第百三十七話 だから彼女は、正気になれない。
※予定が狂いました。繁&香織サイドより先に、公開処刑大会の行く末をご覧下さい
―前回より・闘技場―
竜属種の女によって執り行われた『処刑』は、既に処刑の域を逸した『虐殺』若しくは『殺戮』へと成り果てていた。若しくは『破壊活動』かもしれないが、どのみち闘技場が惨劇の舞台と化していた事に変わりはない。
惨劇を目の当たりにした観客達は処刑執行者を大声で称え、血生臭い空気の中で尚も嬉々として笑っている。とても正気の沙汰とは思えないだろうが、産まれながらの富裕層として幼くして何不自由ない生活を送って生きてきた彼らは、既に並大抵の快楽では満たされない程に感覚が麻痺している。故に一般的な感覚を持つ者からすれば狂気の沙汰としか思えないような凄惨極まりない光景さえも、彼らにとっては単なる娯楽でしかないのである。
かくして公開処刑大会は閉幕し、観客達は帰っていった。
―その夜―
「……何故だ……何故こんな事になってしまったのだ……」
地下牢のベッドに寝転がり、仰向けになったまま自らの右手を見ながらぼやくのは、昼間の闘技場で処刑執行者として虐殺の限りを尽くしたあの竜属種の女であった。闘技場ではボロ布を身に纏っていた彼女だが、今は白い襦袢のような服を着込んでいる。
真宝政府によって監禁されている彼女は、死刑判決の出た重罪人への処刑を執り行う為の『道具』賭して利用されているのである。
「このままでは駄目だ……それは解っている……きっとこのままでは……私は――ッ!」
ぼやいていた女を、突然の胸痛と息苦しさが襲う。それまで正常だった心臓の脈拍が急激に乱れ、凄まじい動悸が心臓のみならず全身の体組織を激しく揺るがす。同時に彼女の脳内に、ある衝動が蘇った。
「くそ、まただ……またこの感覚がッ……! えぇい、沈め! 落ち着けッ!」
女は両腕で尾を抱え込むようにして屈み込み、声を荒げて己に言い聞かせる。この衝動を受け入れるわけにはいかない。
「やめろ! 沈め! 失せろ! 私の中から消えて無くなれっ!」
激痛は遂に全身にまで及び、更に激しくなる動悸と相俟って女を更に苦しめる。
「っぁああっ! 止せ……止めろっ! 私はそんなもの、欲していないっ――っがあぁぁぁあぁあ、あア゛ッ! っくェ゛っへぅっ!」
抗わんとして奇声を挙げながら地下牢の床をのたうち回った女だったが、暫くして疲労が限界に達し、牢の奥で眠り込んでしまった。そんな中、ふと地下牢の前へと現れた者が居た。近頃この近辺の警備を任されることになった、新米の刑務官である。他大陸からのアルバイトという扱いから正式な警察関係者と見なされていない彼は、それ故に犬の着ぐるみではなく、作業着に似た青い制服の着用を義務づけられていた。
「おいおい何の騒ぎだ? 楽して稼げるバイトだからって志願したってのに、何なんだよ一体。こんなの聞いてないぞ?」
気怠げな態度の刑務官は、地下牢の鉄格子に近付いて中を覗き込んだ。
「こっちとしちゃ面倒事は真っ平御免だってのに、一体何が起こったんだ? 頼むから妙な事にはなっててくれるなよ……?」
暫く牢の中を覗き込んだ刑務官だったが、遠目から見ただけでは中で何が起こっているのか判別は難しいようである。
「ったく……ここからじゃ何が起こってるのかよくわからんな。……だがこのまま帰ったとして今日はそんなに予定もないし、明日になって何かあったと解ったらそれはそれで色々と面倒なんだよなぁ。所長は少しの事でもヒステリーを起こして怒鳴り散らすし、他の奴らだって総じてろくでもない腰巾着ばっかりだし……はぁ、仕方ない。中に入って確かめてみるか」
刑務官は扉に設置された指紋認証装置に掌を当ててロックを解除し、牢の中に入ることにした。
「さて……と。あれだけの大騒ぎがあった割に荒らされた形跡は無し、と……ん?」
ふと、刑務官は足下に何かが転がっているのを見掛けた。疑問に思い懐中電灯で照らしてみれば、それは先程まで暴れ回っていた竜属種の女であった。
「こいつ……そうか、この女がここに監禁されてる凶悪犯か」
仰向けになって床で眠る竜属種の女を見て、刑務官はふと呟いた。
「それにしてもこいつ……よく見てみれば中々の別嬪じゃないか。それに、若干筋張ってるけどスタイルも良い……。というか真宝のアイドルやグラビアは貧乳や幼児体型ばっかりでウンザリしてたんだが、まさかこんな所で俺好みの女に出会えるとはな……これで明日から頑張れるってもんだ」
刑務官は寝ている女を刺激しないように、少し距離を取った状態でその身体を見続ける。そして何を思ったか、刑務官は寝ている女にゆっくりと近づき、その頬を撫でようと手を伸ばす。
「(本当は腹なり胸なり太股なり触ってみたいところだが……幾ら刑務官と囚人でも、それは流石にマナー違反って奴だろう。いや、頬もアウトだとは思うけどさ)」
等と考える刑務官の指が、女の頬に触れた瞬間。
「!?」
「え?」
何かのスイッチが入ったかのように突然見開かれた女の目。条件反射で腕を引っ込め言い訳を考える刑務官だが、彼がものを言うより素早く起き上がった女は、そのまま刑務官に掴みかかり、組み伏せてしまった。
「えッあ、っと、すま――っぐぁああああああっ!」
刑務官は咄嗟に誤ろうとするが、それより先に女の手が組み伏せた刑務官の右腕を握り潰す。
「っ、すま、ん! 別にいやらしい事をしようとした訳じゃ――っごぇぁああああっ!」
続いて左腕も握り潰され、刑務官の青い制服に血が滲む。
「ただ、お前がとても美人だったから、つい頬を――っぎひああああっ!」
女は次に膝で刑務官の左脚を押し潰す。しかしそれでも尚、苦痛に耐えながら男は言葉を紡ごうとする。
「わ、悪かったぁっ! 頼む、許してくれ! 手を、貸してやろう! だから――っがぇおぁああああっ!」
更に右脚をも押し潰された刑務官だが、尚も交渉をやめようとはしない。
「俺はここの人間だ! だからお前をここから出してやれる! 解るか!? お前は自由に――っげぶぇあがぎぃっっ!」
女は必至で交渉を試みる刑務官の言葉に耳も貸さず、遂に鋭い牙の生え揃った大口で男の首筋に食らい付く。食道・頸動脈・気管を一瞬で噛み切られた刑務官の生命活動は停止し、結果として彼の命は一瞬にして絶たれることとなった。
女は殺した刑務官の生首を持ち上げ、その傷口から流れ出る鮮血を口元へ流し込むように飲んでいく。生首から血が出なくなれば手足を引きちぎって血液を搾り出そうとし、それらがなくなれば残った胴体を爪や牙で切り裂くという徹底振りは、竜属種というその姿も相俟って、気の狂った野獣が獲物を貪るが如し勢いであった。
因みに余談だが、翌日変死体となって発見された刑務官の死が、万宮政府と結託した刑務所上層部によって隠蔽されたのは言うまでもない。
次回、作者は今度こそ百三十六話で予告した内容を書けるのか!?