第二百六十五話 機密と保守~よくもそこまで~
一方、クロコス・サイエンスに潜入した面々はというと……
―第二百六十三話後半より数日後・ヴラスタリはロディア中央・CS社研究施設―
「―――と言うわけで、彼らが今日からこの部署に配属が決定した新米研究員の二人だ」
『タストロ・ショニーです。宜しくお願いします』
「妹のラコドゥです。拙い若造ですがどうぞよしなに」
不安定な身体故に手足の生えたメカ水槽へ乗り込んで暮らしている流体種の署長に紹介されて深々と頭を垂れるのは、研究員としてクロコス・サイエンス社内に潜入した桃李と羽辰であった。
服装は何時もの黒スーツではなく、普遍的な私服に白衣という出で立ちである。
「二人は共に大学院時代は有毒動物を研究していたそうで、特にタストロ君はヘビ、ラコドゥ君はハチが専門だそうだ」
「有毒動物ですか。だったら私達の研究室に回してくれませんか?丁度爬虫類や昆虫の専門家が欲しかった所ですし。ねぇ、野戸君?」
「そうだな。何だかんだで俺は植物系、井口は菌類なんかが専門だし」
「動物担当の来田君は今調査で出払ってるものね」
「よし、では二人には彼らの手伝いをして貰うこととしよう。異存ないかね?」
「異存などとんでもない、有り難き幸せに存じます」
『右に同じく。光栄に御座います』
―同時刻・CS本社ビル地下水路―
「つまりこの水路を通る排水が直接浄水場経由で海へ行くわけだけど、その上で流れを妨げかねない物体―例えばゴミとか流木とか溺れ死んだネズミなんかは、この漂流物捕捉ネットに引っかかるようになってるの」
クロコス・サイエンスに新米警備員(兼実質的な総雑務担当)として入社(を、装って潜入)したリューラ・バシロ・璃桜は、大柄な巻貝系軟体種の中年女性警備員に案内されながら、初仕事の担当区域である地下水路を巡っていた。
因みにエレモスでもそれなりに名の知れてしまっているリューラはバシロを身に纏いガルグイユの形態へと姿を変え『ナイジェル・カッター』という男性鬼頭種を名乗っていた。男性を名乗るだけにバシロに体格を矯正させ外見から女性的な要素を完全に取り払い(その影響か結果的に璃桜より大柄になってしまった)、裏で身に付けた特殊技能により声をバシロと入れ替えるなど、変装への努力は並々ならぬものが見て取れた。因みにバシロの方は魔術的な事故によってナイジェル(を、名乗るリューラ)の肉体と融合してしまった女性流体種スザンヌ・メイトランドを名乗っている。
対する璃桜は著名人の類ではないためさして変装はしておらず『村瀬万』という偽名を名乗っているだけであった。
「ネットはこの一枚だけなのですか?」
「いえ、この他にも大体三十箇所くらいの場所に設置してあるわ。たまに何処から流れてきたのかわからないようなものが引っかかったりもするけど、そんなに危ないものは無いから安心してね。あって水死体くらいだから」
「そりゃ充分危ねーもんじゃあないですかね……まぁ俺なんぞは平気ですが」
「水死体ならまだいい方よ。前なんてこんな濁って色々なものが混じった激流なのに明らかに魚っぽい何かが居たし」
「魚……この激流となると相当パワフルな遊泳生物か、でなきゃ底生生物ですかね?子供くらい丸飲みにできそうなナマズとか、腹に吸盤のついたハゼとか」
「んー、難しい言葉はよくわからないけど、一抱えくらいもあったわよ。今まで見たこともない変な形してたからすぐに研究所に回しちゃったんで詳しく調べもしてないけどね」
「ふむ……そうですか」
「それで、ここで貴方達にやってもらうお仕事だけど―――」
―その夜・ヴラスタリの地方都市カクトスのアーケード繁華街―
「はェ、ふィ……や、やっと着きましたか……」
『お疲れ様です桃李、ドリンク剤でもどうです?』
「あぁ、ありがとうございます兄さん……」
疲労困憊といった様子で道端のベンチに座り込み手渡されたドリンク剤を呷る桃李は500mlもある中身を十数秒で飲み干すと、やりきったような表情でペットボトルを遠くの回収ボックスへ寸分の狂いもなく投げ入れる。そして三回ほど深呼吸した後、汗だくの身体を半ば無理矢理に持ち上げ目の前の建物―アーケード繁華街の道路脇へ組み込まれるようにして佇むインターネットカフェへと入っていった。羽辰はそんな彼女にもう少し休む事を提案こそしようとしたが、どうにも気が乗らず言い出せなかった。
『(一丁前に心配だ何だと言っておきながら、破殻化状態で300kmも飛び続けた妹に"もっと休め"の一言も言えないのか……兄失格だな、私は)』
―店内―
二人揃って一部屋三時間の利用権を購入した桃李と羽辰は、二階の一室でパソコンを立ち上げ早速作業を開始した。
「……アドレスはこれで――よし、出た」
『確かに言われたとおりの内容ですねぇ……っと、背景の数字とURLのアルファベットを照らし合わせて……並べ替えるわけですから……』
「ローマ字でパスワードを入力して……よし、出ました」
二人のやっている作業は、両組織に内密のまま二手に分かれて活動する今回の作戦に於いて互いの情報を交換し合う為のものであった。コンピュータを用いたそれの手段は、情報漏洩を防ぐためとはいえ極めてややこしいものである。
先ず、発信側(今回の場合学園班)がインターネット上に派手な背景と平仮名及び片仮名による月並みな内容の文面から成る簡単なページを立ち上げる。背景には赤・青・黄・緑に色分けされた四列九行のマス目から為り、目の一つ一つには0から9までの数字がマス色の反対色で書き込まれている。サイトにはこれまた月並みな注釈つきでURLが張られており、ここから相手方が入手した情報を手に入れるわけだが、このURLはそのままクリックしても決して繋がらないようになっている。
しかしそれでも受信側(この場合企業班)はURLにアクセスせねばならず、この手順がまた無駄に面倒臭い。
1.まず方眼紙と色鉛筆等を用意し、カラフルな背景の数列と配色を寸分の狂いもないように写し取る(この行程は省いても構わない)。
2.続いて左端の行を基準に定め、行の色が統一されるようマスを並べ替えていく。
3.行を色分けできたらマス目の数字をURLのアルファベット(http://www.以降の九字)と照らし合わせ、文字を対応する数字の若い順に並べ替える(例としてDREが312にそれぞれ対応する場合、若い順に並べ替えてREDとなる)。
3.5並べ替えの基準として適用する数列の順番は行程2で参照した左端の列に対応する。例えば参照した列の配色が上から黄、赤、緑、青の場合、並べ替えるべき最初の九字には黄の数列を適用する。
4.そうする事で漸くURLが繋がるわけだが、今度はパスワードを要求される。ここで用いるのがページに掲載されていた平仮名と片仮名のみから成る文章で、不自然に改行されたそれらを縦に読み取りローマ字に変換したものがパスワードとなる。文字列は左から順に適用する。
5.これで漸くページを開けるわけだがまだ終わりではない。赤・青・黄・緑・白・紫・黒・灰の八色に色分けされたそれらの文章は全文が片仮名・大文字で統一され、一文ごとに逆さに書かれている為傍目から見ると意味不明なのである。更にそれらに注意して読み解けたとしてもそのままでは文として成り立たず、黒→緑→黄→青→赤→紫→白→灰の順で一ページごとに繋げて読んで初めて送信側からの情報文に―ならない。
6.暗号文にはそれぞれ片仮名二字から成る撹乱記号が混ぜ込まれており、これらを抜いて初めて変換可能な文章として成り立つのである。
7.また、受信側はこれらを閲覧次第別のものに情報を移し替えてページを削除せねばならない。またその関係上、発信側は報告毎に逐一ページを作成せねばならない。
と言った具合に、二つの班が行う情報交換は極めてややこしいものである。
だが彼らは、ただ一つのシンプルな―『情報漏洩を防ぐ』という理由のためだけにこの方法で情報を交換し続ける。
それもこれも全ては、両組織を相応しい結末へと導くための、涙ぐましい努力に他ならない。
うん、流石にこれはやり過ぎだ……