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第十一章 神美帝ドラグセルクセス Ⅳ

 一触即発の雰囲気だった。

 これが対等の者同士ならば剣を抜いて渡り合おうかという。

 ドラグセルクセスはしばし黙し、

「そこまで言うのであれば、覚悟せよ。シァンドロスとの戦いを」

 と言えば。おお、とどよめきが起こった。イムプルーツァは不敵な笑みを浮かべたままだったが、すこし、口元が動いた。山を動かした、と言いたそうに。

「我が父よ」

「ムスタファーにはソケドキア征伐を命ずる。ただし」

 ただし、なんであろう、と皆聞き耳を立てる。父と子の争いは避けられたようだが、ただでは済みそうもないようだ。

「敗れることあらば、そなたの王位継承権を剥奪する。そのつもりでゆけ」

「ありがたきお言葉。ムスタファー、全身全霊をもってシァンドロスを討ち取ってまいります」

 アスラーン・ムスタファーはあらためて跪き、父に礼の言葉を述べた。その横にはイムプルーツァ。

「まて、もうひとつ」

「はっ」

「イムプルーツァにおいては、死罪とする。矢面に立つ覚悟を、シァンドロスとの戦いで見せよ」

「もとより承知!」

 イムプルーツァとて馬鹿ではない。神美帝に楯突いた以上は、覚悟をしていた。むしろ生きながらえる機会をあたえられて、望外の喜びを胸いっぱいに広がらせていた。

 それからの軍議は順調にすすみ、ギィウェンとヨハムドの両将に旧ヴーゴスネア五ヵ国の征伐が命じられた。

「命くだらば、ゆけ。疾風のごとく!」

「ははあっ!」 

 宮殿に熱風が吹くように、男たちの声が轟いた。

 まさに疾風のごとく宮殿をあとにし、男たちは出征の準備にとりかかった。

 

 軍議のあと、ドラグセルクセスは奥の間にゆき、妻のシャムスと会った。

 シャムスは侍女に命じてすぐに冷たい水を用意させて、夫の喉を潤わせた。

 そしてその微笑みは夫の心を潤わせた。

「ゆかれるのでございますね」

「そうだ」

 ふたりのいる奥の間は大理石造りながら質素な部屋だった。シャムスたっての希望で、生活や公務に必要なもののみそろえて、必要以上の贅沢を取り払っていた。

 それゆえに、そこにたたずむシャムスは誰の目から見ても美しく気品に溢れ、人々は彼女を清く正しく美しい人と讃え慕っていた。

 事実、都のトンディスタンブールのみならず、タールコの国において飢饉などなにかしらの難事が起これば、

「なんというかわいそうなことでしょう」

 と我が事のように悲しみ、他の側室と協力してその救済の指揮を執った。

 また教育に力をいれ、各地に学校を建てどのように貧しい子供でも奨学金を給付して入学させ、国を支える人材を育てるなど、国の礎造りに情熱をそそいでいた。

 いかなる大帝国であろうと、その礎が磐石ならばこそ立てるというもの。その礎こそが、人であるという信念をもっていた。

 そのおかげで、タールコは後顧の憂いなく出征ができた。

 心配があるとすれば、愛する我が息子。

 少々血気にはやるところがある。

 話を夫から聞き、心穏やかでない。

「もし、万が一のことがあれば」

 戦争にゆくのだ。万が一のことがあれば、王位どころではない。いや、神美帝の第一夫人となり、その子を生む以上、覚悟はしてきたつもりだ。

 この世の中、命はつねに危うきと隣り合わせ。今あるものも、王位もまた、夢のごとし。

「ムスタファーが自ら選んだことなら、やむをえぬ」

「あの子は、王宮の中で満足する性格ではないのですね」

 どうにも冒険を求める性格のようだ。

「惜しいと思う者ほど、我が手から離れようとする」

「……」

 ドラグセルクセスは、ぽつりとつぶやき。シャムスは何もこたえられなかった。

 夫がドラゴン騎士団のドラヴリフトを臣下にほしがっていたことは知っている。しかし、ついに望みは叶えられなかった。

 そのドラヴリフトのふたりの子どもは、なんとリジェカにて再起し、こつこつと力を蓄えているという。

 だがそれまでにどれほどの苦難があったろうか。

 ドラヴリフトも、その妻エルゼヴァスも、死んだ。国も滅んだ。おそらく、ふたりの子の憎しみと執念は言葉に出来ぬほどのものであろう。

 その子らに対し、無邪気に戦いを求めるムスタファーは、かわいくもあり、やはり心もとなくもあり。

 それから、ふたりはたわいもない話で、ふたりの時間を過ごした。


 トンディスタンブールでは、出征の準備が着々と進み。帝国西方各地の諸侯にも出征を知らせる使者が走って、神美帝の檄が飛ばされた。

 タールコの勇士たちはオンガルリを征服したことで自信を増し、意気盛んに出征の仕度を整え、トンディスタンブール郊外に馳せ参じ集結した。

 都周辺はタールコの軍勢があつまり、戦いの旗立ち並んで風になびき。

 周辺の空気は一気に冬の寒気を吹き飛ばして、熱を帯びた。  

 この出征において集まった軍勢は、トンディスタンブールの人口に迫る十万。それが二手に分かれて、旧ヴーゴスネア五ヵ国およびソケドキアにゆくのだ。

 郊外は人や馬、幕舎や旗がひしめき合い。突如として都が広がったようだった。また都自体にも出征の兵士たちが繰り出し、それを出迎え商売の糧として頑張る人々で賑わっていた。

 

 甲冑姿のムスタファー、意気揚々とイムプルーツァとともに馬を飛ばし、郊外にある我が軍勢へと向かった。

 その日はよく晴れて、気温も高く。身体を動かせば汗ばむほどだった。

 ふたりのそばには侍女が騎乗で、片手に傘をさしてつきしたがっていた。

 タールコでは、貴人は侍女や宮廷女官に傘を差させる習慣があった。無論、その侍女らも選りすぐりの美女であるのはいうまでもなく。主とともに戦にゆくので、彼女らも鎧をまとい、傘片手に騎乗し主の後ろを駆け、長い黒髪が風になびく様は凛とした美しさがあった。

 人によっては貴人よりも傘を差す美女に目が行くのはやむをえないことだった。

 その傘を差す侍女とわずかな供をともなって、自分が率いることになる五万の軍勢におもむけば、

「アスラーン・ムスタファー!」

「我らの獅子王子よ!」

 などなど、割れんばかりの喚声が轟く。

 タールコの勇士を自負し、強敵に挑みにゆくアスラーン・ムスタファーの人気は絶大なもので。旧ヴーゴスネアの分裂した五ヵ国への出征軍や留守居役の兵士や貴族の中には、所属をかわりたいと地団駄を踏む者もいるほどだった。

 のみならず、もし敗れた場合のことも伝え広められて。

「勝とう、断じてこの戦いに勝とう。勝ってアスラーンの王位継承権をお守りしようではないか」

 と、軍勢は団結して士気も一段と高い。

 その軍勢の勇士らを引率した貴族らもアスラーン・ムスタファーとイムプルーツァを出迎え、この戦いにおける意気込みを語った。いわく。

「この戦いに敗れてどうしておめおめと生き恥をさらせましょう。小癪なシァンドロスなるひよっこをひねりつぶさぬかぎり、我らタールコの土は踏まぬ覚悟です」

 という、非常に熱いものだった。これにはかえってアスラーン・ムスタファーとイムプルーツァが驚くほどだった。

 彼らはこれほどまでに、と。

(やられた)

 心のどこかで蛮勇といたずら心のあったことを、イムプルーツァは内心恥じた。

 アスラーン・ムスタファーは、素直に感激して喜び、

「そなたらの心意気を、我は確かに受け止めた。我らの栄光のために、ともに戦おうぞ。ともに勝とうぞ」

 と叫べば、天が割れるかというほどの喚声があがった。その迫力に、侍女の傘を差す手が震えたほどだった。その震えが武者震いなのはいうまでもない。

 イムプルーツァもこの熱狂の坩堝の中で血が沸き立つのを感じていた。

(死など恐れぬとはいえ、ひどいことを約束させるものだ、と思ったが。そのおかげで、意気揚々と戦に臨めようとは。これはまさに、神美帝のお導きというべきか)

 まさにいっぱい食わされた、と観念し、ともに喚声をあげた。

 

「あなた」

「うむ」 

 ソケドキア出征軍の喚声は都を包み、天宮にまで聞こえるほどだった。

 少ないゆとりのひと時を過ごすドラグセルクセスは、シャムスとともに喚声を静かに聞き入っていた。

 なんという士気の高さであろうか。かつてドラグセルクセス自らがオンガルリに親征したときに勝るとも劣らぬほど。

「これが、将来のタールコなのですね」

 喚声を聞き入り。鎧姿の我が子を思い浮かべ。シャムスはしみじみと、ぽつりとつぶやいた。

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