第三章 クンリロガンハのわかれ Ⅱ
群集は王の言葉を心待ちにして、咳一つない。
「民よ、聞け。国境を侵したるタールコの軍勢は、返り討ちにしてやった」
どっ、とどよめきが起こり。安堵と歓喜がたちまちのうちに、城下に広がってゆく。だが、王は気も顔も緩めない。安堵と歓喜の一方で、人々は変わり果てたエルゼヴァスが気になって仕方がない。
「これより、重大事を諸君に申し上げねばならぬ。これを聞けば諸君は我が耳を疑い、心は早鐘のように鳴り響くことであろう。だが、それでも言わねばならぬ予の辛さも察してくれい」
と言うと、親衛隊兵士は担架を高く掲げる。そばのイカンシの持つ瓶の中は、血でも入っているのかやけに赤い。
「遺憾ながら、予がその強さドラゴンのごとしと全幅の信頼を寄せていた大龍公ドラヴリフトは、あろうことか反逆を企て、またその妻エルゼヴァスは黒魔術に染まった魔女であった」
王の言ったとおり、信じられぬと民衆は耳を疑い驚きのあまり心は早鐘が鳴るように昂ぶりだし。静寂は一気にやぶられ、またざわめきがあたりをつつんだ。
「その気持ち、予もよくわかる。予とて、その報せを初めて聞いたときは、信じられなかった。だが悲しいかな、それは事実であった。事態の発覚におよび、エルゼヴァスは自ら毒を飲んで自害して果てた」
さりげに、少し後ろに控えていたイカンシは群集に見えるように瓶をかかげた。
「エルゼヴァスは、おぞましいことにその美しさをたもつために、黒魔術に身を染め、若い娘をあやめ、その血を好んで浴び、また飲んでいたという」
エルゼヴァスの天性の美貌は、都のみならずオンガルリ王国内でも評判であった。だが、なるほど四十にさしかかるというのにその美しさ衰えぬは、黒魔術のためだったのか、と気の早い者は納得し。噂好きな者は意識するしないに関わらず話に尾ひれをつけて、隣からまた隣へと話を膨らませて広めてゆく。
(エルゼヴァスはまこと美しい女であったが、美しくいてくれ、本当に助かったわ)
と、瓶をかかげながらイカンシはほくそ笑む。
それをルドカーンはなんとなく察した。イカンシ殿は嬉しそうで、なにか様子が変だ、と。これは裏がありそうだ、と。
「魔女なればその生き死にも自在であろう。ゆえに、これよりマーヴァーリュ教会筆頭神父ルドカーンによって、悪魔祓いの儀式を執り行う。さあルドカーン筆頭神父よ、哀れな女より悪魔を祓いたまえ」
とうながせば、ルドカーンはまず王に一礼をし、次に群集に一礼をすれば、群集はありがたやと厚く彼を敬いはじめて、ざわめきは潜んでゆく。
ルドカーンは神の代理人として、王と並ぶ権威を認められ。また信仰により、民衆に心の安らぎを与えていた。だから民衆の人気は、ドラゴン騎士団とルドカーンで二分していた。
動のドラゴン騎士団に、静のルドカーン、とでもいおうか。
ともあれ、静寂の中、ルドカーンは聖水をエルゼヴァスのなきがらにふりかけ、神の言葉をとなえ、悪魔の追放およびエルゼヴァスの魂の安らかなることを祈った。
祈りは唱える神の言葉が進むにつれ、余人の声出すことを厳としていましめるだけの厳粛な雰囲気をかもし出す。
エルゼヴァスのなきがらは、静かに聖水の雫と、祈りの言葉を受け止めていた。
それを安堵した表情で眺めるバゾイィーに対し、しかめっ面で眺めるのはイカンシであった。
やがて儀式は終わる。
ルドカーンは王に儀式の終わることを告げるど、静かに後ろに下がった。
「これにて悪魔は祓われた。さあ次は我が剣をもって、龍退治である」
と言うと帯剣を抜きはなって、高々とかかげ。
「我が故国を守るのは、所詮王たる我のみ。神よ、守りたまえ」
バゾイィーの叫び。群衆は、さっきと打って変わり、どっと沸いた。
ドラゴン騎士団が、まさか。と思わぬ者がいないでもない。しかし、ルドカーン立会いのもと、王がドラゴン騎士団を反逆者と宣言するのであれば、そうなのだろうと、多くの者が信じた。またその討伐を望んだ。
「ドラゴン騎士団に神の裁きを」
「もはやドラゴンは神の遣いならず、悪魔の遣いなり」
と言うような叫びが、城下にこだました。イカンシはそれを心地よく聞き、ルドカーンはいたたましそうにエルゼヴァスのなきがらを見つめていた。
群集の叫びは最高潮に達しようというとき、かねてからの打ち合わせ通り、都の各所に配置された親征軍の軍楽隊が管楽軍鼓を天まで届けとばかりに轟かせて。また王家の紋章である赤、白、緑の三色に彩られた王冠の紋章が描かれた旗が立ち並んだ。
群集のどよめきにまじり、王とともに都入りした将卒らもまた、
「ドラゴン騎士団に制裁を」
と叫び。
人々の叫びにこだまして止むことを知らず。都は、ドラゴン騎士団討伐すべしという雰囲気一色に染まっていた。
その中に、特にバゾイィーがドラゴン騎士団に次ぐ精鋭ぞろいと期待をよせる一団があった。
彼らはイカンシが組織した新たな騎士団であり、彼らは王自らが率い。先ごろの戦いにおいても、王の指揮のもと善戦した。
この一団には、まだ騎士団名はなかった。
「諸君、ここで提案がある。我がいとおしきこの勇敢な者たちに、フェニックス騎士団という新たな命を与えようではないか」
賛同の拍手と声が、ひときわ高く轟いた。この瞬間、ドラゴンは勇敢さや忠誠の象徴から悪魔や反逆者の象徴となり。フェニックス=不死鳥がそれにとってかわった。
都の人々の興奮高まる最中、イカンシとエルゼヴァスのなきがら、ルドカーンは演壇を降り。入れ替わりに、女王ヴァハルラに第一王女アーリアに第二王女オラン、末っ子の王子カレルが演壇に上がり、王とともに群集の声に応えて手を振った。
「王家に栄えあれ」
「オンガルリ王国万歳!」
「勝利を、栄光を!」
天空を揺るがし城をもつつみこむかと思われるほどのどよめきは尽きることなく。賑わしくも最高潮のうちに、バゾイィーやその家族は演壇を降りて。
バゾイィーは馬上の人となり、王であり戦士でもある勇姿を群集に見せつけ、フェニックス騎士団を率いて、都を出て威風も堂々と駒を進めて進軍するのであった。
それからややしばらく、バゾイィーが進発してから教会にもどったルドカーンは自分の執務室に急ぎ、ペンをとって羊皮紙に風雲急を告げることをしたためる。
「クネクトヴァ、これ、クネクトヴァ」
と、弟子の少年を呼んだ。
「はい、何のご用でしょう」
と呼ばれて来たるは、まだそばかすの目立つあどけない少年であった。彼は捨て子で、十四年前に教会の前で捨てられていたのを、教会のルドカーン神父一同哀れに思い、教会の管理する孤児院に神弟子として育ててきた。
茶色の髪に茶色の瞳の、ぱっと見愛らしい少年ではあるが。その瞳は神の書を読むよりも、いたずらを好みそうな、どこか溌剌すぎる輝きをはなっていた。そしてそのとおり、外に出ては餓鬼大将とつるんで喧嘩騒ぎを起こす腕白ぶりを発揮することが多く、教会の神父たちはクネクトヴァを持て余した。
が、筆頭神父のルドカーンだけは、なにがあろうと彼を突き放さず慈愛をもって接した。そのためか、他の神父の言うことは聞かずとも、ルドカーンの言うことだけはしっかりと聞いた。
だから、最近になってようやく神の書を熟読し、外で喧嘩騒ぎを起こすこともなくなってきた。さらにいえば、つるんでいた餓鬼大将らも、クネクトヴァに触発されたか、神の教えに従い生活習慣を改めるようになって。
周囲はこの変化に驚くことしきりで、さすが筆頭神父ルドカーンさまよと、その名声一団と上がった。が、ルドカーンにはそれはさほど大事ではなく。もっと大事なことがあると、真剣な眼差しでクネクトヴァを見つめた。
その眼差しは優しくも慈愛に満ち溢れていた。それとともに、悲しみにぬれているようでもあった。
(子羊を狼さまよう山野に解き放たねばならぬのか)
しかし、使命をまっとうできそうなのは、彼、クネクトヴァしかいないようであった。
(ここは彼には狭い。もっと、広い世界に羽ばたくがよい)
クネクトヴァは跪き、ルドカーンの言葉を待っている。それをいとおしげに見つめて。
「お前に頼みたいことがある。ただ、前もって言う。これは秘密である上に、ともすれば命を失う危険もある。それでも、引き受けてくれるか?」
「え?」
クネクトヴァは、師とも親とも慕うルドカーンからそんな言葉を聞き、やや驚いているようだった。命を失う、とは。何事であろう。
「驚いたか。無理もない。だが、これはお前にしか頼めないのだ、だから言うのだ」
「それは……、私の腕白が過ぎているから、言うのですか?」
クネクトヴァは何か思い違いをしているらしい。クネクトヴァなら、死んでもいいから、というような。ルドカーンは苦笑する。
「いやいや、それは違うよ。言葉の通りだ。お前を信じているから、言うのだ。それに、危険なのは私も同じ。そなただけに危ない橋を渡らせようというのではない」
内心、やめておこうか、と思いはじめた。やはりまだ十四の少年にまかせるには、荷が重過ぎるか。
「お引き受けします。なんなりと、ご用命ください!」
クネクトヴァはルドカーンの目をじっと見つめて、言った。その言葉の一途さに、涙が出そうだった。が、感傷にひたっていることはできなかった。
「うむ、ちこう……」
と決意して、手招きして、そばに来させると。さっきの羊皮紙を、そっと差し出した。
「これを、ドラゴン騎士団のドラヴリフト殿まで届けてほしい」
「ドラヴリフト様」
クネクトヴァも、さっきの城下でのことは知っている。ドラゴン騎士団は反逆を企て、ドラヴリフトの妻エルゼヴァスは魔女であった、と。にわかには信じられないことだった。
「悲しいかな、王は奸臣にたぶらかされ、国の行く末を誤られておる。こともあろうに、功績あるドラゴン騎士団が反逆者であるなど、なんでそんなことがあろうか」
もしドラヴリフトが反逆を起こすなら、英断の人物だ、とっくに起こして国をのっとっている。王からの寵愛に驕ることなく、一途に国に尽くした彼らを、どうして信じ切れなかったのであろう。
「私も疑問に思っていました。なぜ王はドラゴン騎士団を反逆者であるなどと」
「うむ。王は英雄願望の強いお方であった。最初こそドラゴン騎士団を信じて、憧れていたのが、やがて嫉妬に変わり。そこを、心悪しき者につけこまれたのであろう」
「その心悪しき者とは……」
「イカンシじゃ。前々から王におべっかを使って、お気に入りとなったが。あやつこそ国を私物化する悪臣じゃ」
「でも……」
少年は光る瞳をルドカーンに向け、まだ何か言いたそうにしている。よい、言うてみよ、とうながせば。
「都の多くの人々までが、それを簡単に信じるなんて」
「そうじゃな。悲しいかな、ひとりを騙すのは難しいが、大勢を騙すのはさほど難しいことではない。王がタールコを退けた歓喜の波に乗せて、ドラゴン騎士団は反逆者なりと決め付ければ、浮かれた人々の心は、簡単にそれを信じてしまう」
言いながら、エルゼヴァスのなきがらを思い浮かべる。悪魔祓いの儀式を執り行いながら、彼女が哀れに思えて仕方がなかった。
袋小路に追いつめられ、武人の妻として潔く死を選んだのであろうが。功績があるがゆえに、死なねばならなかったのかと思うと、国のために戦うとは、何なのだろうと思わずにはいられなかった。