第二百二十九話 ゲスイジュウ
ダリアの罠により地下に落とされたレノーギ、デトラ、シャラの三名だったが……
―第二百二十五話より・首相官邸地下―
「ったく、どうなってんのよ……脆そうな扉突き破ったと思ったらこんな……」
「崩れ方からして罠なのは確かでしょうね。それにしても酷い臭いだ……」
「全くだぜ……流石の俺でもこんな酷ぇ場所は初めてだ。下手すっとショック死しそうになりやがる……」
ディゴーンの化け蛸に乗り込んだレノーギ、デトラ、シャラの三人は現在、官邸地下を通る巨大な用水路の脇にある簡易通路を歩いていた。生活排水や様々な各種廃棄物(残飯や魚骨などの生ゴミから木材や紙切れ、ビニール、プラスチック、ゴム、金属等)が入り混じって流れていく水路の水面は中性洗剤の泡や廃油が浮いており、潔癖性の者ならば四半日と待たずに発狂し自ら舌でも噛み切りそうなほどに汚染されている。
「しかしまぁ酷いわね。ゴミ処理関係の施設がない事は知ってたけど、本当に何から何までひっくるめて捨ててそのままなんて」
「極端な言い方、こんなの先進国のやることじゃないですよ。僕は自然とか環境とかよくわかりませんけど、仮にこんなものをどこかの海や川に流しているのだとしたら……失禁しそうになりますね……」
「全くだ。サカナの端くれとしてもこんな所ぁ死んでも泳ぎたかねぇぜ。しかもそれだけならまだしも――っけィ!」
戦闘を往くレノーギは落ちていた空き缶を拾い上げて片手で瞬時に丸めると、それを足下へ投げつける。ぐしゃり、という湿った音を立てて何かが潰れた。
「こんなひでぇ場所だろうが、最上級のリゾートホテルばりに我が物顔で住処にしてる奴らが居るってんだから世の中わかんねぇもんでよ……ったく」
レノーギの足下で頭を潰されていたのは、ライラック色の外骨格を輝かせる扁平な虫であった。全長15cmにもなるこの虫は、かの漫画神が幼少期執着しペンネームの由来になったとの逸話も残る飛べない甲虫・オサムシ類の幼虫である。美しい外骨格から『歩く宝石』とも呼ばれるオサムシ類は成虫・幼虫共に獰猛な捕食者であり、これほどの大型種ともなればヒトの指など暖めたバターのように噛み切ってしまうだろう。
「ンの野郎、一昨日来やがれってんだ!」
レノーギは腹立たしげにオサムシ幼虫の死骸を蹴飛ばした。汚染された用水路に落下した死骸は、着水した途端獰猛な水棲生物たちによって貪られていく。常軌を逸した形質を持つカタル・ティゾルの生物群にしてみれば、汚染された暗い地下水路でさえ地上に引けを取らない多様な生態系を成すことも容易いのである。
「ひっ……」
その様子を見たシャラの端整な美顔が恐怖に歪む。もし自分があの中に落ちたのならどうなってしまうだろうか。恐怖で卒倒しそうになる少年をデトラとレノーギは無言で優しく抱きしめる。
―以後―
迷宮のように入り組んだ地下用水路は、まさに魔宮と呼ぶに相応しい恐ろしさを誇った。仄暗い上に生暖かく湿った空気は廃棄物や汚水の悪臭も相俟って、その場に立つ者の精神を的確に害していく。その中に潜む"住民"達も軒並み獰猛な捕食動物であり、隙あらば三人を喰い殺そうと狙ってくる。それは例えば一抱えほどもあるネズミであったり、鎌のような前脚を振るう吸血性の蝿であったり、水中から榴弾砲のように飛び出て襲い掛かってくる巨大な水棲ヒルであったりする。仮にそれらを対処しきったとしても、天井から牙の生えたカエルやサイケデリックな色合いのナメクジなどが示し合わせたように降り注いでくるため油断はできない。
「何なのよこの水路……本当にゴミだらけの下水道なの?」
「まるでジャングルですよこんなの。流石に植物は生えてませんけど、カビや茸が……」
「お前ら、あんま変なもん触るんじゃねぇぞ。地上じゃまるで見たことねー種類だ、何が起こってもおかしくねぇ」
動植物や菌類の知識などテレビで見た程度のレノーギだったが、テレビ仕込みの知識はそこそこ的確でもあった。
「そもそもここの奴らだって曲がりなりにも自然のもんだ、食物連鎖っつーピラミッドだか輪っかはここにも多分ある。とすると……だ」
「……何なんです?」
「この水路ん中にはよ、あのネズミや虫やステロイド打ちすぎたミミズなんかを余裕で喰い殺すような化け物がいるかもしれねーって事だ」
「考えすぎじゃない?幾ら広いったってそういう大きいのはもっとこう、のびのびとした空間に―――」
いるのが普通でしょ?
デトラの言葉を遮るように、三人の前方から巨大な何かが姿を現した。
通路へと身を乗り出したその生物は一見、ぬらぬらとしたヘドロ色の皮膚に覆われた醜いジンベエザメかハンザキのように見えた。目は肉に埋もれ、頭頂部の隆起には鼻の穴らしきものが備わり、極端に太短い前脚や巨大な口はホモ・サピエンスのものに酷似している。
「もっとのびのびとした場所に、何だ?」
「――前言撤回。明らかにやばそうなのがいるわ、それも目の前に」
「まぁ、そういう事もあらぁな。だが慌てる事はねぇ、俺の推測が確かならあの手のデカブツはこっちが下手に刺激しなきゃ襲ってはこねぇし、襲ってきたとしても体型と脚のつき方からしてそんな素早くはねぇ筈だ。この距離なら走って逃げりゃどうにか―――」
ならぁぜ などとレノーギが言い切ろうとした、刹那。ぐぱり、という湿った音を立て怪物の大口が内部から押し開かれたかと思うと、中から太長いウナギを思わせる生物が三匹も飛び出してきた。その生物には鱗も目も胸鰭もなく、鰓さえ小さな穴に過ぎない。異常なまでに巨大な口の中にはどういうわけか肉食獣を思わせる純白の歯が所狭しと並んでおり、この生物が獰猛な捕食者である事は明確であった。
そのインパクトに思わず絶句した三人であったが、三匹のウナギらしき生物はそんな三人になど目も暮れず、互いに身体をぶつけ合ったり噛み付いたりし始めた。ルームシェアをしている癖に、この三匹の関係はかなり険悪なものであるようだ。
「……どうにか、なんなんですかレノーギさん」
「前言撤回、こいつらヤベェ」
「っていうか、マジなんなのよこの水路。頭おかしいんじゃないの」
「まぁ、世の中にゃ原発や病院まである離島とかあっからな……兎も角逃げんぞ、連中の喧嘩はまだ当分長引きそうだしな」
かくして三人はその場からそそくさと立ち去った――が、歩き始めて五分もしない内に同居人達を喰い殺したウナギらしき生物の一匹は次なる獲物の幽かな臭いを察知、通路を高速で這い進み逃げ出した三人へと即座に追い付いてしまうのだった。
次回、下水道の中に住まう真の敵とは!?