第百二十四話 芽浦家の壊滅
謎の少女ラト、その恐るべき正体とは!?
―前回より―
背から生えた触手が放射状に広がり、まるで醜い蝶を思わせる姿となったラト。元が儚げな少女であったためにその様はどこか威圧的であり、見る者に本能的な恐怖や嫌悪を催させた。
「先生、あの子は一体……?」
「彼女の名はラト・ルーブ。数年前のあの日、私に再起と逆襲のための力をくれた方です。彼女の存在があってこそ、私は海神教の信帝として返り咲く事が出来たのですよ。そう、言うなれば彼女こそ、我らが大いなる海神スィチンが遣わされた救いの使徒――俗に言う『天使』というものなのでしょう。ねぇ、ラト?」
「そうだね。ありがとう、クルスお兄ちゃん」
クルスの問いかけに、ラトは朗らかな笑顔で答える。
「ああ、ラト……あなたが居てくれたからこそ、今の私があるのですよ。
共に、戦ってくれますか?」
「うん、戦うよ。ラトはラトをここまでにしてくれた海神教に、お礼をしなくちゃいけないもん。だからね、クルスお兄ちゃん。邪魔な奴らはみんなラトが殺してあげるの」
ラトの背から生えた触手の一本が大きくしなり、円錐状の先端部で標的を貫かんと銃弾のような速度で向かう。対する繁達は、ラトがてっきり自分達を刺し殺すのだとばかり思って身構えていたが、その予想は大きく外れる事となる。
曲がりくねった細長い触手の先端部が貫いたのは、事も有ろうに『礼をしなければならない』筈の組織のトップに君臨している男―即ち、海神教信帝クルス・ディーエズの眉間だったのである。
「せ、先生!?」
【教授殿!?】
【ディーエズ教授!】
【教授殿ォ!】
【ルーブ殿、これは一体どういう事です!?冗談にしては笑えませんぞ!】
感情任せに怒鳴り散らすウィルバーの問いかけに、ラトはただただ冷ややかに言った。
「どういうことって? 変なことをきかないでよ。邪魔な奴をひとり、殺してあげただけじゃない」
【……邪魔? 私達ばかりかあんたをも育ててくれた教授が?】
心配性である筈のネフルは珍しく落ち着き払っていたが、それは激しすぎる怒りを無理矢理押さえ込んだ結果からくるものであった。
「そう、邪魔よ。今のラトにはあんなのいらないもん。ついでにあんたもいらないわ、芽浦春樹」
ラトの触手は続いて春樹を狙うが、それより先にカイゼル達の飛び道具が彼女へと襲い掛かる。だがそれらは全て、ラトの操るうねる触手によって打ち消されてしまった。
「邪魔なのよ。ラトの思い通りにならないものは、全て」
ラトは両手をまるでオーケストラ指揮者のように動かし、無数の触手で春樹達をも刺し貫く。
「きたない奴はいらないの。ラトの周りには、若くてきれいな女の子だけいればいいの」
【き、貴様ァッ!】
【俺らは兎も角ッ、母上様が不潔なブスだってのかァ!?】
【許さ……ぬッ……断じて、許しはせぬぞぉぉ!】
生き残った子供達は再び渾身の力を振り絞ってラトを殺しに掛かる。特にヴィクターなどは触手の猛攻から春樹を守らんとした結果もあって、既に八本ある脚の五本を失っていた。
しかしそれにも関わらず、子供達は各々の持てる力でラトを殺そうとする。
「ちがうわ。幾ら見た目や心がきれいでも、けがれた傷物に値打ちはないということよ」
その一言と共に、触手がカイゼルを初めとする生き残った子供達の身体を切り裂いた。
―さて―
察しの良い方はもう解っただろうが、このラトという少女こそ昨今立て続けに起こっている処女殺害事件の犯人である。またあらゆる点から気付くと思うが、彼女の正体とはつまるところ、逆夜テトロの恩師が『テソロサノ』と名付け育てていた謎の生命体が成長したものであり、言うなれば外宇宙の異惑星に棲息する知的生物種の端くれであった。
あの日生命の危機を覚ったラトはヒトに似た形態へと姿を変え、利益の為に自らを拘束し同胞を虐殺した研究機関に反旗を翻す。高ぶる感情に任せて暴れ回った彼女は、処女である若手研究員を誘拐しその場から逃亡し、影に潜みながら機会を伺っていたのである。
『処女こそ至高。非処女と男は汚れたもの』という考えは彼女の種族に根付く宗教的思想であり、キリスト教で言う聖書、イスラム教でいうコーランのような『教典』に記されている一説に由来する。そのジェンダーは皆一様に女性であるが、肉体の機能は男性のそれであり、奉仕種族の雌を孕ませる事によってしか子を残す事は出来ない。因みにテトロが標本として管理していた謎の生物群は彼女らの眷属であり、明確な知性は無く生命力も脆弱で短命な為基本捨て駒として扱われる。
一方で奉仕種族は形態・生態共々我々地球人類と極めてよく似ているため男女の差があり、同族間での繁殖が可能である。よってこの場合の『非処女』とは同族間で繁殖を行った奉仕種族の女性のみを指し示すのであり、奉仕対象である種族との間に肉体関係を持った女性の扱いはあくまで『処女』である(また、この思想からラトの故郷に於いて奉仕種族の非処女は奴隷として扱われ、男性などは生物としてさえ見られていない)。
処女殺しという行為も『奉仕種族の処女を贄とする事で己の力を高めることが出来る。それは神聖なる義務であり、美徳である』という一節に由来するものであり、ラトはカタル・ティゾルでの快楽と義務遂行を目的に同族の処女を襲い、犯し、殺す。
―まぁそんなもんよか新興宗教の方がまだマシなのは言うまでもない―
「あ……ぁ……みん、な……っ」
重傷こそ免れたものの、負傷した上に我が子までも殺害された春樹のショックたるや並大抵のものではなく、今の彼女はただただ脆弱で無抵抗な若い有角種でしかなかった。
「ああ、腹立たしいわ。汚れているくせにそうやって涙で訴えようとするなんて、烏滸がましいったらないじゃない。まぁいいわ。あなたごときがどうであっても、海神教は私のもの――私はついに、信帝としての権威を手に入れたのよ。さぁ愚民達よ、跪き平伏しなさい。この私――海神教信帝ラト・ルーブの足裏を舐め、誓いなさい。未来永劫死して尚、この私に絶対の忠誠を誓い如何なる命をも嬉々として遂行すると。永久永遠その命が続く限り、この私だけのものであり続けると。あらゆる神の名を忘れ、愛も絆も捨て去って、ただこの私だけに尽くし続け――ッッがあ!?」
突如、ラトの右腕が何かによって吹き飛ばされた。
見ればバシロがさもやる気のない間抜け面で大口を開けており、その口の中からはカドム作の大砲・インヴェジョンブラスターが顔を出していた。
「……ッ、貴様ぁ……!」
「あ、あぁー――悪ぃ悪ィ、退屈で欠伸が出ちまった。まぁその、アレだ。なんやかんや言おうが今日日処女厨なんざオワコンだろ?」
「そうだなぁ。非処女も既婚も未亡人も子持ちも、萌える萌えねーは気の持ちようだろ」
「ッフ……精々ほざくが良いわ。今のあなた達じゃあ、どうやったって総五万の私達を倒しきる事なんて出来はしないわ」
吹き飛ばされていたラトの腕が、瞬時に再生する。
「そうだな。確かに俺らじゃ、お前らを皆殺しにするなんてのは到底無理な話だ。俺らだけじゃあな」
「……どういう事?」
ラトは問いかけるが、当然繁は答えない。ふと、ラトの懐に入れられていた携帯電話が鳴り響く。
「もしもし」
『信帝様、緊急事態です!』
「どうしたの?」
『敵襲です! 外部の部隊が、敵軍の襲撃を受けています!』
「敵襲!? そんな馬鹿な……ツジラにはまだ配下が居るというの!?」
『いえ、これはツジラの配下などではありません! もっと恐ろしく、強大な力を有する巨大な組織です!』
「巨大な組織……ですって?」
『はい……敵は防衛隊! アクサノ防衛隊です! それも並の大隊ではありません! 陸上防衛隊や航空防衛隊ばかりか、海上防衛隊までもが魔術で地の利を得て突き進んできます!』
「防衛隊!? 敵戦力の総数は?」
『未知数です! ですが、軽く見積もっても歩兵だけで10万は下らないかと……』
「10……万……?」
ラトの手元から、携帯電話が滑り落ちた。
『信帝様、どうなさいますか? 信帝様? 信帝様!?』
「ええい、うるさいっ!」
自棄になったラトは滑り落ちた携帯電話を踏み潰し、腹の底から大声を張り上げて叫んだ。
「こうなったら皆殺しよ! 何もかも滅ぼし尽くしてやるわ! 私に従わないもの! 私に楯突くもの! 私を気に入らないもの! 有象無象の全て! 全てを!」
次回、防衛隊の英傑達が大暴れ!