第二十三章 決別 Ⅲ
リジェカ軍とソケドキア軍は、このトンディスタンブールで刃を交えるのか。
バルバロネもペーハスティルオーンもイギィプトマイオスも、その気でいる。全身からは、殺気がみなぎっていた。
少し後ろで、ヤッシカッズとガッリアスネスの師弟が黙ってなりゆきを見守っている。
ヤッシカッズの頭の中には、これから著するものの構想ができあがりつつあった。
セヴナにダラガナ、ソシエタスは、すわやという状況にそなえて身構えている。
シァンドロスはこの状況下でも不敵に笑っている。
「ゆけ。反乱軍を鎮圧せよ」
それが、敵となったコヴァクスとニコレットに送る言葉だった。さすがに、いまここで戦う愚はおかさない。
ここで戦えば双方深く傷つくのは火を見るより明らかだった。
コヴァクスは舌打ちをし、踵を返してシァンドロスに背を向け。これにニコレットらも続いた。
シァンドロスは不敵な笑みでそれを見送るのみ。。
ドラゴン騎士団とシァンドロス。双方の間に亀裂がはいり、何かが砕けるような感触があった。
コヴァクスは天宮を出てすぐにリジェカ軍を広場に結集させると。リジェカ本国で反乱が起こったため、それを鎮圧に向かう旨、全軍に伝えた。
無論騎士や将兵たちは反乱が起こったと聞いて黙っていられるわけがなかった。
しかも反乱を起こしたのはカルイェンだという。
咄嗟には信じられないことだった。
「どういうことなんだ」
と動揺をきたす者も、少なくない。
ガウギアオスで大軍を相手に戦って勝ち、帝都トンディスタンブールも掌握し、さあこれからオンガルリだというときに、出鼻をくじかれる思いだった。
若き騎士のアトインビーも、息を呑み。このことがすぐに理解できないようだった。
カルイェンといえば、よく王を助けモルテンセンの善政に貢献した人物ではないか。それが反乱を起こすなど。
勝利を伝えに行った伝令将校も、全軍を駆け回り、反乱が起こったこと、それを鎮圧に向かうことを告げていた。
「これよりリジェカ本国にゆき、反乱軍を鎮圧する」
そう全軍に伝えるコヴァクスの胸に、苦々しい思いがつのる。知らなかったのは、自分たちだけだったか、と。よく王を助けていたカルイェンが反乱を起こすなど夢にも思わなかった、無論斥候を放ち身辺を探るなどするはずもない。
その信用を、カルイェンは利用したというのか。
(これで、二度目ということなのかしら……)
ニコレットも苦々しい思いを抱いていた。オンガルリにおいても、イカンシにたぶらかされた王によって討たれようとし、父と母はそれによって死んだ。
(私たちは、正義のために戦っている。私情で戦ったことなどない)
欲望のために刃を振りかざしたことがあったろうか。剣を持つ騎士として、騎士にふさわしい振る舞いをこころがけてきたはずだった。
なにより、王は、王女はどうしたろうか。逃げたというが、無事であるとよいが……。
しかし、一度ならず二度まで、国を失おうとしていた。あらぬ心をもった者のために。それがなによりも、やりきれなかった。
騎士や将兵といえば、あまりのことに動揺を隠し切れなかった。
無理もないことだった。ガウギアオスでの勝利の歓喜から勢いづいたのも、本国で反乱が起きたとなれば、突然地面が消えて奈落の底に落ちるような思いに変わるというものだ。
自分たちの足場があってこそ戦えるというものであり、足場がなくば落ちるだけである。
しかしドラゴン騎士団と赤い兵団はさすがに落ち着いたものだった。冷静に、各自全軍を駆け巡り、落ち着くよううながした。ここで狼狽すれば自分たちは帰る場所を失う。それがいやなら反乱軍を打倒するしかない、と。
それでもおろおろする歩兵に拳が飛ぶ。拳を飛ばしたのはドラゴン騎士団の騎士であるジェスチネという者だった。年は二十七。
「しっかりしやがれ! ここで怖気ついたら帰る場所がなくなるんだぜ」
騎士らしからぬ荒っぽい言葉遣いだった、というのも、ジェスチネはもとは平民だった。しかし新生リジェカは身分にうるさくなく、平民から兵士に志願し、戦果を挙げれば騎士にもなれた。
ドラゴン騎士団が新入団員を募集した祭、ジェスチネは歩兵だったが志願し、厳しい訓練を経て正式に騎士となった。気立てもよく勇敢で、ガウギアオスの戦いにおいてもよく戦った。
しかし言葉の荒っぽさは抜けなかった。
「オレたちの苦労も知らねえで、カルイェンの野郎、好き勝手やりやがった。これを許しちゃ男が廃るってもんだ」
「し、しかし……」
臆病風に吹かれた者も、やはり少なくない。山高ければ谷深し、とでもいおうか。リジェカ軍にとってガウギアオスで勝利したことはまさに絶頂期であったが、にもかかわらず本国で反乱が起こったとなれば、自らの足場の弱さに怖気づくのも無理からぬことであろう。
「つべこべ言うな! カルイェンの野郎に、オレたちの力を見せてやろうぜ!」
リジェカ軍は、打倒反乱軍に燃えるものと、臆病風に吹かれる者のふたつにわかれたが。コヴァクスにニコレットをはじめ、ジェスチネの激励もあって、徐々に打倒反乱軍の心意気が盛り上がってくる。
「ゆくぞ、都メガリシへ!」
コヴァクスは号令を下し。リジェカ軍は進軍をはじめた。
急がなければ、征服地のタールコの代官や太守も勘付いて、リジェカに軍勢を送り込むかもしれない。いやもう気づいて、ガウギアオスの雪辱を晴らすべく軍勢が送り込まれているかもしれない。
かくして、ガウギアオスの共戦によって勝利をもぎ取ったリジェカ・ソケドキア連合軍であったが、ここでわかれ、別方向へと向かった。
それは連合の終わりも示していた。
シァンドロス、ソケドキア軍と決別したドラゴン騎士団をはじめとするリジェカ軍は急いで都メガリシを目指していた。
反乱が起こった。
その反乱を鎮圧せねばならぬ。
とともに、いままでの戦いで得たものが失われそうな危機感もあった。
コヴァクスとニコレット、ソシエタスにしてみれば、オンガルリの政変によって国を追い出され戦乱の旧ヴーゴスネアの地で、それこそ血を吐く思いで戦い、新生リジェカの建国に一役買った。
その労苦も儚く、ともすれば、一度ならず二度までも国を追われる事態になりかねないのだ。
大勝利のあとに訪れる危機は、リジェカ軍の進む足取りを重くさせた。騎士や将兵たちにすれば、怒りもあれど自分たちの存在がどこか儚く思われるのである。
だがいま沸き立たせるとすれば怒りである。でなければ、反乱を起こしたカルイェンの思うがままだ。
「走れ走れ! オレたちの苦労を知らないぼんぼん大臣を、こらしめてやるんだ!」
ジェスチネは馬を駆けさせながら叱咤した。
彼に触発されて他の騎士も心を奮わせ、重い足取りの兵卒たちを叱咤激励しながら進んだ。
無論赤い兵団たちも黙ってはいない。
「心を奮い起こせ! 弱きに飲まれるな。リジェカ国のみならず我らの存亡の危機でもあるのだ!」
「負けないで! 私たちが力を合わせれば、どんなことも乗り越えられるわ! ガウギアオスでの勝利を思い出すのよ!」
ダラガナとセヴナも、リジェカ軍の兵卒たちを叱咤激励し、自らも駒を進めた。
その一方で、龍菲は黙々とリジェカ軍についていった。
甲冑姿の兵士や騎士たちの中で、白い衣姿の、華人の女性は特異な存在でもあった。が、ガウギアオスの戦いでリジェカ軍を助けコヴァクスを神美帝との一騎打ちに導いた功績からリジェカ軍に受け入れられていた。
彼女自身、とくにリジェカの行く末に興味はないが、コヴァクスには、やや興味を持っているようだ。
故郷の昴には、義士という言葉がある。コヴァクスはその義士に当たると言ってもいいだろう。それに、自分を見つめる眼差しが他とは違うのも、気になった。
(彼はどうして、あのような目で自分を見るのだろう)
暗殺者として、憎しみを込めた目で見られたことは何度もあったが、コヴァクスの目は、いままで見たことがない目だった。
その目が、龍菲をリジェカ軍にとどまらせていた。