第十五章 征服 Ⅱ
そのころ、ソケドキアのシァンドロスの目は南方エラシアに向けられていた。
西側世界の文明発祥の地であるとされ、また西側世界の入り口とされ豊かな文化をはぐくみ、また国土も実り多い豊かさがあった。
とくにエラシア発祥の神話物語は多くの国と人々、特に西側世界にしたしまれ、時に愛をうたい、時に憎しみを血のように吐き、時に悲劇を涙乾くほど嘆じ、人々の心になにかしらの爪あとや足跡をのこすほどに深いものを感じさせてやまぬのである。
そのエラシアの地を、我が物にするのだ。
エラシアは他と国情がことなり、誰かが統一王となってエラシアを統べるのではなく、それぞれ都市国家が独立し同盟と戦争を繰り返し、そうかと思えば人民の力と技を比べるオリムパスという合同の競技会を開く間は戦争は休むなど、一種の異世界の様相を呈していた。
また人々の意識も独立意識が強い。我らはエラシア人である、というよりもそのポリスの民である、と。
だからエラシアの統一はなされることはなく、時に憎みあい、時に手を結びの集合離散を人類の歴史がはじまってから繰り返していた。
いわばエラシアは、世界の縮図であった。その縮図っぷりが、一種の異世界感を感じさせるのであろう。
タールコもたびたび遠征軍を送り込んで征服をしようとするが、グレースポリスやスパルタンポリスなど諸ポリスはよく戦い、これを退けている。
と、一見そう見えるが、実は諸ポリスはタールコに事実上の降伏のような同盟で滅びをしのぎ、時が来れば降伏を突っぱね反乱を起こす、ということをたびたびしていた。
またタールコ側につくポリスもあり、独立を守ろうとするポリスと戦争をすることも珍しくない。
このエラシアの国情を説くのは、一言で済まずまことにややこしい。
そういったこともあり、神美帝ドラグセルクセスはそんなポリスたちを完全に征服するより、力と慈悲の双方を見せつけ意のままに操り、同盟と戦争を繰り返させていた。
シァンドロスはまずアノレファポリスを滅亡させたわけだが、そのアノレファポリス跡でダヂヴァイバーらの遺骸が発見されたとの報せを受けたとき、
「そうか、死んだか」
の一言で済ませた。
暗殺者がどうなろうと、知ったことではない。担当の将校に処分を任せ、同時に龍菲の強さに内心舌を巻いた。
彼女がいたずらにソケドキアに敵対する心をもつことがなく、安堵する思いだった。
女が見つかったという報せはないから、彼女はうまく隠れているのだろう。無理に見つけようとも思わなかった。
さてエラシアの情勢は、様々あるがまず代表的なグレースポリスとスパルタンポリスのふたつを抑えれば、あとの諸ポリスはおのずと従うであろう、と踏んでいる。
嬉しいのは、グレースポリスとスパルタンポリスは百年前から一切の同盟関係を結ばず、敵対もしないが、お互い不干渉をつらぬいているところである。
百年前、タールコとの戦いの折りに裏工作によって同盟関係にあったグレースポリスとスパルタンポリスは分裂し、エラシア側はひどい敗北をこうむったことがある。
その責任をいまだに互いに押し付け合い、一歩も譲ることがない。
それは神美帝ドラグセルクセスもこころえ、裏で工作しひたすら引き摺らせて関係の悪化をたもたせている。
となれば、諸ポリスも様子見のため下手な動きはできず、それぞれが牽制し合っているこう着状態となる。
それに、ソケドキアとスパルタンポリスは敵対関係にあり、シァンドロスは初陣でも戦っている。
やるならまず、スパルタンポリスであった。
が、ソケドキアとて新興国とてしの弱みがある。アノレファポリスを滅ぼしたが、いまだ力強からず、外に向かって必要以上の攻撃が下手にできない、ということだ。
だからこそ、タールコは後顧の憂いなく旧ヴーゴスネアの五ヵ国を攻めることが出来ると言える。
さてどうスパルタンポリスを攻略するか……。
海に向かって楓の葉のように尖った曲線を描く半島であるエラシアには、大小さまざまな都市国家がある。
都市国家ひとつひとつは、人口も少なく、兵力もない。だからそれぞれに独自に同盟関係を結び、互いの不足を補い合っている。
エラシアは大きく分けて、スパルタンポリス派とグレース派に分かれているといってもいい。
だがどこにも属さず、属せないで独立独歩の都市国家もある。アノレファポリスはどこにも属せなかった都市国家だった。
なにせすぐ北にソケドキアが興り、その庇護を受けようと、もとい傘下に入らざるを得なかった。
だから姫を要求されこれを拒めずに嫁に出すことになったのだが、その姫が王と第二王子を殺害し自分も自害し果てるという事件が起こってしまったために、攻め滅ぼされるという悲惨な滅亡を遂げてしまった。
そう、弱い都市国家がどこか強いところと同盟を結ぼうと思えば、なにかしらの貢物が必要とされる。その貢物を納められないために、納めても納得してもらえないために、どこからも庇護を受けられず、いつ攻め滅ぼされるかわからない哀れな弱小都市国家もいくらかある。
シァンドロスが目をつけたのは、そんな弱小都市国家だった。それらをまるごと、ソケドキアの傘下に編入させてやるのだ。
各弱小都市国家に使者を送り、庇護とひきかえにソケドキアの傘下に入ることを要求する。一緒にスパルタンポリスにも、使者を送った。
スパルタンポリスに向かったのは、シァンドロスを暗殺しようとしている、という疑惑のあったダジダロスという男だった。この男はかつてフィロウリョウの側室、クレオに仕えていたため、暗殺計画を立てているという噂を立てられていた。
「まさか、そんな。クレオ様、ああ、いや、クレオに仕えてたといってもそれだけで、暗殺などそんな大それたこと……」
と本人は否定しているが、疑惑は晴れず。どうしたものかと悩んでいた。そんなときに、スパルタンポリスへの使者であるという。
「疑いを晴らしたければ、スパルタンポリスにゆけ」
その一言で、ゆかざるを得なかった。途中逃亡しようにも、屈強な兵士がついているので逃げることもかなわない。
心の中にも寒風を吹かせながら、己に降りかかる命運を歎きながらスパルタンポリスのレオニゲル王に謁見し、ソケドキアの傘下におさまることを訴えた。
そうすればやはり、レオニゲルは激怒し腰に佩く剣を抜き、剣先をダジダロスに向けた。
「ソケドキアからといえど、最低限の礼儀として使者であるうぬに会ってやったが、そのような無礼を言うのか!」
シァンドロスに苦渋を舐めさせられているレオニゲルは髪も逆立ち髭も槍の穂先のように堅くなったかと思えるほどに烈火のごとく怒ったのは言うまでもない。
「どうかお許しを」
案の定というか、勇猛ながら短気であるとされるレオニゲルの怒りにふれてダジダロスの身体中は震えていた。
ダジダロスは知らぬが、レオニゲルは以前にも、アノレファポリスからの使者を殺害している。
その二の舞か、と思われたが。
「これがスパルタンポリスの流儀だッ!」
剣光閃くや、ダジダロスの首が地面に落ちるとともに血の池ができ、胴体はその血の池に臥した。
哀れ、やはりアノレファポリスの使者の二の舞となった。