一一 大切なもの
「君は……本気なのかね?」
三月一日早朝、西安の中国国民党施設の一室。
監禁されてから半日が経ち、蒋介石は向かいの椅子に座っている張学良に尋ねた。
「何度も言っていますが、本気です」
張学良が何かを宣言するようにそう言うと、蒋介石は少し戸惑ったような笑みを浮かべて問いを重ねる。
「君は抗日派ではなかったかね?」
「確かに昔はそうでしたが、今は違います」
「と、いうと?」
「私は父、張作霖を列車内に仕掛けた時限爆弾で爆殺したのは日本軍であり、日本軍は満州の地を無理やり奪い取ろうとしているのだと思っていました。だからこそ私は側近の反対を押し切って貴方達国民党の側についたのです」
「それで?」
蒋介石は続きを催促するように言った。
「私は今回、満州を取り返す為に戦いました。そして正直に言います。我が軍には満州帝国を倒すことなど出来ません」
「そんなことはあるまい。我々にはアメリカが味方についてくれている。最終的に負けることなどあり得ない。今回に限って言えば十分な支援を受けられなかったのが敗因だな」
何を言うのかね、と蒋介石は笑った。
「お言葉を返すようですが、総統はそれでいいのですか? それではアメリカの言いなりになってしまうかもしれません。現にアメリカは、我が中国の市場を我が物にしようとしていると言われています」
張学良は一切笑うことなく、深刻そうな表情を作って逆に蒋介石に向かって尋ねた。
「……それはまあ、そうかもしれない」
「しかし、日本はアメリカのアジアへの進出を食い止めるべく努力しています。ここは早く講和して共産勢力を排除して、新たな強い国家を創るべきだと私は思います」
「日本と結ぶことで中国が強くなると?」
「実際、満州は今まで遊牧民族の天下でしたが、帝国が出来てから飛躍的に力を増しています。日本の支援を受けてです」
「……」
「とりあえず停戦協定を結ばれてはいかがですか?」
「……とりあえず君達の言いたいことは分かった。停戦協定を結ぶ件については実行しよう」
蒋介石はしばらく黙っていたが、ややあって口を開くとゆっくりそう言った。
「ありがとうございます」
「それで、君はこれからどうする気だね?」
「もちろん総統が講和を結ぶまでは今のままですが……」
「が……何だね?」
「その後、自主的に軍法会議にかかろうと思っています。なんだかんだ言って私の責任も重いですから」
「ふう、ようやく応じたか」
二日後、奉天の日満連合軍の司令部。
その作戦室で、帝国陸軍支那方面軍司令官の室田政幸陸軍大将がぼやくように言った。
「しかしまだ『停戦』の段階です。油断は出来ません」
参謀長が注意を促すように言う。
「それにしても驚きました。張学良が西安に行ったと聞いて、何をするつもりかと思えば蒋介石を監禁するなんて」
「でも結果的に我々に好都合なことですから。このまま講和になれば良いのですが」
「まったくだ。これ以上あの連中とは戦いたくないな」
「なぜです?」
「なぜって、このまま戦争が続けば侵攻作戦をとらなければならんだろう。だが、そうなると長期戦になる。何しろ中国の広さは半端じゃないからな。長期戦は国を疲弊させるということは、既に欧州で実証されとる」
ちなみに室田は第一次大戦の折りに観戦武官として渡欧し、そのまま日本に帰らずにパリの日本大使館で駐在武官を務めたという経歴の持ち主である。
「まぁどのみち細かいことは東京の仕事だ。我々が今成すべきことは他にある」
「その東京からの知らせですが、明日新型の偵察機をよこしてくれるそうです。何でも隼より速いそうです」
この世界の『百式司令部偵察機』……海軍名『零式陸上偵察機』……は九五〇馬力のエンジンを二基積み、最高速度五六五キロ、航続距離二七〇〇キロという高性能を持っている。
見た目は史実の三型のような完全流線型だが、性能的にはまだまだ発展の余地があるとされている。
もっとも、現在使っている九七式司偵でも速度的にはこれといった問題はないのだが。
その頃東シナ海では、補給と整備のためにいったん母港に戻った第一、三航空戦隊の代わりに、第四航空戦隊……『大鷹』『沖鷹』『雲鷹』……が展開していた。
いくら停戦中とはいえ油断は出来ない。
偵察機をあちらこちらに飛ばして、観察することには抜かりがなかった。
さて、蒋介石である。
彼は張学良が部屋を去ってから、じつに四時間に渡って物思いにふけっていた。
言われてみれば、何となくアメリカにたきつけられていたような感じがあった。
最初は単に応援してくれる頼もしい大国程度にアメリカのことを考えていた蒋介石も、張学良の話を聞いて頭の中に疑惑が浮かび上がってきていた。
我々はただ利用されているだけなのではないか?
アメリカが一番潰したいのはナチスドイツであり、二番目は大日本帝国であることは蒋介石も薄々気が付いていた。
日本がこのまま中国での戦争で疲弊したところで、何かしらの理由をつけて戦争をふっかける。
あり得ないとは言い切れないと彼は思った。
では日本はどうだろうか?
名前からして帝国主義であるから完全に信頼出来はしないが、近頃の日本は大韓帝国を創ったように、あまり領土等にこだわらないようであるからある程度信頼出来るといえる。
しかしそこまではアメリカも似たようなものである。
蒋介石はその先を考えた。
つまりどっちと組めば国家自体が発展するかということであり、四時間かけて彼の頭脳が導き出した解は『日本と結ぶ』だった。
三日後。
南京の総統官邸で、日満中三国による講和会議が始まった。
国民党政府からは解放された蒋介石とその補助に張学良。
日本政府からは、この世界では総理になる代わりに外務大臣になった近衛文麿。
満州政府からは、この世界ではまだ外交部総長を務めている謝介石という面々が全権委員として参加した。
「我々日本政府は講和の条件として、まず中国国民党政府による満州帝国の承認。さらに日満両国と貴国との間に通商条約を締結することを望みます」
「満州政府も同様です。なお、我々は領土の割譲や賠償金の請求は行わないつもりです」
「国民党政府としてもこれ以上の戦いは望みません。我々はその講和の条約を受け入れようと思います」
「それなら話は早い。それでは講和条約の条文の細かいところについてですが……」
この会議で決められたことを簡単に箇条書きにすると
・国民党政府による満州帝国の承認。
・後日別の機会に日満中三国通商航海条約を締結する。
・日満両国からの技術提供及び人材の派遣。
・日満両国からの兵器供与。
・日満両国の企業の中国進出の許可。
というものだった。
さて、この『日満中講和条約』通称南京条約は、当然のことながらアメリカを怒らせた。
蒋介石が見抜いた通りのことを考えていたアメリカにとってみれば、日本に先を越されてしまったのだから仕方ない。
そんなこんなでホワイトハウスではアジア戦略の再調整が行われた。
今のところ、合衆国のアジアにおける拠点はフィリピンであるが、すでに……影響下に置きつつ……独立させることを決めていた。
『植民地』の割に本国にたいした利益をよこさないという、まるで日本統治下の頃の韓国のような存在で、軍事基地さえそのままであればいいのである。
「少なくともこれで背後……太平洋から見てということですが……から日本を揺さぶる事は事実上不可能になりました」
「ソ連はどうなのだ?」
「はぁ、まだ何とも言えませんが、対フィンランド戦争やドイツへの抑えのためにソ連極東軍の兵力は万全ではないようです。スターリンも今回の戦争に義勇軍を出して日本陸軍の強さもある程度分かったでしょうから、あまり積極的なことはしないでしょう」
「しかし大統領。もし戦争となってもご心配なく。軍縮条約の期限切れを目前に控え、新艦艇の建造も着々とすすんでおります。今はまだ無理ですが、二年後には我が太平洋艦隊は無敵の存在になるでしょう」
チャールズ・エジソン海軍長官代行が誇らしげに語った。
「確かにもし全力を発揮した日本軍とぶつかっても、我が国の国力をもってすれば何のことはないだろうな。少し時間がかかるかもしれないが」
そう、太平洋は広いのだ。
「陸軍としては、とりあえずフィリピンの兵力を強化します。英日同盟がある以上、我々がどこかしらの拠点を日本から奪うまで持久してもらわなければなりませんからな」
つまり南太平洋のイギリス及びオーストラリア領……これは微妙なところだが……を使うことは、同盟が存在する限り……日米戦争では中立の立場をとるだろうから……国際法違反なのだ。
もっともオランダを取り込めば話は別だが。
「マーシャル諸島、ですか?」
「その通り。マーシャル諸島をとれば日本の勢力圏内に進出したことになります。もっともその先にはマリアナ諸島があり、いきなりフィリピン解放というわけにはいきませんが」
「しかしその前に日本連合艦隊とぶつかりますな。」
「軍縮条約が切れるのは日本海軍も同じだ。奴らがどんな艦艇を造るのか、徹底的に調べる必要があるということだ」
所変わって旅順の帝国海軍の飛行場。
「おい、福山」
「……なんだ長峰隊長ですか。」
「ずいぶんと淡白だなぁ。何かあったのか?」
「いえ別に」
「まぁそれならいいが。そうそう、ついさっき決まったことだが、明後日俺達は松山に帰還することになった」
「本当ですか!?」
「もう戦争も終りだ。早く帰って御遺族の方とも会わなきゃならん」
「隊長がですか?」
「当たり前だ。……今回の戦争で我が隊から三人の戦死者が出た。他の隊からみれば少ないほうで、その点俺は誇りに思っている。しかし死んだ者がいることには変わりはない。奴らの死の責任は共に戦いながら守ってやれなかった上官の俺にある」
そう言うと、長峰は煙草を一本取り出すと火を着けた。
煙を吐きながら気持ちの整理をしているようだった。
「隊長、その御遺族に会いに行くときに私も着いていってもよろしいでしょうか?」
そんな福山の問いに、長峰はすぐには答えずにもう一度煙を吐き出すと、ゆっくりと口を開いた。
「お前、今回の戦争で何機落とした?」
「戦闘機を三機です」
「お前はそのことを後悔しているか?」
「別に後悔はしてないですけど」
「後悔していなくもない。というところか?」
「……はい」
「戦争では人が死ぬ。そして人が死ねば家や故郷で帰りを待っている人々は嘆き悲しむ。分かりきったことだが、どういうわけか割りきれない」
「……」
「だが、少なくともお前はこうして生き残った。例えその過程で人が死んでも、お前は戦闘機乗りとしての任務をまっとうして、何かしらの大切なもの、……まぁ家族とかだな、とにかくそれを守ったわけだ」
「大切なものですか」
「あぁ。ところでこんなことを『二飛曹』のお前に言うのも何だが、どうやら『日米戦争』もあり得ない話でもなくなってきたらしい。もし本当に戦争になれば、俺達は機動部隊じゃないから防御的な戦いをすることになるだろうな」
「それが大切なものを守る戦いということですか?」
「無論全ての戦いにおいて言えることだがな。太平洋で俺達が負ければ日本はこのあいだの北京のように、いやもっと徹底的にやられるだろうからな」
「……さらにひどく」
「日本は木造建築だらけだ。焼夷弾でも落とされてみろ、あっという間に焼け野原だ。そうそう、遺族との面会だけどな、お前は来るな」
「えっ? なぜですか?」
「他人の心配をする前に自分のことを心配しろ。お前はまだ一人前の戦闘機乗りとは言えん。とにかく自分の技術を上げろ。そうすれば、お前のことで悲しむ人を生まずに済むからな」
「……わかりました」
「いいな、何があっても絶対に、悠子ちゃんを泣かすなよ」
「へ? いや! その、それは」
「慌てるでない若者よ。じゃあな!」
さらに二日後。
旅順飛行場は日本本土に帰還する機体でごったがえしていた。
三四三空第二戦闘隊の駐機場所でも次々にパイロット達が愛機のエンジンを噴かしていた。
「エンジン点火!」
ひときわ明るい声で福山が叫ぶと彼の零戦の栄エンジンが勢い良く回り始めた。
「よし、帰るぞ!」
長峰はそう叫ぶと、福山をちらりと見てにやりと笑った。