第十三章 暗殺者たち Ⅰ
廃墟となった、かつての小さな都市国家アノレファポリス。
いまは地名すらなく。朽ち果てようとしている小さな宮殿や市民の家々が、寒風に乗った砂埃に吹きつけられて、削り取られてゆくように、砂埃を上げて風に乗せる。
風に揺れる家屋の扉が、きぃ、きぃ、と木片をすり合わせる音を立てている。
もはや廃墟となったアノレファポリスには、人が近づくことすら許されず。そこに住もうとする者は、シァンドロスによって処刑されることが定められていた。
家族への感情はともかくとして、そこまでに恥辱を感じさせられたシァンドロスのアノレファポリスを憎む気持ちは、それほどまでに強いということだ。
だがそこに、処刑を怖れずしずかにたたずむ者が一人。
それは白い衣を身にまとい、長い黒髪を風に揺らして周囲を見回している。
これなん者こそ、かのロンフェイであった。
ドラゴンの夜のときに突如として現れたかと思えば、風のように消え。風まかせに旅をし、いまはアノレファポリスの廃墟にいる。
廃墟を歩いてさまよい、小さな王宮の円柱の陰に隠れるようにしてたたずみ。そっと、円柱に手を触れ。
瞳を閉じて、この都市国家の滅び行く様を脳裏に描く。
「いずこも同じ……」
滅びゆく様を思い描いたあと、地図が頭の中に浮かぶ。
地面には、錆びた武具が放置されたままだ。それらに一瞥をくれて、王宮の中にはいってゆく。
陽は暮れようとし、廃屋の影が長く延び、やがては闇に溶かされていった。
王宮で王の寝室にゆくと、ロンフェイは寝具によこたわり、天上を見上げながら静かに目を閉じ、寝息を立てて眠りに着いた。
シァンドロスはラウドネの砦を引き払って、首都ヴァルギリアに戻り。本格的に内政に取り組むための政治体制を整えて、国固めに専念する。
まずは国民のソケドキアへの忠誠と、ソケドキア国民であるという自覚をおぼえさせることからはじめた。
納税はむろんのこと、いざというときの徴兵に国民に素直に応じさせるためには、ソケドキア国民であるという自覚が必要であり。そのためには、国は民のためにあるのだということを見せねばならない。
まず国を整備し民に仕事を与え、税を納めやすいようにさせ、国に金銭がよく循環するような仕組みをつくりあげ。また税の納められぬという者には兵役につかせ戦争で手柄をたてるという機会を与えてやった。また、たとえ身体が弱く戦場で使えぬとも、後方支援に当たらせるなど臨機応変に対応した。
かといってシァンドロスが慈悲深い善王なのかといえば、そうというよりも合理的な理由からそうした趣が強い。
たしかに国民をまず食わせることを第一とするも、それはいざというときにソケドキア、シァンドロスが使いたいときに使いやすいようにするためであり。それを国民に気づかせないようにするのはずるいといえばずるいが、まさに合理的ではある。
その一方で自分に刃向かうものには容赦ない制裁をくわえた。
やはりいまだシァンドロスに復讐の念を燃やす者は多く。それらを捜し求めてはしょっぴいて、裁判など生ぬるいことはせずそのまま首を刎ねた。冤罪もあるかもしれぬ。だが、藁の下でくすぶる火種を心配するよりはいい、という。
神雕王に従えばよし。さもなくば、死罪。という、いわば飴と鞭をもって、シァンドロスは祖国ソケドキアの神雕王として君臨していた。
そんなシァンドロスを見据える目があった。
寝付けぬ夜があった。
寝室で燭台の蝋燭を明からせ、何をするでもない。ひとり物思いにふけって椅子に座ったまま動かず。
目はじっと、蝋燭の揺れる火を見つめていた。
彼の瞳の奥の脳裏に浮かぶは、なんであろう。
あれから報告がひっきりなしに飛んでくる。
アスラーン・ムスタファーは兵をよく率い滅亡寸前のアヅーツをついに滅ぼし、ノナブガーオダ以下王族ことごとく討ち取られたという。
しかしそれらを必要以上に辱めず、丁重に葬り。新たに領土となった旧アヅーツの領民は慰撫されているという。
それから北上し、今は二手に分かれてユオとヴーゴスネアを攻めている最中であるという。
「愚かなことだな」
醜い身内同士の権力闘争の果てにあったものは、外敵から攻められての滅亡であった。
ヴーゴスネアの王たらんとして争い合った貴族どもは今どのような思いであるだろう。シァンドロスとしては、惨めな思いをしながら滅んでしまえ、ときついことを考えている。
ふっ、と不敵に笑う。これがシァンドロスという男を一番よくあらわす表情であった。
「いつまで隠れている。出て来い」
と言えば、寝室の扉が開き。老人がひとり、おずおずと入室した。老人はどこにでもいそうな好々爺然とした容貌だが、目は異様に光り。それが堅気の老人でないことを物語っている。