第二百八十六話 戦うゲスト様-少年激昂:前編-
学園班と企業班の話を一話おきにやると言ったな、あれは嘘だ
―前回より・夕暮れの静かな湖にて―
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……どんな、もんよッ!けぅっ!」
息切れを起こした小柄な少女は、腹立たしげに足下へ転がる白い肉塊のようなものを蹴飛ばした。
「はッ、はぁっ……っく、ふっ……」
血や泥にまみれた白装束を湖の水で洗いながら、少女―イリア・ミストロッドは周囲に散らばる白かったり黒い輪切りにされた円筒形だったりする肉塊やゼリー状の透き通った塊を憎々しげに睨み付け毒づく。
「ったく、何なのよこいつ等っ……いきなり寄ってきたから何かと思ったら、あたしのシャツやらパンツの中に頭を……頭をっ……ふンッ゛!」
思い出すだけでも腹が立ってくる といった具合に水面を殴りつけるイリア。彼女がそこまで腹を立てている理由とはつまり、周囲に散らばる白い肉塊―もとい、水棲生体兵器三種の群れに猥褻まがいの襲撃を受けた事に他ならなかった。そんな彼女の傍らで剣を研ぐ黒髪の女―エルシトラ・フォーラツォスは、イライラの収まらない親友を宥めねばと考えを巡らせていたが、久々に腹の底から怒り狂った親友の姿に恐れを成しさして手出し出来ずにいた。
◆◇◆◇
事の発端はざっと昼頃のこと。イリアとその同業者でもある仲間三人―親友エルシトラ及び恋仲にある少年シルナス・エルクロイド、並びに彼の妹であるアリシス―は、図らずもヴァラヌス・コエピやヴェロキニクス・ダンパル等と言った機敏で持久力のある中型生体兵器の群れに約20分程も追い回されていた(度を超した規模の群れであった為、交戦しようにも負傷のリスクがでかすぎたのである)。
幸いにもイリアが機転を利かせた事で何とか逃げ切れこそしたものの、その頃には四人揃って疲労困憊、筋肉痛や空腹も限界レベルにまで達していた。更に二百八十一話でも言及したが、この日の空模様は快晴で気温は38度。ともすれば一行―特に元来気の強い性格であるイリアの精神がささくれ立つのは言うまでもない。結果としてイリアは些細なことで感情を爆発させ怒鳴り散らし、その所為もあって集団内に険悪なムードが広まりつつあった。
だが、ここで現実はそんな四人に救いの手を差し伸べる。言い争う気力も失せて黙り込んでいた四人を、休息と気分のリフレッシュにもってこいの場所へと案内したのである。
鬱蒼と木々の生い茂る蒸し暑い樹海を超えた先にあったのは、純白の砂地に湧き水か地下水が溜まる事で形成されたであろう、何処までも澄み渡る広大な湖だったのである。その神秘的で涼しげな光景は蒸し暑さと疲労でささくれていた四人の心を癒し、澄み渡る水と岸辺の砂地に生える草木の果実は空腹であった四人の腹を満たし、脳に糖分を送り込むことで疲労を吹き飛ばした。
そして湖の水と果実をたらふく平らげ暫く休んだ辺りで、アリシスがふと言った。
"水着でも持っていれば、この湖で泳げたのに"
この一言を皮切りに、他三名の心中へ"湖で泳ぎ涼みたい"という思いが生じては、水を得た吸水性ポリマーのように脹れ上がっていった。そして熟考の末にシルナスが"ポイントで水着を買い、拠点から此方まで転送して貰えばいい"という案を思い付き、実行に移そうと端末を取り出した―――が、その時。
泳ぎたいという欲求が限界にまで達したイリアが、もう辛抱ならんとばかりに下着姿で湖に飛び込んでいってしまった。色恋やら性的なものに耐性のないシルナスは"はしたないから水着が届くまで待て"と言うが、そんな彼の言葉にも"どうせお前ら以外誰も見ちゃいないのだから構うものか"と耳を貸そうとしない。呆れる三人だったが、周囲に生体兵器の気配も無いから別に良いだろうと思っていた――が、その油断が命取りとなった。
イリアが泳ぎに夢中になっている最中、狙い澄ましたように突如何処からか生体兵器らしき生物三種―透き通った身体のウミウシ"イプセルドーリス・ディアファヌマ"、機敏なヤツメウナギ"モルダキア・モーディカ"、太ったホライモリのような両生類"プロテウス・デパンダン"―の群れが現れたかと思うと、一斉に彼女へ襲い掛かったのである。
イリアは不愉快な生物共から逃れるべく必死の抵抗を試みたが、生体兵器の群れはそんな彼女を嘲笑うかのように少女の着ている下着の中へ入り込んでいく。結果として堪え難い屈辱に怒りを爆発させたイリアがエルシトラの機転により愛用の剣を得たことと、予習により予備知識を持ち合わせていたエルクロイド兄妹が的確な判断で生体兵器を退けたことが決め手となり三種の化け物は殲滅され少女は無傷のまま助かったわけだが、それでも"恋人以外(それも、得体の知れない化け物の群れ)に恥部をまさぐられかけた"という事実に変わりはなく、イリアの激しい怒りは生体兵器やその統括者である中央スカサリ学園への憎悪へと変容しつつあった。
―かくして時は巡り、夕暮れ時・湖畔近くの樹海にて―
「イリアさん、大丈夫かなぁ……」
地に落ちた木切れを集めながら物憂げに呟くのは、イリアと恋仲にあるシルナス・エルクロイド。生真面目故に恋人を守れなかったという自責の念に駆られていた彼の表情は、どこか悲しげで暗いものであった。
「心配し過ぎだよお兄ちゃん。イリアさんは私達なんかよりずっとタフなんだから、どんな目に遭ったって大丈夫だよ」
同じく木切れを集めつつ暗い表情の兄を励ますのは、幼くも兄共々戦線に立つと誓ったシルナスの実妹・アリシス。
「大体お兄ちゃんは何時もそうだよね。気に病み過ぎっていうか、お堅いっていうか、もうちょっと緩く気楽に過ごしてもいいと思うよ」
「ありがとう、アリシス。でもイリアさんがああなったのは、やっぱり僕の所為でもあると思うんだ。だからこそ今度は、僕がしっかり守らないと……」
「はぁ……まぁ、そういう一途で真面目な所にイリアさんも惹かれたんだろうし、別にいいけど――「キャァァァァァァッ!」――!?」」
兄妹の耳を劈く、甲高い女の悲鳴。十中八九ポジティブなものではないその声の主を二人が特定するのに、さして時間など要す筈もない。
「お兄ちゃん、この声って……」
「間違いない……イリアさんッ!」
仲間(及び恋人)の危機を察知した兄妹が木切れを投げ捨て駆け出さんとした時、向こうから息切れを起こしながら駆け寄って来た者が居た。イリアの親友にして一行最年長の女・エルシトラである。
「エルさんッ、一体何事です!?」
酷く慌てた様子のエルシトラは、シルナスの問い掛けに答えるべく凄まじいスピードでスピーカーのついた小型の液晶画面に専用のタッチペンを滑らせていく。極度の口下手故か滅多に言葉を発しないエルシトラの為にと繁が用意した失声症患者用の携帯型発声装置を操作しているのである。
文字を書き終えたエルシトラは、画面を叩き割ろうかという勢いで発声装置右端へタッチペンを叩き込む(幸いにも画面は無傷であった)。
『イリアがさらわれた。四本腕の猿みたいな奴に』
装置から発せられたのは奇妙なイントネーションで間の抜けたような電子音声であったが、肝心の内容は間抜けな音声に見合わぬものであった。
「イリアさんが、猿に……?」
刹那、シルナスの脳裏にある最悪の記憶が過ぎるのと同時に、彼の背に刻まれた"S"字型の傷痕が微かに熱を帯びる。
「四本腕……猿……猿……猿ッ!」
譫言のように繰り返すシルナスの顔面には目視可能なレベルで青筋が浮き出、その目は充血した白目の状態で見開かれていた。
―前回後書きより―
「ぐぉぁぁああっ!?」
「ふぐぅぅぅぅっ!?」
繁とランゴ、相対するヴァーミン保有者二人を原因不明の腹痛が襲ったのは、少年の傷が疼いたのとほぼ同時の事であった。破殻化し交戦中であった二人は全く同じタイミングで墜落し、破殻化は意に反して解除されてしまう。
「ど、ドライシスさんッ!?くッ、一体何だというんだ?――ぇえぃ、カーン18号、枝葉と蔓でドライシスさんを受け止めろ!決して怪我などさせるんじゃないぞ!」
オップスの指示を受けたプランタニマーリア・オプシアの一体(一株?)により力無く墜落しつつあったランゴは無事受け止められた。腹痛は未だに続いているらしく、未だ苦悶の表情を浮かべている。
「あぁ、ドライシスさん……何て事だ……でももう大丈夫ですよ。今し方医務室に連絡を取りました。学園に戻るまでの辛抱です……」
「有り難う……オップス君……」
ランゴを抱えてプランタニマーリアの背に乗ったオップスは、墜落し樹木に引っかかった繁に一言『決着は延期だ!』とだけ言い残し、颯爽と去っていった。
「ッく、はァ……引き分け(ドロー)かよ。まぁいいや、俺の方もさっさとズラかんねぇと――ッあッ!」