第十二章 獅子王子と神雕王 Ⅶ
「戦車隊!」
イムプルーツァは咄嗟の判断で自らが率いていた戦車隊をアスラーン・ムスタファーのもとに集めさせて、取り囲ませ重装歩兵ファランクスの長槍を防ごうとした。
幸いなことに、アスラーン・ムスタファーはエスマーイールに手綱を引かれて前進が鈍り、後ろの方にいてファランクス隊の長槍までは距離がある。
ファランクス隊の長槍がアスラーン・ムスタファーに迫ろうとしたというときには、イムプルーツァの咄嗟の号令を受けて戦車隊は急いだ甲斐あって間に合い、持ち前の厚い装甲をもってアスラーン・ムスタファーを取り囲み長槍を防いでいた。
「これは」
ザッハークの手綱をエスマーイールに掴ませたまま、アスラーン・ムスタファーは唖然としていた。
シァンドロスは同等の数をもっての真っ向勝負をする約束をしたのではなかったか。その約束をたがえて、こんな罠を仕掛けようとは。
「卑怯!」
戦車隊に囲まれながら叫んだ。
シァンドロスは不敵な笑みをうかべている。
「戦いは勝てばよいのだ!」
それがシァンドロスの考えだった。
タールコ軍は意表を突かれて隊列を乱し、槍衾の前に薙ぎ倒されるばかり。数もぐんと減った。
「ここは止むを得ん。退け、退け!」
イルゥヴァンは乱れる軍勢を叱咤しどうにか踏みとどまらせて、退却をうながす。このままここにいてもやられるばかりだ。
イムプルーツァもはらわたが煮え繰りかえる思いは一緒だった。タールコの勇士たちもまた、断腸の思いで退却を余儀なくされた。
一度意表を突かれて隊列が乱れると、もとに戻すのは容易ではない。
このファランクス隊を率いるのは、ペーハスティルオーンにイギィプトマイオスだった。最初の戦いの中乱戦のどさくさに紛れて密かに戦場を離れ丘のある場所までファランクス隊とともに身を潜め、わざと負けた振りをして逃げるシァンドロスを追うタールコ軍を待ち受けていた、というわけだ。
その策は見事的中した。
これがシァンドロスの編み出した策であるのは言うまでもない。
タールコの勇士たちとて一騎当千のつわものだが、意表を突かれて列を乱してしまえば、われを取り戻すのは容易ではない。
やみくもに敵兵に触れぬ剣や槍を振り回しながらファランクスの長槍の餌食となるばかり。
そこへ引き返してきたシァンドロスの本隊。
ゴッズはタールコ兵を蹴飛ばしながら疾走し、アスラーン・ムスタファーに迫り。それにバルバロネ、ガッリアスネスも続く。
イムプルーツァにパルヴィーンはどうにか冷静をたもち、イルゥヴァンもアスラーン・ムスタファーのそばまで駆け寄った。
「悔しいが、シァンドロスはドラゴン騎士団にひとしく、イスカンダテンと言うにふさわしい」
その進軍速度もさることながら、策によるとはいえここまでタールコ軍を混乱させた者はドラヴリフトのほかにこのシァンドロスだけである。
「タールコの傘差しあばずれ女! 悔しかったらやりかえしてみろ!」
バルバロネは女郎と呼ばれたことがやはり悔しくて、仕返しにと遠くに見えるエスマーイールに叫んだ。
それは乱戦の混乱でかきけされそうながらも聞こえ、エスマーイールは憎しみをこめてバルバロネを睨み手綱を掴む手にさらに力は入る。
「戦車どけ!」
アスラーン・ムスタファーの怒号に驚いた戦車隊は思わず道をあけてしまい、エスマーイールを振りきり、戦車の間を駆け抜けシァンドロスに迫る。
「何をお考えか!」
イムプルーツァとエスマーイール、パルヴィーンにイルゥヴァンは慌てて後を追った。戦車隊もタールコの勇士たちも止むを得んとあとを追った。
せっかっく退却の態勢をとっているというのに肝心の獅子王子が逃げぬのでは元も子もないではないか。
ザッハークは駆けた。ゴッズも駆ける。互いに一騎に距離を縮める。
「面白い!」
逃げるどころか逆にこっちに向かって突っ込んでくるアスラーン・ムスタファーを見て、
(もしコヴァクスやニコレットと戦うことになれば、彼らも同じ事をするであろう)
と、ふと思った。
迫るアスラーン・ムスタファーにファランクス隊の長槍が迫る。
「戦車隊、ファランクスに当たれ!」
イムプルーツァは号令しファランクス隊の長槍に戦車隊を突っ込ませた。近づきがたい長槍を相手にするには装甲の厚い戦車に任せるしかない。ことにこの混乱ともなればなおさらだった。
戦車隊もイムプルーツァの意図を汲み取り、なによりアスラーン・ムスタファーを守るために、真正面からファランクス隊に体当たりを食らわした。
これにより馬が犠牲になり、戦車も破壊されるがもとは遊牧民族で馬に愛着を強くもつタールコ人にとってはまさに断腸の思いであるが、アスラーン・ムスタファーを守るためなら止むを得なかった。
御者や戦車に乗った勇士たちは心得たもので、咄嗟に飛び降り戦車や馬を捨てて駆けて逃げた。
ファランクス隊の長槍は穂先を馬の分厚い肉にとらわれ、また戦車の厚い装甲によりへし折られて、これによりソケドキア軍の勢いもやや削ぐことができた。
エスマーイールはさっきと同じようにザッハークに追いつこうとするが、今度はなかなか追いつけない。それはイムプルーツァらも同じだった。
「おおお!」
槍を繰り出し、黒馬にまたがるシァンドロスに迫るアスラーン・ムスタファー。その勢いはまさに獲物を駆る獅子であった。
シァンドロスも速度を緩めず剣をかかげて、今度こそ神雕王の称号にふさわしい勢いと威厳を見せ。
一気に距離が縮まりアスラーン・ムスタファーの槍が眼前にまで迫ると、これをすんででかわし、左手で柄を掴んだ。
「うむッ!」
力を込めて引こうとすれば、なんのとアスラーン・ムスタファーは引っぱり返そうとする。だがそれを逆手にとって、シァンドロスは一転、槍を押した。
「なんの!」
意表を突かれて体勢を崩しそうになったが咄嗟に立て直し、混乱の中でも聞こえるほどに風を切る音を響かせて槍を振るって、シァンドロスと戦った。
シァンドロスもさるもの、剣で柄をすぱっと斬り落とし。穂先は地に落ちた。
「まだまだッ!」
アスラーン・ムスタファーすかさず剣を抜き放ち、互いに激しく火花を散らす。
それぞれの愛馬、牛の頭の意味を持つ大柄な黒馬ゴッズに、最凶最悪の魔王の名を冠した葦毛の駿馬ザッハークも、ともに鼻息荒い。
これが互角の戦いの中での一騎打ちならば見応えもあるというものだが、惜しいかないまタールコ軍は押しに押されている。
「獅子王子! ここは恥を忍んでどうか引き返しを!」
エスマーイールは叫んだ。そこへバルバロネが突っ込む。
「傘差しのあばずれ女! 王子の心配よりも自分の心配をしな!」
やっ、とさっきと同じように一騎打ちとなったが、
「お前とはあとだよ! あっち行け!」
と、それどころではないと、パルヴィーンが加勢に入る。
二対一ではバルバロネも不利と見て、
「覚えてやがれ!」
といかにも元傭兵らしい捨て台詞を吐き、やむなく遠ざかってゆく。だがほっといてもタールコは負ける。そのどさくさに紛れて討たれてしまえ、と念じながら。
乱戦でタールコ軍は押されっぱなしで盛り返すことができないでいるのだ。
その状況はアスラーン・ムスタファーも心得ている。
数合剣を撃ち合わせてから、さっとシァンドロスから離れる。
「この借りは必ず返すからな」
「おう、いつでも来い」
シァンドロスはあえて追わず、離れるに任せ。
遠ざかりながらも別れを惜しむように、両者の視線違うことなくしばらく交わされた。