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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一章 変わりゆく帝国
1/113

一 大艦巨砲主義との決別

 この物語に登場している人物や兵器等には、ある程度架空のものが含まれていますのでご注意ください。


 ヨーロッパの火薬庫、バルカン半島における醜い民族間の争いを契機として、主にヨーロッパを主戦場として長きに渡って行われた第一次世界大戦は、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国の三つの帝国の崩壊をまねき、さらにイギリスやフランス等の戦勝国も、国土が荒れ果てた上に膨大な戦費の捻出に四苦八苦して、勝ったにも関わらずその威勢は衰え始めていた。

 ただし、途中からその破格の工業力を背景に参戦したアメリカ合衆国のみは、他の連合軍に資金を貸すことが出来るほど、まさにホクホクの状態であった。

 また、大日本帝国はこの大戦において、史実通りに日英同盟を理由に連合国側にたって参戦した。

 アジア太平洋地域のドイツ領、つまりマーシャル諸島やカロリン諸島、米領であるグアム島を除くマリアナ諸島といった南洋諸島と、中国の山東半島を相次いで占領し、駆逐艦主体の特務艦隊を地中海にまで派遣して連合国の勝利に少なからず貢献していた。

 内政的に見ても、自分のことで精一杯のヨーロッパ各国に代わって多量の物資を輸出したため、日本の経済力は文字通り急成長し、各企業とも豊富な資金を使って史実以上の設備投資を、税収が増えた上に後述するような理由から財政的にも余裕が見えていた政府の援助も受けながら推し進めたため、日本の技術力や工業力、経済力は史実以上に大きな伸びをみせていた。



 時は一九一九年一一月一五日。

 所は東京霞ヶ関にある海軍省のとある会議室。

 今ここでは後の帝国の行く末を決めた会議が始まろうとしていた。


 「佐藤少将! 一体何をおっしゃるのですか!?」

 その席上で海軍技術本部の技官が突然大声をあげた。

 「君、落ち着かんか……さて、佐藤君。君の今の発言の真意は何だね?」

 海軍大臣の加藤友三郎海軍大将が穏やかに尋ねる。

 「真意も何も……そのままです」

 そう言うと、元第二特務艦隊司令官、佐藤皐蔵海軍少将は静かに立ち上がった。

 「皆さんもご存知の通り、私は第二特務艦隊司令官として、一年半に渡って地中海で連合国の船団護衛を務めてきました。……そして、私が地中海で得た経験から言えることは、八八艦隊計画は時代の流れに逆行しているということです」

 再び技術本部の面々を始め、八八艦隊計画推進論者達が様々な反論を始める。

 加藤はそれを抑えると、佐藤にその理由の説明を求めた。

 「確かに現状では、戦艦こそが海軍の華でしょう。しかし永遠にそうかと言えばそれは違います。将来の海軍の華は航空機と潜水艦であると思います」

 佐藤はいったん言葉を切ると、欧州戦線における陸戦の資料を見るように参加者に求めた。

 「……ご覧のように、今回の欧州大戦では航空機というものが大々的に使用されました。初めの頃は偵察目的でしたが、時間が経つにつれ爆弾を積んで敵陣や市街地を爆撃し、機関銃を積んで航空機同士の空中戦が行われるようになりました。……ここで一つお尋ねしたいのですが、八八艦隊計画における戦艦群は航空機による攻撃に対処できるのですか?」

 「当たり前です!」

 「本当に? 爆弾や魚雷を積んだ航空機が一〇〇機以上襲い掛かってきても、ですか?」

 「そのようなことは検討しておらんだろう。ユトランド沖海戦の戦訓を設計に取り入れたのはいいが、戦艦の敵は戦艦や魚雷を抱えた高速艇だけではないということを、どうやら忘れていたらしい」

 海軍軍令部長の島村速雄海軍大将が腕を組んでつぶやく。

 「部長閣下まで何を……」

 「検討したのかね? 航空機に対する対処の仕方を? 君達が作成した新型戦艦の設計図をこの間見させてもらったが、どこにもそのような工夫は見られなかったぞ」

 「それは……」

 「扶桑型に長門型、紀伊型、金剛型か。理由はともかく造らなくて良かったかもしれんな」


 この世界では史実ならとっくに竣工している六隻の超弩級戦艦……「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」「長門」「陸奥」……は起工さえされていない。

 欧州大戦で起こるであろう大海戦の戦訓を取り入れる……というのが主だった理由であるが、欧州各国、というより米英独という大国が次々と新型戦艦及び巡洋戦艦を竣工させていくなか、帝国海軍における最新鋭艦は英国に発注した超弩級巡洋戦艦『天城』とそれを元に日本で造った三隻……『日高』『阿蘇』『丹沢』……の合わせて四隻のみ。

 それらを合わせれば一〇隻の戦艦と八隻の巡洋戦艦、八隻の装甲巡洋艦を保有していることになりかなり強力に見えるかもしれないが実際の所はそうでもない。

 まず“超弩級”戦艦は一隻も無い。ワンランク落ちる“弩級”戦艦でさえ『摂津』ただ一隻である。

 残りの九隻の内、四隻……「薩摩」「安芸」「香取」「鹿島」……は竣工した瞬間から世界初の弩級戦艦である英国海軍の「ドレッドノート」の存在により、一世代前の戦艦という烙印を押され、また別の四隻……「富士」「敷島」「朝日」「三笠」……は日露戦争で大活躍したとはいえ旧式化が著しく、残りの一隻……「肥前」……にいたっては日本海海戦で鹵獲した元帝政ロシア海軍の戦艦「レトヴィザン」である。

 四隻の巡洋戦艦(竣工時は一等巡洋艦)……「筑波」「生駒」「鞍馬」「伊吹」……も世界初の巡洋戦艦である英国海軍の「インヴィンシブル」の存在によりいきなり旧式化。

 八隻の装甲巡洋艦は言わずもがなだ。

 帝国海軍の主力艦群がどんどん旧式化していくなか、颯爽と現れたのが“八八艦隊計画”である。

 ただしその内容は史実とは多少違い、まず手始めに三五,六センチ砲を連装六基十二門搭載した、帝国海軍初の超弩級戦艦である扶桑型戦艦……「扶桑」「山城」……を建造する。もっともこの扶桑型は“八八艦隊計画”には含まれていない。

 続けて四一センチ砲を連装四基八門載せた長門型戦艦……「長門」「陸奥」「加賀」「土佐」……を造り、同じく四一センチ砲を三連装四基一二門載せた紀伊型戦艦……「紀伊」「尾張」「駿河」「近江」……を建造する。

 そしてそれに並行して、四一センチ砲を連装五基一〇門載せた金剛型巡洋戦艦……「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」……と、まだ艦名は決まっていないが四六センチ砲を連装四基八門載せた巡洋戦艦を四隻建造する。

 さらに巡洋艦や駆逐艦といったその他の艦艇も新規に建造し、帝国海軍を一気に近代化させる。

 ……計画の概略を述べるとこんな所である。


 「まさか部長閣下。造らない、などとはおっしゃられないでしょうね?」

 「そんなことは言っておらん。だがね君、実際に造れるのかね? いや技術面のことを言っているのではない。わが国の技術力はこの四、五年で著しく発展したからな」

 ちなみに日本政府は、史実のように六隻の戦艦を造らなかったためにある程度浮いた海軍予算を民間企業等に投資して、史実以上の工業力や技術力を得ることに成功している。

 「本職が言いたいのは予算面のことだ。確かに大戦の影響で我が国は史上最大の好景気に預かっているが、もう戦争は終わったのだ。おそらく景気は悪くなるだろう。政府としても、戦争中に続けてきた予算配分が比較的うまくいっている現状から、それを削ってまで海軍予算を増やしてはくれないだろうな。……つまりこの計画を実行するためには金が足りないということなのだよ」

 「それは……なにもすぐに揃えなければならないというわけではありません。時間を掛ければ……」

 「軍艦には膨大な維持費がかかる。旧式の軍艦は順次退役させるとしても、日露戦争の外債でさえ返し切っていない我が国に、二〇隻近い主力艦を保有していくこと現実的に無理なのだよ」

 「大臣閣下まで……どうしたのですか? この計画は我が帝国海軍が文字通り世界最強の海軍になるためにはどうしても実行しなければならないのです!」

加藤はその発言を黙殺した。そして再び佐藤の方に向き直った。

 「さて、君はまだ言いたいことがあるのではないかね?」

 「はい。以上のように私は戦艦や巡洋戦艦を大量に造るべきではないと考えます。しかし不要か、といえばそれは違うと思うのです。将来の帝国海軍のあるべき姿、それは世界的に見ても一級品の戦艦、航空機、潜水艦、そして洋上の航空基地たる航空母艦、艦隊を守る護衛艦艇をバランスよく揃えることであると考えるのです」

 「ほう、航空母艦か。……一応建造計画はあるようだが、君の言う護衛艦艇とはどういう意味だね?」

 島村が興味津々といった表情で尋ねる。

 「とりあえずは文字通りの意味です。巡洋艦や駆逐艦等にたくさんの対空、及び対潜兵器を載せて艦隊を敵の航空機や潜水艦から守るのです」

 佐藤は“対潜”という単語を一際強く発音した。というのもこの世界の帝国海軍は、地中海に派遣した装甲巡洋艦「出雲」がUボートにより撃沈されるという甚大な被害を被っているのだ。

 「なるほど、確かに現状の巡洋艦や駆逐艦はそのような艦隊を守るという要素が乏しいといえるかもしれんな」

 「そんな……」


 議論は延々と続いた。

 無論、一日では終わらず、様々な関係者が入れ代わり立ち代り出席しては、いつ終わるとも知れぬ議論を続けていく。

 日本政府はこの帝国海軍内の水掛け論を最初は放って置いたが、議論が二週間目に突入した所で遂に動いた。

 時の総理大臣、いわゆる“平民宰相”原敬が“八八艦隊計画”の見直しを帝国海軍に迫ったのだ。

 新聞記事に載った彼の発言は非常に短いものであった。曰く「財政状況が未だ不健全であるため、日本政府はこのような計画には金を出せない」

 そして、この発言に日本中が反応した。

 「戦争が終わったのだから軍縮は当然」

 「政府は陛下の統帥権を侵すのか」

 「議論するぐらいいいではないか」……等々


 さて日本中がこの件で騒然とする中、意外にも当事者である帝国海軍は急におとなしくなっていた。

 原因は佐藤の考えに少なからず感銘を受けていた加藤が“総理が動く”という情報を、立憲政友会に近い位置にいる帝国海軍の長老である山本権兵衛海軍大将から事前に入手して影で動き、海軍技術本部長の伊藤乙次郎海軍中将を通じて技術本部内での佐藤批判を抑えさせ、その上で海軍内に緘口令を敷いたのだ。

 彼はその理由をあまり語ろうとはしなかったが、島村だけには二人で酒を飲みながら語っていた。

 「真の国防とは戦争をしないことだ。それに我が国には欧米列強のように、あれだけの大戦争を遂行するだけの軍事力も財力も無い。そんな国が軍備だけ欧米列強と並んでも仕方の無いことだ。……そうは思わんかね?」

 「……その通りだろうな」

 「我が国は一五年前、欧州での大戦に比べればはるかに幼稚な満州での戦争で、その国力を使い果たした。金も米国等からの外債に頼りきっていた。……あの時も陸軍が戦争後に軍拡を図ったが、当時の児玉参謀総長の遺言で沙汰止みとなった」

 「確かにあのとき陸軍の言うとおり二個師団を増設していたら、我が国は少なくとも現在の様子ほどには発展していなかっただろうな」

 島村は手酌をしつつ苦笑いを浮かべて言った。

 「そして陸軍は、参謀総長の遺志を継いだ大山元帥の主導で軍縮と、兵器の更新を行った」

 「それと同じことを海軍でもやろうというわけか」

 加藤は答える代わりに杯を傾けながらニヤリと笑い、さらに酒を注ぎながら言った。

 「佐藤君の言ったことは、実は当たり前のことだと思う。……そんな私も、恥ずかしながら彼の話を聞くまでは例の計画の推進者の一人だった。……米国との戦争に勝つために必要なことは最強の戦艦を多数揃えることであると、本気で思っていた。だがそれは間違いだ。……正直、我が国が米国に勝つことは現状では、いや少なくとも向こう五〇年は無理だ。だが万が一の時には、負けない戦争をしてあとは外務省に任せるほかは無い」

 「負けない戦争……」

 「そうだ。そのためには何をすればいいのか。……近頃はそのことばかりを考えていたよ。そしてやっと分かった。我が国の生命線は、兵站、であることがな」

 「兵站? どういうことだ?」

 「文字通りだよ。陸軍もあの戦争以来、輜重部隊の増強を行ってきたが、海軍はどうだね? 日本海海戦の大勝利に浮かれ、本来真剣に見直すべき負け戦に目をつぶってしまった。……何のことか分かるかね」

 「……浦塩艦隊のことを言っているのだろう」

 日露戦争時、ウラジオストックにいた帝政ロシア海軍の三隻の装甲巡洋艦が日本海を暴れまわって通商破壊戦を行い、果てには東京湾沖にまで現れるという行為をしたが、帝国海軍はこれに対して有効な対応策をとることが出来なかったのだ。

 「その通りだ。我が帝国には資源が無い。あるのはもう使われないような石炭と、それこそ人材ぐらいだ。つまり石油や金属は船に積んで運んでこなければならない。それを守らずして何を守るというのかね? ……無論強力な戦艦を保有することもあう意味においては大事なことだが、佐藤君の言うバランスのとれた海軍こそが、帝国海軍の未来の姿ではないか!?」



 話は飛んで一九二五年。

 大日本帝国では元号が昭和に変わり、一九二三年九月一日に発生した関東大震災の後、復興院総裁後藤新平の大活躍によって目覚ましい復興をとげ、大戦後からも成長し続けていたその工業力、技術力は、震災後もその勢いを衰えさせること無く成長し続けていた。

 それに伴って国内の開発が促進されたが、その中でも代表的なのに弾丸列車構想がある。

 これは新たに路線を建設するため、まず現地調査から始めなければならなかったが、その一方で輸送力の増強が急務となっていた東海道本線を始めとする在来幹線が次々と電化されていった。

 そしてその他にも、自動車専用高速道路構想や、副都心構想等が生まれていた。

 このうち高速道路は一九五〇年代まで待たなければならなかったが、その代わりに既存の主要国道が拡張されて橋梁の強度向上などが図られ、新たな国道も続々と造られていった。

 副都心構想は一九三四年、茨城県の筑波地方に新設された筑波帝国大学を中核とした文教都市が築かれ、いち早く東京駅から最初の弾丸列車である“筑波高速線”が建設されると共に、一般の路線として京成電気軌道が建設した筑波本線により上野公園駅と結ばれた。


 一方、一九二四年には、当時の横田千之助内閣の下で普通選挙法が施行され、共産主義や無政府主義といった帝国の体制を脅かすような思想だけでなく、己の理想のために暴力に訴えるいわゆる右翼までをも片っ端から取締りの対象とした治安維持法が制定された。

 また後に数多くの傑作機を造り出すことになる城北航空機が設立されたのも、ちょうどこの頃である。


 軍政面において、特に帝国海軍では八八艦隊計画の金剛型巡洋戦艦を基にした、四五口径四一センチ連装砲を五基積み二六ノットで海上を疾走する信濃型戦艦……「信濃」「三河」「出雲」「越前」……が第一戦隊を組み帝国海軍のシンボルとして君臨している。また一九一三年に英国に発注された三六センチ連装砲を四基積む天城型巡洋戦艦……「天城」「日高」「阿蘇」「丹沢」……が第二戦隊を組んでいる。

 その他の旧型戦艦の内、帝国海軍が保有し続けているのは今の所、「三笠」「朝日」「伊吹」「鞍馬」「薩摩」「安芸」の六隻である。「摂津」は僚艦不在で戦隊を組めず、維持費も馬鹿にならないため、タイ王国海軍に譲渡された。

 また将来の海軍大拡張をにらみ、立憲政友会の長老として、総理大臣や大蔵大臣を歴任した高橋是清のいわゆる“ケインズ理論の先取り”によって、横須賀、呉、佐世保、舞鶴の各鎮守府の工廠設備の大拡充、民間造船所や海運会社への補助金制度が確立された。これは一九四〇年には二万から三万トンクラスの艦艇が同時に一五隻、三万から六万トンクラスでさえ同時に六隻のドック入りが出来る程の規模に、日本の造船界が成長する礎となったのである。

 帝国陸軍は戦勝国として入手したドイツ製の兵器やイギリス製やフランス製の新兵器を輸入し……戦車、航空機、エンジン、自動車等……を奥の奥まで覗きこんで日本製新兵器の開発に躍起になっていた。

 だが史実のように軍部が幅をきかすとまではいってないものの、憲政の常道と呼ばれた政党政治に姿無き圧力を加え、中国国民党の北伐に対抗するために陸軍の派兵を求めてくるなど、この時点では史実と似たような発想をしていた。

 対して政府は海軍陸戦隊の派遣に留めたが、後述するようにそこが限界だった。


 外交面では、第二次大隈内閣が突きつけた対華二一ヶ条の要求が、鉄道政策を巡る立憲政友会の分裂により退陣した高橋是清内閣の後を受け継いだ第一次加藤高明内閣……むしろ加藤の義弟であり外務大臣の幣原喜重郎の主張で……によって取り下げられている。中国という馬鹿デカイ国を支配するなどということはまず無理で、そんなことをするより国力を貯めようということだった。日本としては満州と福健省の権益だけで十分良いのだ。

 ……というのはあくまでも新聞に載った話である。実際はアメリカにケチをつけられたのである。中国の権益が欲しくてしょうがないアメリカとしては、日本の影響力を排除しておく必要があった。

 悔しい限りだが、アメリカを敵に回せる力を日本は持たない。むしろ持てないのである。超大国と争って苦労することは日露戦争で身にしみて分かっていた。あのときは革命があったからよかったものの、ある意味民主主義の権化のようなアメリカに革命が起こるなど考えられない。

 大日本帝国とアメリカ合衆国

 二〇数年後にこの二国が太平洋を舞台にしてぶつかることとなるわけだが、それはまだ先のことである。



 さらに飛んで一九二八年六月一一日。

 この日、蒋介石率いる国民党軍に破れた北洋軍閥の首領、張作霖が乗る特別列車を爆破せんとする計画が帝国陸軍満州派遣軍内で実行されようとしていた。

 しかし、結果から先に言うとこの計画は失敗に終わった。

 計画は直前に発覚し、立案者の河本大作陸軍大佐や実行役の東宮鉄男陸軍大尉等は憲兵隊に逮捕されていたのだ。

 だが、北京から特別列車に乗って奉天を目指していた張作霖は、無事に奉天に辿り着くことは出来なかった。

 なぜなら、彼の座席に別の時限爆弾が仕掛けてあり奉天に到着する十分前に爆発、張作霖は即死していたのだ。

 この時限爆弾を仕掛けた犯人は見つからず、結局事件は迷宮入りとなった。河本達が念をいれたとか、実は蒋介石の国民党がやったとか、いや実はソ連じゃないか……憶測だけが飛び回っていた。


 彼の息子の張学良は日本軍の仕業と思い込み、側近達に国民党と和睦することを提案した。

 ところが張作霖と共に国民党と戦い続けてきた半数以上の側近は、日本と結ぶべきであると主張した。

 最終的に北洋軍閥奉天派は二つに分裂し、張学良が率いる一派は国民党と結び満州から去っていった。

 その結果、満州の地に強力な支配機構が無くなってしまい、各地の中小軍閥同士の抗争が活発化して始めた。

 そして、内地での大規模な開発などにより発生した資源、労働力、食糧不足を解消するべく、爆破事件を陰で操りながらも捕まることのなかった満州派遣軍の幹部達は、満州の騒乱を見ると次の計画を実行しようとしていた。


 そんな満州の怪しい様子に日本政府は気が付かないでいた。

 元々満州派遣軍というのは、日本が租借している関東州や南満州鉄道沿線の警備が目的とされ、その兵力が一個師団と六個独立守備隊だけであるため、大それたことなど出来ないだろうと政府は甘く見ていたのだが、満州派遣軍司令官の今原繁陸軍中将のほうが一枚上手だった。

 彼は腹心の建本末五郎陸軍少将と片倉賢次陸軍少将にそれぞれ天津と京城に向かわせていた。

 と同時に東京の参謀本部に、爆撃機を含む航空隊の派遣を要請した

 表向きはあくまで満州派遣軍で航空機を交えた演習をやりたいというものだった。

 確かに満州には海軍航空隊が少数いるだけで、もっともと感じた参謀本部は爆撃機一二機を含む四六機の航空機からなる、第二航空師団第三航空連隊を旅順に派遣し、これを満州派遣軍の指揮下においた。

 しかしここで参謀本部や陸軍省、そして日本政府は気が付くべきだったのである。ここで今原の策謀にはまってしまったがために、満州はこの後争乱の渦に巻き込まれていくことになる。


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