第百七十二話 逸脱者ウタツの独白
影の薄い羽辰が胸中を語る……
―前回より―
『事の起こりは今朝方……時刻としては6:30くらいだったでしょうか。私達二人は事前に打ち合わせ通り璃桜さんの部屋へ向かったんです。
「まだ倦怠感や頭痛は抜けないが、どんなに不調でも六時半までには起きるようにしている。出来ればその時間帯に食事を持ってきてくれないか」との提案を受けていましたのでね』
「ほう、規則正しい生活って奴か。憧れるな、それ」
「うん。住み込みで修行したり働くとなると本当に生活習慣乱れるからね。
それで、どうなったの?」
『はい……試しに桃李がノックしたんですが、反応が途絶えてましてね。心配になったので、私も一緒になって声を掛けてみたんです。しかし返ってきたのは言葉ではなく、如何にも苦しそうな呻き声でした。しかもそれの声質がヒトより竜に限りなく近かったものですから、思わず慌ててしまいましてね」
「うん」
『二人がかりでドアを蹴破り中へ突入したところ、璃桜さんの姿が見えないんです。慌てて電灯を灯し辺りを探し回ると、ベッドの上に布団の饅頭が出来ていました』
「んで、その布団饅頭の中に居たのが璃桜だったと」
『えぇ。ひとまず様子見がてら少し呼びかけてみたんですが、呻くばかりでまともな返答がありませんでね。
仕方なく無理やり毛布を剥がさんとしたのですが……』
「どういうわけかそこで桃李さんが引っ掻かれたんだ?」
『はい。一瞬で腹を抉られた桃李はその場に倒れ付し、連動でダメージを受けた私も撤退を余儀なくされました。
その後組み伏せられた桃李を何とか助け出し、今こうしてここに至るわけですが……果たしてあれは一体なんだったのか……』
「闘技場での発狂が再発したんだろうな。術か異能なんかの弊害か、そうでなきゃ体質か……」
「何にしろ早く止めなきゃ。こういうのはそのまま放置しておくと大概ろくでもない事態に発展しちゃうのよね」
『リューラさんも同じ事言ってましたよ。あの人の事ですからどうせ漫画か何かの受け売りなんでしょうが、強ち無碍にも出来ない話なのが何とも……っていうか、ニコラさん達はまだ戻らないんですかね。
「私が戻ってくるまでそのまま安静にしておけ」とか言ってましたけど、安静も何もありゃしないでしょうに』
表面上はポーカーフェイスを決め込みながらも、胸中では負傷した妹を何処までも心配している羽辰は、話の隙を突いてしきりに妹の方へ目を向ける。
「心配か?」
繁の問いかけに、羽辰は若干の震えと早口を含んだ声で、しかし冷静に淡々と答える。
『当たり前でしょう。生まれてこの方20年間一緒側に居ることの出来た唯一の家族ですよ? 親を失い、周囲から爪弾きにされ続け、親戚とも離れ離れになって、それでも懸命に生き続けた、誇り高きこの私の妹ですよ? それが命に関わるかも知れない大けがをしているというのに、平然と見過ごせる兄が何処に居ますかっ』
「羽辰さん……」
『……失礼、私としたことが冷静さを欠いていたようですね。見苦しいものを見せてしまったようで』
冷静さを維持しながら、羽辰は尚も淡々と言葉を紡ぐ。
『私は彼女の兄であり、我ら兄妹は一卵性の双子です。その上私は、妹を苦しめたくない、妹の助けになりたいと願う一心で肉体を、ヒトとしての生を捨ててまでこのような異形と成り果てた身の上……今や桃李無しでは存在をも許されない私にとって、彼女の存在は世界そのものにも代え難い程に尊いものなのです』
羽辰の喋りから徐々に落ち着きが損なわれていく。
『一卵性故当然付き合いも深く長いですから、彼女のしぶとさや悪運の強さはよく知っています。それについては皆様に指摘されるまでもありません。しかしだからといって、幾ら彼女が只では死なない女なのだと、この頭では解っていても……それでも彼女が心配なんです。心配でない筈がないんです。博士号所得とまで言われていたのにっ、周囲から散々苦しめられてっ、その未来を自ら捨てざるをえずっ、真っ当な一個人としての生を諦めっっ、それでも頑張ろうと生き甲斐を求めた挙げ句、あんな塩化アンモニウムとアミン類の酷い腐敗臭にまみれた連中に肩入れする事になってしまった……そんな彼女を満足に守ってやる事さえ出来ない自分が……情けなくて仕方ないのです』
羽辰は今にも泣き出しそうだったが、必死の思いでその感情を抑え込みながら静かに姿を消した。自らの精神を安定させ、せめてもの祈りに力を込めるため、妹の内部へと能動的に戻っていったのである。
外部へ出払っていたニコラ達が姿を現したのは、それからすぐの事だった。
「お待たせ!」
「あ、ニコラさんに春樹ちゃん。今戻ったの?」
「うん。途中でレジが爆発して遅くなっちゃったのだ。桃李さん、どんな感じなのだ?」
「こんな時に演技でもねぇ事言うな。羽辰は引っ込んじまったが、桃李の奴なら何とか無事だ」
「っていうかレジ爆発って何? 一体何処行ってたの?」
突っ込み混じりな香織の問いかけには、ひとまずニコラが大量のビニールや紙の袋を下ろしながら応じる。
「何処って、薬局とホームセンターと魔術具店よ」
「薬局とホムセンは兎も角、何で魔術具店?」
「桃李の手当てについて話してた時、話が脱線してね。その時に春樹ちゃんがヒントになるような事言ってくれたから」
「璃桜の心に入った時の感想を言ったら三上さんが拾って話が進んだだけのこと、僕自身そんなに大した事言った覚えはないけど」
「いえいえ、儂もただ単に推論を述べただけですから。それでフォックス様、これから如何致しましょう?」
「とりあえず場所を移すしかないね……村内さん、医務室どっちだっけ?」
「案内致します」
かくして桃李は即席の簡易担架で邸内の医務室へと運ばれていった。
「大丈夫かな……」
「信じるしかねぇよ。桃李をあのままにしとけっつったのもニコラだ。毎度毎度暴れ回ってんのと不老不死のイメージが強過ぎて忘れがちになるが、奴は元医学博士だ。
それも自分の身体散々弄くり廻してまで『ヒトが死ぬ』って事の原理を研究しまくって、研究結果を本に纏めたような奴だ。怪我人を見る目は確かなもんだろ」
「それもそうだね」
「第一羽辰も言ってた事だが、桃李のしぶとさはそれこそゴキブリに例えたって何ら遜色ねえ。
それより問題は璃桜だ。桃李の件で気付かなかったが、なんかまだ向こうの部屋でドンガンやってる所を見るに三人とも何か面倒な事になってると見える。さて、どうしたもんか……」
「止めるとかそう言うの以前に、彼女が何なのかさえ解んないからねぇ……」
頭を抱えて唸る二人だったが、幾ら頭を捻っても進展は見られなかった。
『せめて何か解決の糸口になるような情報があれば……』二人がそう思ったとき、その場に残っていた使用人・三上が口を開いた。
「お二人とも、ちょっとよろしいですかね」
「ん、何でしょう?」
「どうしました?」
「いえ、もしかしたらお嬢様達の助けになるかも知れないネタを思い出しましてね」
「それは本当ですか?」
「えぇ。とは言っても要は先程言っていた『儂の持論』なもので、お役に立てるかどうかは解りかねますが」
「構いません、聞かせて下さい」
「えぇ、はい。そこまで言われたのなら、話さぬ訳には行きますまいて」
次回、三上の出した答えとは!?