第一話 セピア色の世界
第一話 セピア色の世界
諦めているわけじゃない。呆れているわけじゃない。でも愛しているわけでもない。そういう意味で言えば、私にとって世界はあまねく平等だ。平等に平坦で、平等に平凡で、平等に平易で、平等に平静で、そして平等に無価値だった。
「……くだらない」
教室の窓際、一番後ろの席に座りチュッパチャプスのコーラ味を舐めながら、私はセピア色に色褪せた世界を感慨も無く、感動も無く、もちろん感激などもせずただ脳に叩き込んでいた。お金持ちのお嬢様やお坊ちゃまが通う超有名私立中学校といっても、そこに通う生徒たちは普通の公立の人達となんら変わることはない。いや、むしろくだらない見栄やプライドを持っている点で言えば、彼女たちは平坦で平凡で平易で平静な人達よりもさらに劣悪と言えた。
「もちろん、親の言いなりでそんな学校に通ってる私も相当くだらないけど」
昼休み。教室の真ん中では懲りずに桜庭弥生のグループが沢井広枝を取り囲んでなにやら言い争いをしていた。いや、厳密には言い争いではない。桜庭弥生を中心に複数の女子が一方的に罵詈雑言を沢井広枝に浴びせ、それをただ沢井広枝が俯きながら黙って聞いているだけだった。
桜庭弥生はとある有名リゾートホテルを複数経営するオーナーの娘であり、金持ちばかり集まるこの学校の中でもトップクラスのお嬢様だった。一方、沢井広枝はごくごく一般的な家庭出身という話である。そんな彼女がなぜ学費の高いこの学校に通っている、通えているかといえば、それは偏に彼女が特待生で学費を含めた諸経費をほとんど免除されているからであった。そう、沢井広枝はこの学校でトップクラスの頭脳を持ち、さらにピアノのコンクールでも数々の賞を独占するほどの才女だったのだ。本当に余談だが、私もこんな風に髪の毛を茶色にしたりする前まではピアノをやっていたのだが、あるコンクールで沢井広枝のピアノを聴いてからはピアノに触れるのが馬鹿馬鹿しくなってやめてしまった。それほど私と彼女の間では技術の差や才能が違っていたのだ。
閑話休題、
というほどでもないけれど、では何故その住む世界の違う二人が毎日のように言い争い……じゃなかった。桜庭弥生が沢井広枝に一方的に因縁をつけているかといえば、まあそれは単に気に食わないからであろう。桜庭弥生の父親、桜庭グループの会長はこの学園に多額の寄付をしていて、沢井広枝の学費は一部そのお金から出ていると考えられる。しかし、それなのにこの前のコンクールでは桜庭弥生は私と同じようにコテンパンに伸されたらしいし、学力ではもちろん遠く及ばない。さらに私見で言えば、桜庭弥生より沢井広枝の方が可愛かった。別に桜庭弥生の方も可愛くないわけではないのだが、彼女の場合少し顔立ちがはっきりし過ぎていて、特に彼女の大きな目は見る人によっては威圧感を感じるかもしれなかった。その点、沢井広枝は良い意味で顔が薄味で、少し垂れた目や肉厚な唇は見ている人に安心感を与えた。たぶん、男の子受けする顔だと思う。そして、そういういくつもの小さな理由が桜庭弥生のプライドを傷つけた所為で、沢井広枝は彼女のターゲットになってしまったのだ。
――貧乏人のくせに、調子に乗ってんじゃねぇよ
少し離れたところで机の上に顎を乗せて飴を咥えている私の下にもそんな言葉が聞こえてきた。あまりにも稚拙ななじりの言葉だったが、もはや暗黙の了解となっている『広枝弄り』に対して周りの人間は何の反応も起こさなかった。私も『貧乏とか関係ないじゃん』とか『そりゃアンタと比べりゃ大抵の人間は貧乏だよ』とか『調子に乗るのが悪いというよりもむしろ調子に乗れない自分の無能さを嘆いたら?』などと色々考えたけれど、もちろんそれは口に出さなかった。いじめられている人間に手を差し伸べれば自分がいじめられるかもしれない、というような理由からではない。ただ、意味のない茶番に自分から入っていくのが面倒くさかったからだ。世界があまねく平等で、平等に平坦で、平等に平凡で、平等に平易で、平等に平静で、そして平等に無価値なら私が何かする必要なんてないだろう。
「世の中つまんないな……」
頭をぽりぽりと掻きながら近くの窓から空を見上げてみた。セピア色の世界の中、いつも空だけは澄んだ青色をしていて、それがなんだか嬉しくて、なんだかイラついた。
感想等ありましたらいつでもどうぞ