第十二章 獅子王子と神雕王 Ⅴ
折りたたんだ傘を背に背負い、後方でエスマーイールとパルヴィーンら侍女や従軍文官らは固唾を飲んで戦況を見守っていた。
アスラーン・ムスタファーを信じている。しかしシァンドロスの戦い方はまずくない。勇猛をもって知られるタールコの勇士たちを相手にソケドキア軍は一歩も引かぬ互角の戦いを見せている。
これができるのは、ドラゴン騎士団のみであると思っていたが。いやはやなんと、あらぬところから強敵が突如あらわれたものだった。
あのイムプルーツァと堂々と一騎打ちするシァンドロスが名乗る神雕王は伊達ではない、ということか。
見よ。
火花散る両者の視線、その顔の笑顔を。
シァンドロスのは不敵なものであるとも、イムプルーツァを相手に笑っていられる者を、いままで見たことがない。そのどういう笑顔であれ笑顔が笑顔をよんで、イムプルーツァも笑っている。
戦いを心底楽しんでいるようだ。
(これぞ勇士としての本懐!)
かりにも一国の王と一騎打ちができようなど、勇士としてこれに勝る誉れがあろうか。
アスラーン・ムスタファーといえば、イムプルーツァに獲物を横取りされたように苦い顔をしながら、ソケドキアの騎士らを薙ぎ倒してゆく。
まさか友とするイムプルーツァから戦いの相手を横取りするのは、勇士としての矜持が許さなかった。かといって、イムプルーツァが負けることを望むわけにもいかず。
イムプルーツァつきの侍女パルヴィーンは握りしめる手を汗でしめらせ、火花散る刃を見守っている。
「獅子王子! 女を相手に逃げるのか、臆病者め!」
バルバロネだ。
しつこくアスラーン・ムスタファーを付け狙ってくる。
ええい、と己の傘をパルヴィーンに押し付け。エスマーイールは腰の剣を抜き放ち、乱戦の中に飛び込みバルバロネに突っ込んでゆく。
「女郎! お前の相手は私がしてやる!」
戦場にまでついてゆくだけあり、エスマーイールにもそれなりに武術の心得はある。剣を振るい、バルバロネの剣を打ちつけにゆく。
途中立ちはだかるソケドキア兵あれどそれことごとく、剣風となったエスマーイールの前に薙ぎ倒されるばかり。
自分に女が向かってきていることに気づいたバルバロネは舌打ちし、止むを得んとエスマーイールの相手をする。
黙って見てはいられないと、パルヴィーンも自分のと押し付けられた傘ともどもそばの文官に押し付け、乱戦の中飛び込みエスマーイールの援護をする。
「二人がかりで来るのか」
バルバロネは苦い顔をしたが、パルヴィーンは周辺のソケドキア兵のみを討ち取ってゆく。これもなかなかの剣技で、剣光閃くやソケドキア兵ことごとく血煙をあげた。
危険もともなう傘差しの侍女となれるその条件は、美しく教養のあることのみならず、武芸に秀でたことが絶対条件だった。
彼女らは清く正しく美しく、そして強い女だった。
「エスマーイール、邪魔者は引き受けたから、存分にその女郎と戦いなさい!」
「ありがとうパルヴィーン!」
「誰が女郎よ!」
傭兵はしても男を相手に身を売ったことなどない。女郎と蔑称されて、バルバロネが切れたのは言うまでもない。
だが切れたら切れたで、焦りが生まれ技は乱れてゆく。エスマーイールもパルヴィーンもそこまで考えてなく、単純に戦場におけるごく普通の蔑称を言ったにすぎない。
バルバロネとて傭兵時代に同じ事を相手に言ったものだったが、いまはそのことを忘れ滅茶苦茶に剣を振り回している。
こうなれば動きを見切るのはたやすい、隙を簡単に見つけまずは肩に刺突を繰り出す。
「あっ!」
やや手ごたえあり、鎧の左肩の甲に剣先が触れ。続けざまに顔に斬り付ける。
咄嗟に避けたが、体勢の崩れは免れない。そこへ容赦なくエスマーイールの剣が迫る。
「あ、くっ」
どうにか剣で受け流すもそれが精一杯。劣勢に立たされて徐々に後ろへ後ろへ退かざるを得なかった。
「すまぬエスマーイール」
女の追撃を免れたアスラーン・ムスタファーは、イムプルーツァとシァンドロスの一騎打ちを一瞥し、舌打ちする。
「邪魔をするなよ!」
シァンドロスは将兵たちに厳命し、イムプルーツァとの一騎打ちに夢中になっている。やはり王とて一人の勇士である。
本来なら後方で部下に戦わせればよい立場なのだが、それが出来る人間ではないようだ。アスラーン・ムスタファーとてそれは同じ。
だからこそ、いまこうして、ソケドキア軍とタールコ軍は同等の数で刃を交えているのだ。
やむをえず、他のそれなりに身分のある将兵をもとめアスラーン・ムスタファーは槍を振るいながら次なる獲物を捜し求めた。
その時である。
(おかしい)
ソケドキア軍の数が少ないように思える。それに、それなりの身分のある将軍の数も減っているように思える。
ペーハスティルオーンにイギィプトマイオスの姿が、ない。
ガッリアスネスといえば、乱れた自分の部隊を乱戦の中戦いながら整えようとしている。
背筋に戦慄が走った。
それは勇士としての第六感とでもいおうか。
(おかしい)
一万の軍勢同士で真っ向勝負をしているのではなかったか。
彼らはかなわぬと思って逃げた。
なら背中を見せる将兵の姿を見るはずだが、見ていない。皆こちらを向いて赤い口をあけて、雄叫びを上げて突っ込んでくる。
その数が最初に比べて少ないように思えるのは、どういうことであろう。
(いいや、考えすぎだ。獅子王子ともあろう者が、なにを気弱な。これは我が方が優位にあるということではないか)
自分にそう言い聞かせ、いい加減決着をつけようと乱戦の中でも相手を討ち手の空いた者を集めて隊列を整えなおし、ひと塊となってソケドキア軍を散り散りにしてやろうとした。