第九十七話 蚊柱の立つ頃に
冬場になっても屋内で生き残る蚊や蚤ほど忌々しい自然物もそうあるまい。
―前回より―
供米から事の真相を伝えられたリューラは、衝撃的な事実に驚愕した。
「な、何だと!? そいつはマジなのかっ!?」
『えぇ。俄には信じがたい事ですが……若手とはいえ純粋な実力のみで知者の肩書きを得たクアンの事です。情報に誤りがあるとは思えません』
「いや、間違いとかそういうのはこの際気にならねえよ」
『と、言いますと?』
「私は確かに打開策が欲しいが、それ以上に『暴れ回る口実』をも欲しがってたって事さ。仲間のために、何か行動を起こしたい。だが確定的な情報も無しに動いたんじゃ、返って状況が悪化するかもしれねぇ。つまり『暴れ回りたいが、それならそれで何か口実が無いと不安』っつーのが本音なんだよ。身体張った真似なら得意だと思ってたんだが、どうもすっかり平和ボケしたらしい」
『嶋野殿……』
「まぁそう心配すんなよおっさん。私は大丈夫だ。口実を見付けた以上、不安はねえも同じだからよ」
『御武運を……』
「おう」
そう言って通話を切ったリューラの手には、霊長種の脊椎を模した長い剣が握られていた。
「さぁて……今の会話、テメェも聞いてたんだろ?」
リューラの視線は不自然な草村の中央に生える奇妙な樹木―基、この草村の支配者ダルク・アルポに向けられていた。
「なぁ、ダルク・アルポ……この草村を支配してる帝王さんよぉ?」
《下等生物めが……我の名を知った程度で粋がるでないわァ!》
リューラの脳内に、高圧的な喋りの念話が鳴り響く。声は若々しく中性的であり、性別の特定は困難だった。アクサノの熱帯雨林にある『不自然な草むら』の中央根を下ろすこのダルク・アルポという名の樹木、読者諸君はとっくにお気づきかと思うが当然普通の植物ではない。
その正体とはカタル・ティゾル全土でも天然物は半ば伝説とされる『植物と葉脈種の中間的存在』であり、高度な知性の元に統制される発達した自我と自然界の魔力を吸収・行使する力を持ち合わせていた。産まれながらに高度な知覚と優れた魔術の才を有していたアルポは、空を舞う種子の状態で既に魔術を使いこなす事が出来た。アルポは魔術を用いて気流を操る事で環境的に恵まれたアクサノの熱帯雨林へ着地し、生育のために根を下ろし、成長に伴って己の周囲から養分・魔力を枯渇寸前まで吸い尽くす事で不自然な円形の痩せ地にしてしまったのである。
因みにリューラを襲わせた動植物軍は、アルポの魔術によって産み出され使役されている眷属である。
「粋がってんのはテメェの方だろ? いや、正しくは『粋がってた』か?」
《抜かせェ! 貴様が何を知り、如何なる行動を起こそうとも、我に打ち勝つことなど出来はしないッ!》
「そいつはどうかなぁ、ヴァーミン保有者様よォー。
さっきの会話立ち聞きしてたんなら当然知ってんだろ? 私がお前の正体を、隅々まで知り尽くしてるって事も」
《何ッ!?》
「何だ? まさか聞きそびれてたってのか? 仕方ねーな、私は作者と違って優しいから特別に教えてやるよお前の能力」
《いや言わんでよいわ! というか言うな! 貴様知らんのか? 敵に堂々と自分の能力を解説される事ほど腹立たしいことは他にそうないのだという事を!》
「……はぁ? お前何言ってんの? 知ってるに決まってんじゃねぇか。特に相手の表情が無駄に自慢げだと尚のこと腹立つって事だって知ってらァ。無駄に長生きしてる癖に自分の領土ン中の事しか把握出来てねぇ老害とは格が違うわけだしよ」
《誰が樹海を知らぬ温室の鉢植えかァッ!》
アルポの言う『温室の鉢植え樹海を知らず』とは、地球で言う所の『井の中の蛙大海を知らず』と同義の諺である。
「おー、年増の癖にバカだと思ってたら諺の一つくらいは知ってんじゃねぇか。流石腐ってもヴァーミン保有者なだきゃあるなぁ」
《貴様……此方が下手に出ていれば調子に乗りおってェ……》
アルポの幹が脈打ち、枝も揺れ始める。
「何だよ、もう破殻化か? 喋る樹が変身って何か新しいなぁオイ。つーかテメェの態度は始終高圧的だったじゃねぇか。その態度が下手なら、私は今頃素のキャラでもってマナー教室の講師やってんぞ」
《フゥハハハハハハァ! そうして余裕のままに居られるのも今の内だ! 貴様は我が『ヴァーミンズ・ドヴァー モスキート』が持つ凄まじき力の元に平伏し、跪き、泣きながら命乞いをしつつ藁のように死んでいくのだァ!》
破殻化したアルポの姿は、それが元々単なる樹木であったという事実を認めたくない程に奇怪なものだった。蚊の象徴を持つ第二のヴァーミンの有資格者であるが為であろう、幹は蚊の腹部、枝は節足、元々大きかった葉は蚊の羽根に似た形となり、枝の先端には巨大な蚊の卵を八つ束ねて引き延ばしたような紡錘形の果実らしきものが垂れ下がっている。
締めにリューラと向かい合う位置を起点に60度感覚で六方向へ巨大な蚊の頭と一対の前脚が表れ、破殻化は完了した。
「これこそ我が破殻化也!」
「我がこの姿となった以上!」
「貴様に残された選択肢は!」
「死という一つを除き!」
「他の一切が失われる!」
「我が力、思い知るがいい!」
六つの頭がそれぞれ別方向に向かって声高らかに叫ぶと、それを引き金にしたかのように果実らしきものが一斉に張り裂け、中から全長20cmはあろうかというボウフラのような虫が飛び出した。
ボウフラのような虫共は水も無いのに草むらを這い回り、捕食者然とした鋭い顎を打ち鳴らしながら背の高い草を薙ぎ倒してリューラに向かっていく。
「面白ェ……無抵抗な奴らを狙わず純粋に戦闘員を駆逐する事だけに全神経を注ぐってか。元々が遠隔操作で相手を監視して眠らせる能力を使いこなす独裁者気取り野郎のやり口たァ思えねぇなぁ!」
不敵な笑みを浮かべたリューラは繁から手渡された脊椎のような黒い剣を逆手に持つと、柄の先端部分にある不敵な笑みを浮かべた霊長種の髑髏を勢い良く掲げた。
「粋がってんじゃねぇぜボウフラ共ォ! テメェ等ァ精々小魚の餌がお似合いだぜェ!」
リューラの叫びに反応するように、髑髏の眼窩に埋め込まれた赤い樹脂が不気味な光を放った。
「手始めはコイツからだ!」
「ヴァーミンズ・ドヴァー モスキート」
蚊の象徴を持つ第二のヴァーミン。平常時は蚊に似た極小の『活動体』を操る。
活動体は自走機能のある監視カメラのように動き、本体はこれを用いて周囲の状況を視認出来る。
能力の本質は対象への強力な麻酔であり、活動体の口吻で刺され、麻酔を注入されたものは例え生物でなくとも眠るように活動を停止してしまう。
活動体は一つの対象に一匹しか飛ばせないが、その存在は何者にも察知することが出来ず、一度麻酔をかけられれば能力が解除されるか本体である有資格者が死亡するまで決して目覚めることはない。