第三百三十七話 戦うゲスト様-炎を潜り抜け-
持ち直した四人を待つのは……
―前回より・サッカー場内より―
神下矢留が食事を終えたのは、聡子達が完全に持ち直してから少しばかり経過しての事であった。
「お待たせしたかなお客人!?したならすまぬなお客人ッッ!山椒・黒胡椒入り辛味噌ダレの封が中々切れずてこずってしまい出遅れてなあッ!」
「いや、特に待ったようなことはない。寧ろ休息中の我々を攻撃しなかったことについて礼を言いたいくらいだ。ありがとう」
「礼には及ばぬ!否、礼は要らぬ!礼など言うでないッ!個人的な矜持故、無抵抗の相手を焼くのは極力避けたいのでなッ!無差別に焼くのは大好きだが、無抵抗の相手を焼くのはどうにも放火臭くて好きになれんのよッ!」
明らかに矛盾している理屈だが、下手にその点を指摘して蒸し返せば調子付いて耳障りなまでの大声であれこれわけのわからない理屈を並べ出すだけだと考えた一同はそれを適当に―まるで示し合わせていたかのような動作で―受け流す。
「さてさてそれでだお客人ッ!互いに持ち直したという事はッ!それ即ち開戦の合図とさせて頂こうぞッ!」
矢留が大袈裟な動作で両手を頭上に掲げると、両掌に備わった直径4cm程の噴射口から不自然なほどに紅い炎が噴射される。
「見よ、この深紅き火炎をッ!これなるは先程喰ろうた食物に含まれておったリチウムを我が体内へ取り込んだ事により得た色でなあッ!低濃度であっても我が火力を以てすればこの通り!深紅き火炎が轟々よォッ!」
リチウム(lithium)。原子番号3、元素記号Liのアルカリ金属元素が一つ。白銀色の軟らかい元素であり、最軽の金属元素として名高く、比熱容量は全固体元素中最高である。主に陶器硝子の添加剤、光学硝子、電池等に用いられる。地殻中で25番目に多く存在する元素であり、火成岩や塩湖かん水の他海水や生物の体内にも含まれている。この内海水中の含有量は2300億tにもなり、この事から抽出技術の研究が進んでいるらしい。地味に腐食性を有する元素でもあり、高濃度のリチウム化合物は肺水腫や胎児の奇形を引き起こし、覚醒剤の製造にも使われる。上記の台詞で神下が言及したとおり、炎色反応として深紅を示す。
【炎色反応に火力は関係ないだろいい加減にしろ】
【ハッチーさん、何で棒読みなの?】
【っていうか、炎を紅くしたとして何かメリットでもあるのかね?】
「メリットなど皆無い!さしたる意味さえ皆無いッッ!強いて!強いて挙げるならばッ!格好が付くとか!迫力が出るとか!その程度が精々だわいッッ!」
片足つま先立ちの姿勢を取った神下は、さして堂々と叫ぶようなことでもないような事をわざわざ腹の底から絞り出すような大声で声高らかに叫ぶのと同時に掲げた両腕を水平に伸ばし片足を軸にしてコマのように高速で回転する。
外側へ垂直に向けられた両掌から水平に噴き出していた紅い炎は回転のエネルギーにより燃え盛る円を描き、やがて渦巻く火炎の竜巻へと姿を変え、神下を内包したままサッカー場内を動き回りあらゆる有機物を灰へと変えていく―――が、そういった"サッカー場内にて灰と化した有機物"の中に、聡子達は含まれていない。確かに神下の視界から消え失せてはいたのだが、神下は彼女らの死を確信できずにいた。というのも――
「ぬぅん!?手応えがないッ!微塵もッ!どういうことだ!?」
これである。炎の使い手である神下はその性格や喋りに反してそこそこの切れ者であり、このテの性格をした人物にしては気流や気配を読み取る能力に秀でている。それは先程まで火炎の竜巻と化していた場合でも同じ事である為、一応"狙いを付ける"という行為が不可能なわけではない。また、彼女は自身の炎で能動的に物体を焼いた際にそれが如何に遠距離での事であろうとも確かな手応えを察知することができる。まして至近距離でヒト四人を焼いたのなら、これでもかという程の手応えが感じられる筈である。だが手応えは微塵もない。
これは一体どういうことなのかと神下が頭を抱えようとした所で、背後から聡子の声が響き渡る。
「やあ神下、目の前から敵が消えたことがそんなに不思議か?」
「ッ!?」
「ちょっと、そんなあからさまな驚き方しないでよ」
「まるで僕らが貴女以上の化け物みたいじゃないですか」
「寧ろ化け物はあんたでしょうが」
聡子に続く形で結花、凛、エリニムがサッカー場の地面から生えるように現れる。
「き、貴様らッ!?一体どこにどう隠れていたッ!?どんなトリックを使えばアレを回避できるというのだッ!?」
「どんなと言われてもな。大したことはしておらんさ。先ず貴様が回転し始めた辺りで私が周囲の大気を操り、私を含む四人の周囲に呼吸へ適した大気で満たされた二酸化炭素の"袋"を作る。この"袋"は重厚かつ高純度の二酸化炭素で作られているため火の気を一切通さぬようにできており、打破も攪拌も起こり得ない。先ずこれで貴様の炎への耐性をつけた」
「次に、多可さんの指示で予め作っておいた合金の外骨格を持つ蛇の使い魔を組み合わせて即席の掘削機みたいなのを作ったのよ」
"ほら、こんな奴よ"等と言いながら結花が手元へ浮かべて見せたのは、太長い銀色の節十数本で構成された―ちょうど、有名な"尾を持つだけで身体をくねらせる蛇の玩具"が金属で作られたような―メカニカルな蛇型の使い魔であった。それら十数匹が集まり絡み合うと、一瞬にしてホイール型掘削機のような形状になる。
「そしてこれで土の中へ潜ったって訳。芝の生えた土の地面ってのが幸いしたわね。まぁそれでもこっちで用意できる金属じゃ強度が足りなくてエリニムちゃんから刃物の特殊合金を、馬力が足りないから凛ちゃんの雷撃をそれぞれ分けて貰ったりはしたんだけどね」
「兎も角潜っちゃえばこっちのもん」
「あとは貴女が通り過ぎるのを待つだけでいいというわけです」
「ほう!そうか!我が火炎をやり過ごしたカラクリとはそういうものか!つまりそこから考えると、最早貴様等を我が火炎で焼く事は不可能になったと考えるべきか!ほうほう!ほうほうほう!それはまた興味深い!ならばこちらも、それに応じねばなるまいな!」
叫びを腹の底から絞り出すのと同時に、神下は腕を振り上げ全身に力を込める。全身が幽かに波打つのと同時に彼女の身体を覆う金属の装甲が弾け飛ぶ。
そして露わになった彼女の"真の姿"を目にした四人(及び一匹と一頭と三匹)は、その余りのおぞましさに絶句する。
「見たかッ!?見てみろッ!これぞ我が真の姿!己の命をも一時の全力に捧ぐ、まさしく捨て身の構え也ッ!」
神下の真の姿とは!?