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第三話 続ポン・デ・リング的展開




「沢井広枝を知ってるか?」


 ポン・デ・リングを二つとカフェオレ、そして自分用のブレンドコーヒーを持ってきた不良少年(自分ではコウキと名乗った)は、私の隣の席に座っていきなりそんなことを聞いてきた。私も何を聞かれるのか見当がついていなかったけれど、まさかこの場でこんな不良人間の口からあの真面目で頭も良くてピアノも上手い、完璧超人のお手本のような子の名前が出てくるとは予想外にも程があった。


「私の学校で広枝のことを知らない人がいたら、それはモグリだよ」


 私は持ってきてくれた自分の分のポン・デ・リングとカフェオレを引き寄せながらそう言った。ボンボンの集まりだけど、それでも決してレベルの低くない冷泉学園でもトップクラスの成績で、しかも毎月のように朝礼でピアノの表彰をされる才女。確かつい先日東京で開催されたコンクールの中学生の部でも二位だったらしい。以前ピアノの演奏の真似事をしていた私にはわかるが、その大会に入賞するためには今までの人生の三分の二以上をピアノに捧げて尚才能に恵まれていなければ絶対に無理である。


「その沢井広枝がどうしたの?」

「学園での最近の沢井広枝の様子を教えてほしい」

「最近の様子?」

「イジメられてるんだろ?」


 コウキはポン・デ・リングにもコーヒーにも手をつけずに単刀直入にそう切り出した。私も沢井広枝の名前が出た瞬間からなんとなくそういう流れになるのかなあ、と思っていた。しかし、そうは言ってもこれだけではイマイチ状況が良くわからない。何故コウキが冷泉学園のしかもピンポイントで私のクラスの様子を知っているのか、そしてそもそも一匹狼の不良であるコウキが何故沢井広枝のことを聞きたがるのか。その理由次第で、私も彼に正直に話すかどうかが変わってくる。まあ、クラスで沢井広枝がイジメられているのを助けようともせず、ただ興味なさそうに眺めているだけの私が今更不良からかばうのはおかしいかもしれないが、やはりその辺は私の生き方の問題だろう。


 私は沢井広枝を助けようなんて思わない。


 けれど、


 やっぱり沢井広枝を陥れようと思うこともなかった。


 あくまでも全てに平等で、


 しかしその平等は明らかに『最悪な平等』だった。


「先に一ついい?」

「なんだよ」

「貴方は沢井広枝とどういう関係なの?」

「言いたくないないな」

「まさか彼氏?」

「それだけはない」


 そりゃあそうだ。自分で言ってみたものの、沢井広枝とコウキが仲良く二人で歩いている姿なんて空恐ろしくて私には想像できない。と、なると


「じゃあ片思いとか」

「だからなんでそういう関係に持ってきたがるんだよ」

「またまたー好きなんでしょ、沢井広枝のこと。私もあんまりよく知らないけど、顔は可愛いもんね、あの子」

「……いいか、よく聞けよ」


 急に声が一段低くなったかと思ったら、すぐさま二段も三段も空気が重くなった。自分のコーヒーに口を一口つけたコウキは、間違ってもその苦味で顔を歪めたわけではなく、本当に心から感情を引き出したかのような苦々しい顔をして、あのぎらついた目で私を睨んで、


「俺は世界で一番アイツが嫌いだ」

「……」

「嫌いなんて生易しいものじゃない。俺はアイツが憎くて憎くてしょうがない。何度アイツのことを殴ってやろうと考えたかはわからないし、幾度もアイツの腕をへし折ってやろうと思ったし、殺そうと決意したことも二回くらいある。俺はアイツの全てが気に食わない。俺はアイツの全てが気に入らない」

「……そっか。わかった。人間生きてると一人や二人はそういう人に出会うけど、貴方にとっては沢井広枝がそういう存在なんだ」


 私にとってのあの人達みたいなこと……なんだろうな。


「広枝は確かにイジメられているよ」


 憎いだの殺すだのと聞いた後に本当のことを言うのはどうなのかとも思ったけれど、そんな感情を抱きながらもこうやって知らない人間を捕まえてまで沢井広枝のことを聞き出そうとしているのには何か理由があるのだろうと思い、結局私は正直に答えることにした。


「イジメられているというか、簡単に言うと嫉妬だよね。頭が良いことへの嫉妬、ピアノの才能があることへの嫉妬、可愛いことへの嫉妬、嫉妬を抱かれてそれでもそれに耐え得る強さを持っていることへの嫉妬」

「……」

「彼女に直接手を出しているのは四、五人だけど、潜在的に持っているその嫉妬を含めると結構な数の人に彼女は妬まれているだろうね。特に女の子にはあんまり人気がないみたい」

「……それは沢井広枝が悪いのか?」

「イジメの場合、イジメられる子の方にも悪いところがあるっていう理屈を聞いたことがない?」


 イジメは悪い。


 イジメをする奴は悪い。


 でもイジメられる方にも必ず悪いところがあって、


 この場合、


 沢井広枝は、


「彼女の場合は運が悪かった」

「運……」

「普通の公立中学校に通っていればおそらくこんなことは起きていなかっただろうけど、よりにもよって彼女はあんなくだらないボンボンの集まりの学校に来てしまった。さらに同じクラスに安いのに高いプライドを持った桜庭グループの令嬢がいて、沢井広枝は知らず知らずのうちに彼女を、彼女のプライドを叩き潰してしまっていた。いや、逆に桜庭弥生はその『知らず知らずのうちに』、つまり学園でも有数なお嬢様である自分の存在が沢井広枝の眼中にも入らなかったのがムカついたのかもしれないけど、ま、とにかくあらゆる意味で彼女は運が悪かったんだと思うよ」


 とりあえずコウキから聞かれたこと、沢井広枝がイジメにあっていることを話した私は、またポン・デ・リングとカフェオレを飲みながら窓の外を眺めることにした。辺りは段々と日が暮れてきて、道にも帰宅する学生やサラリーマンの人達が多くなってきていた。ちなみにさっき転んでいた地味子もまだ私の見える範囲にいて、彼女はアンティークショップのウィンドウに寄り掛かりながら携帯でメールを打ったり頻繁に電話をかけていたりしていた。しかし、どうにも相手に繋がらずしょんぼりとした彼女はその場にしゃがみ込んでしまった。彼氏に待ち惚けでも食わされてしまっているのだろうか。そうだとしたら、哀れ地味子、であった。


「最後に一ついいか?」


 その声で隣を向くと、いつの間にかポン・デ・リングとコーヒーを平らげたコウキが立ち上がっていた。


「お前はどうなんだ?」

「私?」

「お前は沢井広枝に嫉妬したりはしないのか?」

「……ああ、そういうこと」


 彼は知らないのだ。


 私が、


 この蒼井都子が、


 他人に嫉妬なんていう積極的な感情を抱くわけないということを。


「嫉妬はないね。でも――」


 ――不思議だと思ったことはあるよ


 金持ちばかりがいる場違いな世界に一人でいて、その上毎日のようにくだらない人間に絡まれる生活を送る沢井広枝。どう見ても彼女は楽天的な性格ではなさそうだし、精神的にもあまり強そうには見えなかった。けれど彼女は決して潰れない。毎日のように笑顔で学校に来るし、妬まれるのも覚悟でテストでは変わらずずば抜けた成績を残すし、スポーツ選手並みに強靭なメンタルが必要なピアノのコンクールで毎回優秀な成績を残す。


「不思議……」

「そう、不思議だよ」


 ありえなかった。


 私にはどうやっても理解できなかった。


 でもそれは決して才能とかそういう問題ではなく、


 もっと根源的なこと、


 つまり、


「こんなくだらない世界でどうしてあんなに頑張れるのか、私には到底理解できない」


 それはモチベーションという


 極めて精神論的なものだった。


「貴方もそう思うでしょ?」





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