第七十二話 げ・き・た・い
高志・カーマイン撃退作戦の鍵を握るのは……ヤムタの開業医?
―前回より・ヤムタ都市部にある診療所―
「~♪」
繁達の活躍が各国のスピーカーを通じて各国に流れているのと同時刻。和の趣が全面に押し出された台所にて、赤いヤムタの民族衣装に身を包んだ霊長種の女が料理に興じていた。その整った顔立ちは地球に於けるモンゴロイド特有のものであり、彼女が純正のヤムタ系霊長種である事を物語っていた。作っているのは肉まんであり、近頃診療所へ勉強をしにやって来る猫系禽獣種の少女に食べさせるためのものだ。
「それにしても相変わらず派手好きねぇ、あのラジオ番組。パーソナリティの趣味なのかどうかは知らないけど、もしヤムタに来るならせめてうちの近所で派手な事はやらないでほしいわ」
彼女の名は高橋飛鈴。この近辺で診療所を営む開業医にして薬剤師でもある。親の代からのヤムタ民である彼女だが、最終学歴は列甲大学という秀才だった。
「これで良し。あとは蒸かすだけね」
飛鈴が肉まんを蒸籠に詰め終わった所で、ふと彼女の携帯電話が鳴り響く。
「あら、誰からかしら」
携帯電話に表示されていた発信者番号は、大学時代先輩だった女のものだった。
「もしもし、九条先輩ですか?」
『あぁ、私だ』
「一体何の用です? 私これから肉まん蒸かさないといけないのでそんな手の込んだこと出来ませんよ」
『いや、そんなに手の込んだことは要求しない。ただ、少し時間をくれないか?』
「どの位です?」
『たった一言、電話口に語りかけてくれるだけで良い。それで万事解決する』
「一言? 何て言えば良いんですか?」
『いやな、実はカーマインの奴が職場でのストレスから鬱を引き起こしたらしくてだな。携帯の電源も切ってしまっているようだから、奴の家へ録音した音声データを送りつけてやろうかと思ってな』
「高志が? ……はぁ、またどうせ誰にも相談せずに一人でふさぎ込んじゃったんですね……。まぁ、その真面目さと優しさが彼らしさなんですけど……そうですね、じゃあ――」
―同時刻・士官学校講堂―
「九条ォォォォ!」
「九条さぁぁぁん!」
「このナマコ野郎! 学者先生を吐き出しやがれ!」
先程の場面では嘗ての後輩へ暢気に電話などかけていた九条だったが、だからと言って彼女の置かれている状況が気楽なものであるかというと、それは断じて違うと断言できた。何せ彼女は現在ふとしたミスから異形と化したカーマインに食われており、尚も吸収されまいと必死で嘗ての後輩や自身の運命他、その他諸々に必死で抗っていたのである。
この状況を『楽しそう』だとか『気楽だな』等と思う奴が読者の中に居たとしたら、作者はそいつの人格を疑わざるをえない。仮に異形と化したカーマインに相当する存在が美女若しくは美少女或いは美幼女の姿をしており、食われているのが『さして取り柄の見受けられない日本人のティーンエイジャー』ならば、何時も女の肉ばかり追い掛けていて、事ある毎にペロペロとかブヒブヒとか一々五月蠅くて仕方がない連中は死ぬほど羨むかもしれない。しかしそんな連中がこの作品を読んでいる確率はほぼ皆無に等しいと作者は推測する。仮に読んでいたとしたら3話辺りで既に読むのを止めているか、或いは作者に言い掛かり同然のクレームを叩き付けているはずである(実際、言い掛かり同然かどうかは兎も角としてネガティブな点ばかりを指摘してくるばかりの感想は来たことがある)。
「九条、九条ッ! 死ぬな、生きろッ! 死にかけだった私に生きる意味をくれたお前に先立たれては、私はまた以前のように他人の命令で動き回ることしかできない哀れな愚か者に成り下がってしまう! だから死ぬな、九条ォォォォ!」
ティタヌスが声を張り上げ鋼鉄製の強靭な拳や角でカーマインを攻め続ける。その姿は初登場時のような落ち着き払った紳士的なものではなく、感情のままに大声を荒げて吼え猛る巨獣のそれであり、その姿はまさしく恐竜然としていた。しかしそんなティタヌスの攻撃もカーマインにとっては苦痛や体格の萎縮を引き起こすに留まっており、それらの刺激があっても尚、彼は九条を吐き出そうとしない。
「クソッ、こいつぁヤベェぜ! 学者先生が食われちまった!」
「切り開いて取り出そうにも傷はマッハで塞がっちまうし……どうすりゃいいんだよ!」
「お二人とも、諦めるのはまだ早いですよ」
『そうですそうです。天が我等に味方しない事は、元より分かり切ったこと。ともなれば信ずるべきは己と仲間ぐらいのものでしょう』
「そうだがよ、アニジキニン」
『羽辰で良いですよ。どうせ流れる先では編集されてますし』
「そうかよ。じゃあ羽辰、そうは言うがお前、この状況をどう打開するってんだ? あのナマコ、逃げるどころか寧ろこっちに向かって来て――
「ウあァぁぁああアアぁぁAAAaaaAアッ!」
「――な、何だ!?」
カーマインの上げた悲鳴はそれまでのものと比べて極めて異質なものだった。しかも悲鳴を上げたタイミングが不自然極まりなく、さしたるダメージを受けたわけでもないのに苦しみ悶えている。
「あ……あぁア゛あァ゛っ! ……ヒ……ス、ズ……ッ……」
その声に含まれていたのは、傷を負った事による苦痛ではなく、ある種の悲しみであるようだった。
「一体何が起こったの…?」
「知らん……だが、奴に異変が起こってるって事だけは確かだ」
「ヒスズ……人の名前かね」
「恐らく、というか確実に女性名ですね。奴の同級生か、友人か…」
『もしくは親戚、恋人の可能性もありますね』
「つーか学者先生無事なのかよ」
「あぁ、それはわりとマジで心配」
「頼むからわりととか言わんでくれ」
そしてその変化を皮切りに、カーマインの上げる奇声が人の言葉に近いものに変わっていく。
「あァ……ヒス、ズ……ボくは……なンてコトを…ッ……ッぐぅ……ァ゛ぁ……ェぁアあ……――ヒギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」
命そのものをエネルギーとして燃焼しているかのような叫びを上げたカーマインは胴体から九条を吐き出し、交戦中に空いた穴の先へ通っていた水道管に潜り込み姿を消してしまった。
「九条ッ!」
「九条さん!」
一行は一目散で地面に投げ出された九条に駆け寄った。しかし、彼らの思惑を無視するかのように九条は普通に立ち歩き始めた。
「どうやら上手く行ったらしいな。お前さん方、無事か?」
「それはこっちの台詞だ! いきなり飲み込まれたから食われてしまったかと思ったぞ!?」
「おいおいティタヌス、よりによってお前がそれを言うか? 私は元『不動の歯車』の天才・九条チエだ。あの程度の攻撃、回避できない訳があるまい?」
「いや待て、その理屈はおかしい。そもそも回避云々以前の問題だろうが」
「まぁ落ち着け。一々些細な事を気にするものではない」
「何処が些細だ!? 何処がっ!?」
「今の我々にとっては極めて些細なことなのでな。何より奴の撃退にも成功したんだ、結果オーライじゃないか」
「……」
「どうした、何をしている? さっさと奴を追い、始末を付けるぞ。あのままの身体では幾ら何でもカーマインが可哀想だからな」
「……お前の口から可哀想なんて言葉が出るとは思わなかったが……まぁいい。作戦は無事完遂されたし、良しとしよう」
「そうしておけ。そういうわけだ、DJ諸君。我々はこれより奴を追い、是が非でも仕留めて始末をつける」
「あぁ。列甲女子初代"不動の歯車"の名にかけて、絶対にでも仕留めろよ」
「お前こそ破壊神を目指して居るそうだが、その地位に就くまで決して死ぬな。その地位に就いてからも、なるべく死ぬな」
「言われなくても、生きてやるさ」
かくして九条とティタヌスは混乱に乗じて大陸外まで逃げ出したカーマインを追うため、静かに士官学校を去っていった。
「さて、こっちもそろそろ仕上げと行くか」
繁の呼びかけに呼応した仲間達は、一斉に無言で頷き走り出す。
「待ってろ秋本……干乾びて尚、吸い尽してやる!」
次回、遂に秋本と決戦!
※補足…九条はわざとカーマインに食われたフリをして、体内で携帯電話越しに飛鈴の肉声を流す事で彼の記憶を刺激し、精神的な揺さぶりをかけることで無力化させた。