第五十八話 闇のみぞ知る店内
一方その頃、繁はというと
―前回より―
デザルテリア郊外の繁華街に備わったネットカフェでパソコンを操作するのは、白衣に蝗マスクの男―我等が主人公、ツジラ・バグテイルこと辻原繁。生放送を二週間後に控えた彼は現在、頼り募集の為に設けたEメールアカウントを覗いていた。
「(やっぱ依頼ばっかりか。遂行してる暇ぁねーんだがな……っと、質問や楽曲リクエストも結構来てるな。法的に認可・保護された番組じゃない分大概の局は音源さえ手に入れば流せるし、質問も基本大概のことは答えられる。油断しちゃなんねぇのは百も承知だが、非合法ってのも中々オツなもんだな)」
等と考えつつカーソルを動かしていた繁は、ふと件名の無いメールがあるのを見付ける。今まで彼の所に届くメールは正式な応募から番組への意見、言われもない言い掛かりや誹謗中傷に至るまで全てに件名があった。
しかしこのメールにはそれがない。差出人のアドレスもどういう訳か表示されて居らず、怪しさは益々高まった。
「怪しい……が、思うほどでもねえ気がする」
という訳で、繁はそのメールを開いてみることにした。そもそもこのパソコンに設けられたセキュリティシステムなら、怪しげなURLが入っていればその時点で迷惑メールの欄に振り分けられ、ウイルスでも入っていようものなら到達前に削除されてしまう筈だ。となればこのメールはさして問題があるとは考えられない。それが繁の判断だった。
メールの内容はこうだった。
――
お初にお目に掛かる、ツジラ・バグテイル。
私は普段ラビーレマの大学で研究員をしている者だ。
『巨竜を駆る野良猫』私を呼ぶならそう呼べ。
今回こうしてメールを送らせてもらったのは他でもない。貴公らと我々とで解決したい事件が発生したからだ。
というのは、近頃イスキュロンの大国デザルテリアの国立士官学校に勤務する私の舎弟が行方不明になっているらしいのだ。
その他諸々の点から見て、この事件には裏で暗躍する巨大な組織の存在があるものだと私は確信した。
無論、都合が悪いなら無理にとは言わん。協力者のアテはまだあるのでな。
追伸.本日19:00、デザルテリア国立大使館地下七階の料亭『傘猫』で逢おう。店に入る時、合い言葉を要求されるだろうが、お前なら解るはずだ。
――
「(『巨竜を駆る野良猫』……か。逢ってみる価値は大いにあるな)」
かくして繁はその夜、メールの送り主と合流するため『傘猫』へ向かった。
―同日18:55・デザルテリア国立大使館地下七階『傘猫』―
青白い光を放つ蛍光灯が照らすコンクリートの通路を、繁は進んでいく。
料亭『傘猫』。
国立大使館地下七階の狭い通路を進んだ先にあるこの店は、表向きこそ完全会員制にして貸し切り式の高級料亭という名目だが、そんなものは所詮隠れ蓑に過ぎない。その本来の目的は政府関係の要人や裏社会で生活する人間など、曰く付き故に表舞台で堂々と生きられない人間達に、重要な交渉や約束事、話し合いなどの場を提供する事にある。
機密性を確保するため、客席は強固な防護壁で区切られ、八丈一間の『客間』と呼ばれるスペースで構成される。『客間』の出入り口には錠前が施され、専門スタッフのみが持つ専用の鍵によってしか解除出来ない仕組みになっていた。
政府の大臣によって管理されているこの場所の実態と真の目的を知る者は、イスキュロン広しと言えども数えるほどしか居ないという。
「(然し、『巨竜を駆る黒猫』とかいう奴は何故そんな店を待ち合わせ場所なんかに指定したんだ? 確かに機密性は高いだろうが、一体……)」
等と考えている内に、繁は『傘猫』の扉の前へと辿り着く。
「(ここが『傘猫』か)」
通路の突き当たり左側に質素な鉄製の扉があり、上からは小さな猫型の茶色い電光看板が飛び出している。扉には取っ手が見当たらず、『御用の方はここを押して下さい―店主』という張り紙とインターフォンがあるだけだった。繁がインターフォンのボタンを押すと、低い男の声が受け答える。
『はい、こちら「傘猫」です。どういったご用件でしょうか?』
「突然すみません。実はある方と待ち合わせをしているのですが」
『待ち合わせ、ですか。相手様のお名前は?』
「それが、偽名しか知らんのですが……」
『構いませんよ。当店をご利用なさるお客様の間では偽名を用いるのが暗黙のルールとなっておりますので』
「はい。では『巨竜を駆る野良猫』という方を、お願いします。その方と今夜19:00にここでお会いする予定でして」
『「巨竜を駆る野良猫」様ですね。少々お待ち下さい』
暫くして、店主から返答が帰ってきた。
『お待たせ致しました。「巨竜を駆る野良猫」様はまだ来られていないようですので、ご予約のあった客間二十二番でお待ち下さい』
「有り難う御座います」
『それではごゆっくり』
店主の声が途切れると、金属の扉が横にスライドした。どうやら自動の引き戸だったらしい。表向きには会員制の料亭とされるだけあってか、『傘猫』の内部は際限無き高級感に満ち溢れていた。
涼しげな青白い光で照らされた店内は漆塗りの木材や大理石で彩られ、所々に飾られた絵画や竹細工の精巧さには思わず見とれてしまう。
「(まさか俺がこんな所へ来ることになろうとはな……)」
等と思いながら、繁は受付で従業員に用件を伝え、店についての大まかな説明を聞いた。今回は予約主である『巨竜を駆る野良猫』が代金の全額を受け持つらしい事などを聞かされた繁は、早速客間へと案内された。
客間の中は予想以上に広々としていて、利用者が居るであろう隣室からは話し声の一つも聞こえて来ない。中央に設けられた漆塗りの机には四つ足に翼を持った龍――中国に於ける四霊の一・応龍らしきものが描かれており、机の両端と真ん中にメニュー表を立てる竹製の棚が据え付けてあった。
壁際には給水器・給湯器の他トイレまで備え付けてあり、客とそのプライバシーを外に出さない工夫が見て取れる。
「ご注文がお決まりになりましたらこちらの呼び出しボタンを押して下さい。相手様が来られ次第、随時此方から連絡致します。お手洗いとお水・お湯の機械はあちらに御座います。それでは、ごゆっくりどうぞ」
「はい、どうも有り難う御座います」
従業員の去った客間にて、繁は再び考える。『巨竜を駆る野良猫』とは一体何者なのか?何故奴は自分が今デザルテリアに居ることを知っていたのか?何故奴は待ち合わせの場所にこの店を選んだのか?店と一体どんな関係があるのか?
考えれば考えるほどに深まる謎に繁が頭を抱えたその時、客間のスピーカーから従業員の声が鳴り響いた。
「お客様、相手様がお越しになられました。そのまま客間でお待ち下さい」
次回、『巨竜を駆る野良猫』と対面!