第二十六話 謙虚理事長と喋る葉虫
理事長・緒方三ツ葉の独白。
読者の皆さん、初めまして。東ゾイロス高等学校理事長で多眼系霊長種の緒方三ツ葉です。さて、学校を閉鎖してもう一週間近く経ちました。ラジオDJのツジラさんから頂いたお返事によれば、第二回目の舞台は是非とも我が校にしたいとの事。これで本件は安泰そうです。
さて、私めは彼の方々への敬意を示すためツジラさん達に多額の報酬をご用意し、事件を解決できなかったとしても多額の御礼金を差し上げようと考えていました。バグテイルさんからのお返事にはその件についても触れられていましたがしかし、何と彼は『作戦失敗に際してお金はお受け取りできません』と言ってきたのでした。
私は驚くと共に、この人は何と人格の優れた人なのかと思ってしまいました。
サービス業に於いて重要な事の一つには、業者と顧客との信頼関係が含まれます。業者は顧客からの報酬を代価に、報酬に見合う、若しくは報酬以上のサービスを全力で提供する。それが普通である事は、読者の皆様もよくご存じの所だと思います。
しかし世界に絶対的な法則など存在し得ず、あらゆる存在・原理・現象には何らかの形で例外が存在します。
例えばヤムタの慣用句には、『打ち水、杓に戻らず』というものがあります。打ち水とはヤムタに古くから伝わる風習で、敷地や路面に水を撒き路面の塵が舞い上がるのを防いだり、気温の高い季節は気化熱を利用して涼気を取る目的でも行われます。
またこの時に撒かれる水の事も指し示しており、この慣用句の場合は此方の意味合いでしょう。
杓とは液体を掬う道具の事で、こちらも古来ヤムタに伝わる伝統的な工芸品の一つです。打ち水に用いられることもあったでしょう。
これは『打ち水の為に杓で撒かれた水を再び掬い取って杓に戻すことは出来ない』という意味であり、即ち『一度起きてしまった物事は元に戻せない』という事柄を意味しているのです。
この慣用句、確かに意味そのものは的確でしょう。先人の残したものは、何者にも代え難い価値を持つのが世の常です。しかしながら私は二年前、我が校を卒業後列甲へ進んだとある男子学生の書いた本にあった一説を見て、驚き呆れると共に感心してしまったのです。
彼は本にこう書いていました。
極端な思考に押し負けて諦めるな。
打ち水が杓に帰らないと割り切るな。打ち水だって無重力空間でなら杓に戻るし、そんな事をしなくても撒いた部分から上がる水蒸気を集めれば理論上は杓に戻せる。
鳥からは鳥しか生まれないと割り切るな。遺伝子操作の技術を駆使すれば、鳥に鼠や蛇を産ませることだって出来る。
無い刃は届かないと割り切るな。無い刃は量子力学の分野で見れば『届かない』という確率が高いだけだ。
諦めようとするな。慣用句に対してもそこまで捻くれたものの見方をして、揚げ足を取るのが科学という学問なんだ。
本分は長いので要約しましたが、大体こんな事を書いていたように思います。中々凄いことを書くでしょう?でも確かに、彼の書いたことも間違いではないんです。
つまり、世の中には必ず何らかの形での例外が存在する。
でも世の中に存在する例外は、必ずしも良いものばかりだとも限らないんです。
サービス業者の中には、言葉巧みに顧客から多額の報酬を持ち逃げするような、道を踏み外した者も存在します。
私は最初、心の何処かで、ツジラさんもそんな『道を踏み外した者』だと思ってしまっていました。何せやっている事がやっている事ですから。
だから、彼に強力を仰ぐ事に反対した中には『騙されるかもしれない』と主張した職員も居ました。
でも実際の所、彼からの返事を見た私は、彼がそれほど卑劣な人物ではないと、そんな風に思ったのでした。
―前回より―
そして私は今日、彼―ツジラさんに呼び出され、東ゾイロスが誇る人気ファミリーレストラン『NYAN☆BEY』で待ち合わせ中なのです。
注文は今のところドリンクバーのみ。長い人生で久々にコーラの味を再認識しましたが、まさかこれほどに美味しいものとは……。
そろそろ何か食べる物を頼もうかと思っていた時、ふと私の目の前に大きな赤い虫が現れました。外殻種(禽獣種や羽毛種、有鱗種の節足動物版と思って下さい)の方でしょうか?原種型個体と言って、こういった方々の中にはヒューマノイド型を乖離した形態の方が居られます。面白いですよね。
外殻種の方(と、思っておきます)は私の向かい側の椅子に降り立つと、私に向き直って言いました。
「失礼、私立東ゾイロス高等学校理事長の……」
「緒方三ツ葉ですが」
「良かった……。お初にお目に掛かります。私、かの方からの使いとして参りました。シデムシ系外殻種のクリムゾンと申します」
「かの方…?」
「貴女がお便りを出した、あの方で御座います。一応、我等の会話は部外者に対してごく普通の世間話となるよう魔術を施しましたが、それでも用心に超したことは無いでしょう」
「確かにそうですね。それで、彼は何故私を呼び出したのです?」
「はい。実はですね、かの方は生放送のため、現場に収録スタジオを設けなければならないのですが…」
「それは承知ですが、何か問題でも?」
「えぇ。前回は事前に現場の建造物に関する情報を得ることが出来たのですが、それは相手が王家の侍従であったからこそです。ジュルノブル城は半ば観光地であり、ノモシアの庶民は元々表裏が無く寛容でありますからな……しかしながら、ラビーレマともなればそうも行きますまい?失礼ながら『追い詰められたラビーレマの民は己の為ならば権利も誇りもあっさりとかなぐり捨てる』と聞いております」
クリムゾン氏の言及したラビーレマの民族性は的確の一言でした。
「いえいえ、全く持ってその通りですからご心配なさらず」
「左様で……そして更にまたこうも聞きました。『ラビーレマの民は趣味趣向に於いて共通する者や、自らに友好的である者は決して裏切らず生涯全力を以て愛し続ける。その反面、自らを阻害する者や、敵対的であったり、悪意を以て接しようとする者は徹底的に忌み嫌う。しかし原則として無用な争いを望まず、それ故に進んで争いを仕掛けたり、破滅させようとする事は極力しない』と」
「確かにその通りですね。現にラビーレマで起こったいじめ行為の加害者は総じて、性格面に於いては他大陸出身者に近いことが明らかにされていますし」
「そうでしょう?ですからして、かの方は収録場所の下見に自ら現地に赴くことを躊躇っておられます。お便りによれば、かの方への協力要請を出すという案が出た時、賛成派と反対派による対立が起こったというではありませんか」
「全く持って仰有るとおりです」
「『ともなれば、現地へ赴いての情報収集や下見は徒労』かの方の出した結論に御座います。何より今回の敵は校内に潜伏している。つまりあなた方を監視しているとも、考えられるわけです」
「……!」
思わず言葉を失いましたが、気を取り直して精一杯言葉を紡ぎます。
「お恥ずかしながら、盲点でした」
「いえいえ、恥ずべき事ではありません」
「それで、私に何をせよと?」
「単刀直入に言いますと、今からお渡しするデータに従い、我々に校内の見取り図と各所の特徴に関するデータを提供して頂きたいのです。無論、提供して頂いたデータは公表せず、回収次第此方で破棄します」
こうなったら決意を固めるしか在りません。私は彼の言葉に従い、ツジラさんにデータを提供する事を決意しました。
繁の部下であるという外殻種・クリムゾン。
次回、彼の驚くべき(?)正体が明らかに!