第二話 さしガメ!
突如謎の光に包まれ気を失った繁が目を覚ますと・・・
―前回より―
何処とも知れない空間を、辻原は漂っていた。
その空間は、終わりのない曲がりくねった管に似ていた。
辻原の目に入る内壁の風景は、サイケデリックでありながら幻想的で、不思議な美しさを醸し出していた。
描かれているのが風景である事は辛うじて感じることが出来たが、それが何処なのかは一切理解できなかった。
「(ここは一体……俺はどうなったんだ……?)」
考え込む辻原だったが、この謎めいた空間では何をしようとほぼ無駄である事は既に実証済みだった。
奇妙な力によって浮かばされたまま、ゆっくりと落ちていく。
その空間では幾ら動き回ろうとも、進むことも上がることも止まることも出来ない。
ただ、等加速度で落ちていく。それだけだった。
「(それにしてもこの壁画……凄く俺好みなんだが、一体何を描いたんだろなぁ…)」
と、その時である。
突如、辻原の頭を激しい頭痛が襲う。
「―――ッ!?(な、何だこの頭痛は!?頭の中でッ…針の塊が暴れ回っているような……ッ!)」
頭痛はその後二分半にも及んだ。
「(……何だったんだ……あれは……)」
頭痛収束に安堵する辻原だったが、ここで更なる怪異が彼を襲う。
「(―――!?)」
頭の中が激しく揺れ動くような感覚に襲われたかと思うと、突如辻原の脳内へ、断片的な言葉が響く。
―お は れか ル・テ ルへ うだ ―
― か た 後、 そこ 簡単 る と 出 い―
― 前 れ った へ り ら カタ ィゾ の と れ―
― だと くな―
― 可 だと め な―
―お には が ―
―何 も る事 な 、絶 力 ―
―恐 な。 さ たお を け せ―
「(何だこの声は……俺に何を語りかけようとしてるんだ?)」
必死に考え込む辻原。しかし幾ら考えてもその答えは出てきそうにない。
そんな中、異変は起こった。
―壊したいものを探せ。消し去りたいものを探せ。滅ぼしたいものを探せ。殺したい奴を探せ。―
謎の声が、遂にはっきりと聞き取れる明確な言葉を発したのである。
「(…!?
……壊したいもの?
消し去りたいもの?
滅ぼしたいもの?
殺したい奴?
……何を言い出すんだ一体…?
…第一、俺に何をしろってんだ……?)」
謎の声は尚も語りかける。
―それが、見付かったら、口を開け―
「(口?)」
―そして、吐き出せ―
「(何を?)」
―壊したい、消し去りたい、殺したい、滅ぼしたい、その思いを精一杯に込めて、吐き出せ―
「(だから何をだよ?)」
―全てを消し去り滅ぼす、緑の霧、或いは、碧の流れ―
「(霧?流れ?)」
―それを以て、隠されたお前を、さらけ出せ―
「(隠された……俺……か)」
その言葉に覚えのある辻原は、断片的な言葉の解読を試みる。しかしその最中、またしても彼は意識を失った。
―目覚め―
「……ん……」
目覚めた辻原は、木製の床の上で寝転がっていた。
「…ここは一体……何処だ?」
起き上がって周囲を見渡すと、そこが中世ヨーロッパを思わせる豪奢な作りの部屋である事が理解できた。
「(だが何故…?俺は確か、あの謎の光に巻き込まれて気を失って……そうだ!荷物!何処かで何か落としたりしてないか!?)」
辻原は慌てて手荷物を確認する。幸いなことに、失っていたのは作りかけのカップ麺だけだった。
「(良かった……カップ麺は仕方ないが、これだけあれば十分やっていける……)」
安堵した辻原は、続いてこの部屋からの脱出手段について考える。
屋敷の主に頼んで出口まで案内して貰うのが筋というものだろうが、主含め屋敷の住人が友好的な存在だとは言い切れない。
実際辻原は大学に入り立ての頃、ゲームセンターで一人ゲームに興じる高校生のプレイ風景を後ろから観戦していた所、詳しい理由は不明だが何故か高校生に睨み付けられ、罵詈雑言のような言葉を叩き付けられたような気がしたという事があった(店内の音声が酷かったのと高校生の滑舌が悪かった事からよく聞き取れなかった)。
昔からそういった経験を繰り返すたび『幾ら治安のいい先進国であろうとも危険なときには危険である』という事を幼くして熟知していた辻原は、なるべく屋敷の住人に見付からないような逃走方法を計画する。
しかし幾ら考えてもいい案は浮かばず、結果的に彼の考えは行き詰まってしまっていた。
「(兎も角この部屋に人が来る前に何処かへ隠れないと……時代錯誤気味だが見るからに女の部屋だし、見付かれば洒落にならんぞこれは…)」
辻原は凄まじい速度で隠れ場所について考えを巡らせる。
しかし、やはりというか何というか、決定的にまとまった案は出てきそうに無かった。
と、その時。辻原の身に更なる危機が迫る。
「!?」
豪奢なドアノブが回転し、部屋に何者かが入ってきたのである。
焦りと未知なるものへの恐怖で慌てふためく辻原だったが、やがてそれも馬鹿馬鹿しく思い、動くのをやめた。
そうして入ってきたのは、起伏の無い体つきに豪奢なドレスを身に纏う、白金色のツインテールを棚引かせた高貴そうなティーンエイジャーの少女―基、異世界カタル・ティゾルは大陸ノモシアを支配する王国エクスーシアを治める国王の一人娘こと、コリンナ・テリャードであった。
その姿を見た辻原は、再び考えを巡らせる。
「(どういう事だ……?あんな服装をした人間が、まさかこの世にまだ居るってのか?そんな馬鹿な。時代錯誤も大概にしてくれ。金属製の鎧に剣と盾で戦う兵士や、忍者の方がまだ現実味がある……だがだとすれば、この女は一体何者なんだ……?)」
一方のコリンナは、辻原の姿を見て内心歓喜していた。
「(やったわ……成功よ……そう、この男よ…。
私が探し求めていた、最高の下僕……!
これでこのつまらない毎日がもっと愉快になるに違いないわ……)」
そんなコリンナの考えどころか、名前すら知らない辻原は、ふと左手の掌に違和感を感じる。
「(……ん?何だ?)」
辻原が左手を見ると、掌に何やら黒い紋章のようなものが刻まれている。
その形状はまさしく昆虫のようで、大学で昆虫学を学ぶ辻原にとってその種類を特定する事は容易かった。
「(これは……サシガメか?)」
サシガメ。漢字では「刺亀虫(刺す亀の如し虫)」または「刺椿象(刺す椿の象)」と表記されるそれは、虫や鳥獣の体液を啜るカメムシの一種である。
一瞬入れ墨の類かとも思ったが、生憎と辻原にそんな趣味はない。
では冗談か何かで書き記した落書きか何かか、とも思い記憶を探ったが、それも当て嵌まらない。
何はともあれそれを不審に思った辻原は、人差し指と中指で、紋章に軽く触れてみる。事が起こったのは、その瞬間だった。
「(―――――!?!?!?!?)」
辻原の脳内にて、驚くべき勢いで様々な情報が再生される。
更に驚くべき事に、辻原は再生された全ての情報を余さず明確に記憶するに至ったのである。これにより辻原は、一瞬にしてこの謎の状況についての全てを知るに至る。
あの光や謎の空間の正体、何故自分があんな目に遭ったのか、この少女は何者なのか、謎の声によって語られた言葉には如何なる意味が秘められていたのか、この紋章とは一体何なのか。
その全てを、辻原は理解できた。
そしてそれにより一気に平常心を取り戻した彼は、不気味な笑みを浮かべ、呟いた。
「――成る程な。大方覚った」
大学生・辻原繁。
下僕欲しさに彼をこのカタル・ティゾルへと召還した張本人である王女コリンナは、知らなかった。
温厚で博識、かつ真面目で心優しいと専ら評判になっている彼の持つ、おぞましい本性の存在を。
繁の持つ本性とは一体?