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第二章 反逆者 Ⅲ

 エルゼヴァスはまた、外出を一切禁じられていた。いつのころからか、大臣イカンシが国に不吉の蠢動しゅんどうあり、ご用心のため外出は控えられるように、と言ってきた。

 それを律儀に守り、部屋からは一歩も出ていない。

 しかし、不吉の蠢動とは、一体なんであろう。イカンシは教えてくれなかった。タールコがオンガルリに攻め込んできた、ということで、ドラゴン騎士団がゆき、また王も親征軍をもって迎え撃ちにいった。

 その戦果は、まだエルゼヴァスのもとにもたらされていない。召使いに聞いても、わからない、という答えがかえってくるばかり。

 窓から眺める都は、ぱっと見いつもと変わらないように、路地に人が行き交いいつもの賑わいを呈している。が、どことなく、空気がかたまっているように、緊張感があるのは感じられた。

 人々はタールコとの戦争のことをひどく気にかけているようだった。

(負けはしないだろうけれど)

 夫の、子どもたちの、そして王の武勇によってタールコはしりぞけられ、オンガルリは守られる。と確信したかった。

 このとき、都の様子が一変した。

 タールコ軍を迎え撃ちにいった王の軍隊が帰還したのだという。ということは、タールコはしりぞけられたのだ。

 早馬が王の帰還を告げ、都は、城は勝利の歓喜につつまれながら、王を出迎えるために途端に慌しくなった。これにエルゼヴァスも加わらねばならないのだが、部屋から出ようとすると、衛兵が、外出は禁じられていると、出してくれなかった。

(まるで罪人扱いではないか)

 とエルゼヴァスをはじめとする召使いたちも思ったが、どうしようもなかった。

 確かに、ドラヴリフトの忠誠の証しとして、エルゼヴァスは都に人質としているが。帰還した王の出迎えの列に加われぬとは、どうであろう。

 なにより、ドラゴン騎士団はどうしたのだろう。

 勝利の喜びを味わうどころではなく、やむなく、自室に帰って、凱旋の様子を窓から眺めるしかなかった。

 突然、他の召使いが慌てて「奥方さま」とエルゼヴァスを呼んだ。何事だろう、とその方を振り向けば、開け放たれた部屋の扉から、イカンシが部下を引き連れ鎧姿のまま入り込んでくるではないか。

 王のお気に入りなのに、凱旋式はどうしたのだろう。

「何事でしょう」

 といささか驚きはしたが、平静を装いエルゼヴァスはイカンシに何事かと問えば、イカンシはうっすらと不気味な笑みを浮かべ。

「お美しい」

 と言った。

 突然何を言い出すのか。と、エルゼヴァスもその召使いたちも背筋が寒くなる気持ちをおぼえれば。イカンシはまたも唐突に、

「エルゼヴァス様は、いかにして、そのお美しさをたもたれておられますか」

 と言うではないか。

 そんな美容の話をするために、武装して部下を引き連れて来たのか。

 といえば、そんなわけはないだろう。その真意をはかりかね、言葉につまった。まさか口説きにきたのでもあるまい。

 だがその方が、どれだけましだったか。

「最近、都において若い娘が次々と行方不明になる事件が起こっておりましてな」

「……」

 そんな話は初耳だ。イカンシは何を言いたいのか。

 エルゼヴァスと召使いたちの困惑は深まるばかりであった。

「その行方不明になった若い娘の一人が、突如として姿を見せたのですが。これがまた、全身傷だらけのむごい様で、こう言うのです。エルゼヴァス様に、血を抜き取られた、と」

「そんな馬鹿な」

 召使いの一人が言った。

「私どもは常に奥方さまと一緒に過ごしておりますが、そのような可哀想なことをするわけがないではないですか」

「ええ、私も何かの間違いかと思い、何度も問い直したのですが、その娘は確かにエルゼヴァス様に虐げられたと言うのですな」

 召使いの言葉など歯牙にもかけず、ぬけぬけとイカンシは言う。

「口にするのもおぞましいですが……。美しさをたもつため、誘拐した若い娘を殺し、その血を浴び、飲んでいる、と娘は言いまして」

「戯言を! イカンシ殿、いくらあなたでも、それ以上わたくしを愚弄することは許せませぬ。何を根拠に、そのような禍々しいことを」

 エルゼヴァスは武人の妻らしく、声を張り上げ抗議する。言うまでもなく、美しさをたもつためにそんな惨たらしいことをするわけがない。美容にしても、普通に食事や化粧品選びに生活習慣に気を配っているにすぎない。

 なにより、今は喜ばしき凱旋のときではないか。


 なぜそんなときにイカンシはそんなことを言うのか。

「ソレアという娘をご存知ですかな」

「……。ええ、先日までわたくしに仕えていましたわ」

 嫌な予感がした。

「その娘がソレアだとしたら、どういたしますか。いや論より証拠、ソレアよ、おいで」

 とイカンシは後ろを振り向いて言うと、おどおどと、包帯だらけの痛々しい姿の少女があらわれた。

 エルゼヴァスも召使いたちも、あまりのことに、驚きの声を上げる。

「ソレアよ、どうしたのですか。その姿は一体……」

 エルゼヴァスは心配そうに声をかけた。しかし。

「わ、私を殺そうとしたのは、お、奥方さまです」

 ソレアは恐怖に震えもれるような声で言った。

「奥方さまの髪を櫛でといているとき、粗相をいたしまして。奥方さまは大変お怒りになり、私を何度もぶって、『この罪をお前の血であがなえ』と言われて……」

「それで、お前を殺して、その血を抜き取ろうとしたのだな」

 とイカンシが言い足す。

「はい、そうです。でもすぐには殺されず、ひどくいたぶられて、この部屋に監禁されて」

「馬鹿げたことを、ソレア、あなたは好きな人が出来てお嫁に行きたいというから、いとま乞いをしたのではなかったのですか」

「うそ、うそ。そんなのうそです。奥方さまは、黒魔術に染まった魔女です! そのお美しさも、若い娘の血を浴びたり、飲んだりしてたもっているではないですか。私も、そんなことを手伝わされて。血のいっぱい入った瓶を運ばされて……」

 ソレアは目を見開き、真っ赤な口を開けて狂ったように叫び、エルゼヴァスの罪を声高に叫んだ。その様は、まさに気が触れたとしか言いようがないほど、恐慌をきたしていた。

 気がつけば、部屋に多数の衛兵がつめかけ、じっとエルゼヴァスを見据えている。

「おお、なんというかわいそうな。このいたいけな少女をここまで狂わすとは。すんでのところで隙を見つけて逃げ出し、私のもとまで助けを求めて来ねば、今ごろはどうなっていたか」

 さも同情するように、イカンシはソレアを優しく抱きしめてなだめて落ち着かせようとするが。ソレアはイカンシの腕の中で、ひたすら、「魔女、魔女」と叫んでいる。

 エルゼヴァスも召使いたちも、あまりのことに言葉もない。もはやどう弁明しようとも、問答無用なのは明らかで、どうあってもエルゼヴァスを魔女に仕立てあげて、捕らえるつもりだろう。

「さあ、衛兵たちよ。この魔女を捕らえよ」

 衛兵はどっと部屋に押し入り、エルゼヴァスを取り囲んだ。悔しさのあまり、両の拳を握りしめ、目を固く閉ざして奥歯を噛みしめ、ややうつむき加減に頭を垂れた。

(あなた、コヴァクス、ニコレット。……さようなら!)

 衛兵のひとりがエルゼヴァスの腕をつかむ。だがそれを力任せに振り払う。

「や、逆らうか、魔女め」

 ソレアを抱きしめながらイカンシが言うが、エルゼヴァスは顔を上げ、きっと鋭い眼差しで、イカンシを見据えると。

「喉が渇いたので、ワインを飲んでもよろしいかしら」

 と言って、衛兵たちが取り囲むのも知らぬ顔で、つかつか歩き包囲の輪を抜けて歩き出す。そのついでのように、ひとりの衛兵の足を踏んだ。

「む、おのれ」

「あら、ごめんあそばせ」

 怒る衛兵など構わず、そのまま素通りする。彼女からは、気迫がみなぎり、衛兵は位負けして動けない。なんと不甲斐無い者どもよ、と思いつつ、イカンシ自身も同じように位負けして、エルゼヴァスを見据えるしかなかった。


 しかし、何のつもりだろう。

 召使いは慌てて部屋の棚に置かれていたワインの瓶を取って、エルゼヴァスに捧げようとする。が、その召使いに平手打ちが飛んだ。

「馬鹿ね! そのワインじゃないわ。あれよ!」

 と言って、別のワインを指差す。召使いはぶたれたことに衝撃を受けるより、エルゼヴァスの指差したワインを見て、ぶるぶると震え出してとまどっている。

「お、奥方さま、あれは」

「いいから、あれが飲みたいの。あなたって、気が利かない愚かな人ね。ああ、こんな馬鹿な女を今まで雇って給料をあげていた自分が情けなくなるわ」

 と言うと、周りを見回し。

「前から思っていたけど、あなたたちなんか、大嫌いですわ。いつもいつも愚かな粗相を繰り返して。それでも堪えていたけれど、もう我慢ならない。みんな、暇をやるから、出ていってちょうだい!」

 目をいからし、エルゼヴァスは突然召使いの少女たちを罵りはじめた。

(おやおや。いかにエルゼヴァス夫人といえど、この瀬戸際にやけくそになっておるわ。所詮、女なぞそんなものだ)

 イカンシと衛兵たちは冷笑しながら、面白いものを見物するつもりで事のなりゆきを見守っていた。

 召使いたちはというと、ただぶるぶると震えてばかりでひとつも動かない。いよいよ堪忍袋の緒が切れたと、エルゼヴァスは召使いひとりひとりに、強い平手打ちをあたえてまわった。

 平手打ちを受けた召使いたちは、涙を流しながら、

「申し訳ございません、奥方さま」

 と泣きながら出てゆく。

 衛兵が、あっ、とこれを止めようとするが。

「捨て置け、小娘どもなぞ」

 とイカンシは制して、ゆくにまかせた。これで残るはエルゼヴァスのみ。

「ワインが飲みたければ、どうぞ」

 と厭味たっぷりに言う。

 それに応えず、ふん、と傲然と指名したワインの瓶をとり、栓を自分で抜いてグラスに注ぐ。それは、やけに不気味に赤みがかったワインで、まるで血のようだ。

(まさかほんとうに血を飲んでいるのではあるまいな)

 などと、イカンシは少し驚きながら、そのワインの紅さに眼を見張った。衛兵は、血を飲むだの、やはり魔女であったかだのと、不気味そうにつぶやく。

 エルゼヴァスは、一気にこれを飲み干した。なんとも女性ながら気風のよい飲みっぷりであり、それはまこと貴族の夫人と思われぬ豪快さであった。

 それから、イカンシに衛兵たちは、

「あっ!」

 と気を荒げて、急いでエルゼヴァスのもとまで駆け寄る。

 あろうことか、エルゼヴァスは口から血を流し、身体がやや痙攣したかと思うと。赤い蝶々が地に落ちてゆくかのように、ドレスの袖や裾をひらめかせ、たおれて。

 ぴくりとも動かなかった。

「しまった、このワインは毒入りだ!」

 権謀策術渦巻く宮中にあって、万が一にそなえて、エルゼヴァスは毒入りのワインを用意していた。やけに血のように赤みがかっていたのは、毒が入っていたからだろう。

「魔女め、この期に及んで自害するとは」

 と衛兵が悔しそうにつぶやけば、イカンシは苦しそうに、うむ、とうめいた。まさかこのようにして出し抜かれるとは。夢にも思っておらず。これは、いかなる手段をもちいようとも、ドラゴン騎士団を潰さねばと、あらためて腹をくくらざるを得なかった。

 エルゼヴァスはイカンシの腹のうちなど知らず、閉じられたまぶたから、うっすらと涙をにじませていた。

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