第百八十話 No.9
目覚めるとそこは、幻想的な森の中だった。
―前回より―
「……これが『神秘』って奴か」
他の面々と同じく、寝起きと共にブランク・ディメンションの中へ放り込まれた繁が辿り着いたのは、日光の全く届かない樹海の深奥部と思しき場所だった。
深緑の苔に覆われた地面から太い大樹の幹が垂直に伸び、余計な枝や葉はおろか蔓や草さえも見当たらない。そして何より繁の目を惹き彼を感嘆させたのは、それらの上を動き回る無数の小さな蜘蛛達と、彼らによって張り巡らされたであろう、木の幹を粗くも覆い尽くしそれらの間にも薄い壁のように張り巡らされた白銀の蜘蛛の巣であった。
「或いは『幻想』とか『優雅』ってのかもしれんが、何にしろキモは蜘蛛共だ。この丸っこくて蜘蛛らしからぬ――強いて言うならミツツボアリみてえな腹が、どういう原理かオレンジ色に光ってんのが何よりいい。優しくもはっきりとした光が、輝く巣へと染み渡るように広がっていく様子は何とも素敵だ……」
等とナレーションの仕事を丸ごと奪うように淡々と話を進めていく繁だったが、ふと不自然なタイミングで話を切り上げ黙り込む。
そしてそのまま身体を殆ど動かさないまま静かに言う。
「――それで隠れたつもりか?」
その言葉を聞きつけたのか、繁の背後10m辺りの地面から赤い何かが湧き出した。
湧き出したもの―赤い半透明をした液状の物体は、徐々に脹れ上がると共にその姿を確かな形へと変えていく。
「地中に潜っている流体種を察知するなんて、霊長種離れした感覚ね。かのバグテイルは別格といった所かしら」
地面から這い出つつそう宣うデーツ・イスハクルに、繁は淡々と言い返す。
「……馬鹿が。こんなもんただの山勘だ。つーか、根拠もクソもねぇ『何となく』の一言に尽きるいい加減なハッタリだ」
「あら、でもハッタリにしては妙に的確ね? 『山勘で何となく』程度の理由なら、もっといい加減で的外れな事を言うのが普通じゃないの?」
「んなもん知るか。こんなわけわからん空間で何か妙な予感がすりゃ、近くに敵が潜んでるんじゃねーかっつー結論に至るのが普通だろ」
「そういうものかしらね」
「そういうもんなんだよ。少なくとも見方が潜んでるわきゃあねーだろうが」
「その考えは些か短絡的なんじゃないかしら」
「じゃあ何だ? だったらお前は俺の味方だってのか?」
「そうは言ってないわよ」
「そうだろうが」
繁は改めて後ろを向きながら、デーツに問いかける。
「……で、敵とやら。流体種とか言ったな? 何者だ?」
「私はデーツ・イスハクル。さる大国で屍術を研究しているしがない三十路の独身女よ」
「何故俺の名を知っている?」
「何故って、あなた有名人だもの。声を聞けば判るわ」
「そうか……それで、この空間は大方空間系魔術で作り出したか俺の脳が見ている夢だとして――
「前者よ。時空間系最上級魔術『ブランク・ディメンション』の持つ貌が一つ、『一万と二千の蜘蛛を宿す創聖樹海魔境』」
「そうか。それで、お前の目的は何だ?」
「私の目的は―まぁ色々あるけれど、今の所はあなた達を打ち倒す事かしらね」
「何故俺達を狙う? まさか、樋野の手先か?」
「その冗談は本気で笑えないから止して頂戴。誰があんな奴に従うもんですか、千兆積まれても願い下げよ」
「そりゃすまん」
「私達は樋野とその手下を始末し、この国を奪い取らねばならないのよ」
「壮大な目標だな。つまりお前達は獲物を先取りされまいと俺達をこの空間に閉じ込めようとしているわけだな?」
「そういうこと」
「しかし妙だな。一介の研究者が何故そこまでの事を―っぉぁ!?」
言い終えるより早く、繁の眼前で何かが爆発した。
「これ以上聞き出すつもりなら……私を倒してみせなさい」
その瞬間、デーツの胸元へ光る痣にも似たものが浮かび上がった。
それを見た繁は、驚きと歓喜が入り混じったような声を上げる。
「こいつは驚いた。まさかこんな所で同類に会えるとはなぁ……」
「同類……という事は、やはり貴方も……」
「そう、八番目だ」
そう言って誇らしげに突き出された繁の左手には、第八のヴァーミンを持つものたる証拠であるサシガメの紋章が浮かび上がっていた。
「八番目……『アサシンバグ』ね。六罪の一つ、嗜虐の罪を持つ者が保有するという」
「そういうそっちは九番目の『チック』か。四欲が一、情愛への欲がとびきり強い奴に宿るっつう」
ヴァーミンという異能はそれぞれ罪悪や欲望を司っており、これらは有資格者選定の基準として極めて重要な役割を担う。
六罪四欲の名が示す通り、それらは六つの罪と四つの欲から成り、昆虫を象徴に持つ異能は罪を、そうでない生物を象徴に持つ異能は欲を司る。
それらの罪または欲の要素が濃い者程有資格者に選ばれやすく、異能の扱いも上手くなる傾向にある。
「(何にせよ始まっちまったもんは仕方ねぇ。さっさとこいつをぶちのめして吐かせるとするか)」
繁は矛先が地面に触れるような角度で槍を持ち、戦闘体制に入る。
「(流体種と戦った事はねえが、体内のどっかにある頭蓋骨意外への攻撃は無意味だってことはわかる。だが目的はあくまで屈服させることだ。殺しちまったら元も子もねぇ……さて、どうすっか……)」
等と思案しつつ、繁は様子見に片足を右に踏み出した――その時。
「!?」
踏み込んだ右足に、何か粘着性のものが絡み付いた。注視するにそれは蜘蛛の巣を成す粘着力に特化した横糸を思わせる物体であった。
更に、時を同じくして森の中をゆっくりと歩き回っていた蜘蛛達が、まるで何かに取り憑かれたかのようにせわしなく動き出し、空間そのものを瞬く間に作り替えていく。
繁はその光景にただ呆然と立ち尽くす他なく、美しい小さな蜘蛛の這い回る幻想的な暗闇の森は、高さ3mほどもある青い結晶柱八つに囲まれた巨大な蜘蛛の巣を内包する半球型洞窟へと姿を変えた。繁とデーツが立っているのは一見巨大な蜘蛛の巣に見えたが、実際はそれらしい模様の描かれた透明な建材から成る床面であるらしい。
更にその周囲には円形闘技場をイメージにあるような擦り鉢状の観客席まであり、そこには先程森の中に居たものも含め多種多様な蜘蛛が座り込んでいた(但しその全てが平均してヒトの背丈ほどの巨体を誇っている)。
「ようこそ、ツジラ・バグテイル。改めて歓迎するわ、我が領域『一万と二千の蜘蛛を宿す創聖樹海魔境』の真髄『心象を写す蜘蛛糸の鏡面』により構築された『女郎蜘蛛の手芸細工』……この場で器用に動けない者は不可視の糸に拘束され、糸が溶けるまで決して力押しで抜け出すことは出来ない……」
デーツはゆっくりと左手を掲げると、掌の上を赤い胡麻粒のようなものが浮遊し始め、それは複雑な回転を繰り返しながら凄まじい勢いで脹れ上がっていく。
「(……あれは……ダニか? 確かに吸血性のダニには、基本米粒の半分程度の癖に血ィ吸ったらカナブン大にまで脹れ上がるヤツも居るが、まさかアレは……)」
「さぁ、来なさいツジラ。本気の貴方を仕留めてこそ、私達の計画は意味を成すの……」
「一体何が目的なのかさっぱりだが……まぁ良いか」
繁は右脚に絡み付いた糸を溶解液で除去すると、手甲鉤の爪を展開し身構える。
「味わわせてやるよ、どうしようもねぇ絶望ってヤツをな」
次回、香織VS生一!魔術師対決中編!