第二章 反逆者 Ⅰ
「ニコレット、無礼であるぞ」
と父が咎めるも、
「ご無礼は戦功をもってお償いいたしまするゆえ、勅旨を見せていただきたいのです」
と言って聞かない。
王の遣いはあからさまに不機嫌な顔をして、勅旨を手渡しながら。かつてニコレットが国王を愛していながら、それが報われなかったという話を思い出した。
(女の愛憎とは、怖いものよ)
ニコレットが女の身ながら戦場に立つのは、国王へのあてつけだと、宮中でなぜかそんな噂が流れて。知らぬはニコレットばかりなりであった。
勅旨を丁寧に持ち、じっくりと筆跡に蝋印を見定めてみれば、確かに国王よりの勅旨である。ニコレットは、「確かに」と言って王の遣いに勅旨を返す。
「ニコレット殿、このことは王にお伝えしますからな」
と王の遣いは背中を見せて遠ざかってゆき。先に戦場に来た遣いたちも、一緒に帰ってゆく。
ドラゴン騎士団は突然の霧につつまれたような不安にかられ、あちらこちらでざわめきが起こっている。
ドラヴリフトは落ち着き、
「やむをえぬ、ご命令どおり、沙汰あるまでここで過ごすしかない。さあ、宿営の準備をせぬか」
と将卒らにハッパをかければ、指示通り近くの森の木を切り、テントを張り、にわかの集落がつくり上げられてゆく。
嫌な気分を紛らわせたいのか、疲れも構わずいつにも増して、作業時の掛け声は大きかった。
その間にも、ドラヴリフトはふたりの子を引きつれ、宿営地をまわり、
「元気を出せ、王はわかってくださる」
「我らは、誉れ高きドラゴン騎士団ではないか」
と、将卒らを励まして回る。
ドラゴン騎士団への大衆の人気は高い。戦場においても敵を必要以上に殺さず、辱めず。また戦争につきものの略奪暴行も厳しくいましめ。いかなる国の民であろうと民族であろうと、決して差別せず、平等に、人間として接してきた。
それが騎士としての振る舞いであると。
宿営地を造営する最中にあっても、どこからか近隣の町や村から、住民の差し入れが届けられてくる。将卒らはそれを丁重に感謝して受け取る。
このおかげで、戦争に行っても餓えることがなかった。
オンガルリの軍人の中には、ドラゴン騎士団に入団することを夢とする者が多い。
今も、ドラヴリフトの眼前で、近隣の民からの差し入れを将校が丁寧に礼を言いながら受け取るところが見られた。
民は、ドラヴリフトとコヴァクス、ニコレットを見ると、まるで神を崇めるように喜ぶ。
それに笑顔でこたえながら、
(ゆえに、他からの妬みも尽きぬか)
と内心憂えた。
気がつけば夜の帳が落ちて、三日月が無数の星たちを引き連れて夜空に浮かんで地上を見下ろしていた。
そのころ、辺境の町ワリキュアにおいて近衛兵団の勝利の宴がささやかながらも、もよおされていた。
ワリキュアはオンガルリ東方、東端の地方の名で、中心となる町の名も同じワリキュアであった。
かつてここは百年前まで、ワリキュアという小さいながらも歴とした独立国であった。それがオンガルリの支配下に置かれて以来、その国名は地方の名になり、王は地方貴族となってオンガルリに仕えた。
素朴で小さなワリキュアの町は森のしげれる丘陵地帯の台地にぽつんとある寂れたところであったが、この親征軍来たるによってにわかに賑やかになっていた。
ワリキュアの東端にダノウ川が流れていて、現時点においてこの川が国境の役割を果たしていた。
国王バゾイィーは町を治める領主のオスロートの、(国王から見れば)小さな城の大広間にて側近たちと飲めや歌えやの、無礼講の大はしゃぎ。
田舎ゆえにこれといった馳走もなく都から運んできた山海の珍味も少ないが。
戦勝の心地よさは、それをおぎなってあまりあるほど胸の中でときめいていた。
「うむ、猪肉のなんと美味いことよ」
と脂ののった猪肉をフォークでぶっ刺しては口に放り込み、もりもり食べては、ルカベストから持ってきたワインを浴びるように飲む。オスロートやその召使いたちは、国王や側近の接待できりきり舞いだ。
「王よ、あまりはしたないお真似は……」
と、酒と戦勝の効用で頬を赤くした側近のイカンシが、そばに来てそっとたしなめるが、
「なんの、無礼講よ。あのにっくき神美帝ドラグセルクセスを、予の力で追い払ったのだ。こんな愉快なことがあるか」
「左様」
イカンシが苦笑いをふくんで微笑むと、オスロートが自分で新しい鹿肉の料理を運んできて王の前にうやうやしく差し出し、丁寧にテーブルに置いた。
他の側近らも召使いたちの運んでくる酒や料理を、笑い声をこだまさせながら次から次へとたいらげてゆくから、もう大変な賑わいであり、騒ぎであった。
ワリキュアの城の周辺、町中には、親征軍や近衛師団の兵卒たちが町民のもてなしを受けて、やはり同じように飲めや歌えやの大騒ぎ。
若い兵士たちは酒で顔を真っ赤にして、若い娘たちと陽気に踊っていた。
なにせ五万の大軍である。
ワリキュアの町だけでは人も物も足りないのは言うまでもない。だから近隣の町や村からも大勢の人手が出て、兵卒たちをもてなしていた。
森の中に小さな木造家屋が建ち並び、庭があって二階以上ある大きな建物といえば、防衛線となる小さなワリキュア城と、鋭い槍のような屋根を天に向けるようにしてたたずむ教会くらいなものだった。
都から来た面々から見れば、可愛らしいものであったのは言うまでもない。
今は戦勝の気分に浮かれて、退屈極まりない田舎の素朴さすら愛嬌と、いとおしく感じる。
ドラグセルクセスがおとりをもってドラゴン騎士団をひきつけている間に迂回して、その大軍が国境の川を越えようとしている。との報告を受けて、バゾイィーは、
「さればゆかん」
と、すぐさま自らの近衛師団ら軍を率いて迎撃の決断をくだした。日ごろの軍の訓練にも自ら加わり、武術の修練も欠かさなかったバゾイィーにとって、この報は驚きよりもむしろ日ごろの訓練の成果を発揮できる絶好の好機であると、王の胸をときめかせた。
いざワリキュアと、五万の軍勢とともに疾風怒濤の勢いで来てみれば、対岸の敵は川を渡ろうとしているところであった。その中には、確かに神美帝のふたつ名に相応しい美丈夫、ドラグセルクセスもいた。
これを見て鎧姿も勇ましく、騎乗にて指揮を執るバゾイィーは、
「それ、敵の渡河をゆるすな。今日こそドラグセルクセスの首を獲ってやれ」
と意気込み自らダノウ川に飛び込み、槍を振るい先頭に立って敵に突っ込んだ。
兵卒たちも雄叫びを上げて王に続き川に飛び込み、タールコ軍に立ち向かった。
ダノウ川ははるか西方に源をもつ長い川で、大地を裂くようにしていくつもの国をまたいで、一旦北上して、また東南方向へ向かいオンガルリの国を北から東南方向へなぞるようにして通り抜け、海へと流れてゆく。
この川が東南に下っている部分が、国境の役割も果たしていた。が、なぜかその部分だけは川幅は狭く全体的に浅く、せいぜい大人の胸までしか深さがないから、自然の堀の役目はあまり果たせないでいた。
ドラグセルクセスはそこに目を着け、今まで幾度となく川越えを試みたのだが。それはことごとく、ドラヴリフト率いるドラゴン騎士団によって退けられた。
そしてこの時、国王バゾイィー率いる親征軍が、ドラゴン騎士団にかわってタールコ軍を退けたのだ。
残念ながら首は獲れなかったものの、奮戦の甲斐あって、敵はろくに刃を交えずに背中を見せて逃走し。対岸の向こうへと姿をけしていった。
王は叫んだ。
「ついに予はドラゴン騎士団と肩を並べたぞ」
と……。