中国国民党への支援は継続する。……皮肉なことではあるがな」

 「失礼します! 緊急の報告です!」

 この職員は米内のもとに駆け寄ると、小さな紙切れのようなものを渡した。

 「……英国海軍が機雷原を突破したようです」



 「福山一飛曹」

 所は愛媛県松山市、帝国海軍吉田浜飛行場の駐機場のひとつである。

 偶然自らの愛機、零式艦上戦闘機三一型の近くを通りがかった福山和樹海軍一等飛行兵曹は、突然自分の名前を呼ばれて立ち止まった。

 しかしあちらこちらで、調整でもしているのか栄エンジンが爆音をたててプロペラを回している。

 そんなわけで彼はどこから誰に呼ばれたのかさっぱり分からず、辺りをぐるりと見渡した。

 すると、愛機の操縦席からひょっこりと小さな頭が覗いたかと思うと、作業服を着た小柄な整備兵が身軽な動きで主翼の上に立ち上がった。

 「何だ、佐脇二整曹ですか。何か御用ですか?」

 福山がぶっきらぼうにそう言うと、佐脇悠子海軍二等整備兵曹は少しむっとしながら口を開いた。

 「そんな言い方ないじゃないですか。それに一飛曹は私よりも階級は一つ上なんですから、敬語は止めてもらえます?」

 「そう言われてもいったん染み付いたしゃべり方は、そう簡単に直るものではないですから」

 と言い訳する福山であったが、理由はまだ他にもある。早い話が、佐脇が苦手であり、それでいて好意も寄せているのだ。

 ちなみに、佐脇悠子。無論『蘇我馬子』や『小野妹子』のように、『女みたいな名前をした男』ではなく、れっきとした女性である。

 物静かで真面目な性格のおよそ軍人らしくない戦闘機パイロット、福山和樹とは正反対の……だからこそ苦手なのだが……明るく活発な性格を持つ、三四三空のアイドル的な存在の整備兵である。

 そんな二人の共通点といえば機械いじりが好きなこと、東京の下町生まれで共に二〇歳であることぐらいだ。


 ところでなぜ女性の軍人がいるのかといえば、この物語の世界の日本はある程度、男女平等だからだ。

 ある程度というのは完全なものではないということで、いくら男女平等普通選挙が行われても、『家』の発想を持っている以上仕方ないといえば仕方ないのだが。


 「まぁいいか。ちょうど一飛曹の零戦を整備してたところに通りがかったので、ちょっと呼んでみただけ……今そんなことかよ、って顔しましたね?」

 「いや、そんなことないですよ」

 福山は極めて冷静に否定する。しかし。

 「駄目ですよ。いくら冷静を装っても福山さんは顔に出ますからすぐに分かります。……そんなことないって思ったでしょ?」

 「はぁ、かなわないな佐脇さんには」

 しぶしぶ認めると、佐脇はにっこりと笑った。してやったり、といったところだ。


 そんな二人を遠目に見る男が二人いた。彼等の上司である長峰義郎海軍大尉と大林道彦海軍整備曹長である。

 二人にはお互いの部下の、しかも男女のお喋りを観察するという何とも悪い趣味があるらしい。

 そして二人のさらに後ろにいた、三四三空司令官の富田卓次郎海軍大佐はそんな部下達の姿を見て溜め息をついた。

 長峰と大林。二人はこれから先、あまり出世しないかもしれない。



 話はとんで一九四○年一一月一〇日。

 この日、ヨーロッパ戦線に大きな動きが起こった。

 英国本土での戦いにおいて、始めてドイツ陸軍が後退したのである。


 ドイツ陸軍が上陸してからというもの、イギリス軍は総力をあげて迎撃し、ドイツ陸軍は装甲師団を上陸させた後も目標とする北緯五二度のラインになかなか到達出来ずにいた。

 また市街戦となると土地鑑をもつイギリス軍は子供や老人までも動員して戦い、北部での主力部隊の再編の時間を稼いだ。

 それでもドイツ軍が敗けなかったのは、制空権と制海権を握っていたからだが、その優位が崩れる日が訪れた。


 九月二〇日。前にも述べたがこの日、英仏海峡の両側にばらまかれた大量の機雷原に、地中海艦隊の増援を受けた英国本国艦隊が一筋の道を切り開いたのだ。


 そして翌二一日。

 戦艦『ネルソン』を旗艦に戦艦六、巡洋戦艦三、空母三、重巡八、軽巡一六、駆逐艦二七からなる英国海軍の大艦隊は、大挙して英仏海峡になだれ込んだ。

 これに対しドイツ海軍総司令官のレーダー元帥は、戦艦『ビスマルク』を中心として、付近にいたUボートを含めた艦艇群にこの英国艦隊の迎撃を命じた。

 さらにドイツ空軍総司令官のウーデット大将は、同じく付近にいた航空隊に総出撃を命じた。


 しかし海軍に関しては明らかに無謀な命令だった。

 なぜならこの時点で現場に向かえたのは戦艦『ビスマルク』、巡洋戦艦『シャルンホルスト』、重巡洋艦『アドミラル・ヒッパー』、軽巡洋艦『エムデン』、Z級駆逐艦六、Uボート各種一七、その他仮装巡洋艦やSボート等七という戦力で、どう考えても英国艦隊にかなうはずがなかった。

 かといって、英仏海峡の制海権は渡すわけにはいかない。ドイツ艦隊は明らかな矛盾のもと出撃したのである。


 戦いは午前九時、『ネルソン』を中核とする部隊を八機のドイツ空軍爆撃機、ユンカースJu87が攻撃したことから始まった。

 けたたましいサイレンを鳴らしながらJu87は急降下を始め、英国艦隊の猛烈な対空放火がこれをむかえる。

 しかし『ネルソン』に集中して投下された二五〇キロ爆弾は、搭載している水上機や艦尾の対空砲群を粉微塵に吹き飛ばしたが、それで戦艦が沈むはずもなく、爆撃機も多い被さってきたフェアリー・ファルマー戦闘機に全機落とされてしまった。


 結局その後、英国艦隊は散発的な空襲を受けたものの、致命的な被害を受けることなく正午をむかえた。


 この時、英国艦隊はいくつかの部隊に分かれて行動していた。

 その内前路掃討を担当する部隊に不幸な出来事が発生した。

 午後二時、ノルマンディーの北八〇キロのポイントで、戦艦『ロドネイ』、巡洋戦艦『フッド』を中核とする英国の部隊が、戦艦『ビスマルク』を中核とするドイツの主力部隊とかち合ったのである。


 この物語の世界において、多少ヒトラーの信頼度が高いドイツ海軍は史実よりも三ヶ月も早く『ビスマルク』を竣工させていた。

 しかしそれでもまだ竣工してから四ヶ月しかたっていないため、乗員の連度は今ひとつだったが、『フッド』を撃沈し『ロドネイ』を中破させている。

 ところが、英国海軍の象徴と言っても過言ではない巡洋戦艦、『フッド』を撃沈されたという知らせを聞いたチャーチルは怒り狂い、他の艦艇に対し直ちに担当の任務……輸送船団の襲撃や沿岸基地の破壊……を中止して、ドイツ海軍の艦艇を全て沈めるように命令を下した。

 幸い、ドイツ空軍の心配はあまりしなくてもよい。

 今回の突入作戦に合わせて、英国空軍が持つ航空機を総動員し在英の強力なドイツ空軍を南に行かせないように文字通りの総反撃に出ていたのだ。


 午後五時、ノルマンディー北西一二〇キロの地点でフランスの基地から飛び立ったユンカースJu88が東に向かって進撃する英国艦隊を発見、英国艦隊の位置座標を電波にのせて四方八方に飛ばした。

 その電波につられて、在仏の対艦航空隊やドイツ艦隊がその座標に向けて一斉に動きだす。


 この物語は『大西洋戦記』ではないので細かな戦闘描写は省いて、結果だけ述べることにするが、ドイツ海軍は虎の子の戦艦『ビスマルク』を沈められ、重巡『アドミラル・ヒッパー』は大破、他にも駆逐艦三隻、その他もろもろの艦艇五隻を失い退却した。

 一方で英国海軍も戦艦『ヴァリアント』、重巡一、軽巡三、駆逐艦二が撃沈され逃げるドイツ艦隊を追撃する余裕はなく、敵味方の救助としつこく飛来するドイツ空軍機との戦闘に終始していた。

 しかし制海権の確保という面ではとりあえず成功した。

 とは言え、前にも述べたように、在英のドイツ陸軍の勢いが無くなるまで時間がかかったのは、やはり制空権をドイツが持っていることにあると言える。



 二週間後、東京。

 「えらいことになったな……」

 外務省の大臣執務室で、欧州局長が持って来たメモを見て近衛は呟いた。


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