一〇 西安事件
一九四〇年二月一九日。
満中国境の山海関で、日満連合軍は中国国民党軍の最後の総攻撃を撃退した。
既に一四日の段階で、国民党軍は満州帝国領内から自領内に追い返されていたが、総統の蒋介石は援軍……大した規模でもないが……を派遣して総司令官の張学良に総攻撃を命じた。
しかしもはや勝ち目があるはずもなく、張学良はこれを断った。
こんな無益な戦いを続けるよりも、さっさと講和して毛沢東らの中国共産党を潰したほうが良い。
だが蒋介石はこの忠告を無視した。
結局張学良はいやいやながらも、出撃命令を出さざるを得なくなってしまった。
そしてその結果は散々なものだった。
何とかかき集めた一二万の兵力で、山海関を突破すべく攻めかかったのだが頼みの義勇軍の姿はもうなく、爆撃、砲撃、そして戦車による突撃、という何とも物騒な三重奏を受けて後退せざるを得なかった。
なけなしの戦車や航空機も、日本軍の九八式中戦車や零式艦上戦闘機の前に皆やられてしまったのだ。
ちなみにこの世界の零戦は史実のそれとは随分違う。
三菱で開発されたこの機体は設計段階では史実のものと大差ないものだったが、唐山爆撃による陸攻の大量喪失や試験機が急降下中に空中分解するなど機体強度不足が露呈したため、急遽機体強度が上げられ、防弾板やゴムが装備された。
これらの改良により重量が増えたが、一一〇〇馬力を発揮する『栄二一型エンジン』が早々と実用化されたため、最高速度は五四〇キロを確保している。
また航続距離は増槽付きで二四〇〇キロと世界的にみてもかなり長いが、それでも史実よりは長くはない。
その気になれば史実どおり三〇〇〇キロも可能でその計画もあったが、それでは『空飛ぶ油』になってしまうということで没となった。戦闘機とは本来『空飛ぶ機関銃』なのだから。
そして一二,七ミリ機銃四挺という武装は途中参加の帝国陸軍が提案したものだった。
帝国海軍が開発した九九式二〇ミリ機銃はまだ性能が信頼に値しないということで見おくられ、従来の七,七ミリ機銃では力がなさ過ぎる。
そこで陸軍が独自開発した九九式一二,七ミリ航空機銃を載せたわけだが、これが大当たりだった。
さすがにブローニング製のものには劣るが、初速、威力、装弾数と申し分ないものだったのだ。
話がそれたが、天津まで後退した国民党軍はなんと三万までに減っていた。
無論、九万人が戦死するはずがない。
つまり脱走者の数が半端ないということである。
今度こそはもう無理だ。
そう思った張学良は南京の蒋介石のもとに電報を送った。
しかし、またもや返事は帰って来なかった。
だが別に蒋介石はわざと無視したわけではなかった。
返事を返す余裕がなかったのである。
二月二二日。
この日中国が誇る二大都市、北京と南京はえらいことになっていた。
なにかと言えば日本軍爆撃機による爆撃を受けたのである。
まず北京を襲ったのは帝国陸軍第二航空師団の九七式重爆撃機五七機で、それぞれ二五〇キロ爆弾を四個積み奉天を出撃した。
他に六〇キロ爆弾を一〇個積んだ九九式軽爆撃機……最大搭載量七〇〇キロ……三七機の姿もある。
この大爆撃機隊を護衛するのは帝国海軍の三四三空と帝国陸軍の飛行第六四戦隊である。
六四戦隊の使用機は一〇〇式戦闘機『隼』。ようは零戦の陸軍版である。
採用されたばかりで総生産数はまだ二桁だがなんとか定数の四二機を確保していた。
ちなみに零戦との相違点は、艦上機としての設備が無い他はほとんど同じである。
しかし数を揃えるために、元々艦上機になる予定のものを『無理矢理』陸軍用にしたため、なぜか主翼を折り畳める隼が存在していたとかいなかったとか。
また南京を襲ったのは鹿屋基地から出撃した帝国海軍の九六式陸上攻撃機四〇機と、上海沖に展開した第一航空戦隊……『飛龍』『翔龍』……及び第三航空戦隊……『飛鷹』『隼鷹』……からの戦爆合わせて三二〇機である。
ちなみにこちらの戦闘機は、零戦の生産が追いつかないため、九六艦戦のままだ。
爆撃は念を入れて行われた。
それぞれの都市で、重爆、陸攻、艦攻は目標とする施設に二五〇キロ爆弾の雨を降らせ、さらに軽爆、艦爆が急降下爆撃で撃ちもらした目標を、一つずつ丁寧に潰していく。
戦闘機は敵の戦闘機を簡単に料理した後、対空陣地に機銃掃射を加えこれもまた一つずつ潰していく。
これ等の攻撃により、両都市の『一部』はボロボロになってしまった。
規模をみると無差別爆撃のようだが、日本軍と日本政府は諸外国の批判や誤爆を避けるためにきちんと手を打っておいた。
まず新年早々から偵察機を連日飛ばして、両都市の精密な航空写真を作り絶対に攻撃してはならないところ……学校や大使館、さらに紫禁城等の重要建造物……を搭乗員に徹底的に叩き込んだ。そのせいで『一部』まったく無事な場所もある。
次に一週間前から両都市にむけ強力な電波を飛ばした。
このラジオ放送の内容は大胆にも『爆撃予告』というもので、この放送により外交官や市民の大多数は爆撃決行の日には郊外に避難していたため、その被害は最小限ですんでいた。
爆撃は一日で終わるかにみえ、事実両都市の空は平和を取り戻していたが、日本はそこまで甘くなかった。
この時点では世界最強であろう帝国海軍の機動部隊が沿岸を遊弋し、連日のように艦載機を飛ばしていた。
何しろどこに現れるのか皆目検討もつかないため、沿岸部の住人は怯え、何ら有効な手段を打てない国民党政府をなじり始めた。
史実なら蒋介石はここで共産党と組み、欧米からの援助物質で何とか抵抗するところだが、残念ながら現時点ではどちらにも見込みはない。
このとき日本政府と満州政府は『国民党政府が講和会議のテーブルにつかない限り、機動部隊による空襲を続け二回目の北京及び南京への空襲、さらには国境線を越えての侵攻作戦も辞さない』という声明を全世界に向けて流していた。
「ハリー、日本政府の言っていることについて、君はどう思うかね?」
所変わって地球の裏側にある白い家の中にある大統領執務室。
フランクリン・ルーズベルト大統領が長年の盟友であるハリー・ホプキンスに話かけた。
「そうですね。日本にしてみればこれは仕掛けられた戦争ですから、さっさと終わらせたいというところでしょう。ですから空襲はともかく、侵攻作戦はただのはったりと思われます」
「ふむ、しかし蒋介石はなかなか講和に応じないようだが」
「負けを認めたくない気持ちは分かりますが……おそらく勝つことはもう無理でしょう。日本の陸軍は我々の予想よりも手強いようですから」
「そこだよ。海軍が強力なことは昔から分かっとるが、陸軍が強力となるとちと厄介だな。もし我が合衆国が日本と戦争になれば、フィリピンは相当危ない目にあうな。ところで君は日本の戦略をどうみるかね? 欧州諸国が自分のことで手一杯なこの状況で」
ルーズベルトのこの問いに、ホプキンスは少し考えてから応じた。
「日本の目標はアジアの解放と言いますか、その盟主にでもなることだと私は思います。今のところ東南アジアは英仏蘭の三国が牛耳っていますが、残念ながら英国を除く二国は近いうちにドイツの手に落ちるでしょう。その時日本がどう出るか」
「しばらくは様子見ということか」
ルーズベルトはそう言うと、静かにため息をついた。
「いい加減にしてくれ!」
地球の裏側……ただ戻ってきただけだが……の天津では一人の人間が悪態をついていた。
悪態をついたのはもうお馴染みの張学良、つかれたのは蒋介石である。
実は日本が言った『侵攻』は、はったりではなかった。
無論史実のように大々的にやるつもりは毛頭ないが、それでも天津の張学良軍を殲滅するための作戦をたてていた。
そんなことを張学良が知るはずもないが、講和に応じる素振りすら見せない蒋介石はじめ南京の連中に対する不信感は相当のものだった。
そして遂に、何時になってもきちんとした返事を寄越さない蒋介石に業を煮やした張学良は、総司令官の立場でありながら、単身南京行の夜行列車に乗り込んだ。
蒋介石に直談判するための極秘の移動であった。
二月二八日早朝。
このとき徐州まで来ていた張学良のもとに、二通の電報が届いた。
一通目は南京にいる知人からのもので、何と蒋介石は南京にはいないという。
ではどこにいるのかというと、ちょうど徐州から西に七〇〇キロ程のところにある大都市『西安』であった。
そうと分かると張学良は、運良く向かいのホームに停まっていた西安行の急行に飛び移った。
その中で二通目の電報を読んだ張学良はさらに向こうのホームに停まっている北京行に乗ろうかと思った。
なぜなら電報の内容がとんでもないものだったからだ。
それは天津に残した参謀長からのものだった。
『我、包囲されたり……』
「緊急の報告です! 天津に敵が攻撃をかけてきました! その数七万。すでに味方は包囲されているとのことです」
西安にある国民党施設のとある一室にいた蒋介石のもとに、側近が息も切れ切れに報告にやって来た。
「そうか……」
「……総統、いかがいたしましょう? 今のところ天津に向かうことが出来るのは北京と石家荘にいる部隊のみです」
「分かっている。しかし大した兵力ではあるまい」
「は、はい、しかし」
「今我々が考えなければならないことは天津をどうするかではなく、その後をどうするかだ」
ところでなぜ蒋介石が西安にいるのかというと、西安の南側にある山脈付近で活動している共産党勢力を攻撃している部隊を督戦するためである。
「ですが総統、このままでは張閣下達は敵の捕虜になってしまいます」
側近が食い下がるように言うと、蒋介石は一息つき
「仕方あるまい」
と、素っ気無くそう言った。
「総統……」
「……もういい。下がれ」
「は、はい……」
その頃、すでに天津は陥落しようとしていた。
ただでさえ戦意に欠ける連中しかいないところに、戦意旺盛で倍以上の兵力を持つ連中が突っ込んだのだから、当たり前の結果ではあるが。
「もう司令部は持ちません! 弾薬も切れかかっています!」
最後まで残った天津の守備隊の隊長が、その司令部に飛び込んできて叫ぶ。すでに司令部の目の前には軽機関銃を乱射しながら突っ込んでくる満州陸軍の兵士の姿がある。
「副司令官、唯一無事だった郊外に抜ける道路に敵の装甲車部隊が現れた模様です……」
「どうやらこれまでのようだな……張閣下にあわす顔がない」
「失礼します。満州帝国陸軍第二師団長の林中将より降伏勧告の軍使が来ました」
「残念ながら受け入れるしかあるまい……参謀長、申し分ないがこちらの軍使として敵司令部に行ってきてくれ」
「……承知しました」
二月二九日、正午。
天津の軍隊がすでに降伏したことを知らない張学良は、西安郊外の飛行場に降り立った。
なぜ飛行機に乗ってきたのかというと、彼が乗った急行列車は開封駅まできたところで、牽引していた機関車が故障したとかで停まってしまい、代わりの機関車もないという考えられない事態に遭遇していたからであった。
仕方なく彼は近場の陸軍飛行場に行って、西安まで連れて行ってもらおうとしたのだが、ここでさらなる問題が発生した。
立場上、すぐに機体は用意されたが、結局飛び立つことはなかった。
その理由を張学良が基地司令に尋ねたところ、「今出れば西安に着く頃には夜になる。この基地には夜間飛行訓練を受けた者がいないので明日の朝にならなければ出発出来ない」という何とも信じがたい返事が返ってきた。
それでも一番早いことは確かであるから、張学良はそれから半日程基地の建物の中にいた。
その間にもまた二通の電報が届いた。
一通は天津からのもので、非常に芳しくない戦況が詳しく書かれていた。
もう一通は西安にいる楊虎城という将軍からのもので、蒋介石に対日講和を拒絶されたと書かれていた。
ここで、張学良の決意は決まった。
話を戻そう。
飛行場に着くと同時に兵士が張学良のもとに電文を持って駆け寄ってきた。
『我、降伏す』
天津からの電文を握り潰すと張学良は車に飛び乗り蒋介石のいる建物に急いだ。
「総統! これだけ言っても聞き入れて頂けないのですか!」
楊虎城が例の一室で蒋介石に詰め寄りそう叫ぶと、蒋介石は頭を振りながら応えた。
「楊君、無理だ。私は日本と講和する気などない。満州帝国とかいう奴ともだ」
「しかし、天津はすでに落ちました。南には共産党がいます。この状況でどうしろと!?」
「言葉が過ぎるぞ。心配することはない。我々の後ろには米国がいる。だから決して負けることはない」
蒋介石が楽観論を述べると楊虎城の表情が何かをあきらめたようなものに変わった。
「どうしても、ですか?」
「あぁ。どうしてもだ」
「……仕方ありません。張、聞いていたか?」
楊虎城がドアを開けると、そこには張学良が立っていた。
「君……なぜここに?」
「総統。残念ですが、我々は貴方を監禁します。貴方が対日及び対満講和に応じるまでは」