第十五章 征服 Ⅳ
ビーニクの地にソケドキア軍が向かっているという報せを受け、レオニゲルはこの地でソケドキア軍とぶつかることにした。
剣を握りしめ、馬上に堂々とたたずむレオニゲルは赤いマントをはためかせ王らしき威厳を放っていた。
向こうから馬蹄に軍靴響かせ、雕の旗をはためかせるソケドキア軍一万があらわれる。
レオニゲルは昔日の屈辱を思い起こし、唇を血が滲むほど噛むと、
「かかれ!」
と号令をくだした。
ソケドキア軍一万は騎馬隊を先頭にひと塊となって、スパルタンポリス軍に突っ込んでゆく。
それは怒涛のごとき勢いで、止まりそうになかった。それを、レオニゲルは止めようとする。
双方互いに赤い口を大開けにして雄叫び上げて、激突する。
かと思われたが。
突然ソケドキア軍は二手に分かれて左右に広く展開した。
「や、や」
シァンドロスのいるのは、右か左か。
敵方の予想もせぬ動きに呆気にとられたスパルタンポリスの兵たちは、一瞬だけ動きを止めた。
「なにをしている! ならば我らも二手に分かれてぶつかればよいではないか!」
兵たちを叱咤し、レオニゲルはまず相手の右翼を攻めた。
が、そこからスパルタンポリス軍のまとまりにほつれが生じる。
一方は八千ほどがソケドキアの右翼を追いかけ、のこり四千が左翼を追った。
丁度五千ずつに分かれたソケドキア軍、左翼側は相手がこっちより少ないと見ると方向転換し、四千のスパルタンポリス軍に向かって真っ向からぶつかった。
その左翼にこそ、シァンドロスがいた。
「軍神スレーアは我らに味方したぞ!」
左翼のシァンドロス、すなわち左翼こそが本隊であり、相手は咄嗟の分裂でこっちよりも数が千ほど少ない真っ向からぶつかれば押せる。
シァンドロスに側近のペーハスティルオーン、イギィプトマイオスは剣を振るい自軍を叱咤激励し、スパルタンポリス軍を押しに押した。
真っ向勝負だと思い切っていたスパルタンポリス軍はまず咄嗟に分かれたことで兵力に格差が生じ、また予想外の移動をするため隊列もととのっていない。
最初から二手に分かれる段取りであったソケドキア軍は、シァンドロスのいる左翼がスパルタンポリスの右翼四千を攻め立て。
レオニゲル率いる八千のスパルタンポリス軍から、ガッリアスネス率いるソケドキア軍五千は逃げた。数の上では不利。真っ向からぶつかれば押される。まだ距離のあるうちに、くるりと回れ右して全速力で逃げて、距離を広げにかかる。
「敵は逃げるぞ、追え、追え!」
目の前の敵を放っておけないレオニゲルは、追いかける先にシァンドロスがいるかどかなどもう頭の中から消えて、本能で敵を追った。
その一方で、スパルタンポリス軍右翼四千はソケドキア軍左翼五千に押されていた。
「これはいけるぞ、一気に攻め立てろ!」
シァンドロスは叫んだ。ソケドキア軍は言われるまでもなく、押して押して、押しまくった。
まとまらぬスパルタンポリス軍は勢いに乗るソケドキア軍をいかんともしがたく、左翼を指揮している将軍フラクンミラとザッスクナダイは、
「もうだめだ、退け、退け」
と退却の号令をくだしたため総崩れとなり、軍の体をなさずソケドキア軍によって散り散りにされるがままだった。
逃げながらも後方をよく見ていたガッリアスネスはシァンドロスの本隊がスパルタンポリス軍の右翼を打ち負かすのを見ると、
「反転! 本隊と我らで敵を挟撃するぞ!」
と逃走から一転、反転しレオニゲル率いるスパルタンポリス軍向かって突っ込んだ。
後ろで何が起こったかは、レオニゲルもようやく知った。あろうことか、右翼は散り散りの有様にされて、それを打ち負かしたもう一方のソケドキア軍左翼が後ろから迫ってくる。
挟み撃ちだ。
スパルタンポリス軍は八千に対し、前後から迫るソケドキア軍は合わせて一万。ということに、いまになって気付くレオニゲル。
迂闊も迂闊であった。下手に兵力を裂かず、ひと塊になってどっちかを攻め立てれば勝機をつかめたものを、相手の動きについ合わせてしまったために、相手に勝機をゆずるという失態をおかしてしまった。
それに動揺し、まず忠誠心の薄い傭兵たちが逃げ出す。
神雕王シァンドロスの戦いぶりを目の当たりにし、勝ち目なしと早めの逃げを決め込んだ。
雪崩れるように兵力を削られたスパルタンポリス軍はなすすべなく、ソケドキア軍の挟み撃ちに遭い、されるままだった。
刃ひらめくたびにスパルタンポリスの兵はばたばたたおれ平原を屍でうめようとし、血の川が、池がにわかにところどころにつくられてそれに足を滑らせ転倒したところを、敵の騎馬の馬蹄に踏まれるなど。
散々な負けっぷりをスパルタンポリスは見せていた。
レオニゲルはぎりぎり歯ぎしりしながらこの戦況を睨みつけていた。
またもシァンドロスにやられた。
だがこうなってしまったものは仕方がない。
「ええ、退け、退け!」
やむなく退却の号令をくだし、レオニゲルも逃げる。
だが行く手を阻むソケドキア軍。決して逃がさぬと、先回りしては、刃を繰り出す。
さきの戦いではアスラーン・ムスタファーを逃しているが、二度も続けて大将を逃がすなどできるわけもない。今度はきちっと、大将首を獲る。
「レオニゲル、うぬも音に聞こえしスパルタンポリスの王ならば潔く雄敵と雌雄を決さんものか」
迫るのはガッリアスネスだった。
剣を振るい愛馬を鞭うち、馬蹄と怒号轟かせて戦場を駆け巡る。
「ほざけ、貴様のような若造など相手にできるか」
「言うわ。地に落ちたり、老獪の王」
レオニゲルは愛馬を鞭打ち、スパルタンポリスの兵もソケドキアの兵もお構いなく馬脚に駆けて乱戦から抜け出そうとする。
どのような恥を忍んででも生き残る、これがレオニゲルの信条であった。
レオニゲルを逃がそうと、勇気ある兵士たちがガッリアスネスに迫る。ガッリアスネスはこれらと戦うはいいが、不覚にも足を引っ張られて落馬し、直りかけていた腕をまたいためてしまうことになった。
だが、そんな逃亡者をソケドキア軍全体としてはうまく包囲していた。
この戦いで、絶対に大将首を獲る必要がある。傘下におさまった都市国家の忠誠をかたいものにするためにも、やはり実績がいる。その実績がスパルタンポリスの王、レオニゲルの首ならば、ソケドキアの強さに信服せざるをえず、そうそう裏切ることもなく、貢物も納得しておさめ、いざというときの兵力も提供しやすくなろう。
「逃げられぬぞ、観念せい!」
シァンドロスはレオニゲルをみとめるとゴッズを飛ばし、臣下の将軍たちを率い怒涛のごとく迫ってくる。
バルバロネもこの乱戦でよく戦う。露払いと、他の騎士や兵とともにシァンドロスの前で敵兵を薙ぎ倒し、道を開こうとする。
「バルバロネ! 夜もあるぞ、ここで消耗するなよ!」
「ここで消耗しないと、際限がなくなるんです!」
「言うわ」
乱戦にもかまわず、ふたりは馬鹿なことを言いあい破顔一笑する。
それがレオニゲルの耳に入り、彼の屈辱なみなみならぬものがあった。首を獲られようかという時、首を獲ろうとする者が男女の馬鹿話などしようものなら、誰しもが胸をえぐられる屈辱を感じざるを得ないであろう。
屈辱に震え、落ち着きがなくなる。となれば、うまく馬も操れない。
馬は戦場の轟きにおどろき、にわかに前脚を上げた。
「わっ」
とレオニゲルは振り落とされて、落馬。そこをイギィプトマイオスの剣光一閃。
剣が兜に当たり、兜が飛ばされる。レオニゲルは肘も膝も地につけて、慌てて起き上がろうとする。
「ちぇ」
イギィプトマイオスはしとめそこねて舌打ちし、引き返そうとする。というときには、ペーハスティルオーンが槍でレオニゲルの胸板を貫いていた。
心臓を直撃されて、レオニゲルは断末魔の叫びをあげてたおれて、こと切れた。
「スパルタンポリスの王レオニゲルは、このペーハスティルオーンが討ち取った!」
誇らしげにペーハスティルオーンは叫んだ。同時にスパルタンポリス軍は総崩れとなった。大将が討たれれば、もう戦争にならない。
あとはもう、ひび割れた岩石が崩れるのを槌でたたくような手ごたえのなさだった。