第十九章 ガウギアオスの戦い Ⅶ
ソケドキア軍は迫るヨハムド、ギィウェンの手勢を振り切り見事本陣に乗り込んだ。が、それはドラゴン騎士団・リジェカ軍のあとで、しかもコヴァクスは神美帝ドラグセルクセスと一騎打ちをしていたではないか。
(神美帝を討つのは、オレだ!)
シァンドロスはゴッズを駆けさせ、神美帝ドラグセルクセスに迫った。
コヴァクスはといえば、剣を折られすんでのところで討たれるところであった。咄嗟にグリフォンから飛び降り落ちている剣を拾い、すかさず飛び乗った。
その間にも神美帝は去ってゆく。
シァンドロス率いる神雕がそれを追う。
背中を見せるタールコ兵を容赦なく斬り伏せ、その屍を踏み越えてゆく。
「我らも追うぞ!」
コヴァクスも手勢を率い、神美帝を追った。
だが、しんがりをつとめる手勢もあり、それに阻まれて、神美帝ドラグセルクセスの背中がみるみるうちに小さくなっていった。
神美帝の「退け」という号令は、タールコ軍全体に広まり、ニコレットと一騎打ちをしていたアスラーン・ムスタファーもニコレットを忌々しく一瞥し、
「勝負は後日」
と言って去ってゆこうとする。
「追え、逃がすな!」
立ち去ろうとするアスラーン・ムスタファーを追い、ニコレットは容赦なくタールコ軍を追わせた。この戦いにおける勝利を決定的なものにするためには、相手が背中を見せようと手加減してはならぬ。
一瞬アスラーン・ムスタファーは後ろを振り向いた。色違いの瞳を光らせ、ニコレットが追いかけてくる。
(まだ戦えるというのに)
しかし父、神美帝からの命令ならば退かねばならぬ。
イムプルーツァが手勢を率いしんがりとなって、アスラーン・ムスタファーをにがそうとする。
「ええい!」
「なんの!」
とパルヴィーンとセヴナは激しく剣を交え一騎打ちをしていたところだったが、それどころではないとパルヴィーンはセヴナを睨み、
「おぼえておいでよ!」
と立ち去ってゆこうとする。
「あ、待て! 逃げるなんて卑怯よッ!」
セヴナにダラガナをはじめとする赤い兵団も立ち去るタールコ軍を追う。
セヴナはここぞとばかりに得意の弓矢を取り出し、矢をはなつ。敵の背中に向けて矢を射るのは不本意ではあるが、ニコレットの意志どおり勝利を決定的なものにするためには、やむをえない。
こういうときは、心を鬼にせねばならぬ。でなければ、不意の反撃を喰らい勝利を逃しかねないのだ。
見事リジェカ・ソケドキア連合軍はわずか五万でタールコ軍三十万を退却にいたらしめた。
シァンドロスを追っていたヨハムドにギィウェンも、退却の命令に驚き急いで退いてゆく。
まんまと敵軍を本陣に乱入させてしまった。その責めはいかほどになるであろうかと思うと、生きた心地もなかった。
アスラーン・ムスタファーの副将をつとめるイムプルーツァの手勢が中心になってしんがりをつとめ、退きつつ退きつつし、リジェカ・ソケドキア連合軍を食い止める。その働きあって、アスラーン・ムスタファーも神美帝ドラグセルクセス、そしてタールコ軍のほとんどはガウギアオスの砂丘地帯を出て、都トンディスタンブール目指し、逃れることができた。
堅牢な城塞都市であるトンディスタンブールに籠れば、わずか五万の軍勢に落とされることはない。
それはリジェカ・ソケドキア連合軍もわかっている。タールコ軍三十万がガウギアオスの砂丘地帯を出たところで追撃をやめた。だがわずかの軍勢で大軍を退かせたと気勢は十分に満ち、将兵らおのおのが、おのずと、
「えい、えい、おう!」
「えい、えい、おう!」
という勝ち鬨をあげはじめた。
勝ち鬨を耳にしながら、イムプルーツァも、
「まだ戦えるというのに」
と苦虫を噛み潰す思いで、退却してゆく。
「勝ったのか」
コヴァクスは退却しゆくタールコ軍を目に、ぽつりとつぶやいた。いつの間にか龍菲が隣にならんでいた。彼女の黒い瞳は、しずかにコヴァクスの、どこか力の抜けた姿を映し出していた。
神美帝ドラグセルクセスとの一騎打ちに挑み、すんでのところで討たれようとしていたのだ。彼にしてみれば、生きた心地もなく死も覚悟した。なにより、神美帝が一旦退却したとて、心から敗北をみとめているとは思えなかった。
「やったぞ、我らは勝利をもぎ取ったのだ!」
シァンドロスは高らかに宣言しながら、コヴァクスのもとまで来ようとして、龍菲の姿を見、一瞬身を硬くした。
(いつの間に……)
あの暗殺者は龍菲に返り討ちにあったのは知っているが、まさかここまで来ていようとは。しかも親しげにコヴァクスの隣にいる。シァンドロスの心に邪推が生まれる。
(このふたり、できているのか)
だが、気を取り直し心のうちを気づかれぬようさりげに近づき、
「止まるな! 追い続けるのだ!」
と一喝した。龍菲もうなずき、
「今はまさに勢いがつこうとしているとき。この機をのがすべきではいわ」
どこか目もうつろだったコヴァクスだが、シァンドロスと龍菲にそう言われ「うむ」とうなずき。
「ゆこう、トンディスタンブールへ!」
と愛馬グリフォンを駆けさせた。
勢いに乗ったリジェカ・ソケドキア連合軍は、退くタールコ軍を追い続けた。
退くタールコ軍はまとまりがなくなり、三十万の軍勢はいつしか蜘蛛の子を散らすようにばらばらになって、それぞれ故郷の方向へ向けてひたすらに駆けていた。
「どこへゆく! 帝都に戻らぬか!」
アスラーン・ムスタファーやイムプルーツァは逃げ惑う兵卒たちにそう叫んだが。耳には入らぬ様子であった。ほとんどの者が、帝都よりも、我が家へと逃げ惑っていた。
三十万である。それらずべてがトンディスタンブールの出であるわけもない。それらは広大なタールコ帝国の各方面より集められた兵卒たちであった。
「アスラーンよ、かくなるうえは、我らだけでも神美帝をお守りしながら帝都にゆくしかないようです」
イムプルーツァがそう進言する。アスラーン・ムスタファーも苦虫を噛み潰した顔を見せ、
「是非もない」
と言った。
神美帝ドラグセルクセスは剣をたずさえたまま、帝都を目指していた。その周囲を近衛兵らが取り囲み、厳重に守っている。さすがに、神美帝に仕える者たちらは、他の兵卒のように取り乱すことなく、鉄壁の守りを固めつつ、神美帝を取り囲んでいた。
その近衛兵たちの鉄壁の守りに、アスラーン・ムスタファーの手勢が加わり。アスラーン・ムスタファーは神美帝ドラグセルクセスと駒を並べた。
空から見ると、タールコ三十万の軍勢が数百にも及ぶ列をなし、まるで溢れた人が破裂して飛び散っているように見えたろう。
その中で、ひと塊に神美帝を守る兵卒の数は一万もあるかどうか、だった。
一度崩れだすと、もろいものであった。
イスカンダを駆けさせながら、神美帝は周囲を見渡す。このままトンディスタンブールに逃れたところで、勢いに乗ったリジェカ・ソケドキア軍を食い止められるであろうか。
(所詮、予も人であるということよ)
ドラグセルクセスは、世の人々が己を神美帝と囃すのことに対し、苦笑する思いであった。
もう、大敗ではないか。それでなにが、神美帝なものか。
「トンディスタンブールは捨てる。エグハダァナまでゆくぞ」
そう言えば、近衛兵にアスラーン・ムスタファーは一様に戸惑いを見せた。トンディスタンブールを、捨てるなど。
「父よ、まこと捨てるのでございますか、帝都を」
「捨てる」
アスラーン・ムスタファーは父である神美帝の言葉が信じられなかった。帝都にとどまり、リジェカ・ソケドキア連合軍をそこで食い止めるのではないか。
「無念であるが、この有様では帝都もろとも滅ぼされるであろう。とどまるだけ無駄である」
「そんな。母は、母はどうなります」
帝都で夫と息子の戦いを見守っている皇后シャムスをアスラーン・ムスタファーは案じた。子として当然のことだったが、あろうことか夫である神美帝は妻を捨てるのか。
「妻には使いを出した。エグハダァナへ逃れよ、と」
もうすでに手を打っているようだが、アスラーン・ムスタファーは釈然としない。今すぐにでも反転し、リジェカ・ソケドキア連合軍と渡り合い返り討ちにしてやりたかった。
「父よ、我らだけでも帝都に踏みとどまり、やつらを食い止めましょう」
「ならぬ。予とともにエグハダァナへゆくのだ」
「しかし」
「予に逆らうのか」
「……」
アスラーン・ムスタファーは黙り込んだまま、複雑な気持ちを抱え父とともにエグハダァナへゆくことを選んだ。若き王太子には、まだ父を振り切るほどの自立心は育ってはいないようだが。
(老いたり、父よ……)
父、神美帝ドラグセルクセスに対する失望感が、わずかながら、胸の中で顔をのぞかせた。
一体何が、神美帝をそうさせてしまったのか。この大敗を招いたのであろうか。




