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第十五章 征服 Ⅶ

 まさか自分たちが来る前に暴動が起きて、戦わずして城に入れるなどアスラーン・ムスタファーでも夢にも思わなかった。

 最後の五ヵ国目が、これか。

 どことなく、納得をしきれぬ征服事業の終わりであった。それが成功であっても。

「この混乱を招き寄せたのも、タールコの強さと偉大さがあったればこそ、タールコに恐れをなした人々が恐慌し、冷静を欠いたからこそ起こったことではありませぬか」

 エスマーイールが憮然とするアスラーン・ムスタファーに語った。彼女の言葉を耳にし、一瞬、戸惑いを見せるアスラーン・ムスタファーであったが、考えてみれば確かにそのとおりである。

 おかげでタールコは戦力を消耗せずに五ヵ国目に足を踏み入れることができたのではないか。

「そなたの言うとおりだな。おかげで慰めを得た。ありがとう」

「いえ、そんな……」

 アスラーン・ムスタファーは優しい笑顔でエスマーイールに礼を言う。

 彼女は、獅子王子アスラーンに対し出すぎた真似をしたかと恐縮したが、礼が返ってきたので、恥ずかしげにうつむき、精一杯の笑顔をしつつ、頬を紅に染めるのであった。

 その彼女の照れもすぐに鎮まる。

 視界に飛び込むものが、照れを感じるゆとりを奪った。

(オレは、いや、タールコはそこまで畏れられていたのか)

 強きもの、偉大なるものの前に、人がどう変わるのか。それは時として悪しき方向へと変えてしまいかねないことを痛感しながら、アスラーン・ムスタファーは征服事業の締めくくりに入らねばならなかった。

 そのために、まずは大掃除。治安の回復であった。荒れた王都で勝利の、征服の宣言をしてなんになろう。

 我らは勝ちたり。

 新たな地を征服したり。

 その勝ちどきと歓声があがったのは、王都フォルネに入って三日後のことであった。

 そんな人の営みなど知らず、空がしんしんと雪を降らせながら、日々は今年の終わりに向かい粛々と進んでゆく。


 一方、ソケドキアのシァンドロスはビーニクの戦いにおいてスパルタンポリス王レオニゲルを討ち取り、その強さを見せつけるとともに、名声も一気に上がった。

 ことにスパルタンポリスと関係がこう着状態にあったグレースポリスとその同盟都市国家は、今後シァンドロスといかなる関係にあるか議論がなされた。

「シァンドロスは敵に非情であっても味方になる者には慈悲をかける。ここは同盟関係を結ぶのが良いのではないか」

「たしかに、戦争において一歩抜きん出るスパルタンポリスを負かし、しかもレオニゲルを討つなどそうそうできることではない」

「我ら市民の権利を守るためにも、ソケドキアと手を結ぶのが最善の策と思われる」

 彼らが守りたいのは何よりも、自分たちの権利である。都市国家市民としての。

「古来からタールコに我らの権利は脅かされてきた。いい加減それに終止符を打たねばならぬのではないか」

「そうだ、シァンドロスをタールコと当たらせて、後顧の憂いをなくすることを考えねばならぬ」

「異議あり!」

 突然の異議を唱えたのは、ゲモシレンスという者であった。

「シァンドロスが心変わりせぬ保証はなく、なにかあれば我らに敵対するのは必定。彼は我らの権利のために戦わぬ。戦うは己の野心のためである。そのような者に我らを守らせられようか」

 ゲモシレンスほとんどの者がソケドキアに戦争を任せようとしていたところ、グレースポリスの完全な独立と市民の権利を守るためにも、ソケドキアと手を結ぶべきではない、と主張するのであった。

 それから議場は激しい論争が展開された。

都市国家ポリスのありようを見直し、他国の侵略を受けぬ国造りを一からやりなおせば、独立を保つのは不可能ではない」

「そんなゆとりは、ない。考えてもみよ、ソケドキアもタールコももう目の前まで迫ってきておるのだ」

「我ら都市国家の誇りとはなにか。それは独立と権利ではないか。身の安全のための安売りが許されてよいのか。命を賭けてグレースを守り通した先祖に申し訳が立たぬと思わぬか」

「ここで滅べば元も子もない。アノレファポリスを知らぬではなかろう」

「なればこそ、今こそ同盟都市国家一致団結しソケドキアを寄せ付けぬ堅固さを示さねばならぬ」

「しかし、東にタールコ、北にソケドキア。我らはいかに難敵に囲まれていることよ」

 誰かがぼやく。

 実際のところタールコは征服地に専制政治をしかず、むしろ民主的な政策をとっているのだが、エラシアの人々はタールコは巨大な独裁国家である、との見識を強く持ち。もし征服されれば、市民はすべて奴隷にされてしまうであろうと考えている。

 そのため、言論家はとにもかくにも、タールコがいかに野蛮で凶悪な国であるかを主張すること尽きることがなかった。

 が、中には売名のためにタールコやタールコ人を貶める者も少なくなかった。

 言論家の中には証拠の裏づけのないままに、思いつくままにアスラーン・ムスタファーは若さに任せて征服地において殺戮と淫乱をほしいままにしていると唱える者までおり、それを信じる者も多い。

 小国の一部の人々にとって、巨大帝国は脅威であると同時に、己の商売の道具でもあった。人の怖れるを利用し、不安を掻き立てることを書き立てて、説き立てて、注目を集める。

 売名が目的なのだから、ならばどうすればよいか、までは書かないし、説かない。せいぜい、相手にしない、くらいの具体性のないものである。

 哀しいかな、グレースポリスはそんな言論家に世論を動かされているといってもよかった。

 だがそれが出来るのも、ここ長い間に戦争がなくて、戦争は対岸の火事である状態にあるからだった。それが、さあ、戦争が目前まで迫ってきたとなったとき、策は批難のようにもともと持ち合わせていないのだから慌てふためくしかないという馬鹿げたところに落ち着くしかなかった。

 それまで強硬にタールコとの敵対関係を主張してきた者たちは、ソケドキアの突然の出現に驚き慌てて、おろおろするばかり。

 ついには、目前に迫ってくる危機に潰される前にひれ伏し安全を保証してもらおうとするしかなかった。

 だがゲモシレンスは譲らずソケドキアとの対立を主張するのである。なにせゲモシレンス自身、巨大帝国を商売道具としてひたすら批難してきた経緯がある。

 いまさら後に退けなかった。

「独立と権利とは、魂のみになろうとも守らねばならぬ」

 などとついにそんなことを言い出した。征服されるくらいなら、死んだ方がましというのである。

 生きていたい人々がほとんどを占める中でそんなことを言えばどうなるか。

 冗談ではない、とゲモシレンスに一斉に批難が集中した。

「馬鹿な。そこもとたちは臆して悪にひれ伏すというのか」

 それまで巨大帝国への批難で人気を得て賞賛を受けていたことにひたりきっていた身に、批難を受けるのは堪えた。

 誰か、どこかを批難するのはお手の物だが、いざ自分が批難されると、身が震えるほどの怒りと屈辱と恥辱を覚えた。

 さらに絶望をも覚え。ゲモシレンスは、ぶち切れて何も言わず憤然と議場を立ち去った。なにを語るべきかが、何も思い浮かばなかった。

 あとは、早いものだった。

 早急にシァンドロスへ、同盟を結ぶ旨を伝える使者が送られた。


 そのシァンドロスは勝ちの勢いに乗り、スパルタンポリスに足を踏み入れた。

 王が討ち取られてその首が敵によって運ばれてきたのである。

 いかに戦争に強いこだわりを持つスパルタンポリスといえど、今度ばかりはシァンドロスにひれ伏すしかなかった。

 なお敵対しようとする者は、とうに逃げ出し姿をくらましていた。

 スパルタンポリスの人々は、騒然とソケドキア軍の入都を見守っていた。そして怖れた。

 都市の広場にソケドキア軍は整然と集結し、人々は広場を遠巻きに眺めて固唾を飲んだ。

 なんと、シァンドロス自身が王レオニゲルの首を掲げて、臨時にもうけられた演台に上がった。

「見よ、スパルタンポリスよ。これは誰が首か!」

 あらんかぎりの声でシァンドロスは叫んだ。

 応えはない。

 冬の寒風が耳を撫でるように吹くばかり。

 スパルタンポリスの人々が震えているのは、なにもこの寒風のせいだけではなかった。またソケドキア軍も震えているのは、寒風のせいばかりではなかった。

 ともに震えている。しかし、その理由が違うのは言うまでもない。

 応えぬスパルタンポリスの人々にかわり、ソケドキア軍から次々に、

「レオニゲルの首である!」

 との声がこだました。

「初陣のころより、レオニゲルに我にかなわぬところを見せた。にもかかわらず、こやつは我に逆らい続け。挙句の果てに挙兵しソケドキアを陥れようとした」

「制裁を」

「報いを」

「報復を」

「復讐するは我らにあり」

 シァンドロスの声に応えるのは無論ソケドキア軍。

 スパルタンポリスの人々の恐怖は頂点に達した。まるで悪夢を見ているようだった。

 その悪夢は、現実のものとなった。

「諸君の言うこと、もっともである。愚かなスパルタンポリスを、アノレファポリスの二の舞にしてやれ!」

「応ッ!」

 獣の叫びが轟く。同時に、レオニゲルの首が放り投げられ、地面に叩きつけられてゆがんだ。

 それを合図に、獣となったソケドキア軍はまたたく間に得物を手に、スパルタンポリスにて破壊と殺戮を繰り広げるのであった。

 阿鼻叫喚の悲惨な光景が繰り広げられ、屍山血河がまたたくまにつくられてゆく。火の手が上がり、それは赤い竜の舌となってスパルタンポリスを舐め尽そうとした。

 シァンドロスはそれを心地よさげに見守っていた。

「馬鹿な」

 そう批難するのはヤッシカッズであった。聞こえる声で、はっきりと、批難の声を上げた。

「おやめを。どうか無用の殺生をおやめくだされ。いたずらに恨みを残してなにになりましょうや」

「やめぬ!」

 シァンドロスは毅然と言い放った。だがヤッシカッズは食い下がった。

「スパルタンポリスを許せば、後世まで慈悲深き王よと讃えられるでしょう。貢物も喜んで差し出すでしょう。その利を捨てるのでございますか」

「捨てる」

「そのような子どもじみたことを」

「くどい!」

 その無情の一言を残し、シァンドロスはヤッシカッズから遠ざかってゆく。

 シァンドロスの臣下にしてヤッシカッズの弟子であるガッリアスネスは、師とともに呆然と成り行きを見守るしかなかった。

 ペーハスティルオーンとイギィプトマイオス、バルバロネを引き連れ、ゴッズに跨り、破壊と殺戮を不敵な笑みでながめつつ各所をまわった。

 兵士が一人、お宝の入った大袋を担いでいた。とても重そうで額から汗を滝のように流している。

「しっかりしろ。それはお前のものなのだぞ」

 激励を受けた兵士は重さも忘れて、笑顔でシァンドロスに応えた。

 そのそばで、死した赤子を抱いた母親のなきがらが悲しげに横たわっていた。だが見向きもされない。

 殺戮と破壊もさることながら、略奪も凄まじかった。

 略奪を眺めながら、ペーハスティルオーンは冗談まじりにたずねた。

「このままではあなたの取り分がなくなってしまいますね」

「かまわない」

「しかしそれでは」

「よい、と言っている。オレには希望がある」

 たわいもない会話であった。

 破壊、殺戮、略奪、暴行……。

 それらの悲惨な景色を日常の景色のようにシァンドロスは眺めながら、配下とたわいもない会話をしながら、破壊されゆくスパルタンポリスの各所をめぐった。

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