第百十九話 赤銅色の誤算:後編
勝機はあるのか!?辻原繁、絶体絶命!
―前回より―
【ねぇ、ツジラさん】
触手を広げて水中に浮かぶペイジは、溺れて藻掻き苦しむ繁に語りかける。
【アサシンバグ、でしたっけ? あなたのヴァーミンって。血を吸うカメムシなんですってねぇ? ノモシア南部やラビーレマの方ではヒトを刺すばかりか妙な菌を感染して恐ろしい病に陥れるそうじゃないですか。シャーガス病、でしたっけ? 酷いことするなぁ……いや本当、悪魔のような所業じゃないですか】
姿も言葉遣いも不安定な赤銅色の混血児は、淡々と饒舌に言葉を紡いでいく。水中で酸素の供給源を失いただただ藻掻き暴れる事しか出来ない繁の耳にその声が届くことは無かったが、ペイジにはそれで十分だった。
【それにしても随分と苦しそうですねぇ、大丈夫ですか? っはっはっはっはっはっはっは、そんなに慌てちゃあ駄目ですよ。貴重な酸素がどんどん逃げて行ってしまいますからねぇ。そもそもこういう『解決のしようがない現実』に抗っている時点で、あなたは周囲に対して愚かさを主張している事と同じなんですよ。解りますか? ねぇ、ツジラさん。この場で死ぬことが確定的であると解って尚、そうして何としてでも生き延びようと藻掻き続けるおつもりですか? いい加減諦めてはどうでしょう。私が手を下そうと下すまいと、あなたが死ぬのは確定的なのに……ねぇ?】
ペイジの罠にかかり散々溺れた繁は、既に意識を失いただただ水中をゆっくりと漂うだけになっていた。
【あらあら、まぁまぁ、本当に死んでしまうだなんて……何て情けない。天下のツジラ・バグテイルが、まさか溺れただけで死ぬだなんてねぇ。興ざめですよ、全く。これじゃあ母上様の誓いは何だったんだと思わざるを得ないじゃありませんか。……あなたがかの有名なツジラ・バグテイルなら、この程度で死ぬなんておかしいとは思いませんか?】
ペイジはそう問いかけるが、意識を失い水死体のように漂う繁が答えるはずもない。
【……まぁいい。どうせ真正面から戦ったって敵う筈が無いんだ。こうでもしなければ撃退さえ出来はしない。だからこうするしか無かったんだ。ツジラ……怨みたければ好きなだけ怨んでくれて構わない。呪いでも祟りでも、好きにするがい――!?】
水槽内に、薄いガラスが割れるような音が響き渡った。普通ならばその程度の音は掻き消されてしまうはずであるがしかし、その音は確かに水中へと響き渡ったのである。
驚いて思わず振り向いたペイジは、己の目を疑った。
見れば先程まで繁が浮いていた筈の場所にその姿は無く、代わりにその場には、蟲のようなヒトのような薄気味悪い生物が佇んでいた。その生物は全体的に細身であり、長い両腕はカマキリのそれが如し鋭さだが、それで居て頭部には獲物に狙いを定める冷酷な瞳や肉を貪るような大顎は無い。
そもそもカマキリのような三角形ですらないその貧相な頭部にあるのは、常に身勝手な私利私欲を満たす為の事物を探す為に使われていそうな複眼と、ろくでもないものばかりを好き勝手に摂取していると思しき針のような口吻だった。
【お前……一体何者なんだ?】
ペイジの発言に演技など含まれてはおらず、その言葉にはただ純粋な疑問だけがあった。
「何者か、だと? おいおい……確かに見た目そのものは少々変わっただろうよ。それは大人しく認める。反論なんかしねぇ。が、それにしたってその言い方はねぇだろ……」
【何?】
「ほれ、この一々鬱陶しい声聞いてもまだ思い出さねぇか? 偶然とはいえ、だ。折角死の淵彷徨ってまでお前と同じ土俵で対等に話せるようにまでなったんだ。忘れたふりなんてやめて、少しは思い出す努力ってのをしてほしいもんだな」
【そ、そう……か。それはすまないね(忘れたふりじゃないんだがな……)】
「そもそもよ、最初に会った時から思ってたんだがお前って口調安定してねぇよな。タメ口で親しみやすいと思わせて実は狡猾なキャラ気取ってんのか、敬語で距離感演出して知的で油断なんねぇキャラ気取ってんのか、どっちかにしろよ」
【すまないね。これで素なんだよ】
「そうかよ。んで、少しは思い出せたか? この俺についてよ」
【まさか、君は……】
「まさか、何だ?」
【まさか君は……ツジラ、なのか?】
「……」
謎の生物はペイジの問いかけに答えず、無言のままゆらゆらと漂うが如し動きでにじり寄ってくる。
【おい、答えてくれ。君はツジラなのか?】
「……」
【ツジラだとしたら、どうやって生き延びた?その姿は何なんだ? 第八のヴァーミンはカメムシだろう?】
「……」
【おい、何か言ったらどうなんだ? 急に黙り込むなんて卑怯だぞ?】
「……」
謎の生物は何処からか小さな筒を取り出し、その先端をペイジに向けた。
【おい、その筒は何だ? それで何をする気だ?それで私をどうするんだ?】
そんなペイジを謎の生物はまるで相手にせず、筒の尻先から伸びた紐を器用に爪に巻き付けて素早く引っ張った。その瞬間、筒の先端部から黄色いものがペイジ目掛けて飛び出した。
半透明の黄色い袋であるそれは一瞬の内に赤銅色の混血児を包み込み、まるでイモガイが毒殺した魚を喰らうように吸い込んでしまった。
「……さて、これにて生け捕り完了って所だな。あとはここを抜け出して建物の中を目指すか」
そう言って謎の生物――もとい繁は、脱出経路を探す為その場から泳ぎ去っていった。ラジオDJツジラ・バグテイルこと、第八のヴァーミンを持つ有資格者・辻原繁。
溺死寸前の水中という極限状態で目覚めた彼の新たなる力については、また別の機会に詳しく言及するとしよう。
これが……繁!?破殻化とは何かが違う。
そもそもサシガメは泳げない筈なのに、一体何があったというのか!?
何にせよ奇妙な道具でペイジを生け捕りにした繁は、仲間達と合流するため脱出を試みる!
次回、他のメンバー達も本領発揮で、怒濤の反撃開始となるか!?